高木教育センターのありふれた日々(7)
第六十一章「ニッチ商法で、ガッチリ!」
第六十二章「文系と理系」
第六十三章「幸福な時間」
第六十四章「ベッキーの赤いリボンのプレゼント」
第六十五章「あるリケジョの暴言」
第六十六章「小谷真生子さんと再会したい」
第六十七章「ジャッキー・チェンさんと再会したい」
第六十八章「出る杭は打たれる」
第六十九章「出すぎた杭は打たれない」
第七十章 「京大数学が7割解けると世界はどう見えるのか?」
第六十一章
「ニッチ商法で、ガッチリ!」
ファミレスに行けば、和食、中華、洋食、なんでも揃う。しかし、味はどれもイマイチ。やはり、ラーメンならラーメン専門店の方がウマイ。
「そんなことは当たり前だ!」
と言われそうだが、予備校・塾業界にはその当たり前の存在がいない。自分で始めて分かった。大規模塾はファミレスと同じで、AランクからBランク、Cランク、Dランク、Eランクまで学力がどんな状態の生徒も受け入れるわけだ。
しかし、やはり和食とフレンチの料理人を兼ねることは無理があるのだ。私が「京都大学」という1校に的をしぼって、
京大を7回受け、
Z会の「京大即応」を8年間やり
河合、駿台の「京大模試」を10回受け、
センター試験を10回受け、
徹底的に研究して指導したら、京大の合格者が続出した。ビックリ。京大医学部、阪大医学部、名大医学部、三重大医学部などの合格者が現れた。ネットにこの事実を公開したら、アッという間に情報が広がった。
アメブロの「受験生」ランキングで1位となり、Youtube では2万回、3万回の動画再生となった。申し込みが殺到し高校通塾生は満席になっている。需要があった。
大規模校は、どの大学を志望する学生も指導できるファミレス型の講師を歓迎する。京都大学専用の講師を育成してしまったら、他のクラスを担当できなくなる。でも、私のような個人塾の講師はそれが可能だ。ネット社会がやってきて、北海道から九州まで申し込みがあればビジネスとして成立する。
新しい時代、ニッチの時代なのだ。バンザイ!
「どうやって、京大の数学で7割も解けるようになったの?」
よく尋ねられる質問。答えは
「オジリナル、チェック&リピート、1対1、赤本をそれぞれ2周やったよ」
です。「京大数学」で検索してもらったら、Youtube とか、ブログとかで、もっと詳しく情報提供しています。が、実行するのは簡単ではない。
「賢い子たちの目は厳しい」
ので、生徒の方が満足できる授業、質疑応答、添削をしなかったら脱落ではなく逃
学年で1番とか、旧帝を志望する子が解けないような問題はすべて難問。即答するためには、京大の上位合格レベルの学力でも足りないくらいだ。また、それに類した問題を用意するのも楽ではない。
学校の教師に質問すると
「次回までに考えておく」
とごまかされるそうだ。河合塾のチューター(名大生のアルバイト)くらいではほとんど答えてもらえない。だから、サッサとやめてくる。理系女子は、実にコワイ相手なのだ。
放物線y=x^2-1が直線y=ax+bとy>0の範囲で相異なる2つの共有点をもつとする。このような(a,b)の範囲を図示せよ。
このような問題がでたら、Aくんは
「交点のx座標をα、βと置いてy座標が正の条件から、和と積が正であり、判別式 で解の存在を明らかにしては?あとは解と係数の関係で処理する」
と言うかもしれない。Bさんは、
「それより、放物線は固定されているのだからx軸上の定義域を決めておいて連立方程式でできる放物線の解の配置として解いた方が速くない?」
と言うかもしれない。つまり、軸条件、判別式、端点の確認だ。
どちらで解いても答えは、同じになる。ただ、どちらの方が計算量が少なくて早く処理できるか。もし、解き方が分からず、マゴマゴしたら次回からクラスは空っぽ。そんな現実がある。判断を誤ると
「この先生ダメだ・・・・」
となってしまう。悪評をばら撒かれて塾は終わる。毎回そういう真剣勝負。しかし、期待どおりの指導を行うと
「あの先生はスゴイ!」
となる。自分が四日市高校の20番くらいの生徒(京都大学合格レベル)は
「あの先生は、京大楽勝。成績開示は本物だ!」
と納得してもらえる。これが、当塾の合格率が高い理由、および指導ノウハウだ。秘密にする必要がない。
私の塾の理系女子は、怠け者の男子が学校で下らない質問をする時は黙って内職をしている。役に立たない授業や、自習がある日は仮病で休む。家で勉強している方が能率が上がる。
彼女たちは勉強では愚痴らないが、異性の話になると
「ロクな男子がいない。私は一生結婚できそうにない」
と言う。一応、ロマンスを期待しているようだが中身がスッカラカンの男はダメだと言う。英語の並び替えの問題で、
Get to up is early for good health our.
と答えた生徒がいた。これは間違いだが、優秀な女子の目には「意味を考えていない」「文法を勉強していない」「怠けもの」「実に非論理的」「小学生にも負ける」と見える。つまり、スッカラカン。
私は塾講師だから、どんなレベルの子でも質問が出たら答える。しかし、こういう子に限って
「絶対に桑高に行きたい!」
と夢のようなことを言って私を困らせる。ちょうど、学校で
「勉強だけじゃないよ」
式の指導が行われているから、それに乗っかったりする。
ところが、私がどんなに頑張っても銀行に行けば
「オタクら小さな個人塾はみんな負け組みなんだよ!」
と罵られ、もと奥さんからは
「あなたは仕事と私とどっちが大切なのよ?!」
と罵倒されバツイチになり、こうして合格実績を発表しても
「どうせ、ウソだろう!」
と信用してもらえない。スッカラカンの生徒から
「オレ様はあのでっかいビルの塾に通うつもりだ。バイバイ」
と言われる。
卑劣な同業者からは間断なく嫌がらせのイタズラ電話やいたずらメール。そういう中で、私を信用してくれるのは優秀な塾生の子たちだけ。彼らがいなかったら私はダメになっていた。A子ちゃんだけではない。
そういう子たちの熱い思いがなかったら、私は京大を7回も受けなかった。英検1級、通訳ガイド、国連英検A級など受けなかった。スタンドプレイと言いたい奴は言え。私には関係ない。私は負けない。何があっても負けない。こどもたちに恥じない父親になりたいのだ。
どんなに踏みつけられても数字はウソをつかない。賢い子はブレずに数字だけを見ている。だから、私は事実と数字だけにこだわるのだ。
今までも、これからも。
第六十二章
「文系と理系」
2000年以上前に生きていたギリシャのピタゴラスの考えた定理を私たちは理解できる。論理的に考えることができる人なら分かる。サイエンスとはそういうものだ。しかし、ピタゴラスがどうして定理を見つけるに至ったかは誰にも分からない。彼の才能、生き方、当時の環境などは再現不可能だ。
受験でも、どの問題集を使うか、誰の指導を受けるか、何時間くらい勉強をするのか。そういう計測可能で客観的なサイエンスの面は模倣が可能だ。しかし、同じ方法を使っても結果は変わってくる。なぜか。
それは、人により才能も性格も置かれた環境も全く違うからだ。特に、成績アップのためには強い動機付けが大切なのだが、これはサイエンスではない。あえて言うなら、文学、哲学、心理学といった文系的発想が必要なのだ。
私の指導させてもらっている優秀な生徒たちは、陸上で優秀な成績をおさめた子、バイオリンの大会で入賞した子など、文系でも優秀な才能を見せる子が多い。美的な感覚が優れている子は、数学の壮大な理論体系に美を見いだしやすいのだ。
勉強のできない子の決まり文句
「こんなんやって、何の役に立つの!?」
という勘違いには陥らない。美しいから引き付けられるのだ。その美しさを感じられない子には分からない。私は「教育学部」出身で、文系人間と呼ばれているが塾生の子たちは「数学の先生」と思っている子も多い。数学Ⅲを指導しているからだ。
成績アップのためには強い動機付けが必要なので、勉強法に関してサイエンス以外の面を語ってみることもある。すると、成績上位の子たちは興味深く聞いている。
「どうして英検1級をめざし始めたのか」
「どうして京大を7回も受けたのか」
ところが、勉強ができない子たちは「威張っている」としか受け取らない。人間が素直でもなければ、動機付けのような中身が大切ということが分からない。どの塾がとか、どの問題集がとか、外面的なことしか興味がない。理解できない。だから、勉強がいつまで経ってもできない。
勉強を見栄や出世の道具にしか考えていない子は伸びない。英語や数学にロマンや美を感じられない子に成績アップの見込みはないが、サイエンスを教えることは出来ても生き方を教えるのは極めて難しい。
理系の理論は普遍的だから、誰にも解説ができる。しかし、文系の理論は他人には解説ができない。文学の内容や心理学など普遍性がまるでない。自分の年齢が上がれば理解の深さも変わる。
文系人間の最たるものが左翼。論理性のかけらもない。たとえば、中国の南シナ海の人工島が問題になっている。大規模な自然破壊だ。ところが、左翼は同じ社会主義の中国がどんな自然破壊を行っても沈黙する。
ところが、ほんの少しでも沖縄で海を埋め立てて基地を作ろうとすると大規模なデモを連日行う。ひどいものだ。偽善の最たるものであって、普遍性のかけらもない。だから、多数の理解は得られない。論理性の欠けた人たちに理解力を期待しても仕方ないので、実力行使になってしまう。困ったものだ。
第六十三章
「幸福な時間」
識字率が低い国に行くと、文字が読めるだけで重宝される。周囲からは知識人扱いを受ける。日本も昔はそういう時代もあったのだ。
ここ「いなべ市」の中学生や高校生の学力は異常に低い。北勢中学校の四日市合格者数は100名以上の生徒数にもかかわらず去年も今年もわずかに1名。隣町の「桑名市」の陵成中学校や光陵中学校では毎年15名以上合格している。
こんな環境で育つ中学生たちは、識字率が低い国で育つ文字の読める人のような扱いを受ける。ほんの少し勉強するだけで、勉強熱心。ほんの少し計算が出来るだけで頭が良いともてはやされる。当然、志は低く視野は狭くなるのだ。
私はそういう生徒の指導が苦手だ。慢心しているので、少しひねった問題を扱おうとすると
「そんなの習ってない!」
と取り組もうとしない。もちろん、桑高や川越に合格できるわけがない。指導していても、ちっとも楽しくない。私の「幸福の時間」は覇気のある、努力家の指導。最近、男子より女子の方に覇気のある子が多い。
それで、理系女子の指導が一番楽しいことになる。私は小学生の頃は絵描きになりたかった。漫画家を夢みていた時期も長かった。美しいものを見るのが好き。外見ではない。美術とか数学の壮大な理論。
逆に、素行不良、非行少年、非論理的な話などには生理的な嫌悪感。小さい頃からスルーすることにしている。だから、「ガリレオ」の湯川先生の犬のウンチの話や、彼が非論理的なこどもが嫌いでジンマシンが出るのには共感した。
誰だって、ヤクザは避けるし犬のうんちは臭いから避けるだろう。
楕円c:x^2/a^2+y^2/b^2=1(a>b>0)上に2点P(0,-b),Q(acosθ,bsinθ)をとる。ただし、0<θ<π/2である。QにおけるCの接線をlとし、Pを通りlに平行な直線とCとの交点のうちPと異なるものをRとおく。このとき、
θが0<θ<π/2の範囲を動くとき、三角形PQRの面積の最大値とそのときのQの座標を求めよ。
いろいろやり方はあるだろうけど、普通に考えると接戦の方程式を出して、それと平行な直線の方程式を出して、楕円の方程式と連立させて交点の座標を求めて、底辺の長さと高さを求めて、三角形の面積を変数で表示し、微分して増減表を書いてみる。そんな感じだろうか。
こういった理路整然とした論理は美しくないだろうか。美しく感じられるまでには、練習が必要だ。それは、料理の腕を磨かないと美味しいものが食べられないのと同じこと。医学の勉強をしないと、人の命を救えない。どんな分野でも、腕を磨かずに感動は得られない。
幸福な時間は得られない。
私が今までに受けた最低の授業は追突事故を起こして、三重県の自動車教習所の講習会を受けたときのこと。集まっていたのは、明らかに荒んだ生活をしているという雰囲気を振りまいている人たちばかり。教官は入ってくるなり
「途中で教室から出た人は、講習会を受けた印鑑を押しません」
という脅しから始まった。
次に酷かったのは名古屋の専門学校で非常勤講師をしている時のクラス。明らかにFランク大学でさえ入学を許可しないタイプのイカれた子たち。校長は、私たち非常勤講師に
「先生方は、あちこちの学校を掛け持ちされていますが、本校のことは口外無用で」
と念を押していた。
交通事故の常習犯や、Fランク大学も合格できないような子は社会ではカス、ゴミ扱いを受ける良い例だ。守るべき法令を守らない。守るべき校則も守れない。その結果、周囲に与える迷惑は時として人を殺してしまう。そういう人間には人間扱いする必要がないという暗黙の了解がある。
警察や軍隊はそのためにある。こういう人といると「不幸な時間」になってしまう。関わらないのが一番だ。
「幸福な時間」を増やし「不幸な時間」を減らす。それが、賢明な判断だろう。
第六十四章
「ベッキーの赤いリボンのプレゼント」
もう30年以上も前の話だ。1982年に、私はアメリカのユタ州ローガンで中学教師をしていた。11月に入ると町中がクリスマス一色になり、ネオンで飾られた。ある日、子煩悩の理科教師アランがアジア人むけの支部教会に私を一緒に連れて行ってやろうということになった。
彼にはベッキーという小学四年生の娘さんがいて、母親が先に教会に行っているとのことだった。アランは
「これはベッキーへのプレゼントなんだ」
と嬉しそうに話していた。裕福な家庭ではなかったのでささやかなプレゼントだったが、赤いリボンで飾ってあったのを覚えている。雪が降っていた。教会についてパーティ会場に入るとアジア人の家族が数組みえた。その服装から遠くからでもアメリカ人でないことが分かるのだ。
私は当時、ローガン中学校の難民クラスで英語を教えており金髪娘と知り合うのであろうと思っていたら体臭のきついベトナムやカンボジアの生徒たちになつかれてしまいガッカリしていたものだ。彼らは見るからに貧しい服装をしていた。アメリカ人の中学生たちは
「あいつら、臭い!」
と私にこぼしていた。
母親と一緒にいたベッキーはアランと私を見つけると笑顔で近寄ってきた。とても可愛い子だった。そして、すぐにプレゼントに気づいたようだった。ところが、アランは奥さんとベッキーの隣にいたアジア人の家族の方を見ていた。父親と母親と小さな女の子がいた。
そして、その小さな子に近づくと
「これ、さっきサンタさんにもらったよ。キミにだって」
と言って用意してあったプレゼントを渡してしまった。少女の父親は驚いて、困った顔をした。母親も黙って見ていた。私がベッキーが怒ってしまうと思い、ハラハラして横に立っていた。
小さな女の子は何事か分からないまま、赤いリボンの小さな箱を胸に抱きしめて
「サンキュー!」
と言った。
ベッキーは黙って目の前で起こっていることをながめていた。私はどうなることかと思ったが、そのまま何事もなかったようにパーティは終わった。
私は後日、アランの家に招かれたときにベッキーに
「どうして、あの時にアジア人のパーティで黙っていたの?」
と尋ねたら、
「だって、私のパパは世界一なんだもん」
と言った。私は驚いてしまった。
「こんなことが日本で起こるだろうか?」
ベッキーはあの夜に人を喜ばせることが、どういうことなのかを知ったのだろう。
クリスマスが近づき、日本の中学生やモンスターペアレントと日々格闘していると
「夢でも見ていたのか」
と時々思い出す。1982年の、あのクリスマスの夜にベッキーは父親から何物にも代えがたいプレゼントを受け取ったのではないだろうか。それを贈ったアランもえらいが、受け取ることができたベッキーもえらい。
そして、私自身にも何物にも代えがたいプレゼントだった。誰もきづかない小さな出来事だった。
あれから30年以上経過した。塾生の子がときどき
「先生は、なんでここまでやれるの?」
と尋ねてくることがある。たぶん、あの日のできごとが影響している。
第六十五章
「あるリケジョの暴言」
私の指導させてもらっている四日市高校で学年20番以内の理系女子は医者志望が多い。先日のその一人が、
「暴走族と迷惑を受ける人が多く、利益を得る人はいない。まとめて処理すべき」
と暴言を吐いた。ビックリした。もちろん、前段がある。医師志望なので医学関係のニュースには敏感なのだ。
新出生前診断 染色体異常、確定者の97%が中絶
開始後1年間、病院グループ集計
フォームの終わり
妊婦の血液からダウン症など胎児の染色体異常を調べる新出生前診断について、診断した病院グループは27日、昨年4月の開始からの1年間に7740人が利用し、「陽性」と判定された142人の妊婦のうち、羊水検査などで異常が確定したのは113人だったと発表した。このうち97%にあたる110人が人工妊娠中絶をしていた。
このニュースは簡単に言うと、ほとんどの人がダウン症などの子が産まれたら手がかかるし周囲に迷惑なので生まれる前に処理してしまうということだ。
「ほとんどの人が迷惑な人は殺してしまえと考えている」
という話から出た言葉だ。賢い子の発言にはバカな人の暴言と異なる「理」があるだけに議論になる。私もしばしば思うのだ。
「この子に高価な教材とベテラン講師をつけても投資としては無駄」
コストパフォーマンスを考えると、才能のある子だけにお金をかけないと社会としては大きな損失になる。入試、受験とはそういう装置だ。教えてもムリな相手は入り口でお断りするというシステムだ。
合理的な考えではある。実際に、そういうシステムはあちこちに設置されている。では、暴走族のタイプの人間はカス、クズとしてヒトラーのようにガス室送りにするのが正解なのだろうか。
臨界点を越えたら警察が動いてオリの中に閉じ込めるのだが、それで十分かどうかという問題だ。左翼の人は「差別だ」「人権弾圧だ」と騒ぐだろう。人権派弁護士の出番だろう。
ところが、被害者は立場が違えばちがってくる。別の理系女子が言った。
「四日市高校に来て分かった。中学校の時に回りにいたのはバカばっかりだった」
マジメな理系女子は学校の教師とそれを支える学校体制を信頼していない。腹を立てている。授業が崩壊していて被害を受けたと思っている。浮きこぼれではなく、落ちこぼればかりに目を向ける学校に復讐したい子もいるようだ。
それぞれの分野で権力を握ったらコワイと思う。暴走族など警察に任せて刑務所に放り込めば済むが、賢い理系女子が誰にも気づかれずに密かに復讐していたら怖い話だ。
そろそろ学校を変えるべき時なんだろう。
歴史を見ると、アホな生徒は
「なんだ。ビル・ゲイツってコンピューター作っただけじゃん」
と言う。でもね、私は思う。学校のクラブを自由化するという些細な変更さえ50年経っても実行できない。抵抗勢力がすごいのだ。エロ教師の名前と写真を出すことも出来ない。何も変えたくない人が多数なのだ。
こんなことをしていると、信長や過去の多くのリーダーや行ったように
「バカは全て殺すべし」
と言う主張が説得力を持ち始める。妄想でしょうか。そうならないために、ほんの少しでいいので「浮きこぼれ」に目を向けてやって欲しい。落ちこぼれは自業自得だけれど、「浮きこぼれ」た子には何の罪もない。
第六十六章
「小谷真生子さんと再会したい」
1982年にアメリカのユタ州ローガンで中学教師をしている時に、毎週アイランドにある日本人向けの支部教会に出席していた。そこに、高校生の小谷真生子さんがいた。
彼女とは、一緒にバレーをしたり、パーティに出席したり、多くの話をする機会に恵まれた。とても綺麗な高校生だったので、アメリカ人にも人気があった。また、英語が上手だったのでアメリカ人も話しやすかったのだろう。
親しくなると、彼女がとても頭が良いことが分かった。私が帰国してからも、アメリカ人のエリックが私の塾で英語を教えてくれているときに一緒にマオコに会いに行った。その時、彼女は奈良にいた。
しばらくすると、彼女はNHKのアナウンサーとして活躍を始めて驚いた。
1965年(昭和40年)、大阪府に生まれる。その後、父・小谷伝(NHKアナウンサー)の転勤に伴って小学校のうち3年間をオーストラリアで過ごした。学歴は、アメリカ・ユタ州のスカイヴュー(Sky View HighSchool)高校を経て[1]、平安女学院短期大学英文科卒業。1986年(昭和61年)から1990年(平成2年)まで、日本航空にてキャビンアテンダントとして世界37都市・2,560時間勤務した。
お父様がNHKの偉いさんだと聞いていたので、その関係で職を見つけたのかもしれない。しかし、才能のある女子だったので当然だと思った。超忙しそうだったので、もう会える機会はないと思い番組を見ていた。
しかし、彼女も結婚離婚を繰り返しオバサンになった。そろそろ時間にゆとりも出来た頃。いつか、また若い頃のように1982年からどうされていたのかゆっくり話してみたいものだ。
第六十七章
「ジャッキー・チェンさんと再会したい」
1980年のことだったと思う。まだジャッキー・チェンさんがそれほど大物になっていない頃に、初来日だったかもしれない。彼は通訳をつれて当時の人気番組であった{TVジョッキー}に出演した。ちょっとした縁で、私は彼の引き立て役のような役回りで出演させてもらった。
田舎者の私は上京してTV局を訪れても、右も左も分からずキョロキョロしながら案内されたスタジオに向かった。すると、一人の男とすれ違った
「ハロー」
と言ったので、
「変な日本人だなぁ」
と思ったら、それがジャッキー・チェンさんだった。
ジャッキー・チェンと「TVジョッキー」で共演しました。
(7000回再生)https://youtu.be/sMdPLgzTjeQ
さて「TVジョッキー」ジャッキー最後の出演コーナーですが、私はこのシーンが今回のジャッキー「TVジョッキー」出演における最も貴重かつ興奮したシーンでした。まずはいきなり『燃えよドラゴン』のテーマ曲に乗ってブルース・リーことリーさんの物真似男性(恐らくは一般のファンの人でしょうけど、このちょっと中村頼永さん似のリーさん信者の詳細情報求む!)がスタジオに登場!
それにしても、この中々気合いの入ったリーさん信者の物真似アクションを傍らでジャッキー・チェン本人が見ている!これは相当凄いシチュエーションです!!
そしてリーさん物真似男性が自分のパフォーマンスをヌンチャクならぬホース・ヌンチャク(爆笑!)で締めてくれた後、またも土居さんの掛け声でいよいよジャッキーが演武を披露する時がやって来ます!(拍手)。 出典 ↓http://blog.goo.ne.jp/dragonfever1127/e/1d6bbb638b3b47a64308eabda348c6ee?st=0#comment-form
第六十八章
「出る杭は打たれる」
26歳のときに小さなアパートの一室で学習塾をはじめた。名古屋のどこの予備校も雇ってくれなかったから仕方なかったのだ。それでも、名古屋大学卒とアメリカ帰りということで信用してもらえたらしく1年目から黒字だった。
それだけではない。地元中学校から毎年「四日市高校」に合格できるのは1名か2名だが、私の塾からは2名、3名と合格者が出だした。それを広告に書いたら
「水増ししているだろう!」
とイタズラ電話で脅迫まがいの嫌がらせを受け続けた。しかし、人口15000人くらいの小さな町だから嘘などすぐバレる。地元の北勢中学校だけでなく、隣町の藤原中学校や大安中学校の上位の子が通っていることなどすぐに知れ渡った。
そして、今。ネットが普及してきたので4年前に「京都大学」の英作文の添削を始めた。すると、通塾生はもちろん通信生にも京都大学医学部、阪大医学部、名大医学部などの合格者が続出してきた。
すると、またまた
「水増ししているだろう!」
の掲示板の嫌がらせの書き込みやら、脅迫まがいのメール、イタズラ電話がかかってくる。よっぽどヒマなんだ。他人をこきおろしても自分の立場が良くなるわけではないだろうに。論理が通じる相手ではないのでスルー。
しかし、それはそれとして
「北海道から九州まで通信生が増えてきた。これはどうやって信用してもらえば?」
と考えてしまった。河合塾、駿台なども発表しっぱなしだから問題はないのかもしれない。しかし、三重県の片田舎の個人塾だ。もちろん、ライバル塾などが徹底的に調べてくれたら私の発表に嘘がないことが分かる。
でもね、結局「信用」するしかないよね。京大に行って
「高木教育センターで添削受けていた人!」
って調べれば、私のもと塾生の子は名乗りをあげてくれるかもしれない。でも、あげてくれないかもしれない。個人情報だから。大切なのは「授業」と「添削」なので、通塾生、通信生の方が満足して継続してくれている以上、
「これでヨシ!」
と思うしか今のところ方法はない。四日市高校、桑名高校に知り合いがみえたら、高木教育センターのことを知っているか聞いてもらえれば情報が得られます。
第六十九章
「出すぎた杭は打たれない」
私は小学生の頃からマイペースすぎて、母親にはノロマと言われていた。周囲の人が何を言っても関係ないと思っていた。学校は嫌いだったし、教師の言うことなど耳を貸さなかった。そういう生き方のプラスとマイナスの面はよく分かっている。
プラス面は意識しなくても差別化ができること。自分の生き方そのものが多くの方と違っているので意識しなくても他塾と違ってくる。マイナス面は、友達がいなくなること。「変なヤツ」と思われる。コインの裏表だし、私は友達の必要性をあまり感じないので問題ない。
誹謗中傷もあるが、
「出る杭は打たれる」
と見ている。最近は、
「アイツは打っても退却しない」
と思われているようだ。世の中には必ず人をこきおろしたい人がいるので気にしても仕方ない。関わらないのが一番。放っておけばいいのだ。正直言って、そんな人に構っているヒマがない。
朝起きたら、北海道から九州まで通信生から添削原稿が山ほど待っている。添削して返信したら、次は塾の授業のための準備が待っている。そして、夕方からは授業だ。授業が終わったら、生徒たちから質問のメールやファイルに答える。そして、就寝。
「お前の母ちゃんデベソ!」
式のイタズラを相手にしている暇はない。そのお陰で、今年は初めて京大受験生が10名を越えるかもしれない。賢い子は、アホな人の誹謗中傷があると
「あんなアホが悪口を言うのなら、良い塾に違いない」
と逆に信用してくれる。だから、私がアホな人の誹謗中傷は塾の評価を上げてくれると歓迎している。ただで塾のために働いてくれているのだから、感謝してもいいくらいだ。
四日市高校、桑名高校、川越高校、京都大学、大阪大学、名古屋大学などの受験生は論理的で一生懸命に勉強していく子たちだ。その解答は美しいことが多い。合格の可能性が高い。頑張っている子の背中を押したくなるのは人間の当然の気持ちではないだろうか。
逆に、人を誹謗中傷するしか出来ない人を見たら誰でも相手にしないし関わりたくない。私が一切、そういう人を相手にしないと分かればそのうち諦める。病気の人には感染しないように距離を置くのが常識ある行動だ。
人は失敗し、叱られてマナーやエチケットを身につける。中学生くらいまでに、それが身についていないと手遅れだ。大人になったら、周囲に迷惑をバラまくだけの人間になってしまう。
人生を楽しい、意味のあるものにするには自分の大切な人を支えることに使うべきであってワガママで破滅していく人に巻き込まれるべきではない。
第七十章
「京大数学が7割解けると世界はどう見えるのか?」
皆さんは、東大や京大に合格する人や、ガリレオの書き連ねるような数式を見たときに
「アイツの頭の中はどうなってんだ?」
と思ったことありませんか?私はある。それで、興味があるので10年かけて高校数学を勉強しなおして、50代で京大を受けて7割正解を確認した。
すると、・・・
小さい頃にクジを引くときに、先に引くか後に引くかでよくもめた。
「ズッルーイ!俺に先に引かせろ!」
しかし、中学校に行って確率を習うと
5本のうち2本当たりなら、先に引く人の当たる確率は2/5。後に引く人の確率は、中学校で習ったので説明は省きますが、同じことになるのは知ってみえますよね。だから、ジャイアンのようなガキ大将が
「俺に先に引かせろ!」
と言っても
「どうぞ」
と言える。同じ確率で平等なのだから、慌てる必要はない。数学を徹底的にやると、この世で起こる全ての現象には「原因ー結果」の関係があるという確信が生まれる。
たとえば、料理の鉄人と言われる人が秘伝と言われても
「何度の油に、何秒後に入れて、何秒後に出して、厚さを何ミリに切る」
と分析したら、秘伝などこの世にないことが分かる。名人芸などありえない。受験指導も同じことだ。たとえば、2000題もやれば、大抵の問題は解けるようになる。効率よくやるには、プロの手助けが必要だけれど。
私は、京大医学部や阪大医学部の受験生を「数Ⅲ」も含めて指導し始めてから世界観が少しずつ変わっていった。
たとえば、
「クラブ活動の自由化は良いことか」
という命題の真偽を考える場合、数学の訓練を受けてない方は
「オレは絶対に必要だと思う」
というだけ。言いっ放しで、「思う」の先がない。しかし、数学の訓練を積むと科学的に考える。私なら
「アメリカの中学ではクラブは存在していなかったが人格形成に問題はなかった」
「イジメの温床にクラブやクラスの濃密な関係が原因になっていないか」
など、データを集めて検証するわけだ。だから、理系女子たちの目には「思う」で終わってしまう人間の発言は未熟に感じる。「思う」を大声で叫ぶことで意見を通そうとすると
「キャンキャンと、犬なみの知能しか持ち合わせていない騒がしいヤツ」
と露骨に軽蔑される。だから、四日市高校に進学した優秀な理系女子は中学時代をふりかえって
「中学のときに回りにいたのは、アホな男子ばかりだった」
と言うわけだ。キャッキャと喚くサルの群れくらいに見えていたのだろう。そんなサル並みの知能の男とつきあえるわけがない。理路整然とした論理性を好むというのは、逆に言うとカオスを嫌うわけだ。ワケの分からないことを感情的に叫ぶ人を生理的に受け付けない。
「ガリレオ」の湯川先生は、論理的でないので子供と話をするとジンマシンが出た。あの感覚だ。私にはよく分かる。
京大数学が7割解けるようになると、世界がこんな風に見え始めるわけだ。