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第六十六章
「小谷真生子さんと再会したい」
1982年にアメリカのユタ州ローガンで中学教師をしている時に、毎週アイランドにある日本人向けの支部教会に出席していた。そこに、高校生の小谷真生子さんがいた。
彼女とは、一緒にバレーをしたり、パーティに出席したり、多くの話をする機会に恵まれた。とても綺麗な高校生だったので、アメリカ人にも人気があった。また、英語が上手だったのでアメリカ人も話しやすかったのだろう。
親しくなると、彼女がとても頭が良いことが分かった。私が帰国してからも、アメリカ人のエリックが私の塾で英語を教えてくれているときに一緒にマオコに会いに行った。その時、彼女は奈良にいた。
しばらくすると、彼女はNHKのアナウンサーとして活躍を始めて驚いた。
1965年(昭和40年)、大阪府に生まれる。その後、父・小谷伝(NHKアナウンサー)の転勤に伴って小学校のうち3年間をオーストラリアで過ごした。学歴は、アメリカ・ユタ州のスカイヴュー(Sky View HighSchool)高校を経て[1]、平安女学院短期大学英文科卒業。1986年(昭和61年)から1990年(平成2年)まで、日本航空にてキャビンアテンダントとして世界37都市・2,560時間勤務した。
お父様がNHKの偉いさんだと聞いていたので、その関係で職を見つけたのかもしれない。しかし、才能のある女子だったので当然だと思った。超忙しそうだったので、もう会える機会はないと思い番組を見ていた。
しかし、彼女も結婚離婚を繰り返しオバサンになった。そろそろ時間にゆとりも出来た頃。いつか、また若い頃のように1982年からどうされていたのかゆっくり話してみたいものだ。
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