私の頭の中には、こんな物語がいっぱい
砂の中のキリン
「奈々葉、どこ行くの?」
リビングから母さんが顔をだす。
「さん、ぽ」
スニーカーのひもをきゅっと結んで、
あたしは外に飛びだした。
ふわりと、やわらかな風が体を
つつみこむ、春。そう、春なんだ。
向かいの塀から枝を伸ばす桜が、
花をほころばせている。
この春、中学を卒業した。学区で
偏差値2番目の県立に合格。
女の子にしてみればまあまあ優秀で、
母さんはお赤飯をたいた。
──たかしの時なんか、お母さんいっつも
ちっちゃくなってたわよ。
そのうっぷんが、たっぷりはらせたわ。
うっぷんね。まあいいけど。勉強するのは
そんなに嫌いじゃない。
でもへんに期待されてるから、
この次はいい大学って言われそう。
で、大人になったらいい会社に入っていい結婚をして、
いい母親、いいおばあちゃん。
で、しまいにはいい仏さん?
あーあ。
あたし、きっとこのままいい子ちゃんで
生きてくんだ。あたしの人生、たいしたもんじゃない。
もともと行くあてなんかなかったし、小さい頃歩き
なれてた小学校の通学路をなんとなく選んでいくと、
砂山のところに出た。
砂山。
まだあったんだ。
小学校に通うとちゅうの川辺の空き地に、以前から
大きな砂山があった。
よくここで、道草くったっけ。
畑の横の小道だから、車もあまりこない。
あたりには、誰もいなかった──。
こんなもんだったっけ?
砂山は今でもあたしの背丈より大きかった。
でもあの頃は、本物の山のように
どっしりとして、
小さなあたしを圧倒するように目の前に
立ちはだかっていた。
砂山に足をかけてみる。
ちっちゃかった頃みたいに。
登ってみようかな。
砂がくずれて、足がずるずるとおっこちそうになる。
それをこらえて、
ぐっと砂の中に足をふみいれる。
──この砂の中に、何があると思う?
小学1年生の頃、近所のまきちゃんと、
ランドセルをかたわらにほうって
よくこの遊びをした。
──ビー玉。
──おりがみ。
──お人形。
──この砂山おっきいから、ぞう。
──この高さは、キリンだよ。
あたしたちは競って砂をかきわけた。
時どき、学校帰りのお兄ちゃんにかちあって
からかわれた。
──バーカ!
キリンなんて、いるわけないだろ。
あたしたちだって、本当はそんなもの
なんにもないってわかってた。
けど、夢中になってほった。
すると不思議なことに、
おりがみとかビー玉なんかが
たまに入っていることがあった。
あたしたちはキャアキャア言って
よろこんだ。
──ねえ、砂って、ものを出せるんだね。
家に帰っていさんで母さんに言うと、
──誰かが遊んで、置いてったんでしょ。
つまらない答えが返ってきた。
今思えば当たりまえだけど。
あたしとまきちゃんは、
誰かが置いていったのか確かめたくなった。
ある日、砂の中に手紙を入れておいた。
『いつも、おりがみとかビーだまを
おいていく あなたはだれですか?』
すると次の日、返事の手紙が入っていた。
『ぼくは、すなです。
ぼくのなかには、いろんなものが、はいってます』
へたくそな字で、二つちがいのお兄ちゃんの
しわざだったんだろう。
でもその頃のあたしたちには、そんなことは
わからなかった。
この砂山が本当に魔法の砂山に見えた。
「ふふっ。
ひさしぶりだね」
小学生の間、この道はずうっと通ってた。
砂山だってずっとあった。でもいつからか
魔法の砂山はあたしの中から消えていた。
掘り出した宝物たちと一緒に。
あたしは勢いづいて、てっぺんまで
一気に登った。一気にやったほうがうまく登れる。
昔より小さく感じるといっても、
まわりの景色がぐんと広がる。
砂の中に手を入れてみる。
そう、この感じ。
表面はさらさらしてるけど、中はしめっている。
おんなじだ。ちっちゃかった頃と。
「ふふ。
あたしにキリンを出して。魔法の砂山さん」
小さかった頃のあたしを思い出すように、
少しずつ砂をかきわけてみる。
あの頃思っていた、ひょろりと首の長い
キリンが出てきたら、あたしの人生
ぱあっと楽しくなるかもしれない。
さあ、出ておいで。
さあ。
なのにいくら掘っても、砂の中からは
何にも出てこない。手につかむのは、
じっとりと冷えた砂ばかりだ。
ふっと笑う。
そうだよあたりまえだよ。
キリンが出てくるなんて、これっぽっちも
思ってないよ。十五歳にもなって
そんなことほんとに思うわけない。
でもビー玉もおりがみももう出てこない
砂山は、ここにあるのにあの頃から
なんて遠くにいってしまったんだろう。
もう楽しいことはなにも起こらない。
冷えた指先から、
そんな想いが体のなかに流れこむ。
あたしのこれからは、決まりきったことが
あるだけ。ふつうのあたし、ふつうより
ちょっと頭がいいくらいのあたしに、
何が起こる?
何ができる?
この灰色の砂つぶのように
あたしはたくさんの高校生のなかの
一人になって、
たくさんの大学生のなかの一人になって、
たくさんの社会人のなかの一人になる。
やがてたくさんのなかの
お母さんの一人になって、
そうしてあたしがあたしであることを
忘れたまま時が流れていくんだ。
そんなことがわあっと押しよせてきて、
それをふりきるように
あたしは再び砂を掘りはじめた。
おりがみでもいい、
ちっぽけなビー玉でもいい、
何か出てきてよ。
何にもないなんて、そんなのいやだ。
砂をかきわける。
かきわける。
もうすこし! もうすこし!
もう少し掘れば、きっと何かある!
指先がじんじんと痛む。
それでも堀りつづける。
堀りつづければあたしはなにかを
つかむはずだ。
そしてそれはビー玉でもおりがみでもない、
キリンだ。
ひょろりと首の長いキリンだ。
キリン、キリン、キリンキリンキリン……
意地をはったおばあさんみたいに
つぶやき続ける。
背中が、じわっと汗ばむ。
キリン、キリン、キリンキリンキリン……
指先の感覚がない。
それでもあたしは掘った。
掘り続けた。
疲れと体にこもった熱で
頭がぼうっとしてくる。
すると、頭の中にぼんやりと何かが見えた。
これは……。
キリン?
とその時──。
指先が、何かをつかんだ。
かたい、棒のようなもの。
先がまるい? もう1つある。
そしてその下には……。
胸が高鳴る。息がとまる。
ふるえる手で、まわりの砂をざくざくけずって
2本の棒の下をかきわけると、
砂がすべり落ちて……。
大きな目が、あたしを見ていた。
何て澄んだ瞳だろう。
キリンはしばらくあたしを見て
その目を閉じると、ぶるるっと首をふった。
顔にのこっていた砂が落ち、
長い首が少しあらわれた。
これは、夢?
ううん、だってそこにいる。
「……った」
かわいた口から言葉がこぼれる。
「やった」
そしてキリンの口もとが、
ゆっくりと動いた。
「ちょっと、どいてて」
やわらかな声。
キリンてしゃべれるの?
そんなことを思いながら
砂山からおりると、
キリンは首をぶるんとふって砂をはらった。
まるで水の中から出てくるように、
キリンは砂山の中からすうっと出てきた。
草の上に立ったキリンは、あたしより
大きいけれど首が痛くなるほど
見上げなくても平気だ。
きっと子供のキリンだ。
「やっと、ぼくを出してくれたね。
ずっと、待ってたんだ」
「あたしが、掘るのを?」
「そう」
「でも、ちっちゃい頃掘った時は、
いなかったよ」
「本気では思ってなかった。
ぼくのこと」
ああ。それはそうだ。
魔法の砂山って思っていたけれど、
おりがみとかビー玉が出てくるだけで
満足していた。
今だって、信じていたわけじゃない。
でも初めて本気の本気で求めた。
キリンのことを。
黄色い毛の上で、春の日ざしが
金色にかがやいている。
あたしは、指を伸ばして
そっとキリンにふれた。
あたたかい。しびれた指先に、
ぬくもりがゆっくりともどってくる。
なんだかわからないけれど、
涙がこぼれた。
ぽっぺたを、キリンの首にくっつけてみる。
キリンのにおい。
干し草のような、少しすっぱい動物のにおい。
「ほんとに、いたんだね」
母さんが見たら、なんて言うだろう。
世の中のこと、何でもわかってるって
思っている、大人たち。
「ほんとに、魔法の砂山だったんだね」
あたしがつぶやくと、キリンが言った。
「魔法を使ったのは、砂山じゃないよ」
「えっ? どういうこと?」
あたしは、キリンをまじまじと見上げた。
「奈々葉がちっちゃい頃も、ぼくは
おぼろげだけどここにいたんだ。
奈々葉の思いが小さかったから、
こうして出てこられなかったけれどね」
それって──。
あたしが黙っていると、キリンが
思い出したように言った。
「たかしは1度、ぼくの角をつかんだんだよ」
「えっ? お兄ちゃんが?」
「そう。あの時たかしは、砂山に
奈々葉たちへの手紙を入れてたんだ」
あ、あれ、やっぱりお兄ちゃんだったんだ。
「たかしもはじめは、いたずらでビー玉を
入れてたんだ。だけど、奈々葉たちが
あんまり喜ぶもんだから、
もっと喜ばせたくなったんだね」
「で、今みたいに出てきたの?」
キリンは長い首をふった。
「奈々葉たちを喜ばせようと思って
無心に掘ってる時は、
ぼくの角を確かにつかんだのに、
棒だって思ったから、棒になっちゃった」
「キリンだって思ってたら、出てこられたの?」
「まあね。
でもたかしは、ぼくが出てくることなんて、
望んでなかったからね」
「望んだことは、ほんとになるの?」
「そりゃそうさ。本気ならね」
本気なら……。あたしの人生に、
いろんなものが生まれるんだろうか。
「たとえば」
キリンが言った。
「奈々葉たちは、空に歩いて行けない
って思ってるだろう?」
「うん、そりゃまあ」
「でも、そんなことはないんだ」
キリンはじっと空を見上げると、
すうっと息を吸った。
ぬれるようなつぶらな瞳に、青い空が映った。
深い湖のなかで、何かがゆれた。
キリンは長い首をぶるっとふるわせると、
1歩ふみだす。
地面につく前に空間でぴたりととまる。
もう1足。もう1足。
キリンは階段を登っている!
早足になったと思ったとたん、
キリンは風のように空への見えない階段を
かけあがっていった。
「あ……」
もう、真っ白な空の向こう。
遠くから、声が降ってくる。
「ほらね。ちょうどいいから、
このまま雲に乗って旅に出るよ。
奈々葉も、一緒に来る?」
あたし? あたしも、空に登っていけるの?
本気なら。
キリンの声が、胸の中でこだまする。
見えない階段が、空のかなたまで春の風に
きらめく。
キリンと一緒に雲の旅、か。悪くないかも。
見えない階段に足をかけようとした時、
あたたかな風がぶわっと吹いた。
砂がまいあがる。
ピーっと鳥が鳴いた。
真っ青な空の下、どこまでも続く畑と建物。
足もとには、青や黄や白の小さな花々。
あたしの土地。
あたしの世界。
そう、ここはあたしが生きている場所。
とっさに手でラッパを作ると、空にむかって
さけんだ。
「やっぱり、またにするう!」
かすかに、空から返事が返ってきた。
「うん。じゃ、またね……」
だって、キリンはいつだっているんだ。
今日のあたしが会えたように、昨日のあたしも
キリンに会えたし、明日のあたしだって
キリンに会える。
あたしたちが気づかなくっても、キリンは
いつだってそこにいる。
あたしの高校生活。あたしの人生。
あたしが掘り続ける大きな砂山の中には、
見えなくってもキリンがいっぱいいるんだ。
ううん、キリンだけじゃない。
あたしは砂山からなんでも取りだすことができる。
魔法を使えるのは砂山じゃない。
あたしなんだ。
あたしが自分で生みだすことができるんだ。
空を見上げると、かすみ草みたいな淡い雲が、
ゆったりと流れ始めていた。
「またねえ!」
あたしはお兄ちゃんが作ったへんてこなロックを
口ずさみながら、野の花で彩られた小道を
ゆっくりと歩きだした。
Fin.


