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15/11/21

「俺は早稲田、お前は獨協」そこから始まるNY投資銀行マンへの道

Image by Olia Gozha

「俺は早稲田、お前は獨協」私が大学を卒業して、新入社員として入社した中小証券会社で、上司から言われた言葉です。


当時の証券業界は不況で、「掃(は)きだめの証券業界」と言われていました。就職活動で行き詰まった大学生が、最後に行ける業界でした。ノルマ、ノルマの連続で、営業5年で「倫理観がマヒする」と言われる厳しさでした。





私は、高校の英語の先生から、「英語を学ぶなら、東京に行きなさい。そして、聖書を読みなさい。」と言われ、獨協大学に入学しました。第一志望の青山学院大学に一浪しても入れませんでした。立教大学、明治学院大学、どれもミッション系の大学で、私には憧れの的でした。


将来は田舎に戻って、高校の教師になる予定でした。しかしながら、教育実習をやってから、自信がない自分に気づきました。そして、ちょうどその時、すでに上京して働いていた妹が、勤務1年目で思い悩み、田舎の高校の進路指導の先生へ相談に行ったのです。「私は、会社勤務経験がない。大学を卒業して、すぐに教師になった。だから、あなたの相談には乗れない。」それを聞いた妹の落胆は、ひどかったです。


私はそれを知って、「教師になるなら、2、3年会社勤務を経験してからでもいいかもしれない。妹のような生徒の相談に乗れる先生になれる。」そう思って、就職活動をしていました。しかしながら、まったく企業研究もしていない私に、社会はそんなに甘くはありませんでした。


「新聞も読んだことがない。」「政治や経済には、まったく関心がない。」そんな私に残っていたのは、スーパーストア業界と証券業界でした。格好良さを求めて、損保業界に行こうと考えましたが、「損保」と言う漢字が書けないほどの知識もありませんでした。ろくに勉強して来なかった私には、「こんな業界しか縁がないのか?」とため息が出るほどでした。


面接では、人事部長がしつこく聞きました。





「君は、英語学科の学生として、英検1級を取ると言う責任は感じていないのか?」

「いいえ、全く感じていません。私は、英語で聖書を勉強したのです。聖書を勉強するのに、英検1級は関係ないからです。」


そこで、社長が口を挟みました。


「聖書か?それは、証券会社とは関係ないな・・・」


面接で言いたいことを言った面接者は、珍しかったのです。そして、幸運にも社長に気に入られました。


当時の新入社員16名の中で、唯一本社に残ったのは、私だけです。そして、支店のノルマから解放されたのです。それから、私は、3ヶ月の研修のあとで、「国際部」に配属されました。国際部は、当時では「international」という部署で、花形と言われていました。支店で10年の営業経験があり、トップを取れた社員が、英語試験を経て配属される所でした。


そこに私は、新入社員として簡単に入れたのです。英検2級取得が当時では合格が難しく、取得者が少ない時代でした。私は、合格していたことも幸いしました。


その配属先では、「いじめ」の連続でした。社内の懇親会では、酔ったほかの部署の管理職が寄って来て、


「お前は、甘いんだよ。実務をやれ!」


みんな嫉妬の目で、私を見ていました。


そして、「新聞を読んだことがない」私が、上司に連れて行かれた経済セミナーで、上司が寝ている間に「内容をまとめておくように」言われ、国内経済の伸び率の予想を紙に書き留めることなど、至難の業だったのです。


聖書しか読んだことのない私が、いきなり国際経済のことを分かることなんて、気違い沙汰なのです。しかしながら、上司は、私のレポートを5回も書き直しを命じました。「どこが悪いんだろう?」まったく分からずに、手書き文字を丁寧に清書して、提出しました。しかし、また戻って来ます。


国際部の上司や先輩は、社内でもとても優秀な社員です。磨かれている感じがありました。私が、同じように政治経済の分野で良くわかっているものだという認識でいたのです。とくにエコノミストからのレポートの書き直しは、厳しかったです。涙が出て来ました。


「まだ、わからないのか?」

「どうして、国際部に入って来たんだ!」


「私は、大学で聖書を勉強して来て、政治経済は全く分かりません。〇〇さんの言われることが、ちんぷんかんぷんなのです。どうか教えて下さい。どこがわるいのでしょうか?」


私のレポートでは、経済成長がマイナスである場合でも、〇〇%と書いていました。


「マイナスをどこに入れればいいんだろう?」

「いいや、入れなくても・・・」


それが、エコノミストの怒りを買ったのです。


国際部に初めて新入社員として入ったので、国際部の社員は、私を期待したのですが、当の私は、こんな程度だったのです。


そんな私に、上司は「Time」や「Newsweek」を読むように指示しました。毎夕、記事の翻訳をして答え合わせをしました。私には、いままでやったことのない高度なことばかりでした。その上、四ッ谷にある日米会話学院にも、通ったのです。


そんなある日、事件は起きたのです。





上司は、社内で唯一アメリカの証券会社へ研修を受けに行った「切れ者」でした。その上司が、私に英文を清書して、アメリカの証券会社へ送るように指示をしたのです。その英文は、手書きでした。よく見ると、英文法の合わないミスがありました。こんな私でも分かるミスを、上司はしていたのです。


私は、先輩社員に言いました。「このミスは、直した方がいいです。相手のアメリカ人が、当社の知的レベルがどれくらいかを知ってしまいます。そして、今後の取引に影響が出てしまいます。どうか、直してもらうように、上司に言って下さい。」


そして出た回答は、「そのまま清書しなさい。彼は、一番優秀な社員だから、文句を言っては行けない。」しかしながら、英文のミスは致命傷になると、日米会話学院で学んで来た私には、まったく納得ができませんでした。


そこで、私は直接上司に頼んでみました。


「ここは、これでいいのですか?私は、書き直した方がいいと思います。」

「それは、そのままでいい。」


納得のいかないい私は、常務にまで話を持って行きました。


「英文の間違いは、正すべきだ」と。


それから、常務は、その上司に伝えました。その直後、私は、上司から会議室に呼ばれたのです。2人きりでした。彼のコブシが、震えていました。


「君は、何を言っているんだ!俺が書いたんだぞ。黙って、清書すればいいんだ!俺は、早稲田、お前は、獨協!」


それを聞いた時、


「おれって、そう思われていたんだ。」と感じました。


優しそうな顔をしながら、腹では「獨協か・・・」と思われていたことが、とても悔しかったのです。

「卒業した学校名は、変えることが出来ない。だから、上司の言うことに反論が出来ない。」そう思いました。


そして、さらに文句は続きました。


「殴ったっていいんだ!お前がそんなに言うなら、これから勝負しようじゃないか!」

「ええ、いいですよ。そうしましょう。」


それから、私は辞表を出しました。社会人としての初めての辞表でした。


「獨協大学卒業の私にも、ミスはある。早稲田大学を出た人にも、ミスはある。そのミスを報告して、どうして私が悪いんだ!」私の中に、限りない葛藤がありました。


それから、私は、アルバイトをしながら100万円貯めました。英語の学校へ行く資金作りです。英語の文句を言われたのは、きっと私には文句を言われるだけの力しかないからだ。だったら、文句を言われないくらいの実力を付けてやろう。そして、絶対にあの上司を見返してやろう!


私は、そう決めたのです。





それから、毎年、図書館に行って「企業年鑑」を見て、あの上司が今どの部署にいるかを確認しました。ずっと、第二金融法人部次長のままでした。何年も、何年も、次長のままでした。


私は、サイマルアカデミーに入り、同時通訳のスキルを使って英語の勉強を始めました。毎週300語の単語を暗記しました。半年くらい経って、The Japan Timesが辞書なしで読めるようになりました。毎朝6時半から、パン屋のアンデルセンでパンを焼き、昼間はサイマルで勉強して、夕方から学習塾で英語を教えました。疲れてどうしようもない気持ちになった時もありました。そんな時、あの上司が行った言葉を思い出しました。


「俺は、早稲田、お前は、獨協!」


私には、葛藤がありました。「お金がない、英語力がない、専門分野がない。」そして、高校の先生に言われて、聖書を勉強したのに、社会に出たら、笑われました。


「君は、何を大学で学んで来たのかね?」


だから、勉強するしかない・・・。


私は、それから簿記を勉強しました。英語と簿記の知識で、アメリカンスクールに職を得ることが出来ました。日本で一番アメリカ人が多く働いている職場に行きたかったからです。その時は、そこで満足しようと思っていたのです。


しかしながら、キャンパスでアメリカの教育を見た時に、考えがはっきりしました。





私の目の前で、小学生が、パソコンでゲームをしていました。私は、近くにいた先生に、尋ねました。


「彼らは、何をしているのですか?」

「あれはね、C言語を使って、ゲームを作って遊んでいるんだよ。」

「ええっ!ゲームを作っているんですか?」

「そうだよ、小学4年生は、みなC言語を使えるんだよ。」

「あのパソコンは、だれのですか?」

「生徒ひとりひとりに、一台が与えられているんだよ。」

「ええっ!一台、一台ですか?」

「そうだよ、これがアメリカの教育だよ。」


当時は、日本の学校にパソコンなんてない時代でした。それなのに、アメリカンスクールには、すでに生徒ひとりひとりにパソコンが与えられている・・・。これが、アメリカの教育なんだ!なんてレベルが高いんだ!だから、太平洋戦争で、日本が負けたのも当然だ・・・!」


その時、強くそう思いました。


「絶対にアメリカの教育を学ばなければならない!今がチャンスだ!」

「よし、お金を貯めるぞ!」


それから、500万円を貯めました。そうして、アメリカの大学院に合格しました。獨協大学を卒業して、すでに10年が経ってしました。33歳の春になりました。まったく日の当たらない6畳間のアパートに住み、いつか来る留学決定の日を夢見て、ここまで来ました。まったく、贅沢なんかすることに関心がなく、一途に英語と貯金の日々でした。


「もういいじゃないか、お前の留学する気持ちは分かる。でもな、実現なんか出来なくてもいいじゃないか?おまえの熱意は、俺にはわかる。もう諦めないか?諦めたって、おれはお前を色眼鏡では見ないから。」


そう言ってくれた友人も、合格通知が届いた知らせに、


「俺は、お前の友達として、誇りに思う。とてもうれしい!おめでとう!」

そう言ってくれました。





私は、33歳の春に、アメリカの大学院のキャンパスに立っていました。それから、猛勉強の連続でした。毎日16時間の勉強をしました。おかげで、お尻が床ずれを起こして、薄い皮がむけてヒリヒリしました。日本で感じたことのない厳しさでした。


その結果、私はNYの投資銀行に迎えられました。6人の役員の前で、全員から合格点を頂きました。最終面接のあとで、ガールフレンドとNYを歩きました。そして、ある場所に来た時に、思わず足が止まったのです。


そこは、あの上司が異動で赴任した「NYの駐在員事務所」でした。入口の窓ガラスには、旅行会社のように、広告のシールで一杯でした。


「彼は、ここにいるのか・・・?」

「結局、部長になれなかったんだな。」


私は、ずっと、その事務所の入口を見ていました。入ろうかなと考えていました。そうしたら、ガールフレンドが言いました。


「ねえ、どうしたの?入りたいの?」

「いいや、いいんだよ、今日で終わったんだよ。」

「何が?」

「ボクの闘いがさ・・・」


それから、そのビルを見上げました。


「これで、終わりなんだ。俺は、勝った・・・自分に。自分の言葉を守って、ここまで来た・・・

それでいいんだな。」


そうして、私はガールフレンドと、そのビルをあとにしました。


今考えると、あの上司がいたから、ここまで頑張れたのだと思います。当時偏差値40台だった獨協大学です。世間から厳しく言われるのは、当たり前でしょう。それでも、その卒業生であろうと、将来に「選択肢がある」ことを、私は経験したのです。


人生は、何度でもやり直せる。


私の大好きな言葉です。


感謝








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Image by Jukka Aalho

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