高木教育センターのありふれた日々(8)
第七十一章「英検1級に合格すると、世界はどう見えるのか?」
第七十二章「こうやって、英検1級に合格しました」
第七十三章「こうやって、京大数学が7割解けるようになりました」
第七十四章「26歳、無職、貯金なし、彼女なし、資格なし、何にもなしのボクだった」
第七十五章「シンプルライフ」
第七十六章「Xくんと、Yさんの件」
第七十七章「予備校の模試って、誰が採点してんの?」
第七十八章「ボクはどうして京大を7回受けたのだろう?」
第七十九章「お前の母ちゃん、出べそ!」
第八十章 「北勢中学校の生徒はアホばっか!」
第七十一章
「英検1級に合格すると、世界はどう見えるのか?」
小さい頃に英語がペラペラの人を見たときに、不思議に思わなかったろうか。ワケのわからない記号の羅列を読めてしまう。ワケのわからない音声が、ちゃんと意味を持って聞こえているらしい。
「あの人の頭の中はどうなってんの?」
と思った。その不思議を解明したかったが、英検1級に合格した頃に理解できるようになった。
たとえば、2つの経験をお話ししたい。私がホームステイしていた時のこと。
「ダウンタウンに行くが、ついてくるか?」
とホームステイ先のママが聞いてきたときのこと。
私は
Whichever is fine. (どっちでもいいよ)と言った。すると、いつもニコニコしていたママが急に険しい顔になって
「イエスかノーかどちらかに決めなければならない!」
と言ったので、ビックリしたこと。
もう一つは、日本の帰還宣教師に
「本音と建前の建前って、英語でなんと言うのかな?」
と尋ねたら、lie (嘘)と言ったこと。
この二つは衝撃的だった。つまり、アメリカ人の立場から見ると日本人がよく言う
「どっちでもいいよ」
というのは、自分の意見がないダメ人間の証拠であり、本音と建前を使い分ける日本人はウソつきに見えるということだ。その他にも、
「山は座、タンスは棹、ウサギは羽と数えるんだ」
と言う言語学者の解説がバカバカしく聞こえるようになったこと。英語なら、onetwo three で済む。単位を付ける必要性など全くない。一言でいえば、日本文化を客観的に見られるようになったということだ。
「クラブと勉強の両立」
と日本の教師は叫ぶが、それは極めて日本的な文化に基づく。私のいたアメリカの中学校は、クラブが存在しないので午後二時半になると校内は消灯で真っ暗だった。バランスのとれた人格形成にクラブは不可欠などとは、何の根拠もない洗脳だ。
私は毎朝アメリカのABCニュースを聞いている。英語のDVDも字幕なしで楽しめる。英語の歌も同様だ。もはや、金髪のオネエチャンと友達になることに妄想を抱かない。リアルの等身大の外国人を知ったからだ。
上記の言語学者のように、英語を語る日本の英語教師や英語講師の言うことも耳に入らない。日本人だって、
「あそこに山が三座ある」
とか
「ここにタンスが二棹ある」
なんて、もはや言わない。私は教師とか教授とかいった肩書きだけで、自分の主張を正当化しようとする人間が嫌いで、信用しない。
英検1級に合格すると、こんな傲慢な視点が生まれる(笑)。
第七十二章
「こうやって、英検1級に合格しました」
Youtubeやブログにいろいろ言ったり書いたりしたけれど、ザックリ言うと目の前のことを全力でやったということ。具体的には、日本生まれの日本育ちのため高校までは「受験勉強」をやっただけ。
「受験英語ができても英語は話せない」
と言うのはそのとおりだと思うけれど、役には立つ。
大学入学後は、大学のLL教室やらネイティブのクラスやらに出席したけれど身につかず。ECCに通ったけれど暗記ばかりで身につかず。リンガフォンをやっても、NHKを聞いても身につかず。
それで、最終的には「留学」しか選択肢がなくなった。それで、アメリカでどんな生活を送っていたかをチョット詳しく書くことにする。留学しても英語が身につかない人も多いのだから、参考になるかもしれない。
まず、留学先だがユタ州を選んだ。それも田舎。モルモン教徒が多いので治安が良く、田舎には日本人がいないと聞いていた。日本人が多いと、いつも集まって英語が身につかないと聞いていた。
そこで
「毎日、何をやっていたか」
だ。朝起きたら、家族と朝食をとって中学校へ向かう。中学校では、facultyroom で教師たちとおしゃべりしながら、教室へ。教室ではアジア人が珍しいらしく話しかけられることが多い。もちろん、これ全て英語。
最初はスラスラいかない。だから、身振り手振りとカタコト英語で切り抜ける。私は少林寺拳法ができて、ジャッキー・チェンとテレビに出たことがある。ヌンチャクも使える。そういう話題は中学生にはウケたのだ。
それで、午後2時半に学校が終わると帰宅。その後は、キリスト教会のパーティやら仲間とあちこち連れて行ってもらった。キャンプや、ボート遊びや、水上スキーや、プールや、スポーツ大会や。もちろん、それ全て英語で語り合い。
夜は、必ず英語で日記をつけた。日記をつけながら、その日に覚えた単語や言い回しを確認していった。3ヶ月もすると、英語で夢を見た。半年もすると日本語を少し忘れた感じがした。全く使わないからだ。
夏休みには、中学生と一緒に英文タイプの授業をとってタイプができるようになった。手紙や日記をタイプで打ったりした。夏休みは3ヶ月ほどあったので、カリフォルニアに旅行に出かけた。途中で一緒になった日本人男性二人と三人旅だった。
全く知らないお店に入って英語が通じる感じがした。とんでもない遠い所に来ている実感があった。1年くらい経つと
「もはや英語でコミュニケーションは困らない」
という自信があった。自信満々で帰国した。でも、英検の教本を見たら知らない単語が続出。
「なんだ、コレは!」
と憤りを感じた。
「こんな単語は必要ない」
と思った。しかし、公的な資格なしでは何のためにアメリカに行ったのか分からない。だから、結局「英検1級」の過去問を周ほどやるはめになった。そして、帰国後3年目で合格した。
第七十三章
「こうやって、京大数学が7割解けるようになりました」
私は英語講師として塾をはじめた。だから、数学はやる必要がなかった。たまたま、A子ちゃんという素晴らしい子にめぐり会って
「高校入学後も指導をお願いします」
と言われて、なし崩しに
「数学のコレ教えて欲しい」
と数学の指導を始めるハメになった。最初は教科書準拠の「オリジナル」を1問、1問解いていった。たいてい、喫茶店でノートを開いて書きなぐっていた。毎日2問か3問ずつ進めた。解けない問題はチャートを調べた。間違えた問題は、しばらくしてやり直した。
それが2周ほど終わって
「だいたい身についた」
と感じた頃に
「次は実際の大学の問題だな」
と思い、和田秀樹さんの「新・受験技法」や、エール出版の合格体験記などを見て、
「Z会のチェック&リピートがよさそうだ」
と決めて、オリジナルと同じペースで始めた。Z会の「京大即応」コースも始めた。駿台、河合の「京大模試」も受け始めた。さすがに、スラスラとは行かなかったが悪戦苦闘しながら2周した。
それで、この頃から指導用のプリントを作り始めた。生徒の方から
「確率と漸化式の例の問題がやりたい」
とか
「積分の解と係数の関係を使った1/6公式を使う問題」
とか、リクエストが出始めていた。私には、それが何のことかすぐに分かったのであちこちから類題を探してプリントを蓄積していった。
「もういいだろう」
と思ったので仕上げの問題集を考えて「1対1」にした。これを、同じペースで解きながら、センター試験と京大二次試験を受けて成績開示して英語と数学の正解率を確認していった。結局、センター試験は10回、京大二次は7回受けて
「英語8割、数学7割」
のレベルになったので、このプロジェクトは終了とした。しかし、それは文系の数学ⅡBまでの話だったので、同じ作戦で数学Ⅲに取り組んだ。そして、通塾生が京大薬学部、京大医学部、三重大医学部などに合格したのを確認して
「もう京大数学は大丈夫」
と自信を深めた。プロジェクト開始から10年目だった。
それで、4年前から「通信生」を始めた。ちょうど、ネットが普及してきたからだ。写メしたものを送信してもらうことにした。英語も数学も両方とも、文字から学ぶのは効率が良くない。
生徒と話しながら記憶に残ったことは、長く忘れない。私にとって、数学は生きることと同じだ。だから、身についた。なにか勘違いして
「こうしたら数学が簡単に身につく」
というマジックがあると考える子が多いが、間違い。1問1問
「どうして、こういう解き方をするのか」
を確認していく。それを2000題を目安に地味にノルマを毎日こなしていく。そういう地味な努力ができない子は永久に数学は身につかない。
第七十四章
「26歳、無職、貯金なし、彼女なし、資格なし、何にもなしのボクだった」
人生、相当頑張っても危機は避けられないようだ。仕事をやめてアメリカに行ったのはいいが、帰国する時に名古屋の7つの予備校、塾に履歴書を送っても返事はゼロだった。つまり、失業した。アメリカでお金を使い果たしていたし、これといった資格を持っているでもなかったから、いきなり生活に困った。
それで、近所の小さなアパートの一室を借りて「学習塾」を始めた。他にやれることがなかったのだ。クーラーを買うお金もないので、中古のクーラーを買ったら効きが悪いだけでなく、すぐ壊れた。生徒が勝手に自転車をとめるから近所から苦情が来るし、親からは
「娘が帰り道でスカートめくられた!そんなこと教えとんのか!」
と怒鳴られた。銀行に行ったら
「大手が勝ち組、個人塾は負け組み」
と相手にされず、つきあっていた彼女の親からは
「なんで、国立大学を出てまで塾なんかやってんの?先生なら嫁にやる」
と言われた。田舎の小さな塾講師など、人間扱いされないのだ。結婚もできないのだ。要するに、社会のゴミのような存在らしい。
「これではならぬ!」
と思い、本当に朝から晩まで英語の勉強をした。大学出てまで猛勉強になるとは思っていなかった。そして、3年後に英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格し、名古屋の大規模塾の非常勤講師をし、貯金をためて確定申告を青色に変えて、別の信用金庫に相談し、親や親戚に連帯保証人になってくれと頼み込み、やっと塾を建てた。
塾生数が100名を越えて、カッコがついたところで結婚できた。駆け落ち同然だったけど。また、地元の名士の子や北勢中学校や東員第二中学校のトップクラスの子たちが来てくれて、塾の知名度が上がり評価も上がっていった。
その頃に雑誌に紹介されたり、新聞に紹介されたりした。また、ネットが普及しだしたので、Youtube に投稿し、ブログを書き始めた。すると、3万回再生されたり、受験生ジャンルでランキング1位になったりした。たぶん、京大を7回受けて成績開示したことがインパクトを与えたのだと思う。
しかし、頑張ったらもと奥さんから
「仕事と私とどっちが大切なの!」
とダメ出しを受けてバツイチ。50歳にして、貯金なし、奥さんなしになってしまった。世の中うまくいかない。こどもたちが成人して独立したので、チョンガーでも構わない。もう女性は懲り懲りだ。
社会の扱いは、いまだに改善されない。卒業生が京大医学部、阪大医学部、名大医学部に合格し、通信生は北海道から九州まで広がっている。それでも
「たかが田舎の塾講師」
と非常に軽く扱われる。日本人は肩書きと知名度とお金がすべてらしい。どんな資格をとっても、指導した生徒が難関校に合格しても、生徒たちから信頼されても
「田舎の塾講師」
という名前だけで、何にもなしの扱いになる。なんでだろう?肩書きを外した、1対1の勝負なら地元の教師などに負ける気がしないのに。こっちは、身を削って30年間戦ってきた。社会に出たことのない温室公務員教師になど実力で負けるわけがないのに。
第七十五章
「シンプルライフ」
人の生きていく原則はシンプルであるべきだ。私たち受験指導の現場では
「私、ずっと英語講師になりたかったんです」
「学校で左翼思想を教えれば、日本を変えられる」
といった講師や教師がたくさんみえる。あるいは、
「このタブレットを学校に納入できたら莫大な利益が得られる」
「校長会で現金をバラまけば、この教科書が採用される」
という賄賂戦略も先日報道されたばかりだ。
しかし、いずれも大人の論理ばかりで生徒の視線が見られない。
「英語の話せる教師が英語を教える」
こんな当たり前で、シンプルな原則など誰の視野にも入っていなかった。それで、文科省も業を居煮やしたのだろう。
文部科学省は13日、国際的に活躍できる人材を育成するため英語教育に関する実施計画をまとめた。中学校の英語授業は原則として英語で行い、高校の授業では発表や討論などに重点を置き卒業時に英検2級から準1級程度の英語力を身に付ける目標を設定した。2018年度から段階的に導入し、20年度の全面実施を目指す。
(時事ドットコム「:英語での授業、中学から=20年度実施へ計画策定-文科省」より 2013/12/13-12:28)
文科省は13日に「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を発表。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、教育体制整備する考えだ。小学校5・6年生で英語を正式な「教科」とすることや、教員の「英語力」を公表する仕組みを設けることも盛り込まれた。英語教員には英検準1級、TOEFL iBT 80点程度等以上を求める。
生徒に高校卒業時に「英検準1級レベル」を身につけさせたいと言いながら、英語教員に「英検準1級レベル」を求めるってどういうこと?2級や準一級に生徒を引きあげるには、教師は1級であることが当然だと思う。すでに、教師が生徒に負けている事態も多発していることをバラしてしまった。
前から何度も書いているように、私のいたローガン中学校ではクラブ活動がなくて午後2時半には消灯で学校は真っ暗だった。クラブ活動が健全な人格形成に必要不可欠のように言うのは間違い。
すでに給食も、アレルギーの子は別献立と配慮している。クラブだって、全員に強制したら登校拒否を誘発することもあるだろう。イジメの温床になることもあるだろう。
「やりたい子だけがクラブ活動をする」
どうして、こんなシンプルなルールさえ守れないのだろう。
「クラブ活動がなくなったら、シューズが売れなくて死活問題」
だとか、
「早く帰宅されたら、ゲーセンに行って不良が増える」
とか、教育と無関係の大人の事情ばかりが話題にのぼる。そんなことで、マジメな生徒の勉強時間を削られたらたまらない。隣町が自由化しているのに、地元だけ強制では公平な受験競争など、できるわけがない。
四日市合格者数
H27 H26
1、陵成中学校(桑名市) 16 23
2、光陵中学校(桑名市) 24 9
3、藤原中学校(いなべ市) 6 6
4、東員第一中(員弁郡) 3 4
5、員弁中学校(いなべ市) 1 4
高木教育センター 2 3
6、 大安中学校 (いなべ市) 4 2
7、東員第二中 (員弁郡) 1 1
北勢中学校(いなべ市) 1 1
こんな地区に生まれたのが、運の尽きなのだろうか。「桑名市」に生まれるか「いなべ市」に生まれるかを、子供たちは選択できないが、その後の学習環境はまるで違ってくる。
時々、コンビニでアルバイトをしている塾の卒業生に会うことがある。もう30歳を越えているだろう。アルバイトの不安定かつ低い給料では結婚など出来ない。なぜ、そんなことになったのか。Fランク大学では就職活動で負ける。では、なぜFランク大学になってしまったのか。それは、Fランク高校だったから。では、なぜFランク高校だったかというと、中学校で成績が良くなかったから。
確かに、アフリカの貧しい国に生まれるか、戦争だらけの中東に生まれるか、平和な日本に生まれるかは運次第。しかし、同じ日本に生まれて、同じ税金を払いながら、受ける教育に大きな差があるのは許されることだろうか。
中学校の左翼の先生は、中学3年間だけ
「クラブと勉強の両立だ」
と叫んでいればいい。その後の生徒たちの人生に責任を持つつもりはないのだから。自己満足していればいい。
しかし、生徒たちはリアルな競争社会に生きているのだ。妄想の社会ではないのだ。クラブの強制だけは、やめて欲しい。
生徒の将来をどう考えているのだろう。たぶん、何も考えていない。クラブ活動の中でイジメを受けて自殺したらしい子の報道があった。教師は、自分の子が自殺しても同じ主張を続けるのだろうか。
しょせん、他人ごとなんだろうと思う。
「何もしないこと」
これが公務員の至上命題らしい。
第七十六章
「Xくんと、Yさんの件」
「先生、(2)の問題だけど・・」
「ちょっと、(2)って何ページの?」
「13ページの・・・」
「ちょっと、何番の(2)?」
「えっと、4番の(2)だけど、ボクの答えは合ってます」
「合ってるって?正解が間違っているかはキミが決めるんじゃないよ」
「でも、ここをスッと線を引いてまぁるく線を引くと」
「ちょっと、Xくん。数学なのに、スッととかまぁるくって・・・」
Xくんは、いつもこんな調子です。
「先生、この無理数ってこの世にないんですよね」
「そうですね」
「もし、一辺が無理数の図形ってどう描いたらいいのでしょう?」
「三平方の定理で考えると書くのは簡単」
「それ矛盾ですよ」
「そのとおり。しかし、無理数の少数以下が100桁くらいなら?」
「そうですね。現実の研磨技術などではムリな世界か」
Yさんとの会話は、こんな感じ。
同じ教室で指導できると思われますか?
あまりにレベルが違いすぎる。この二人に同じ宿題を出すわけですが、馬鹿げている。Xくんには難しい二次法的式の解の公式も、Yさんには人間がやるべき問題ではない程度にしか見えない。Xくんには苦痛かもしれないが、Yさんにも自分の時間が浪費させられ苦痛だ。
Xくんはサッカーをしている方が楽しいのでクラブ活動に一生懸命。Yさんは勉強したいのに「強制クラブ」である制度のためにやりたくもないバレーをやらされる。
どうして「やりたいことをやる」という程度の当たり前の原則が守られないのだろう。基本的人権を踏みにじっても平気な教師ばかりだからだろう。社会主義に洗脳されると北朝鮮のマスゲームのような全体行動が大好きになるらしい。
学校は、アメリカの中学校のように午後2時半になったら消灯でいい。そうすれば、クラスやクラブの濃密な人間関係の中でイジメや自殺という悲劇が避けられる。スポーツをやりたい子はプロに習いに行ってもいいし、勉強したければ予備校や塾で勉強すればいい。
それを、全体主義的に「強制」するから登校拒否や引きこもりで抵抗するしかなくなる。内職や仮病で勉強時間を確保するしかなくなる。今の学校は、アレルギーの子の口に無理やり全員と同じソバを押し込んでいるようなものだ。
これでは、自分の身を守るために学校に行かなくなるのは当たり前。
Xくんと、Yさんを本当に同時に指導できるのならやってみせて欲しい。できもしないのに
「学校に来い」
などと言わないで欲しい。できないのなら、
「できないから、家でやってください」
と正直に言ってほしい。そして、生徒たちを学校から解放して欲しい。
第七十七章
「予備校の模試って、誰が採点してんの?」
私の塾生の子たちは、高校1年生の頃は校内順位を気にする。四日市高校なら、上位の5番くらいが「東大」、20番くらいまでが「京大」、60番くらいまでが「阪大」「名大」という感じ。
ところが、高校2年生になる頃から
「待てよ、名大を受けにくる1万人くらいのほとんどは他校の子じゃん」
と気づく。それで、河合塾や駿台の模試を受け始める。それで、受験校を決める。つまり、この「模試」というのは人生に与える影響がきわめて大きいと言わざるをえない。
では、この模試の作成や採点は誰が行っているのか。もちろん、予備校の講師だろう。では、その予備校の講師って大学受験生50万人の将来を決めるほどの人物なのだろうか。ここが、いつも疑問に思う点だ。
なぜなら、私はその予備校・塾業界で30年生きてきたからだ。名大教育学部を出て、アメリカの中学校で教え、英検1級や通訳ガイドの国家試験を合格し、名古屋の大規模予備校・塾・専門学校で教えてきた。
ネイティブと一緒に英検1級の過去問を解いていたら
「なんで日本人のお前がこんな問題を解かないといけないのだ?」
と呆れるほど古い英語を見て叫んだ。私の目から見ても、ナゾだらけの問題だった。生徒に定評のある「赤本」「青本」の模範解答でさえ、
「この解答では京大では6割くらいだね」
と思うものも多い。私は京都大学を7回受けて成績開示したので、どのレベルの解答が何割くらいの点数を与えられるのか当てるのが得意だ。問題はとてもシンプルなのだ。
「英語が上手な人って誰なの?」
私にも、
「先生と呼ばれる人は完璧だ」
と思う時期があった。今は、たくさんの実物に出会ったので、全くそう思っていない。私は英語のプロと思われているが、それでも自分の英語が完璧だと思っていない。日本語ほど流暢にはいかない。
だから、少なくとも自分より学歴、資格、経歴などで劣る人を先生とは認めない。私でも帰国市場には発音でかなわないこともある。京大医学部に合格した子に数学で負けたことがある。
だから、
「私より格下の先生が京大受験生の解答を採点できるはずがない」
と思っている。思っているのではなくて、現実だと認識している。事実、私の指導させてもらっている優秀な理系女子は大規模塾に行って
「あそこの先生ダメ」
と言って、やめてきた子が多い。
さて、本題。
「予備校の模試って、誰が採点してんの?」
だが、
「採点してはいけない人が採点してんの」
かもしれない。私は名古屋の予備校や塾で、旧帝卒かつ英検1級所持という講師の方に出会ったことがない。人前に出れる人なら
「私が採点しています」
と公表できる。でも、スゴイ数の受験者なんだから、どう考えても学生アルバイトが採点しているのだろう。
「東大や京大受験生のハイレベルの答案を、ワンランク下の大学の学生が採点?」
「これって、可能なんですか?客観テストならいいけど、英作文や和訳は?」
ぜんぶ透明でできない事情があるのは分かる。でも、それで受験生50万人の将来を占っているのだから大問題だと思う。
第七十八章
「ボクはどうして京大を7回受けたのだろう?」
直接の理由はA子ちゃんだったが、経緯はもう少し複雑だ。
私は教師が嫌いだった。だから、大学を卒業して塾で勤務を始めたら、突然「教壇の向こう側から、こちら側」になってしまった。違和感があった。嫌いだった教師と似た立場になったからだ。せめて、マシな講師になりたかった。
それに、高校を卒業する18歳くらいで将来を決められるのは納得いかなかった。文系、理系と決めつけられるのには納得がいかなかった。AランクからFランクまでランク付けされるのに納得がいかなかった。
私が教師が嫌いなワケは、英語も話せないのに英語を教える姿勢。自分では難関校が合格できる力がないのに、生徒の前では上から目線で話すこと。だから、私は英検を受ける生徒がいたら、自分で受けて合格してみせる。京大受験生を指導するのなら、京大を受けて合格レベルにあることを成績開示してみせる。
それくらいは礼儀だと思った。
文系人間と分類されたことも覆しておきたかった。生徒が数学の指導を依頼してきたので、良い機会だと思った。それで、数学1A、2B、3Cを独学し始めた。
「やっぱり自分は文系人間だ」
と思うこともあったが、A子ちゃんもいたし、子供がいて経営を維持しなければならないし、諦めるわけにはいかなかったのだ。それに、なんと言っても楽しかったのだ。高校の時は「卒業までの3年間」と期限を切られたので落ち着いて勉強できなかったのだ。
私は学校も嫌いだ。自分のペースで勉強できない。
オリジナル、チェック&リピート、1対1、赤本を2周ずつやった。Z会は8年間研究した。京大模試は10回受け、センター試験は10回受けた。京大二次試験は7回受けた。徹底的に研究し尽くした。
私は自分も信用していない。客観的なデータしか信用しない。それで、実際に体験して経験値を得ようとしたのだ。すると、分かる人は分かるらしく、地元の高学力の子が集中して来てくれるようになった。
50代のオジサンが高校生に混じって「京大模試」や「センター試験」を受けるのは奇妙な光景らしい。京大受験生に混じって「京大二次試験」を受けるのも、おかしな光景かもしれない。
しかし、受験指導に真剣に向き合うと当たり前の行為だと思っていた。ただ、優秀な生徒の支持が広がり、京大医学部、阪大医学部、名大医学部などの合格者が出始めて
「これでよかったのかも」
と思った。
第七十九章
「お前の母ちゃん、出べそ!」
昭和40年代のバカな悪ガキの決まり文句は
「お前の母ちゃん、出べぞ!」
だった。しかし、正常に成長する子たちはいつしか決まり文句を忘れていく。中学生になると、そんな幼稚な悪口が相手になんの打撃にもならないどころか
「アイツはいい歳して馬鹿だ」
と軽蔑されて相手にされなくなるからだ。ところが、塾で指導していると10年に1人くらいの極少数の割合でこういう正常な成長が出来なかった子に出会うことがある。中学生どころか、40代や50代にもこのタイプの人がいることを知る。
「てめぇみたいなチンケな塾はつぶすの簡単だぞぉ!」
と叫んだ保護者の方もみえた。威力業務妨害で警察を呼んでもよかったが、そんなことをする時間もエネルギーも無駄なのでスルーしておいた。私の塾がどうなるかを決めるのは授業。授業が良ければ支持者がいて、つぶれない。
たぶん、自分はそういう脅しに弱いから他人も同じだと信じているのだろう。幼稚園の頃から成長ができなかった例だ。大人はそのような脅しが効かない。少なくとも私には効かない。
私に向けて誹謗中傷をする人は
「これでビビるだろう」
と考えているのだろう。それは、自分がそういう誹謗中傷をされたら嫌で怒るからだろう。他人も自分だと固く信じているらしい。全然ちがうのに。だいたい、電話もネット関係も業務を分担しているので嫌がらせは私の目に入らず耳に入らないことが多い。
必要な情報だけ担当の者から連絡が入るシステムにしてある。
でも、愚かな人は50になっても60になっても「バカは死ななきゃ直らない」と昔から言うように愚かなまま。だから、関わらないのが一番だ。近寄らせない工夫をすることが一番大切。
50代になっても
「お前の母ちゃん、出べそ!」
と言えば、相手が困ると考える時点で思考回路が壊れているとしか言いようがない。そのような相手に論理的に語っても理解できない。
墓場まで
「お前の母ちゃん、出べそ!」
と言い続けるのだろう。
第八十章
「北勢中学校の生徒はアホばっか!」
私の塾生の高校生の子たちは
「北勢中学校の生徒はアホばっか!」
と言っている。隣町の「桑名市」にある陵成中学校や光陵中学校では、毎年四日市高校に15名前後の生徒が合格するのに、北勢中学校では去年も今年も1名なのだ。
合格率でいうと、陵成中学校などは上位の10%くらいなのに、北勢中学校は1%にもならない。実に、10倍の差だ。同じ公立中学校なのに、どうしてこんな格差が生まれるのだろう。
生徒たちは正直だから
「北中はカスばっか!」
と言うけれど、大人だってこの現実を知ったら同じように感じるだろう。もちろん、結果には必ず原因がある。地元の生徒は気づいていないが、学習環境が悪すぎる。クラブばっかりやって勉強は放り出すし、結果が出なくても
「勉強が全てじゃないよ」
という左翼教育が盛んなのだ。授業によっては強制的に机を5つ固めて「教えあい」を奨励する。これは、誰も助けてくれない受験の現状と真逆の精神を叩き込もうとしているわけだ。
「誰も助けてくれない」
というのが受験の現状だ。日本一「日教組」の組織率が高いのが三重県。そのせいで、偏差値追放、業者テスト追放。その成果が出て、今年(2015年)「三進連」という最大の業者テストが倒産した。しかも、この地区では自分の校内学力テストも知ることが出来ない。教師が隠蔽する。順位を知らせると競争心を煽るというのだ。
つまり、この地では「校内順位も偏差値も知らされず」「業者テストのデータ」もなく目隠し状態で入試の本番に立ち向かわなければならない。これを異常状態と言わずして、なんと言うのだろう。生徒たちが気の毒でならない。
私の塾生たちは、幸いだ。順位も、偏差値も、過去問も、各種データを提供しているのだが、保護者の方たちから苦情が来ることもある。この地は、ガラパゴス島のように日本の状態から隔絶している。
この状態で、正常の競争社会に放り出される生徒たちはどうなってしまうのか?「愛」「絆」ときれいごとだけを教え込まれて、高校からはキッチリした格差社会。AランクからFランクまで大学は序列がついているし、就職するときや結婚するときに「学歴」が顔を出す。
この社会の良し悪しは別に議論するとして、とりあえず生徒たちの将来を考えるのなら
クラブ活動の強制はやめる。
校内順位、偏差値などの情報は本人に公開する。
班教育はやめて一斉授業にする。
の3点は今すぐ実行すべき。もう手遅れ感は否めないが、何もしないよりマシ。
「北勢の奴らはカスばっか!」
いつまでこんなことを言わせておくつもりだろう。
「弱い」「よく立ってるな」=自殺の中1、部活で―名古屋市教委
11月16日(月)20時32分配信
名古屋市西区の中学1年の男子生徒(12)がいじめを苦に自殺したとみられる問題で、市教育委員会は16日、同級生らに行った聞き取り調査の結果を公表した。男子生徒は所属していた卓球部で「弱い」「よくそこに立っているな」と言われたり、クラスで他の生徒に弁当を食べられたりしていたとの証言があった。調査は部活を中心に生徒97人に実施。うち13人がいじめを直接見たり、男子生徒から相談を受けたりしていた。市教委によると、部活内では「弱いのに、よくそこに立っているな」「勝ったんだ、弱いのに」と言われていた。同じ1年生からも言われていたという。 また、10月半ばに「部活でいじめられている。もう駄目かもしれない」と相談を受けたとの証言もあった。その際、男子生徒は「まあ冗談だけどね」と打ち消したという。
勉強そっちのけでクラブ活動ばっかりやっていて、勉強ガタガタ。普通のコーチなら
「平均点を越えるまでは、クラブ禁止!」
くらいのことくらい言うべきだろう。クラブ活動にはプラスの面があるので、やりたいものはやればいい。禁止しなくてもいい。しかし、「強制」はダメだろう。イジメの温床になって、何人も自殺に追い込まれている。
「何人死ねば、改善されるのだろう」
こんなことだから、北勢中学校はゴミ溜めのように言われる。
四日市合格者数
H27 H26
1、陵成中学校(桑名市) 16 23
2、光陵中学校(桑名市) 24 9
3、藤原中学校(いなべ市) 6 6
4、東員第一中(員弁郡) 3 4
5、員弁中学校(いなべ市) 1 4
高木教育センター 2 3
6、 大安中学校 (いなべ市) 4 2
7、東員第二中 (員弁郡) 1 1
北勢中学校(いなべ市) 1 1
北勢中学校は私の母校だ。


