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15/12/3

高木教育センターのありふれた日々(11)

Image by Olia Gozha

高木教育センターのありふれた日々(11)

第百一章「人生を伸ばす方法はある」

第百二章「学校の、『愛』ある虐待」

第百三章「ハイパー・スーパー・ウルトラ塾講師」

第百四章「古典的集客術」

第百五章「Mくんちの、不味いインスタント・ラーメン」

第百六章 「医者がエリートと思っていますか?」

第百七章 「トリプル・スリーで爆買して安心して、吐いてます?」

第百八章 「リケジョのタイムマシーン」

第百九章 「Love is blind.  ラブ イズ ブラインド」

第百十章 「高学歴男子に"頭が弱そう"と思われる禁句ワード」

 

 

 

第百一章

「人生を伸ばす方法はある」

  私も初孫が生まれてオジイサンになってしまった。中学生や高校生の受験指導をしていると中学や高校での経験を生徒に話してやることも必要なので、思い出すことも多い。

  人間は思い出したくないような黒い歴史は自然に封印してしまうのかもしれない。イヤな思い出は自然に記憶から削除されてしまうようだ。もしかしたら、私だけかもしれないが。

  逆に、楽しい思い出は長く心に残りすぐに思い出せる。

  つまり、楽しい思い出の数がその人の人生になる。だから、私はできるだけ冬かいな人は避ける。マナーのなってない人、非常識な人、時間を守れない人。そういう人がいたら、すぐ逃げる。人生がムダになるからだ。

 棺おけに入る時に走馬灯のように人生を振り返るとき、良い思い出だけが再現されると思う。良い人との出会いが多いほど、良い人生になる。ろくでもない人と出合った思い出は消えてなくなるとしたら、それだけ人生を短くさせられたということだ。

  結婚してから離婚するまでのことを思い出すことが困難になっている。たぶん、楽しかったこともあったはずだが、もろとも削除されてしまった気がする。もと奥さんと過ごした時間は自分の人生でなかったことになっている。

  人生の壮大な空白だ。

  アメリカでは、日本でなら10年に1回しか出会わないような素敵な人にたくさん会えた。そのせいで、あの1年は10年分くらいの時間の長さを感じる。英語や数学の勉強では、普段行かないような場所に試験を受けに行き、会わないような人たちに会えた。

  その全てが濃い人生の思い出になった。

  インパクトがあった人をあげろと言われたら、四日市高校で会った全国で5本の指に入っていたOくん。今は京大の教授だ。北勢線で一緒に通っていたSくんは京大病院の先生だ。名大で出会ったYさんは、大学院も国家公務員試験第一種も大手銀行にも合格した才女だった。車で下宿まで送ってもらった覚えがある。

  塾の卒業生では、3年間ほとんど塾内テストで一位だったNさん。京大大学院から研究職になった。暁6年制の特待生だったHさん、その後輩のIさん。二人とも、三重大の医学部に行った。Kくんは名大に行き、公認会計士をしている。Kさんは名大医学部。Iくんは京大医学部に進学した。

  近所でトラブルを起こした子もいたけれど、そういう悪い思い出は記憶にない。思い出すことがないので忘れてしまうのだろう。誰の仕業かさえ忘れた。

  感動した歌、ドラマ、人は長く記憶に残る。できるだけ良い歌、映画、人に出会うべき。それだけ人生は豊かになる。そして、できるだけ悪いヤツは避けるべき。人生が貧弱にさせられる。

 

第百二章

「学校の、『愛』ある虐待」

  皆さんが一日中いじっている携帯はどうしてこの世に現れたのでしょう。それは、マイクロソフトのビル・ゲイツとか、アップルのスティーブ・ジョブズなどの情報産業をリードしてきた人たちのお陰。

  彼らはアメリカ人です。では

「なぜ、アメリカではユニークな企業が生まれるのか」

  私はアメリカのユタ州で、1年間中学校の教師をしていた。アメリカの学校では、どのような教育が行われているのか知っている。一言でいいうと

「人と違った人になれ。人と違ったことをやれ」

 という教育方針なんです。私が日本の中学時代の写真を見せたら

「これは、刑務所か軍隊のように見えるが」

 と言われた。制服を着るのは、アメリカでは囚人か軍人くらいなものだからだ。もちろん、一部の私立学校では制服を着るが珍しい。ギネスのような、下らないものも含めて、とにかく人と違うことをすることを奨励する。

  私は最初、カルチャー・ショックだった。なぜなら、私は日本一「日教組」の組織率が高い三重県で教育を受けたからだ。北勢中学校では、「違い」は差別であり格差であり悪いことだと教え込ませる。

「とにかく、みんなと違うことをしない」

  そのようなアメリカと180度逆の指導を受けて育ったからだ。社会主義の教育の結果はどうであったか。ソ連は国が崩壊し、北朝鮮や中国は軍事独裁国家だ。私の母校の北勢中学校の四日市高校の合格者は、隣の町の10分の1以下だ。

  みごとに、左翼の先生の目標が達成されている。

 しかし、これはアメリカの価値基準で言うと「大失敗」。

「すぐれた生徒の才能をつぶすために、ありとあらゆる手を使っている」

 としか見えない。私にも、そう見える。賢い子たちは、その異常さに気づいていて教師の言うことなどに耳を貸さない。私は自分が中学生のときから、自主的にクラブを引退したら教師から叱られ、夏休みの課題は拒否して、自分の好きな教材で勝手に勉強していた。

  だいたい、教師が100%左翼日教組の組合員というのがおかしい。日本社会では、選挙の結果を見れば分かるように左翼の人は2割ほど。つまり、三重県では採用の時に思想調査を行い、左翼でないと採用していないのかもしれない。あるいは、教師になったら強力な洗脳研修を繰り返し、全員を左翼に染めるのだろうか。

  いずれにしても、異常事態であることに変わりはない。

  このような現状報告をすることさえ、蛇蝎のように嫌われる。「愛」「絆」「助け合い」という空虚なスローガンに溺れている人が多いのだ。それは、生徒にとって虐待に近いのだが、気づいていない。

  「クラブは強制だ」「制服は強制だ」「教材は強制だ」「宿題は強制だ」「班は絶対だ」。一体、なんの権利があって生徒の自主性を奪うのだろう。全く、理解に苦しむ。保護者も、なぜ自分の息子や娘の才能をつぶされて黙っているのだろう。

  基本的人権は、憲法で保障されている。思想の自由も、身体の自由もあるはずなのに、学校ではみごとに否定される。こんな最低の教育を受けて、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズとどうやって戦えと言うのか。

  もちろん、教師は生徒の将来のことなど考えていない。自分の「理想の教育」を実践できたら満足なのだ。まったく、

「ふざんけんじゃねぇ!!」

 ですよね。自分が三流大学しか合格できなかった恨みを優秀な生徒にぶつけているとしか思えない。そして、本当のことを言われて腹を立てる。一人くらい反旗を翻してもよさそうなものだけど、全員一致というのも気持ち悪い。本当にどうかしている。

  東大や京大は、学校に適応できない「浮きこぼれ」た才能豊かな生徒を推薦や特色化選抜で救い上げる試みを始める。今の学校制度では潰されそうな才能を生かさないと未来の日本は無い。

  世界的規模で見ると、日本の学校と教師、特に公立中学は異常すぎる。マスコミは全く報じない。それは、朝日新聞に見られるように日本のマスコミも左翼に洗脳されている記者が多いからだ。

  三重県では、今年「三進連」という最大の業者テストが倒産した。偏差値追放、業者テスト追放の「成果」だそうだ。生徒は校内順位さえ隠蔽される。目隠しのまま受験を強要される。

 これでいいのか。

 私は一方的にアメリカの学校を礼賛するつもりはないが、日本の学校は最低だと思っている。このまま横並びを強制し続けると、ソ連のように国家が崩壊する危険さえあると思う。

  締め付けるのはアホ生徒だけでいい。賢い生徒を締め付けたら日本の人材がつぶされるか、日本から脱出が始まる。全員、沈没する。

  私の Youtube 動画は合計38万回再生。アメブロ「受験生」ランキングは1位だ。こんな考えに賛同される方の数は、以前と比べて大幅に増加しつつある。できるだけ早く国を動かして、学校を変えないと日本が沈没する。

 第百三章

「ハイパー・スーパー・ウルトラ塾講師」

 私は「男はつらいよ!」のファンだ。49巻すべて見た。DVDも持っている。寅さんはバカだけど、憎めない人だ。善良だからだろう。私は塾講師という仕事柄、

「勉強できない人をバカにしている」

 と思われがちだ。どう思われても構わないが、数学や英語ができたら人間が上等などとは考えていない。ただし、寅さんもそうだが近くにあんな人間がいたら迷惑だと思う。

「極限って、分母がゼロなら・・・」

「アッ、そうか!」

  だいたい、こんな感じで授業が進むことが多い。ところが、たまに

「分母がゼロなら、なんで分子がゼロなんですか?」

「だって、確定値があるじゃない」

「なんで、確定値があると分母がゼロなら分子もゼロなんですか」

「それは、教科書に書いてあるから覚えておこう」

「それで、計算はどうするんですか?」

「だから、そのxを分子に代入したらゼロになるということで」

「どうして、ゼロになるのですか」

「だから、分母がゼロになるから」(これで話が最初にもどる)

 こんな話を2周、3周させられたら普通の子を指導する2倍も3倍も疲れる。でも、同じ月謝だからコストパフォーマンスが酷いことになる。体力も精神力も磨り減るわりに、点数が上がらず合格実績に貢献もしてもらえない。

 なんで、こんなことになるかというと家庭学習がなっていない。真面目に授業を聞いていない。予習も復習もしない。宿題さえ、まともにしない。これでは、誰が何を説明しても身につくはずがない。

 ところが、こういう子に限って

「最低でも桑高に合格したい」

 と言う。その理由を聞くと

「賢くみられたいもん」

 というプライドの問題らしい。私はプライドを持つことは良いことだと思う。ただし、本物なら。努力せずにカッコよく思われたいというのは、1万円のものを5円で買おうとするも同然。通る話ではない。

 大学受験で言えば、英単語は6000語、数学は2000題は解かないとAランクの大学に合格はできない。それを1000語や500題くらいで東大や京大に合格させろと言うに等しい。できるわけがない。

 いろいろ批判があっても、学歴で就職が決まるのは

「難関大に合格したということは裏づけのあるプライドの持ち主だ」

 と判断するわけだ。裏づけのない、スカスカのプライドでは難関大に合格できないことは誰にも分かる。私は英検1級に合格し、京大二次試験の数学は7割正解だったが、そのレベルに到達するまでに何をやったかは別のエッセイに書いておいた。

 学歴や資格は、そこに至るまでの計画性や実行力を示しているわけだ。

「何を威張りくさってんのや!」

 というタイプの誹謗中傷は多いのだけれど、スカスカの人の言うことは誰も耳を貸さない。上に書いた生徒の質問を聞けば

「この子は、家で全く勉強していない」

 と、すぐ分かる。誹謗中傷の言葉を読めば、

「この人の知性はカラカラだ」

 と、すぐ分かる。そんな生徒や人を相手にしても、何も生まれない。昔だったら

「顔を洗って、出直して来い!」

 と追い返される。ところが、今は民主主義の緩い世の中になり、生徒もふんぞり返って

「オレを分からせてみいや!」

 と叫ぶ。アホすぎて悲しいくらいだ。言うまでもないが、私はこういう生徒や大人を相手にしない。絶対に学力が身につかないから、時間とエネルギーの無題なのだ。

 寅さんのように、弁えて

「自分は勉強以外のもので食っていく」

 と覚悟してもらえたらいいが、

「絶対に四日市高校に入りたい」

 と言われたら困ってしまう。ムリだから。合格する子は、予習、復習、宿題はもちろんだけど、それ以外にも

「クラブより、生徒会より、デートより、趣味より、何より勉強優先」

 という態度で、2年も3年も準備してくるのだ。そんなライバル相手に、

「オレを分からせてみいや」

 では、話にならない。

私は塾講師を始めた頃、

「英語がスラスラ話せる講師だったら、生徒も助かるだろうなぁ」

 とか

「質問されたらどんな難問でもすぐに答えられたらカッコイイのになぁ」

 と夢想した。つまり、そんなことが出来ると思えなかったから。大学を出たての頃には夢だったのだが、今ではあの頃の夢が実現している自分がいる。これは、実に驚きなのだ。

「生徒の家庭学習中の質問に答えられたら一番いいのだけどなぁ」

 と夢想していたのが10年前。今では、写メとメールで実現している。本当に驚きだ。私の事務所は、少年時代に見ていた「ウルトラマン」の科学特捜隊の基地のようではないか。

 コンピューターがあって、スキャナーがあって、コピーがあって、プリンターがある。日本中から添削依頼や通塾生から中学生は5科目、高校生は英語と数学の質問がくる。

 それを、モニターを見ながら解答を作成してスキャンしたものをメールに添付して返信しておく。その内容は、小学生の頃にはチンプンカンプンだった数式やら英語の文章やら。

 「鉄腕アトム」に出てくるお茶の水博士や天馬博士になったような気分だ(笑)。四日市高校時代にあこがれていた理系女子を指導している自分が信じられない感じが今も続いている。

  指導する生徒の10名以上が「京都大学」を受験するレベルだなんて、私はスーパー塾講師なのか?ハイパー塾講師なのか?

スーパー (super-) の代わりに使った場合は、スーパーよりも程度がはなはだしいことを意味する。この場合、日本語ではスーパーを「超」、ハイパーを「極超」と訳す。たとえば、スーパーソニック (supersonic) = 超音速に対し、ハイパーソニック (hypersonic) = 極超音速はマッハ約5以上の高速を意味する。

  たぶん、これは私の勘違いだろう。私が10年以上かけて学んだことを優秀な理系女子は3年でマスターしていく。才能がまるで違う。しかし、たとえ才能がなくても努力でカバーして彼女たちを指導できる今の自分が嬉しい。

  努力してきて、よかった。

  50代のおじさんが高校生に混じって京都大学を受けるなんて馬鹿げている気もしたが、やってきてよかった。自分の無力さを認識しつつ、それなりの学力があるので指導も絶妙の線を維持できるのだと思っている。

  奢る理由はないけど、卑下する理由もないから。

  数学の問題が解けず、冷や汗が出て、神経衰弱から入院騒ぎを起こした現役時代が夢のようだ。トラウマを脱出できて嬉しい。トラウマがあったからこそ、私は生徒に優しく接することができるのだろうな。

 でも、素行不良のギャルや暴走族、あるいは予習や復習をしない子はお断り。

  第百四章

「古典的集客術」

  橋下さんがタレントから政治家に転身したときに、世間は

「また、タレント候補か」

 と冷ややかな目で見たはず。しかし、アットいう間に「維新」は一大政治勢力になった。彼の手法は有名だが、敵を作って耳目を集めて自分の主張を世間に伝える。実は、この手法は古典的だ。

  織田信長はなぜ安土城をつくったのか。天下の耳目を集めて自分の権力を誇示するためだ。とにかく、天下の耳目を集めないと何も始まらない。それは、今も同じことだ。

  彼は、批判が集まると

「しめしめ。うまくいった」

  くらいにしか思っていないはず。本当の志は心に秘めておけばいい。とりあえず、一歩を踏み出す必要がある。

  私が塾を始める時、

「塾を始めます」

  と言っても誰も気にしない。生徒が集まってくれるわけがなかった。それで、私は当時としては珍しいコンピューターを使って成績表を作り、上位者の名前を張り出した。すると、

「競争をあおるな!」

 とか、

「えこひいきだ」

 と批判が集まった。私も

「しめしめ」

 と思った。ブログを始める時もそうだ。書き始めても誰も見てもらえない。当たり前のことだ。何十万もあるブログの中から探し出してもらうことさえ難しい。正直に書き続けたら誹謗中傷が始まった。

  私は内心

「しめしめ」

 と嬉しかった。誹謗中傷がくるということは、それだけ人の心に触れているわけだ。その証拠に、支持者も増えてアメブロ「受験生」ランキングの1位になれた。Toutube の再生回数が合計で38万回を越えた。

  もちろん、これで満足しているわけではない。しかし、一歩踏み出したわけだ。本当の志は、二歩目、三歩目が始まってから徐々に実現できたらいい。この世は、したたかでないと生き残れない。

  自分の敵も利用して知名度をあげる。それくらいの心構えは零細企業の社長でも持っている。問題は、政治家でも、塾経営者でも、

「何がやりたいのか」

 が大切。志が多くの人の役に立つのなら必ず支持者が現れるものだ。

「なんだ!この野郎!」

 と嫌われてナンボなのだ(笑)。

  民主主義の根源は

「みんなが違っている」

 ところから始まる。自由と平等。どんな生活がしたいか。何が好きなのか。それはバラバラだから、勝手にできる自由。どんな意見も平等。

  でも、本当にそうか。理系女子はそう思っていない。数学では絶対的真理がある。法則とか定理と言われるものだ。その絶対的真理が理解できない人がいることに呆れるわけだ。

  絶対的真理は身につける価値がある。だから、毎日継続的に勉強する。その大切な時間をダラダラと過ごす人を見ると

「バカじゃない」

 と思い近づかないわけだ。ここには自由も平等もない。数学の法則は議論の余地のない「正解」だからだ。だから、彼女たちの論理は明快で「賢い」と「バカ」の二分法となる。

  そのために

「変なヤツ」

 と批判を受けがちだ。橋下さんは弁護士だから、司法試験に合格している。司法試験のような資格試験や、受験では「合格」が良いことで、「不合格j」が悪いことで、こういう世界では自由も平等もない。

  合格したいのなら遊ぶ自由もクラブをする自由さえ制限される。平等もない。合格するヤツがえらい。落ちるヤツはダメなのだ。これはどの世界でも通用するルールだ。勝負の世界だからだ。

  勝負の世界で、自由と平等を叫んでも意味はない。だから、ここを突けば騒ぎになり耳目を集めることが可能だ。集客術のイロハだ。

  しかし、以下のような人が多い。

  • その集客術が知らないか理解できない。

  • 知識と理解はできるが誹謗中傷に耐えられない。

だから、利用できる人は限られる。

本当は、こんな方法はよろしくない。時にはヒートアップして争いを生むからだ。大阪の状況を見れば分かる。しかし、人間は騒動や競争がないと進歩がないようだ。

戦争はダメだが、ルールのある競争は必要らしい。

 

第百五章

「Mくんちの、不味いインスタント・ラーメン」

 受験指導をしていると

「クラブと勉強の両立ができない」

 との悩みを受けることがよくある。そういう話を聞くと、私はMくんのことを思い出す。大学時代に私は貧乏学生だった。家庭教師のバイトの収入が生活費の大切な一部だった。それで、しょっちゅう掲示板に貼り出してある家庭教師の募集カードを見るため、学生課に通っていた。

  移動手段は自転車しかなかったので、当時下宿していた昭和区の南分町の近くでなければバイトができなかったのだ。ある日、

「おっ、これは近い」

 と良さそうなカードを見つけた。四畳半の下宿で寝転がりながら地図を見て、位置の見当をつけて出かけた。そこには市営アパートがあった。部屋番号を探して見つけた。それで、ドキドキしながらチャイムを鳴らしてドアを開けた。

 まず、そこに見えた部屋のありように驚いた。何もなかった。引越ししてきたばかりなのかと思った。調度品がいっさいなかった。照明器具さえなかった。暗かった。入ってみると、高校生らしい少年と、小学低学年らしい少女がいた。見るからに貧しそうだった。

「これはヤバイ」

 と思った。

  一応、バイト代はカードに書いてあったけれど貧乏な家だと長く続かない。とりあえず、窓の近くの自然光のもとで小さなテーブルのようなものを出して数学の勉強を始めた。

  ただ、驚くほど頭の良い少年だった。人は見かけによらないと思った。失礼だけど、驚いた。今思い出しても、過去に指導させてもらった中で5本の指に入る優秀な高校生だった。

どうして、こんな貧しそうな子が家庭教師を依頼してきたのか、わけが分からなかった。

  そうこうして、1ヶ月経ちバイト代を受け取る日が来たのだが親が出てこなかった。私が初めて母親に出会ったのは翌月のことだった。その日は、訪問したら大きな声で

「私、今お風呂に入ってますから勝手にあがってねぇ」

 と女性の大きな声が奥の方から聞こえた。私はドギマギした。すると、

「いっつもお世話になってます」

 と現れた姿にまた驚いた。見るからに水商売の姿だったからだ。お恥ずかしい話だが、大学生の私は水商売の女性などナマで見たことがなかったのだ。当時は

「水商売の女など、最低だ」

 と思っていた。

「なんで、貧しい水商売の子が家庭教師など・・・」

 と、さらに謎が深まった。ただ、受け取ったバイト代が紙幣と貨幣が混じっていた理由は分かった気がした。本当にお金がないのだ。

 当時、私は家庭教師を何軒も掛け持ちしていたのだが、たいていはお金持ち。一軒屋で

「今日は一緒に夕飯を食べてってくださいね」

 と言われて、豪華な夕食をご馳走になったりしていた。Mくんの家でも一度同じことを言われたことがあった。

「一緒に夕食を食べよう」

 それで、出てきたのはインスタント・ラーメンだった。しかも、具なし。不味かったことをハッキリ覚えている。小学生の妹は、まだ自分の状況がよく分かっていないようで、

「おいしい!」

と言っていたが、そのうち自分の家が極貧状態だと気づくだろうと思われ、気の毒だった。

詳しいことは分からなかったが、

「学校でバイトは禁止なのだけど、ボクは新聞配達だけ認めてもらっている」

 ということが分かってきた。もちろん、クラブの朝練など出来るわけもなく部費など出せるわけもないようだった。あまり関わりたくなかったので詳しくは聞けなかったが、父親はいないようだった。つまり、母子家庭らしかった。

  そのため、小さな妹の世話も、洗濯も、炊事も、家庭教師代の管理も、すべてMくんが行っているようだった。私はあまりのことに

「ボクは恵まれた少年時代をおくったんだなぁ」

 と思った。

  その頃、Mくんがこう言った。

「こんなボクでは医者なんて、絶対にムリだよね・・・」

 私は胸が苦しくなった。極めて優秀な生徒だったからだ。私は水商売の女性などアホだと思っていたけど、話し方はガサツでも家庭教師を依頼しているということは息子を強く愛していることが分かったからだ。

 今は、私も子供がいるから分かる。もし、子供が優秀で医者になりたいと言ったら銀行強盗でもするかもしれない。女だったら、水商売でも躊躇しない。身体を売ることも厭わない。私もバツイチになって一人で子供を育てることが大変なことくらい分かるのだ。

  クラブの先輩に医学部の人がいたので、詳しく聞くと「防衛医大」と「自治医大」は学費が無料でも医者になれる可能性があると分かった。特に防衛医大は給料さえ出るというではないか。

  そのことをMくんに伝えた時の、彼の瞳の輝きは忘れられない。そして、分かったことがある。学校の授業が医大受験向きになっていないこと。私はその頃から、学校に腹を立てている。落ちこぼればかりに目を向けて、優秀な生徒は放置してしまう。

 だから、極貧にあっても家庭教師が必要になる。これはおかしいではないか。クラブの強制も許せない。そんなことをするから、

「なんでアイツは帰るんだ」

 となる。バイトをしているとバレる。お金がないのだとバレる。私が、浮きこぼれを放置する学校、クラブを強制する学校が許せなくなった原点だ。

 今も、

「クラブと勉強の両立は難しい」

 と言う言葉を聞くと、

「選択の余地がない子もいるんだよ」

 と内心で思う。

「何を甘いことを言っているんだ」

 とも思う。

  私は名古屋大学を卒業後に、名古屋を離れた。だから、Mくんがその後どうなったのか知らない。妹さんがどうなったのかも知らない。ただ、インスタント・ラーメンを食べる時に、あの暗いアパートの一室で一生懸命勉強しているMくんの姿を思い出すことがある。

  大学卒業後に、大規模塾で40人中2番の人気講師になれたのは大学時代のアルバイトのおかげかもしれない。今、多くの医学部志望の塾生の方に集まってもらっている原点は、大学時代にあったのだ。

  Mくんは学年で5本の指に入る成績だったから、おそらく自治医大か防衛大に合格したのだろうと思う。学費をなしにするには、卒業後に9年間無医村か離島で働かなくてはならない。たぶん、ドクター・コトーのような立派なお医者さんになって多くの患者さんを救っているのではないだろうか。

  人物が特定されると困るので、最近の生徒のことは書けない。しかし、Aちゃんや、Mくんのような子をたくさん指導させてもらっている。そんな時、

「オレ様を分からせてみろよ」

 というタイプの子が

「四日市高校に合格したい」 

 と言うと、

「A子ちゃんやMくんに勝てるわけがない」

 と思うのだ。私が英検1級や、京大を7回受けたのもAちゃんやMくんのような生徒がいつもいてくれたからだ。そういう子を指導するには、こちらも全力で勉強しないと助けられないのだ。

 そういう生徒たちに感謝している。これからも頑張りたい。

 

 

(1) 高木教育センタ-HP(合格体験記、全国どこからでも「写メ」して添削可能)
       
http://homepage2.nifty.com/takagi-kyoiku/

(2)フェイス・ブック(京大の成績開示、桑高・四高のボーダー、桑名・いなべの中学ランキング)
 

 

第百六章

「医者がエリートと思っていますか?」

 私の塾の合格実績として「京大医学部」「阪大医学部」「名大医学部」「東京医科歯科大」などと書くと

「何をえらっそうに!」

 と誹謗中傷がとぶことが多い。八つ当たり、妬み、僻み、嫉妬など、人間の醜い面が現れる。それも、匿名のメールや掲示板の書き込みや、正々堂々と意見表面ができない情けない人たちが多い。

  確かに、医者になる人は親の平均収入は一般の平均収入より多いだろう。しかし、私の指導させてもらった子たちは貧乏か極貧という子もいた。

「A子ちゃんのこと」http://storys.jp/story/18470?to=story&referral=profile&context=author_other

「Mくんちの、不味いインスタント・ラーメン」 

http://storys.jp/story/19520?to=story&referral=profile&context=author_other

  私は年下なのに、いろいろ学ばせてもらった。もちろん、お金のかかる大学になど行けるはずがないので「自治医科大」とか「防衛医大」しか選択の余地がなかった。それは、もう感動するくらい勉強していた。

  そんな子に向かって誹謗中傷、それも匿名なんて卑劣な人間にしかできない。ただ、救いは優秀な子たちは忙しくて愚かな人の声に耳を傾けるヒマがない。何とか貧乏を脱出しようとか、親の期待に応えようと必死なのだ。

  国立難関大の医学部なんていったら、1万人に1人くらいしか合格できない。大多数の子から見たら「変な子」に見えるに決まっている。そんなことをいちいち気にしていたら何もできないのでスルーするしかない。

  もちろん、教師の語る「愛」「絆」「助け合い」などにも耳を貸さない。医者にチームプレーは必要ない。弁護士にも必要ない。研究者にも必要ない。シェフも、歌手も、俳優も、すべて個人の技術だ。一匹狼でなにが悪い?

  贈る言葉

武田鉄矢 作詞
千葉和臣 作曲

暮れなずむ町の光と影の中
去りゆくあなたへ贈る言葉
悲しみこらえて微笑むよりも
涙かれるまで泣くほうがいい
人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから
さよならだけではさびしすぎるから
愛するあなたへ贈る言葉

夕暮れの風に途切れたけれど
終わりまで聞いて贈る言葉
信じられぬと嘆くよりも
人を信じて傷つくほうがいい
求めないで優しさなんか
臆病者の言い訳だから
はじめて愛したあなたのために
飾りもつけずに贈る言葉

  受験勉強に「愛」「絆」「助け合い」は必要ない。受験上で助け合ったら、それはカンニングだ。本当の愛情は、助けることではなくて突き落として這い上がらせることだ。

「誰も助けてくれなかった。優しくなかった」

 なんで、みにくい敗者の言い訳だ。強くなければ、本当に助けが必要な人に手を貸すこともできない。成績が良い子の共通点は、他人のことにあまり関心を持たないことだ。

  自分が最善を尽くすことに集中しているので、他人を気にするのはテストの結果で順位が出たときだけ。普段は、

「マイペースでやりたいことを、やりたいようにやる」

 ただ、それだけ。こんなブログがありました。↓

http://blogs.yahoo.co.jp/samy_miles_davis/23745442.html

~~~~~~~B型~~~~~~~~
「B型の人は考えを集中させて、論理的にまとめていくのが得意」だそうですよ~☆「その代わり、思考の範囲は狭くて、一度一つのことを考えると、周りが見えなくなる傾向がある。」良く言えば「学者タイプ」ですって~☆オタクが多いのもB型の特徴だそうですよ。あは!!だから、話があちこちに飛ぶA型とは正反対だそうです。興味がなければ気にもしないのがB型。でも興味があることにはトコトンのめり込む。まさに「学者タイプ」ですね~!!!何故、B型は一つのことにこだわるのか・・・「現在、科学的に解明されているのは、B型の脳は『前頭葉』の働きが活発であるということ」「前頭葉」は今まで経験したことのない状況で、どう判断したり行動したりすればいいかを考える脳の中枢神経をになっているところだそうです。「この前頭葉の働きでB型は一つの事を狭く深く掘り下げますので、『一点集中型思考パターン』と呼べるでしょう」よくB型の人は「ゴーイングマイウエイ」って言われるそうですが、これは狭く深く考える思考パターンがそういう印象を与えるそうです。その反動で興味のないことには見向きもしないため自分勝手な性格と思われちゃうんですって・・・

 私の指導させてもらっている理系女子にズバリ当てはまる。ちなみに、私は血液型の診断は信用していません。B型ですけど。私にもかなり当てはまる。成績優秀な生徒は、だいたい共通してこんな感じです。

  私は受験指導が仕事なので

「どうすれば成績を上げることができますか?」

 と尋ねられることが多い。しかし、多くの人は参考書や問題集や勉強する時間や場所といった表面的なノウハウだけマネをしたいけど、上記のような人間関係にことが及ぶと

「それはムリ」

と言う。それを、「いいとこ取り」と信じてみえるようだ。しかし、それはムリな相談だ。だから、多くの人はチャレンジに失敗する。仏作って魂いれずだから。医者はエリートではない。

金持ちのボンボンが医者になっていると思うのは、現実を知らない方だけだ。

第百七章

「トリプル・スリーで爆買して安心して、吐いてます?」

 「トリプル・スリー」ってなんだろう?ま、なんでもいいや。別に興味ない。テレビや雑誌というマスコミが中学生や高校生から見捨てられ始めている。大金をはたいてテレビにCMを流す弁護士事務所の人がコメンテーターに採用されるのは知られた話。

  マスコミに金を流すと大賞でも金賞でも何でも手に入る。しかし、それは出来レースなので人々の心を打たない。若者は本能的にそれを感じ取り

「マスコミは信用できない」

 と見限ってしまった。新聞を読む人も、本を読む人も減少の一途だ。紅白歌合戦でさえ、

「なんでヒット曲も支持率も最低の人が出演してんの?」

 とあきれ返っている。逆に、支持者の多い歌手が出演していない。誰だって

「大手事務所のゴリ押しか・・・」

 と思うのだろう。当たり前のことだ。

 おそらく新聞からラジオ、ラジオからテレビにニュースの媒体が変化していったように、現在はテレビからネットに移行している最中なのだろう。偏向したニュースにウンザリしている若者の姿が見えないのだろう。

 従軍慰安婦などの捏造記事を書いていた朝日新聞など、若者は存在していなくても構わないと思っている。無くなっても困る人はいない。テレビ局がなくなって困るのは、芸人だけだろうか。

  映画が衰退して、テレビが普及し、テレビが衰退してビデオ。ビデオが消えてDVD.DVDが消えて動画。動画が消えて・・・。世の中は、移り変わるものなのだ。

 

  冷静なコメントを頂いて考えてみた。ブルース・リーのことだ。彼より強い人は多いだろう。空手やレスラーや総合格闘技のチャンピョンだ。しかし、彼ほど世界中に格闘技のあり方を伝えた人はいないだろう。

  リアルに強い人より、フィクションの力だ。私もその影響を受けた1人なのだ。

  私などがここで声をあげるより、偽の流行語大賞の方が影響力が大きいのだから批判しても仕方ない。

第百八章

「リケジョのタイムマシーン」

「リケちゃん、どうしてy=x のまわりに回転すると置き換えて微分するの?」

「それはね」

(チッ、自分で調べろよ、そんなこと。私の時間を奪うんじゃねぇ)

『あーぁ、アホばっか。はやく大学に行ってバカから離れたい』

「やりまくりのアイドルに騙されるアホ男たちとおさらばしたい」

  リケジョは、自分の生まれたド田舎の故郷が嫌いだった。早くこの町を出ることばかり考えていた。特に、組とか寄り合いとか封建時代の生き残りのような因習は生理的に合わない。

  高校の仮装にも負けるような、地元のお祭りもあえりえないと思っていた。近所のおばさんやおじさんが自分を変人と思っていることも知っていた。もう我慢の限界だった。

(アチャー、この頃から私は高慢チキだったわけね)

「リケちゃんは、やっぱり頼りになる。なんて、親切でいい人なんだろう」

―――――――――――――――――――――――――――――――

「なんで、あんなキモイものを愛おしく思うのだろう?」

 リケジョは理解できなかった。しかし、彼女の脳内でささやく声が聞こえるのだ。

「大丈夫」

 細菌に感染するのではないかと理性が語るが、神の声のような囁きがつぶやく。

「問題ない」

 ありえない。これは、一体どういうことだ。自分の中に自分で制御できない仕組みが組み込まれているらしい。しかし、これは、自分の中の他人のようなもの。全面的に降伏するわけにはいかない。

  これから大学院の入試もあるし、留学するかもしれない。結婚なんて出来るわけがない。何のために京都大学に合格したんだ。女子で二浪なんてありえないだろう。それだけの犠牲を払ったのに、いまさら生き方を変えられない。

(結局、私は女子度が低かったんだ)

「私の言うことを聞いておけばいいのに」

「ダメだ。この女子は自分の理性を信じすぎている」

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

「大学院の入試は、英語の得点で合否が左右されるので頑張りなさい」

「はい、教授」

(なんて理学部なのに、英語の得点で合否が決まるんだ。おかしいだろ!)

  日本は、どこもかしこも男社会だから女であることのハンディはハンパじゃない。いいかげんにして欲しい。どいつもこいつも私の尻か胸しか見ていないエロおやじだらけではないか。

「ちょっと触らせてやれば合格させてくれるかな」

(男の中にもマシなのがいることを、この頃は分かってなかった)

「リケさん、ユウシュウダカラワガクニキテモライタイ」

「先生、この子を先生みたいに京都大学に合格させたいんですが」

「分かりました。頑張らせてもらいます」

(ケッ、おまえの遺伝子では無理に決まっているだろうが)

「では、健一くん、この微分方程式を解いてみて」

(ここは、夕飯が豪華だから今晩の夕食代がウク。本当に助かる)

「ダメねぇ。ここが違っているでしょう」

  京都大学は関西では絶対的なブランドだから、家庭教師代は高いし、いくらでも募集はあるし、おいしい仕事。楽だもんね。

(やっぱり、アホはいつの時代もアホだな)

「リケ先生は人を差別しないし、今までで一番いい先生だと思う」

 

「リケちゃん、よければボクと、つ、つきあってもらえないかな」

「ごめんなさい。鈴木くんのことは好きだけど、私は仕事が軌道にのるまでね」

(ふざけんじゃねぇよ。私は自分より賢くて出世しそうな男しか相手にしねぇよ)

  でもね、リケちゃんより賢い子は周囲にいない。このままでは、大学院から研究職。リケちゃんより出世しそうな男って、すべての男の中の1%もいないよね。どうするんだろう。

  そういえば、

「精子バンクから賢い人の精子をもらう」

 と言っていたのは本気なのかな。

(あの頃が華だったのかも。私も対象外にされてたのに)

「どうだった?やっぱ、ダメか」

「うん、見事にフラれた」

「やっぱ、お前はタイプじゃないんだ。よし」

 

「この固体は地球の科学を進展させる固体です」

「はい。そのとおりです」

「ならば、なぜこの固体を優遇しないのでしょうか」

「それは、周囲の人間を不愉快にさせるからです」

「不愉快?それは地球人の感覚器官を刺激するという意味ですか?」

「そのとおりです」

「ならば、その感覚器官を削除すればいいのではないですか」

「そうなのですが・・・」

「司令官、やはり地球人は銀河にとって有害無益だと思われます」

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 私の母は若い頃に離婚したために、私が医学部に行きたいと言ったら黙って親戚にお金を借りたり、生命保険を解約したり、お金を用意するのに本当に苦労をかけてしまいました。

 だから、私は母の期待に応えるためにも絶対に「合格」するしかなかった。アホな男子の相手をしている余裕などあるはずもなく、クラブや生徒会活動をする余裕もなかった。

  高校時代はひたすら勉強。それ以外は考えられなかった。クラスメートが自分をどう見ているかなど、どうでもよかった。入試での合格。それ以外は、本当にどうでもよかったんです。貧乏生活から脱出する。

  また、貧乏生活にもどりそうな男子とつきあえるわけがない。母を楽にしてやりたいんです。

 

第百九章

「Love is blind.  ラブ イズ ブラインド」

n回目にAである確率をa(n),Bである確率をb(n),Cである確率をc(n)とすると
a(n+1)=(1/3)a(n)+(1/9)b(n)…(1)
b(n+1)=(2/3)a(n)+(4/9)b(n)+(1/3)c(n)
=(2/3)a(n)+(4/9)b(n)+(1/3)(1-a(n)-b(n))
b(n+1)=(1/3)a(n)+(1/9)b(n)+(1/3)…(2)
a(1)=1/3,b(1)=2/3,c(1)=0
(1)-(2)よりa(n+1)-b(n+1)=1/3
よってa(n+1)=(4/9)a(n)+1/27
これを解くとa(n)=(1/15)+(3/5)(4/9)^n

  このような高校レベルの数式を見たときに、頭がスッキリするのか、頭が痛くなるのか、ここで理系か文系か分かる。私は「教育学部」出身で、英語講師から仕事が始まったけれど数学ラブの人間だ。

  のめり込むほど好きだと、何も生み出さない人間関係のトラブルから目をそむけたくなる。時間とエネルギーの無駄に思えるからだ。

「Aくんが、Bさんを好きなんだって」

「Cの野郎が気にいらねぇ!」

 こんな話からは、何も生まれないように感じるのだ。好きだ、嫌いだと言っても5年も10年も続くことは稀だ。死ぬまで続いたとしても50年。何千年も続く、数式の普遍性や研究対象の宇宙や生物の進化に比べたら一瞬のうたかたのようなもの。

 したがって、「永遠の愛」といったテーマには興味を持てない。「永遠の友情」とか「絆」とか、定義も明らかでない概念は研究対象にならない。理系の人間はそう考える。ガリレオの湯川先生の姿勢をご存知でしょう?

  中学3年生には「理科」「社会」の指導もさせてもらっている。時には中学1年生で習う内容や、中学2年生で習う内容を全く知らない子もいる。詳しく聞くと、中学1年生や2年生の頃はクラブばかりやって遊んでいたそうだ。

  助け合いだ、チームワークだという人間関係を重視するように学校から、先生からプレッシャーをかけられる。理系の子は自分の判断で、

「そんなものは重要視するに値しない」

 と感じて数式や英語の勉強に没頭する。没頭すると、他のものが見えなくなる。私も数式ラブなので、そういう子の気持ちがよく分かる。さて、

3年後に、数式に没頭している生徒と人間関係重視でクラブばかりやっている人間のどちらの成績が上になるでしょうか。

  同じ才能なら、結果は明らかです。私は、そういう結末をイヤというほど見てきた。これは、受験指導をしている人なら誰でも知っている現実だ。なのに、口にすると攻撃される。

「勉強などより人間関係の方が大切に決まっているだろう!」

「成績が良くてもオタクじゃ困るだろうが」

 こんな誹謗中傷が乱れ飛ぶ。しかし、私の経験から分かっていることは理系女子の方が人間重視を叫ぶ方たちより、よほど冷静沈着で人格高潔の場合が多い。皆さんの経験ではいかがでしょう?

 学年で上位の5人を思い浮かべてください。その5名と、クラブばかりやって勉強を放置している5人を思い出してほしい。明らかに上位5名は人格が崩壊していますか?何千人もの受験生を指導してきた経験から、私は自信を持って言う。

「成績優秀な子の方が基本的生活習慣がしっかりして性格も円満な子が多い」

 私だけではなく、大多数の人が同じように考える。だから、就職の時に「学歴」が重視される。結婚の時に、女性も「学歴」を気にする。人生の重要な決断の時には、人間は本音が出るものだ。

  その第一歩は、中学生の時に始まる。高校受験があるからだ。中学生に

「クラブと勉強の両立が人生の大事だ。この社会は助け合いだ」

  と教えることの罪深さを分かってみえるだろうか。大多数の企業はそんな基準で学生を採用しない。大多数の女性はそんな基準で結婚相手を決めない。絵空事を教えて社会に放り出していいのだろうか。

  本気で生徒の将来のことを考えるのなら、きちんと現実を教えるべきだ。そして、準備をする時間を与えるべきだ。ウソを教えられてジャングルに放り出されたら生き残れない。

  別に数式でなくてもいい。どの分野でもいいのでプロにならなければならない。サッカーや野球ができれば生きていけるようなウソを教えるべきではない。そんなことを評価する大人はほとんどいない。

  アメリカにはクラブ活動などない。なくても、人格円満でいられる。健康でいられる。生き残るために必要だから、私は英検1級に合格し、京大を7回受けて成績開示をした。現実に京大の英語で8割、数学で7割とれることを実証しなければならなかった。そういう腕力が一番大切なのだ。

  具体的に言えば、英単語6000語。数学は2000題解かないと難関大の合格など無理。遊びながら、クラブをやりながら実行できる子は何万人に1人。できないなら、クラブも諦めるのは当たり前だ。

  それだけの覚悟がないのに、難関大に合格しようなんてあつかましい。

  もちろん、それは旧帝(東大、京大、阪大、名大、東北大、北大、九大)か国立大「医学部」をめざす子の話。医者、弁護士、研究職、教職に就く気がないのなら、サッカーでも、野球でもやっていればいい。

第百十章

「高学歴男子に"頭が弱そう"と思われる禁句ワード」

月9でもたびたび話題の高学歴男子。博識で律儀なイメージのある高学歴男子ですが、女子とは会話が噛み合わないこともしばしば……。

そんな高学歴男子の前で、うっかり口にしてしまうとバカにされがちなワードをまとめました。

科学的じゃないこと

© ローリエ 提供

秋は行楽デートの季節。心地いい自然の中にいると、つい口をついて出てしまうのが、「マイナスイオン」というワードなのではないでしょうか……。科学と論理に基づいて生きてきた高学歴男子にとって、そんな感覚的な発言は聞き捨てならないもの!?

  理系男子は仕事が安定していて、結婚相手として好まれるそうだ。しかし、理系女子を「変」と感じるような頭の悪い女子では、理系男子の方から

「お断り」

 だろう。私は文系出身の英語講師で、数学は余技だ。それでも、AKBのような女子はお断りだ(まぁ、向こうもそうだろうが)。感情的、感覚的に生きている女子といると苦痛だから、なるべく避ける。時間とエネルギーの無駄使いだからだ。

  学校の先生は

「何でもやり過ぎは良くない。バランスが大切」

 と言う人が多い。おそらく、徹底的に何かを追求したことがない。一流とか達人の域に達したことがない。だから、そんな発言がとびだす。一流の人は、凡人のものさしで測ったら思いっきり「歪んでいる」ものなのだ。

  「相棒」の杉下右京や、「ガリレオ」の湯川先生を思い出してほしい。「アタル」は病気と診断されてしまう。しかし、病気というのは「大多数の凡人を正常とした場合」という前提での話だ。

  私は格闘技オタクだ。もう40年も練習を続けている。ジャッキー・チェンと一緒に「TVジョッキー」に出演したのが自慢だ。格闘技の試合では、

「殴ったりしたら可愛そう」

 という通常の価値観は無用だ。しょせん、争いから派生した技術。野蛮なくらいで、ちょうどいい。戦争状態に置かれたら、平和なときの優しさなど無能で頼りないこと極まりない。

  状況が変われば価値観も変わるのだ。

  受験指導という戦いの場に身を置く私にしてみれば、

「クラブと勉強の両立」やら「助けあいと絆」やら「愛と友情」

  なんて、何の役にも立たない空虚なスローガンだ。受験に友情は要らない。就職試験に助け合いは無用。商売とスポーツは何の関係もない。評価されない。シロ・クロはっきりさせるのが理系思考というものだ。

 (1)

「日本語は難しいです。私は日本に着いて一週間目に友達に言われました」

「あぁ、先週着いたのね」

「センシューって、イッシュウカンマエと同じですか?」

「え?うぅん、まぁ、だいたいね」

「分かりました」

「じゃ、私はセンシュウカンマエに日本に来たとも言えるわけですね?」

(2)

「あれ?今日は涼子ちゃんがいませんね」

「あぁ、彼女は旅行に行った」

「そうなんですか。リョコウさんはリョウコに行ったのですね」

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