金太郎アメは、切っても切っても同じ模様がでてくる。
この金太郎アメみたいに、何か1つの考えでしか見られない人がいる。
1つの考えでしか見られなくても、別にかまわないんだけれど。
自分だけそう考えていれば。
面倒なのは、その金太郎アメのような1つの考えを、人におしつけてくる人だ。
おせっかいな隣のおばちゃんタイプの人。
人は、自分の可能性を広げようと思って、
やりたいことをやろうと思って、
そのための方法を得るためにいろんなことをする。
その時に、1つの金太郎アメみたいな考えで、
「それはムリ」とか
「やめなさい」とか、
そういうのは、どうなんだ、と思う。
その人自身を見ていって、その「やりたい」がほんとのやりたいじゃなくて、
欠乏感からの「やりたい」だったら、
それは「やめなさい」と言ったほうがいい。
心の欠乏がまずない世界にして、それから本当の「やりたい」を探したほうがいい。
そして、本当の「やりたい」をどうやっていけばやれるのかを、
強みをみたり、自分の資質をみたりして、考えていけばいい。
でも、そんなことさえ見ないで、
ただ金太郎アメみたいな1つの考えで、
人のやりたいことを、「そんなのムリ」とか「やめなさい」っていうのは、
どうなんだろう。
金太郎アメみたいなくだらない1つの考えで、
誰かの可能性を断ち切る言葉をかけちゃだめだろう。
それは、呪いの言葉をかけるようなものだ。
私は、私が色いろ迷っている時に、
人がどういう言葉を私にかけるのか、冷静に見ていた。
呪いの言葉をはく人。
勇気を与える言葉を言う人。
やたらむやみに、前向きなこと言えばいいわけじゃない。
それはただの無責任だ。
外の世界の流れ、状況もちゃんと把握していないといけないだろう。
たとえやりたいことがその状況のなかで難しいことだとしても、
何かをやりたい人に対して、「やめなさい」となぜ言えるのか。
その人を、そんなに知っているのだろうか。
ただのくだらない金太郎アメみたいな1つの考えで言っているのだとしたら、
とっても最悪だ。


