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13/1/8

調理師免許

Image by Olia Gozha

年明け早々にUPした写真に、たくさんLikeがついてたので、これに関するストーリーを少しだけ書いてみます。

大学・大学院の合計7年間、「なめらかプリン」で有名な、パステル新宿ミロード店というパスタ屋でバイトをしていました。調理師免許を取っている通り、主にキッチンでしたが、4年目くらいからはホールもやってました。

そもそもパステルで働き始めたのは2002年3月。高校時代、アルバイトを親に禁止されていた反動からか、3/10の合格発表の直後からバイトを探し始め、3/12には面接を受けていた記憶があります。

パステル新宿ミロード店は、激しい店でした。

ピークの時の日商が100万程度、客単価は1,500〜2,000円くらい。ほぼ一日中行列が絶えない人気店。それに対し、キッチンは3〜5人、ホールも4〜6人くらいで必死になって行列を捌いてました。

一般に、飲食店の離職率は高いのですが、ここでは特に高く、あまりの忙しさに入った直後に逃げ出す人もいました。逆に言えば、残っているのは負けず嫌いだったり、超マイペースだったりw、そんな人に囲まれてビシビシしごかれるので、必然的に成長していく環境でした。

そんな環境で一緒に戦っている仲間だからか、バイト同士は非常に仲が良く、23時に閉店した後は、キオスクでビールを買ってきて、終電まで店で飲むのが恒例で、夏は毎年ほぼ全員が泊まりがけで海に遊びにいったり、何かイベントの後はオールで飲んだり、楽しい店でした。

(ちなみに、僕がビール好きになったのも完全にパステルのせいです)

7年もいたので細かいストーリーは色々あります。新しくきた店長との確執と和解、「教育」の大切さと難しさを学んだこと、などなど。

そんなたくさんの経験を通して、世間知らずだった僕は、プロ意識、根性、体力、コミュ力、etc...、本当に色んなことを身につけたと思っています。

調理師免許を取ったのは、この経験を何らかの形にして残したいと思ったからでした。実のところ、半分くらいはノリで取ったんですがw、持ってる事を知った人からはかなりの確実でその理由、つまり「ストーリー」を聞かれるし、自分としても色々と話せる事があるので、なんだかんだでいいネタにもなったなあと思ってます。

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Image by Jukka Aalho

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