
僕が初めて現地で観戦したクラシコは、
2007年3月10日にカンプ・ノウ(バルセロナの本拠地)で行われた一戦だ。
当時はまだスペイン在住1年足らずで、
ライターと名乗るのが憚られるほど仕事も少なく、記者席に座れる立場にもなかった。
l朝からカンプ・ノウのチケット売り場で行列を作り、
手に入れたのはバックスタンド最上階の最安チケット。
※それでも80ユーロ以上した。当時のレートは1ユーロ155円だから約1万3千円!
ちなみに一番高い席は、定価で4万円以上!
試合中はテレビで見るより遥か遠くでプレーする豆粒大の選手たちを
壮絶な打ち合いの末に3−3のドロー決着となったこの一戦は、数々の伝説を生み出してきたクラシコの歴史においても指折りの名勝負の1つと言われている。
この試合は僕の人生も大きく変える、一戦になった。
あ、説明し忘れてしまったので、先に紹介しておこう。
なぜ、チケット価格が定価4万円以上もする試合があるのか。
それは、このクラシコがサッカー界で世界最強のチームを決める“伝統の一戦”だからだ。
スペインサッカー1部リーグには、世界的な人気と実力を誇る2チームが同席している。
ひとつはレアル・マドリード。
かつてはベッカムやジダンが在籍し“銀河系軍団”を形成、
今は約130億円とも言われる史上最高額の移籍金でチームに加入したクリスティアーノ・ロナウドがいる、『20世紀最高のクラブ』と呼ばれるサッカークラブだ。
そしてもうひとつが、バルセロナだ。メッシという、DF5人抜きを達成してしまうような世界最高の選手を擁し、彼らの短いパスでリズムよくボールをつなぐスタイルは世界中から愛されている。
そんな両クラブが世界最強の座をかけて戦う一戦、世界中のサッカーファンから常に大きな注目を集めているのが“伝統の一戦”クラシコなのだ。
(クラシコの歴史:http://www.wowow.co.jp/sports/liga/clasico_special_1_vol.1.html)
◆観衆を無条件に虜にするクラシコのスタジアム空間
僕が初めて見たクラシコの話に戻ろう。
人生初のクラシコ観戦でそんな大当たりくじを引き当てたこの日、僕が受けた最大のインパクト。
それはスタジアムの雰囲気だった。
在住1年足らずとはいえ、既に何度もカンプ・ノウでのバルセロナ戦は観戦していたのだが、
この日のそれは他の試合とは別格だったのだ。
それはなぜか。まず、単純に人の数が違う。
カンプ・ノウの座席は全て、誰かしらのソシオ(クラブ会員)によって
アボノ(年間シート)として所有されている。
だが実際のところ、シーズンを通して全試合に足を運ぶソシオはほとんどおらず、
たとえば昨季のホームゲームの平均観客動員数は77,632人。
つまり限られたビッグゲームを除き、
ほとんどの試合では少なくとも2万席以上の空席が生じていたことになる。
7万人もいれば十分盛り上がるではないか、と思われる人もいるだろう。
確かに7万人の歓声は5万人のそれよりも大きいことは間違いない。
だが人数と同じくらい重要な要素がある。それは人口密度だ。
たとえば、乾貴士が今季移籍したスペイン1部エイバルのホームスタジアムは「イプルア」と呼ばれる。
僅か6千300人の収容力しかないこのスタジアムに5千人が入った試合は、
カンプ・ノウに5万人が入った試合より、
ファンが発する喜怒哀楽のエネルギーをより強く肌で感じられる。
それは5万人/9万8千人より5千人/6千300人の方が人口密度が高い分、
人々の発するエネルギーがより凝縮された、濃密な空間ができるからだ。
だからイプルアが超満員になった時と同レベルの熱をカンプ・ノウで感じたければ、
9万8千人超のスタンドが埋め尽くされる必要がある。
だが実際のところ、カンプ・ノウが超満員となる試合はクラシコくらいしかない。
しかもバルセロナとレアル・マドリードのようなビッグクラブの試合には、
スタジアムの雰囲気を左右する要素がもう1つある。外国人観光客の多さだ。
リーガ・エスパニョーラ(スペイン1部リーグの名称)の各クラブが設定している一般販売チケットの販売価格は、どういうわけか欧州の他リーグと比べて高い。
さすがに深刻な経済危機が続く近年は値下げするクラブも出てきているが、
それでもまだ一般市民には到底手が届かないほど高い。
そのためファンのスタジアム離れが問題視されて久しいのだが、
バルセロナとレアル・マドリードだけは多少の上限こそあれ、基本的に不況知らずである。
なぜなら、いくらチケット代を高く設定しても多数の観光客が絶えず訪れてくれるからだ。
だが歴史の古いヨーロッパのクラブはみな、
長い歳月をかけて培ってきた独自の観戦文化を持っている。それはその地に住み、
何度もスタジアムに通い続けることでしか身につけられないものだ。
そのためスタンドを占める観光客の割合が増えれば増えるほど、
そのスタジアムが持つ独特の空気が薄れ、どこか浮ついた、緊張感に欠ける雰囲気になってしまう。
しかし、クラシコは違う。
一般販売に出されるクラシコのチケットは、毎年せいぜい千数百枚程度しかない。
それはつまり、残る9万6千人以上の席をアボナード(アボノの所有者)、
つまり筋金入りの地元ファンが占めることを意味する。
しかも相手が積年の恨みが積もり積もった仇敵とくれば、
スタンドから生み出されるエネルギーは質量、濃度ともに
他の試合とは比較にならないほど高くなるのだ。
チャンスには身を乗り出してかぶりつき、ミスを犯せば全身で失望感を露にする。
ピンチには頭を抱え、ファウルを受ければ右手を振り上げて怒号を浴びせ、
レフェリーが不利な笛を吹けば耳をつんざく口笛を響かせる。
9万8千人超の老若男女がワンプレーごとに震わせる魂の振動はスタンドからピッチへと流れ込み、
選手たちを飲み込んでいく。その結果、集中力を極限まで高めて信じられない力を発揮する選手もいれば、逆に冷静さを失い本来の力を出せなくなってしまう選手もいる。
史上初のクラシコ6戦連発を含む通算15ゴールをバルセロナ相手に積み重ねてきたクリスティアーノ・ロナウドですら、はじめの数試合は気持ちが入り過ぎて空回りしていたくらいだ。
毎夏日本では「甲子園には“魔物”が棲んでいる」とよく言われている。
同様にカンプ・ノウやサンティアゴ・ベルナベウにも、
クラシコという名の“魔物”が棲んでいるのである。

(写真:サッカー史上最高の選手と評される、若かりし頃のバルセロナのメッシ)
◆伝統の一戦に住む“魔物”から生まれた天才メッシ
翻って僕が初めて体験した07年3月10日の一戦は、クラシコという“魔物”が
とりわけ攻撃面で両チームのポテンシャルを最大限に引き出す効果をもたらした一戦だった。
ダイレクトパスの連続により相手DFラインを見事に中央に引きつけた上、
右サイドでフリーのメッシが沈めた1点目。ゴールライン際の僅かなスペースを、
ロナウジーニョ&エトーの細かなワンツーで切り崩した2点目。
バルセロナが前半に決めた2ゴールはいずれも、
恐らくグアルディオラ(バルセロナ黄金期を築いたとされる元監督)時代のピーク時と比べても遜色ない、極めて高いプレー精度と複数人の閃きがシンクロすることで成し得たゴラッソだった。
敵地で3ゴールを挙げたレアル・マドリードの役者たちも負けてはいない。
加入1年目にして同シーズンの得点王に輝いたファン・ニステルローイがファーストチャンスをものにして先制すれば、天才グティはバルセロナ守備陣のアキレス腱であるオレゲールを狡猾に出し抜きPKを獲得。
大舞台に滅法強いセルヒオ・ラモスはFKのチャンスにプジョルとのポジション取りを制し、エビ反りのバックヘッドで3度目の勝ち越し弾を流し込んだ。
そして2−3で迎えた92分。
ミチェル・サルガドのハードマークをものともしないボールキープから、ロナウジーニョがメッシに鋭いくさびのパスを通す。
今思えばあのパスには、この年よりキャリアの下り坂を歩みはじめた陽気なファンタジスタから当時19歳の怪童へと、エースの座が引き継がれる意味合いを伴っていた気がする。
僕がバルセロナに移住した理由の1つは、
ロナウジーニョの魔法のようなプレーをカンプ・ノウで見ることだった。
だがドイツワールドカップで得た失望をこやしに一回りふくよかになったこの年の彼は、
テレビを通して毎試合僕を魅了していた前シーズンまでのキレと閃きをすっかり失っていた。
それでもこの日ばかりは見違えるように気迫溢れるプレーでバルセロナの攻撃を牽引し、
完全復活への期待を再燃させてくれたのだが、それもクラシコの魔力がもたらした一時的な輝きでしかなかった。
結局、トップフォームのロナウジーニョを見ることはできなかったが、
代わりに恐らくサッカー史上最高の選手が誕生する過程を目の当たりにできたのだから文句を言うことはできない。
右から中央へ、DFライン手前のスペースをトップスピードで駆け抜けながらロナウジーニョのパスを受けたメッシは、尻餅をつくエルゲラを尻目にさらに加速し、瞬く間にペナルティーエリア内左へ侵入。
次の瞬間、鋭く左足を振り抜いたシュートはスライディングで飛び込んだセルヒオ・ラモスとカシージャスの間を貫き、ゴール右隅のサイドネットに突き刺さった。
このシーズンまだ4ゴールしか決めていなかった19歳のカンテラーノが、
トップチームにおける自身初のハットトリックを、100年以上の歴史において5人しか前例がなかったクラシコで実現する。
後に世界最高の高みへと上り詰めるメッシが、
恐らく初めて世界中を驚嘆させた試合があの日のクラシコだった。
そんな試合を人生初のクラシコ観戦で引き当てられた自分は、やはり恵まれていると思う。

(写真:レアル・マドリードの絶対的エースで、
バルセロナのメッシと共に世界最高の選手の一人に数えられるクリスティアーノ・ロナウド)
◆“怪物”クリスティアーノ・ロナウドという存在
初体験という付加価値も伴うあの試合で受けたほどの衝撃は、
恐らくこの先も巡り合うことはないだろう。
それでもあれから今に至るまでの8年半の間には、すぐにスコアやゴールシーンを思い浮かべることができる印象的なクラシコを何度も体験する幸運を得てきた。
鋭くも鮮やかな放物線を描いたジュリオ・バチスタのシュートにカンプ・ノウが沈黙した、
07年12月の0−1。
メッシをファルソ・ヌエベ(偽9番=偽センターFW)に起用するグアルディオラの奇策が大当たりし、
バルセロナが敵地でゴールラッシュを実現した09年5月の2−6。
モウリーニョがレアル・マドリードの監督として初めて臨んだクラシコで、
真っ向勝負を挑んだ結果マニータ(手→5本指=5得点)の屈辱を受けた10年11月の5−0。
11年に実現した史上初のクラシコ4連戦も忘れられない経験だった。
モウリーニョの度重なる挑発的発言、そしてピッチ上で繰り広げられるラフプレイとシミュレーションの応酬により、当時の両チームの敵対関係は見ている側まで気が滅入るほど張りつめた、非常に不健康な状況に陥っていた。
それでもクラシコ史上最も濃密な17日間を通して、対照的なプレースタイルを極めた2人の指揮官を中心に、サッカー史に燦然と輝く名勝負が繰り広げられたことは確かだ。
中でも4連戦の2戦目、バレンシアのメスタージャで行われたコパ・デル・レイ(スペイン国王杯)決勝では、スタンドを二分した両軍のファンが中立地開催でなければ決して味わえない特別な雰囲気を作り出す中、内容的にも見応え十分の攻防を堪能することができた。
この日の延長前半13分、驚異的な跳躍からクリスティアーノ・ロナウドが決めた決勝ヘッドにより、
レアル・マドリードは初めてグアルディオラ率いるバルセロナから勝利とタイトルを奪い取ることに成功した。
このゴールはまた、それまで「バルセロナ恐怖症」と揶揄されるほどバルセロナ戦では活躍できなかったクリスティアーノ・ロナウドが、とうとうコンプレックスを払拭した証となる一発でもあった。
メッシの天才ぶりとは対照的に、クリスティアーノ・ロナウドは客観的な自己分析と地道なトレーニングを何年も繰り返すことで自身の弱点を補い、
長所を伸ばしながら世界最高レベルのプレーヤーへと進化してきた努力の人だ。
劣等感や反骨心をばねとしてきた彼の成長ぶりは対バルセロナの歴史にもよく表れている。
レアル・マドリード移籍1年目はグアルディオラ率いるバルセロナとの間に歴然たるチーム力の差があったため、無力感に打ちひしがれながらチームが攻め崩されていく様を眺めるばかりだった。
それがあのクラシコ4連戦を通して互角に戦える手応えを得ると、
翌シーズンのコパ・デル・レイ準決勝では1ゴール及ばず敗退したものの、
自身は2試合共に1ゴールを記録。
さらに同年4月のアウェー戦でも決勝点を決めるなど、徐々にバルセロナキラーぶりを発揮していくようになっていった。
「落ち着け、俺はここにいる」
当時のクリスティアーノ・ロナウドはバルセロナ相手にゴールを決めるたび、
そんな仕草で自身の価値を周囲に誇示していた。それが今ではゴールを決めても特別に感情を爆発させることなく、あたかも決めて当然と言わんばかりの余裕を見せるようになっている。
多くの識者がサッカー史上最高の選手とまでみなしているメッシとキャリアのピークが重なる不運を嘆くこともなく、己のポテンシャルを頑に信じ、ひたむきな努力を続けることで、
クリスティアーノ・ロナウドはメッシとあらゆる個人タイトルを争うライバル関係を築くに至った。
そんなクリスティアーノ・ロナウドの存在がなければ、近年のクラシコはバルセロナの一人勝ちが延々と続く、何とも味気ないものとなっていたかもしれない。

(写真:バルセロナの黄金期を築いた元ブラジル代表のロナウジーニョ)
◆クラシコに訪れる新時代の幕開け
一時代のクラシコを象徴していた
グアルディオラ対モウリーニョ、メッシ対クリスティアーノ・ロナウドの構図に加え、
ここ1、2年のクラシコは新たなエース候補たちの存在感も増してきた。
11月21日に開催される今シーズン1発目のクラシコに向けては、残念ながら怪我の影響によりメッシの出場が危ぶまれている。
一方のレアル・マドリードもベイル、ハメス・ロドリゲス、ベンゼマら他の役者の相次ぐケガに悩まされている現状だ。
それでも今のバルセロナはメッシに全てを委ねていた数年前までとは違い、
ネイマールとルイス・スアレスがエース不在時のチームをしっかり支えている。
レアル・マドリードもヘセ、イスコ、ルカス・バスケスら若手の奮闘により、多数の離脱者を抱えながらもバルセロナに次ぐ2位に位置している。
思えば8年半前のあのクラシコも、戦前の両チームは散々な状態にあった。
バルセロナは前節の直接対決に敗れてセビージャに首位の座を奪われ、ミッドウィークにはアンフィールドにてリバプール相手にチャンピオンズリーグ(CL)敗退を決めたばかり。
一方のレアル・マドリードも前節へタフェと引き分けて4位に後退し、
CLではバイエルンに敗れていた。
これで直後のクラシコでも無様な負け方でもしたら監督は即解任、選手たちのモラルも崩壊しかねない大惨事となる危険性がある。
あの試合ではそんな崖っぷちの状況が良い意味での後押しなり、両監督がリスクを承知で攻撃的な姿勢を打ち出した――バルセロナは直前の2試合で試しただけの3−4−3でスタート、
レアル・マドリードはトップ下のグティに加えてファン・ニステルローイ、ラウール、イグアインとFWを3人同時起用――ことで、史上稀に見るスペクタクルな打ち合いが実現した。
今回も同様の派手な打ち合いが繰り広げられるかどうかは分からない。
それでも、もしかしたら後世に語り継がれるスーパープレーが見られるかもしれないと考えるだけで、一度その魅力を経験してしまった人間はクラシコに大きな期待を抱かずにはいられなくなる。
それに、少なくとも超満員のサンティアゴ・ベルナベウが作り出す雰囲気が、
他の試合では味わえない特別なものとなることは保証されている。
それだけでもスタジアムに足を運ぶ価値は十分にある。
それに、特別な因果を歴史的に抱える両クラブの戦いは、世界最高のスポーツエンターテイメントの一つとして、サッカーファンならずとも一見の価値があると僕は思っている。
決戦は11月21日。日本ではWOWOWで生中継されるこの試合を、
一人でも多くの人に観てもらいたいと、心から願っている。
http://www.wowow.co.jp/sports/liga/clasico.html