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16/1/30

世界一周中の車に、500円払って僕の無謀な夢を描いたら…まさかの夢が叶った話

Image by Olia Gozha

17歳の時に読んだ本で僕の人生が大きく変わった・・・

17歳の春、僕の友人は四国一周をママチャリでしていました。

そんな時に、あるトラックの運ちゃんに

トラックの運ちゃん「おい!わしお前らみたいな自由な奴ら好きや!この本読み!!!」

と言われ、トラックの運ちゃんからある本を渡されました。


なぜか、その渡された本が、僕の手元まで回ってきました。

そして高校の授業中に先生にバレないように

こっそりとその本を読みました。


その本は世界一周した著者(高橋 歩)の

写真と簡単なポエムでした。



高校生の僕の目には全てが新しくて・・・

その写真とポエムがシンプルに

僕の心に刺さり


なんで、こんな小さい教室の椅子に座ってるんだろう・・・。


ふと、その当時の授業中の教室がとても小さく見え、

凄い不思議な感覚になったのを覚えています。

何かに吸い込まれるような感覚に近いかもしれません。


それから高校の時はボクシングに没頭していたのもあり、

スポーツ推薦で大学に入ったのですが・・・

もともと頭の悪い僕は、ただ就職することが目的の大学の勉強にも

力が入らず授業の内容にもついていけず、、、


大学自体が嫌になり大好きだったボクシングも辞め

次はファッションを学びたい!とファッション専門学校に入学し通い始めました。


この時から・・・何か嫌な事があると、逃げる癖がつき始めたのかもしれません。


20歳の専門学校の夏休み!とうとう初海外

20歳の夏休みに、とうとう海外に出る決意をしてバックパックを始めました。

高校生の時に読んだ本の影響も大きく、

「肌でリアルに感じる」

事を何よりも大切にして、旅を続けていました。

現地の汚い川に飛び込んで現地の子供と遊んだり、現地の人の家に泊まらせてもらったり

肌で現地を感じる旅をしていました。


その時に、行った国はタイとカンボジアの2カ国ですが、

もっと自由に生きるべきじゃ?

って日本の社会にも疑問を持ち始めました。


完璧な逃げグセがつき始めた20代前半


帰国して、また授業がはじまり進級して日に日に

ファッションの専門学校の勉強にもついていけず

厳しくなった僕は、次はファッションの専門学校が嫌になり

親のお金で行ってたファッションの専門学校も辞め

そして辞めた大学にもう一度入るという嫌な事から逃げに逃げる人生を送っていました。

(親からしたら最低の子供だったとお思います・・・。もちろんその後は息子の最低な行動に

愛想がつき学費の援助もなくなりました。当たり前ですよね。)


大学に逆戻りをした僕は、旅のために再スタート


大学に戻りカリキュラムを見直すと、もし今から大学の試験を全て合格したら

4年生の時に授業を受けないでいい事が判明しました。

自分の心の声「って事は試験さえ頑張れば、また旅ができる!!!」


1つの光が見えた僕は、あと1年後に世界一周に出ると決意し、バイトと勉強三昧の毎日を送っていました。


そのおかげで、単位を3年生の秋学期にはほとんど取り終えていました。

そして、就職もファッションしか勉強していなかった事もあり・・・

ファッションデザイナー1本で決めて、就活して2ヶ月でなんとかファッションデザイナーの

内定をもらえました。


23歳の時にとうとう世界一周に!


1年間で稼いだ150万円を手に、

昔から夢にまで見た世界一週の旅に出発しました。


「アジア⇨ヨーロッパ⇨中東⇨アフリカ⇨南米⇨中米⇨アメリカ」

50カ国の国を1年かけて回ってきました。


その時の旅のスタイルも変わらず肌でリアルに感じる旅です。

世界一過酷といわれているエチオピア・ケニア間をトラックをヒッチハイクして

2日間トラックの上で現地のアフリカ人と国境越えをしたり


モロッコでモロッコ人と広場でボクシングして仲良くなったり、




アフリカの子供と、仲良く粘土遊びしたり

子供にジャッキーチェーンの真似してバカになり戯れたり


バカな僕に教育が必要と察したのが、アフリカの子供たちが
小学校に招待してくれたり・・・笑


旅をすれば、する程自分の心の中で

日本で就職するという意味が分からなくなりはじめ自分の中で葛藤し始めました。


大学を出て、会社に入って、年金をもらって、そして死を待つ。

暗黙のルールのようなこの日本の生き方って本当に自分は幸せを感じれるのだろうか・・・

この幸せは社会一般の幸せの概念であり、自分の幸せは、そこにあるのだろうか?


日に日にその思いも強くなっていましたが・・・答えは結局出ず。

気がつけば世界一周も終わりの時を迎えていました。



帰国後、逃げグセのついた

社会不適合者は社会に馴染めたのか・・・?


そして帰国後、内定していた会社に入り

1社目は、上司や周りの人間関係が嫌になり1年で転職し

2社目は、メンズデザイナーとして働くようになりました。


(こんなデザインしていました)

最初はデザインもやりがいがあり楽しかったのですが・・・

毎日続く残業・・・

手取りも18万円・・・

上司も社長も厳しいし・・・

土日もリサーチで全く休みもなし・・・

挙句の果てに新事業の開拓に36時間ぶっつづけ労働(もちろん残業代0)


また、厳しい現実から逃げたくなっていました・・・

ただ次に嫌な事から逃げたらもう、終わりだと思っていました。



そんな僕にも海外からの転機が・・・?


友人に誘われて一人でインド音楽のイベントに仕事の終わりに行った時に

ふとカウンターでカレーを食べていたら、

外国人の女性が横に来たので英語の練習と思って

声をかけました。

「Hi! How is Japan? 日本はどう?」

ブリトニー「むっちゃ、おもろい!」

「(´Д` )むっちゃ関西弁やん ぽっ(。-_-。)」


まさかの外人むっちゃ関西弁でした・・・。笑

そしてその瞬間僕は恋に落ちました←そこで恋に落ちるんかい!って感じですが関西弁をしゃべる外人は反則です。


そして、何度かデートを続け僕は彼女に意を決して告白しました。


「あの〜好きなんやけど!付き合って!」

ブリトニー「ええで!」


そこから、僕たちの関係は始まりました。

二人で直島にお盆休みの日を利用していったり

友人たちとキャンプにいったり、一緒にカフェにいったり、食べ歩きをしたり



嫌な毎日にやっと小さな光が見えてきました。


ただ、楽しい時間はすぐに過ぎる・・・


彼女は、交換留学生で結局、

出会った1ヶ月後にはアメリカに帰ってしまったんです。


問題は山済みでした。

・向こうは学生で大きな休みが年に2回しかないし。しかも学生でお金がない事

・自分も月収18万円で生活もギリギリなのにアメリカに行く旅費も貯まらない事

・今、勤めているる会社に大きな休みなんて存在しない事


そして、また現実に逆戻り・・・


激務も増していく一方でした。


春になり桜の見えるシーズンでも、桜がゆっくり見れたのは、

勤務を終えた0時過ぎの、誰もいない公園の桜でした。


ふと、その時に仕事を忘れ考えました。



本当の幸せってなんだろう?




このまま、この会社にいて、月収18万円の給料を

もらって、彼女と付き合うのを諦め、増えもしない給料で

やりくりして、些細な年金をもらい、そして死を迎えるって考えてしまうと・・・。

また嫌になって逃げたくなりました。


また嫌なん事から逃げるのか?

このまま逃げたらお前にもう後は、ないぞ!

そんな、自分の声も聞こえてきました。


でも、やっぱり腑に落ちず。

極端に考えたんです。。。

このまま社会で18万円の給料を貰いながら年金をもらって死ぬ

それとも

海外で働いて、好きな人と好きな人生を送る。


そう考えたら、


社会から逃げてもいいから・・・

僕は自分が幸せと思うように
生きたい!!


そう決意しました。


いきなり貯金もなく海外にいくのは、学生の彼女に迷惑になるだけ

なので、少しでもお金の作れるシステムを作ろうと思い、

いろいろ調べた結果、ネットビジネスを選びました。


株やFXは賭けだし怖かったのもあるけど、同じ専門学校の友達がデザイナーを

辞めてネットビジネスで成功している事例があったのでその道を選びました。


話しを聞いてみると、安直な考えかもしれないけど僕にもできるように思えました。

それが、僕のネットビジネスの始まりです。



会社に勤めながら、1ヶ月ネットビジネスに挑みました。


最初はブログアフィリエイトというものを取り組みました。

夜中の2時に家に帰り、さらに2〜3時間作業する生活を1ヶ月しました。


そして稼げた金額は・・・




なんと・・・・





たったの2000円でした。苦笑



1ヶ月で稼げた金額はたったの2,000円でした・・・

でも、なぜかその2,000円に根拠のない自信をもっていました。笑


自分の心の声「2,000円稼げたんやし、なんとかなる!!2〜3時間で月に2,000円なら頑張ったら、アメリカでバイトとネットをしながら生活できる!」


そんな勢いで休日会社に行き。会社の中でも一番恐れられている

社長のもとにいき。


いきなり

「僕やりたい事あるんで会社辞めます!服にもう情熱も注げなくなりました・・・すみません。やっぱり、自分のやりたい事に情熱を注ぎたいと思うんです!」

社長「そうか・・・何そんな、悲しい顔してるんや!自分のしたい事があるんやったら胸張って生きてけ!!!ほらっ!!!」

え!?・・・!?

まさかの社長の言葉でした。

デザイン画を投げつけたり、あんなに怖かった社長が、今まで見せた表情で

一番優しい笑顔と言葉をかけてくれたんです。


今思うと社長の経営者としての、最後の優しさだったのが分かります。


それ以外の社員は、反対というか誰も後押しはしてくれませんでした。


むしろ、こいつ仕事もできないのに、一人で仕事できるわけないじゃない?

っていう風な目でみられていました。(当たり前ですが・・・)


父に、会社を辞め彼女を追いかけることを告げる


会社を退職し数日後、、、父と会うことにしました。

会社を辞め、海外に彼女を追いかけに行こうと思う事を父に告げました。


「お・・・俺・・・会社やめて彼女を追いかけて海外に行こうと思う!一度きりの人生だから後悔したくないんだ!」

「お前何いっとるねん!!怒この前、就職したばっかりやろ!!しかも転職して1年やろ?」

「だけど・・・このまま会社で働いてても未来が見えないんだ!!」

「じゃあ、俺は何してきてるねん!俺は、お前を産んでからもずっと、会社に勤めてきてるやろ!怒そんな社会甘いもんちゃうなんぞ!!何が彼女じゃ!!」

「で・・・でも・・・もう自分で決めた事なんだ!」

「もう知るか!!お前なんか、もう知らん!!絶縁じゃ!!怒」

「次に会うのは、もう墓場の中や!!!怒」


怒る事はもちろん想定していましたが・・・

絶縁までされるとは思ってもいませんでした・・・。

あまりにも言われた事がショツクでずっと頭に中には

「次会うのは、墓場の中や!」という言葉がひっかかっていました。

でも、親の立場になったら、そう言うのも無理がないですよね・・・。



1日14時間以上のPC生活が始まる


会社や父親、全ての環境をなくした僕は、その空いた穴の穴埋めをするように

朝の8時に起床して夜中まで、ひたすらPCしか触らない生活が始まりました。


ただ、そんなに人生は甘くはなく。


2ヶ月目には2万円稼げたものの・・・

生活できるまでには程遠く・・・

少しの貯金も底をつきました・・・。


バイトをすることも考えたのですが、バイトする時間がもったいないと

考え僕が思いついたのは治験でした。


1日2万円貰えるし、採血以外はお金が貰えるのでアフィリエイトの

勉強ができると思い選びました。


そこでもひたすら誰とも話す事なく、人生を変えたい一心でひたすら

アフィリエイトの勉強をしていました。


治験の2週間生活を終え、20万円の報酬を貰いました。



が・・・


20万円の報酬も生活費と家賃、そしてアフィリエイトの投資に回して

行きました。食べるものは、さらにひもじくなって、カップラーメンやもやしが主食に

なり、体重は60kgから55kgになりました。


20万円は、すぐに消えた・・・


治験で稼いだ20万円も、アフィリエイトの投資に回したら結局2ヶ月程で

なくなりました。


そして・・・おばあちゃんに嘘をつく。


お金と、そして勉強する時間がどうしても必要な僕は、さらに

最低な行為をとりました。


それが、おばあちゃんに嘘をついてお金を借りたのです。


会社をやめた事は、おばあちゃんに言ってなかったので

引っ越しするという事を口実に、お金を借りるように言いました。


「ば、ばーちゃん・・・俺、もう少し家賃の安い場所に引っ越ししたいんだ。その方がもう少し将来のために貯金もできると思うんだ!」

ばーちゃん「そうなんか〜〜でも、あんた、引っ越しするお金あるんか〜?」

「そ・・・それが、今貯金がなくて・・・できたらちょっとお金借して欲しいんだ・・・。」

ばーちゃん「そっか〜まぁ、あんたも真面目に就職して給料も低いし仕方ないわな〜〜〜〜」

「・・・・。」


今、考えても最低ですよね・・・。

そうやって僕は、最低の生活に最低な行為を繰り返し生きていました。


もう、後戻りも何もできない・・・これがダメだった。。。

もう・・・。

家族にも嘘をついて裏切った罪悪感しかありませんでした。


そんな、人生の一番どん底にいた僕の目に入ってきたものは?


そんな人生のどん底だった僕の目に入ってきたのが

大学生二人が車で世界一周をしている企画でした。

その企画内容が、「あなたの夢を僕たちの車に書きませんか?」という企画でした。


この企画を見ていると・・・

何か胸にすごい熱いものを感じました。

・ガンと戦う人

・家族を想う人

・自分の人生にまっすぐ生きる人

・自分自身の信念を生きる人





色んな人の色んな夢を目にして、どんどんと胸が熱くなり

作業やどん底生活で忘れかけていた夢にもう一度火がつきました。

そして僕も、思うがままに夢を書き、500円払って車に書いてもらいました。

その夢がこれです。




1、月収100万円
2、バリの大富豪兄貴に会いにいく
3、アメリカに移住できる環境を作る
4、もう一度世界一周にでれる環境を作る

会社を辞め、父に縁を切られ、ばーちゃんに嘘をついてお金を借りて

人生のどん底だった時に書いた夢です。


そこからは、ひたすら夢に向かって作業をしました。


もう一度自分の夢をしっかりと決め、僕はひたすら夢を逆算して深掘りしてみました。

今思うとこの逆算した事が、自分の目標への道を切り開いてくれたのだと思います。


月に100万円稼ぐにはどうすればいいのか?

     ↓(深掘り)

いつまでに月に100万円行くべきなのか?

     ↓(深掘り)
半年後に100万円稼ぐには何をしないといけないのか?

     ↓(深掘り)

サイトを100サイトを作る必要がある

     ↓(深掘り)

どれくらい時間がかかるのか?


そんな風にして、自分の目標そすごく明確にしてみました。


そして、5ヶ月後には20万円

半年後には30万円

少し目標よりは遅れたのですが

8ヶ月後には100万円を突破しました

そして、この世界一周中のワゴンに書いた、夢がさらに。。。



まさかバリの神様に呼ばれて!?


そして新年を迎え偶然webセミナーで隣に座った人にこんな話をしたんです。

「今年の新年の目標とかったありますか?」

Iさん「無意味なことしたいな〜!今村くんは?」

「バリの大富豪兄貴に会いたいんですよね〜もう会いたくて仕方ないのでバイクでバリ駆け抜けようかと思うんですwそしたら、いつか会えるかな?って。笑」

Iさん「丸尾さんのことでしょ?僕、丸尾さんのサングラスのコラボしていて毎年いってるよ、今度行くけどいく?」

「え〜〜〜!!!!!いいんですか!?」

まさかでした。新年早々隣で話した人がまさかの、大富豪アニキと知り合いだったんです。

ぼくはこのアニキを本で知ったのですが、アニキは無一文からバリに東京ドーム170個分の

土地を持つウルトラ大富豪で、僕はお金なんかよりこのアニキの人間力に興味があり、他人を自分の事のように思う心に触れてみたかった。

アニキは、2015年に書籍以外にも最近では、映画にもなり全国で上映されていました。

そんな大富豪アニキにずっと会いたいと思って・・・いつか会う事を夢見ていました。

そして、そんな夢にまでみたアニキにも、webセミナーで偶然に隣になった

人のご縁で念願のアニキにも会えたんです・・・


(これはアニキの家にいった時に、バリの民族舞踊を見えてもらった時にとった記念写真です。)

⇨バリの兄貴に会いにいった話はこちら


そして、今は彼女はまだ学生なので彼女学校が休みの時に二人で

いろいろな国を旅して回っています。




そして、あの時に一番、迷惑をかけた

おばあちゃんにも、春には妹と従兄弟を連れて旅行をプレゼントしました。

ばあちゃんありがとう。


縁を切られた父とも最近は仲も戻り先日、初めて二人で銭湯にいきました。


そして今はアフィリエイトという枠を超えて、あの時僕を助けてくれた友達や

その仲間と新しいビジネスをグローバルマーケッター(GM)として作り上げ

海外を飛び回っています。

(フィリピンの大きなコンペティション)

(フィリピンのアキノ3世大統領の講演)


走り続けた1年を振り返ったら・・・


気がついたら・・・

起業する1年前に書いていた、この夢を実は

叶えた&いつでも叶えれる環境にいました。


言葉にしたら、ありふれた言葉になるかもしれませんが


夢を強く信じる事、生半可な気持ちじゃなく、死ぬ気で叶える!って思ったら、

夢を強く思う気持ちが、行動を起こし、そしてその行動が、環境を変え、

環境が変わると人生を変えるんだと思いました。


よく、どうやって稼いでるんですか?とか、質問されますが、

シンプルに僕は「夢を思う強い気持ちと失敗を恐れない行動」と答えています。

結局、僕が体験して学んだのって、夢を強く思う事と失敗を恐れない事だけだったので。


夢を諦めず「3つの自由」を手に入れて欲しくて・・・


今僕は、webビジネスやスクールやairbnbでビジネスを自動化したりと、

ビジネスもライフスタイルもとことん自由に過ごしています。


ネクストノマドが思う3つの自由

1「環境の自由」

好きな場所、好きな人と過ごす自由を手にいれる


2「時間的に自由」

好きな時間に いつでもいける自由な時間を手に入れる


3「経済的自由」

好きな事ができる経済的自由を手にいれる

この3つの自由を多くの人に手に入れて欲しいと思っています。

旅に出たいのに会社に縛られて旅に出れない・・・

そんな人を1人でも自由にして、自由な生き方を手に入れて欲しいと

思い新しいノマドスタイルとして『ネクストノマド』というライフスタイルを

僕のブログで発信させていただいています。

⇨NEXXTNOAD(ネクストノマド) | 今村 友紀 | 〜旅をしながら稼ぐライフスタイル


お忙しい中、ここまでかなりの長文を読んでいただきありがとうございますm(_ _)m

あなたの何かのきっかけや人生やビジネスのヒントになれば幸いです^^












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