
このSTORYを執筆しようと決めたのは、ある言葉がきっかけとなっています。
「これから、できることも増えますが、できなくなることも増えます。」
これは、高校時代の国語の先生が、卒業に際して学年全員に贈った言葉です。
今年の夏に20歳を迎え、バタバタと毎日を過ごし、気がつけばもう、寒さを感じる季節になってしまいました。大事な節目の年にも関わらず、これまでお世話になった多くの方々に、お礼の言葉を伝え忘れているではありませんか!
「できなくなる」前に、ここに記しておきたいことがあります。
少し遅くなりましたが、これまで出会った沢山の「恩師」のみなさまへ、ささやかながらお礼とご挨拶に代えて、このSTORYを執筆しようと思います。
目次
▼「心の炭をダイアモンドに」
▼「勝手に流れる涙は気にしないで」
「辛いときに、手を差し伸べてくれる存在になる」
▼「夢のある道を選べ」
▼「人より楽して高得点を」
「自分は大切にして」
▼「プロになってヨーロッパでプレーすること」
▼「できることも、できなくなることも増えます」
一言一句違わぬよう書き残した言葉もあれば、そうでないものもあるので、ときに都合の良い解釈をしているかもしれません(笑)。
しかし、これらの言葉をいただいた人との巡り合いはもちろん、
何より、貴重で素敵な言葉との出会いに恵まれていると自負しております。
他にも記憶に残っている言葉はたくさんあるのですが、
執筆するにあたって、これを読んでくださる方へも届くように、よりカッコ良い言葉を選んでしまいました。
また、ここでの「恩師」は私の認識上の恩師ですので、とりわけ”先生”についてのお話ではありません。
では、いってみましょう!
「心の炭をダイアモンドに」
初めて私の心に残った言葉は「もともと心は炭で出来ている。それを毎日丁寧に磨くことで、ピカピカのダイアモンドにするんだよ」というもの。
小学校1年生のときでした。
みなさんは、自分の小学校の入学式を覚えているでしょうか。
私は不思議なことに、中学・高校・大学よりも、小学校の入学式が一番印象に残っています。
(隣の席に座った男の子が、当時好みのタイプだったことも含め!)
担任の先生は、入学した日から1年間、この言葉について何度か話してくださいました。
その度にみんなで、「ピカピカにしたいなあ!」「ダイアモンドにしたるわ!」と話していたことを覚えています。
小学校1年生、5歳から6歳。
何より自分自身がけがれを知らず、世の中のキタナさを知らず、矛盾や理不尽といった言葉に出遭ったこともなく、未来は明るいものだ!と信じていた(笑)、 "ピカピカの心”を持っていたあのころに、
この言葉をいただいたのが良かったのだと、今になって思います。
ただ、本当の”ピカピカの心"を持っていたのは、この言葉を教えてくれた担任の先生なのだということを、忘れてはなりません。
これからも、磨きつづけます。「ダイアモンドにしたるわ!」
「勝手に流れる涙は気にしないで」
わたしは母親の影響もあって、小さい頃から音楽に親しんできました。
初めて楽器に触れてから17,8年は経つのかと思います。
幼稚園でピアノを始め、中学・高校と吹奏楽部に所属していた中で、
たくさんの言葉をいただき、練習嫌いで努力家でもないわたしに、期待を寄せてくださった方もいました。
そんな叱咤激励とは別に、中学時代の部活で、深く心に刻まれた思い出があります。
真面目に向き合ったところで、結果は知れているというのに、
なぜ、一生懸命に取り組む必要があるのか。
中学生なりに、部員の多くがそんな想いを抱いていたときでした(顧問もうるさくて面倒だったし)。
部の顧問だった先生は、ある公演のあとで、アツい想いを涙ながらに語ってくださいました。
でもそれ、私全く覚えていないんですね。
覚えているのは、ながーいお話(!)の途中で、「勝手に流れる涙は気にしないで」とおっしゃったことだけなんです。
でも、この先生が、明確なこだわりを持って部員と接してくれていたということを、この時に痛感しました。そりゃ、うっとうしいわけだ、と。
先生が、先生自身に出した答えに、触れた気がしました。
小学生のときから、多くの音楽の先生に関わっていただいたのにも関わらず、
そういった気付きが遅くなってしまったことを、今でが少し後悔しています。
うーん、後悔というか、あちゃー、といった気持ちです(笑)。
「辛いときに、手を差し伸べてくれる存在になる」
断言できることがあります。
多くの時間を共にしたピアノと向き合えば、自然と前向きになれるし、アルトサックスに触れると、隣にいてくれたパートメンバーを思い出して、身が引き締まります。
自分の部屋や、トイレの中(?)や、ベッドの上、山、川、海、大自然!
そういったものより何より、私にとってのパワースポット。それが音楽です。
そういえば、もうひとつ、思い出した言葉がありました。
ピアノの先生からのお言葉です。
「音楽を続けるというのは、人生で、どうしようもなく辛く苦しい時に、手を差し伸べてくれたりするということ」
そう。まさにそんな存在です。
「夢のある道を選べ」
続いては、いたってシンプル。
部活の推薦をいただけることになり、高校の進学先を迷っていたときに、当時お世話になった塾長がかけてくださった言葉です。
「夢のある道を選べ」
もしかしたら、スポ根マンガか何かの名台詞だったのかも。
柄にもないことをおっしゃったものですから、印象に残っています。
続けて、「決断したあとのことは、実際に始まってから考えれば良いねん」と。
「人より楽して高得点を」
高校に入学してすぐ、私は学習面で恐ろしいほどに落ちこぼれました。
私が進学した高校を甘く見ていたのですが、
一度落ちこぼれてしまうと、何がダメで、どうすればそこから脱出できるのか全くわからず、
身動きが取れなくなってしまっていたんです。
そんな色々なことが悪い方向へ流れてしまうようなときに、
そこから抜け出すきっかけをくれた2人の友人がいました。
「人より少ない勉強時間で、人より良い点数を取るためには、どうすれば良いか考える」ことが大事だと教えてくれた、あの子!
本人は覚えていないだろうと思いますが「そのためには授業を聞くことが近道だ」と話していたのは、今も忘れていません(一応)。
「自分は大切にして」
高校生活においてもっとも影響を受け憧れでもあった女の子には、
追い込まれていたわたしに「自分自身は最大限、大切にしてあげるべきやと思うよ」という温かい言葉をかけてもらいました。
2人は共に、学年でトップレベルの頭脳明晰な生徒として有名でした(笑)。
下から数えたほうが早い順位にいた私が、そんな2人とお近づきになれたのは、
このうえない幸運だったと思っています。
最初は劣等感を抱いていたし、似たような感情を持った生徒も多かったはずです。
それくらい、私やほかの生徒にとって「どんなに頑張っても、追い越せない存在」でした。
2人にしかなく、それでいて2人とも持っていたものがあると思っています。
それは、満点が取れるだろうと判断するまで勉強を続けること。
目を掛けていた先生方は、それに気づいいたのかもしれません。
実際、100点を取ることもあれば、そうでないこともあったようですが、
これは簡単にできることではないはずです。
限られた時間の中で両立すべきことがたくさんあり、その時々に順応しながら最善を尽くすというのは、年齢問わず、誰もができることではありません。
わたし自身、成績向上を試みている過程で、「そんなに細かいところまで確認するんか!」と驚かされたことが何度もありました。
そして、その部分がテストに出たことも何度も・・・(笑)
赤点(50点以下)を回避したい私にとっては細かい内容でも、ふたりにとっては、当たり前に確認すべき箇所で、覚えておくべき事項だったということです。
今振り返っても、この高校に進学して良かったと思える最大の理由が2人との出会いかもいしれません。
「プロになってヨーロッパでプレーすること」
わたしは高校生のとき、学生記者として活動していました(勉強ができないことを隠し・・・)。
それほど長い期間携わっていたわけではないので、執筆した記事や、取材の機会は少なかったのですが、一生忘れないだろうと思える取材がありました。
学生記者の仲間に入れていただいた当初から企画案を出していた、高校サッカー部の取材。
サッカー観戦が好きだったこと、わたしの高校の近くに全国レベルのサッカー部があったというだけの理由でした。
そして現地へ出向いての、初取材!
進路に関わる大事な定期試験の最中だったことを覚えています。
インタビューで、Jリーグへの加入が決定していた選手にサッカー選手としての抱負を聞くと
「プロになってヨーロッパでプレーすること」だと即答されたこと、おそらく一生忘れません。
その一言だけでなく、たった3時間程度のその日の取材を、
この先ずっと鮮明なままで心に留めておく自信すらあります。
漠然と「敵わないなあ・・・」と思うわけです。
今でも「敵わない」以上の言葉を尽くすこと自体、おこがましいことだと感じております。
その選手はもちろん、部員全員が一人ひとりサッカー大好きで、楽しいという想いが練習から伝わってくるなんて、取材前には予想していなかったのです。
それぞれに事情や悩みを抱え、部内での激しい争いに一喜一憂していたのかもしれません。
それでも、好きなことに一生懸命取り組んでいるという、その想いが計り知れないほどにオーラを放つのだと痛感した経験でした。
「できることも、できなくなることも増えます」
それでは最後に、ふたたび高校の先生からの言葉を紹介して締めくくりたいと思います。
「これから、できることも増えるますが、できなくなることも増えます。髪の毛を染めることも車の運転をすることもできるようになりますが、100メートル全力疾走も、階段を休憩なしに昇り切ることもできなくなるといったように。」
今のところ、100メートルを走ることや、階段を休憩なしに昇り切ることに不自由を感じたことはありませんが(笑)、大学に入学して以来、この言葉の意味を考えさせられる出来事に、何度も遭遇しています。
これが一般に『今が大事、今日が大切』と言い換えられることだとすれば、
前向きな言葉に対し、先生は「今」は儚く、そしてとても深くて重い、残酷なものでもあると警鐘を鳴らしてくれていたのでしょう。
100メートル走や階段を昇ることは、あくまでも暗示の一例であって、
先生の真意のその核心は、言葉では補えないのかもしれません。
そういう想像の枠も汲み取れるだろうと、わたしたち卒業生にこの言葉を贈ってくださったのだと信じたいものです。
ただ、ご存命の先生ですし(わりと若い)、おそらく教育の現場でバリバリ働いていらっしゃるので、
あまり変なことは言えませんが(笑)。
最後に
高校で出会ったこれらの言葉たち以外にも、言葉には語り尽くせないものがあると、
言葉の限界を感じることがあります。
想像することでしか言葉との距離を縮められない場合や、
そもそも言葉にすることで軽くなってしまう事実もあると思います。
でも、少なくともこれまでお話した私にとっての「恩師の言葉」や、
そのほか多くの人が紡いでくれたメッセージは、心の琴線に触れるものであり、
私の価値観に多大なる影響を与えてくれています。
いただいた言葉は、わたしが20年間を過ごすにあたっての、
大事な栄養素であり、これからも必要不可欠なものです。
数年後には、この価値観が大きく覆されている可能性もあるわけですから、
やはり今、20歳のわたしでいる間に、今の自分を残しておく必要があったと思っています。
一人ひとりにとって、
言葉が影響力を持つひとつのツールでありますように、
言葉に感化される感受性を失いませんように。
そして、わたしがいつか母親になったとき、
自分の子供に素敵な言葉を残せますように。
最後まで読んでいただき、
そして20年、わたしを言葉や行動で育てていただき、ありがとうございました。
2015年11月9日

