top of page

15/11/11

第六十六章 小谷真生子さんと再会したい

Image by Olia Gozha

第六十六章

「小谷真生子さんと再会したい」

  1982年にアメリカのユタ州ローガンで中学教師をしている時に、毎週アイランドにある日本人向けの支部教会に出席していた。そこに、高校生の小谷真生子さんがいた。

  彼女とは、一緒にバレーをしたり、パーティに出席したり、多くの話をする機会に恵まれた。とても綺麗な高校生だったので、アメリカ人にも人気があった。また、英語が上手だったのでアメリカ人も話しやすかったのだろう。

  親しくなると、彼女がとても頭が良いことが分かった。私が帰国してからも、アメリカ人のエリックが私の塾で英語を教えてくれているときに一緒にマオコに会いに行った。その時、彼女は奈良にいた。

  しばらくすると、彼女はNHKのアナウンサーとして活躍を始めて驚いた。

051025w-kom3.JPG

1965年昭和40年)、大阪府に生まれる。その後、父・小谷伝(NHKアナウンサー)の転勤に伴って小学校のうち3年間をオーストラリアで過ごした。学歴は、アメリカユタ州のスカイヴュー(Sky View HighSchool)高校を経て[1]平安女学院短期大学英文科卒業。1986年昭和61年)から1990年平成2年)まで、日本航空にてキャビンアテンダントとして世界37都市・2,560時間勤務した

  お父様がNHKの偉いさんだと聞いていたので、その関係で職を見つけたのかもしれない。しかし、才能のある女子だったので当然だと思った。超忙しそうだったので、もう会える機会はないと思い番組を見ていた。

  しかし、彼女も結婚離婚を繰り返しオバサンになった。そろそろ時間にゆとりも出来た頃。いつか、また若い頃のように1982年からどうされていたのかゆっくり話してみたいものだ。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

忘れられない授業の話(1)

概要小4の時に起こった授業の一場面の話です。自分が正しいと思ったとき、その自信を保つことの難しさと、重要さ、そして「正しい」事以外に人間はど...

~リストラの舞台裏~ 「私はこれで、部下を辞めさせました」 1

2008年秋。当時わたしは、部門のマネージャーという重責を担っていた。部門に在籍しているのは、正社員・契約社員を含めて約200名。全社員で1...

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても良い。その後、本当に学校に行かなくなり大検制度を使って京大に放り込まれた3兄弟は...

テック系ギークはデザイン女子と結婚すべき論

「40代の既婚率は20%以下です。これは問題だ。」というのが新卒で就職した大手SI屋さんの人事部長の言葉です。初めての事業報告会で、4000...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

bottom of page