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15/11/11

アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話7

Image by Olia Gozha

 第一段階の過剰適応がもたらしたもの

 大学生になってからというもの、できる限りの社会適応をすることが、僕にとっての至上命題であったことは前述した通りです。そのため、サークル活動にコミットし、自分なりのコミュニケーション上のルールを設定することで二次障害(対人恐怖)を乗り越えつつ、適応を深めていきました。しかし、今思えば、それは明らかに過剰適応でした。当時の僕を知る人間は、一様に「常に目立っていた」「振れば何か面白いことをしてくれる人」「とにかくテンションが高い」という認識であったようです。僕自身、自らの苦しみから逃れるためにこそ、適応を深めていったわけですが、それは知らぬ間に本来の自分とは似ても似つかない性格を他人に認識せしめる状況になってしまっていたのです。


 確かに、前よりは生きるのが楽になりました。それは主に、自らが不当と感じていた、「自分のことを相手に分かってもらえないという感覚=自分に悪意はないのに、意図せず相手を怒らせてしまうということ。あるいはその逆」を感じることが極端に減ったためです。対人恐怖を克服しつつ、一般的な人のコミュニケーションスタイルを模倣・パターン化し、そのパターンに従って相手のコミュニケーションにできるだけ淀みなく応答していく、という手法を確立してから、精神的・技巧的側面の両面において成熟したため、かつて自分が感じていた「自分を分かってもらえないし、それを分からせる手法もない」という絶望感は感じなくなりました。その意味で、あくまで相対的な意味において、人生を楽しいと感じるようになりました。一般的なコミュニティにおいて、充実した大学生生活を送り、それなりに仲の良い友人とつるみ、ときにはまじめな人生に関する話もしてみたり、かつて自分がどうしても手に入れたかったけれども決して手に入れることができなかったもの、一般的な青春、といったものを手に入れることができたという感覚を持っていたと思います。


 しかし依然として、それは過剰適応でした。本来の僕を分かってもらっていたわけではありません。その証拠に、ある程度の関係性までは友人と構築できたけれども、真の意味で理解し合い、高め合っていくような関係性は希薄でした。あるいは、後輩にこんなことを言われたことがあります。「せみ太郎さんは、普段はものすごくテンションが高くて楽しい人という感じですけど、こうやって1対1で話をしていると別の人間みたいですよね。本当はどんな性格なのかわかりません」この言葉は僕の過剰適応の度合を如実に表しているような気がします。


 ともあれ、このような形で”楽しい”大学生生活を続け、3年の冬に就職活動をするという段階になり、また新たな適応の段階に踏み込まざるを得ない状況になっていきます。


 

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