第五十二章
「empty nest syndrome」
私は中学生の頃から自分の夢を追い続けてきた。結婚してからは、子供たちの夢を実現する手助けにも奔走してきた。そして、バツイチとなり、父を亡くし、子供たちが成人して、気づいてみたら家に誰もいなくなってしまった。
私は若い頃から友達の必要性をあまり感じない方だったから、今の生活が苦痛ではない。むしろ楽しい。しかし、孫ができて少し考えが変わった。Empty nest syndrome という言葉の意味が分かってきた。
生きる時間が長くなると、確かに過去が長く未来が短く感じられてきた。40歳になったときに
「折り返し地点に来てしまった」
と思ったら、アッと言う間に還暦が見えてきた。信じられない。俺は、もう老人か?20歳頃までは確かに自分が成長している実感があった。しかし、その後からだの成長が止まると同時に精神年齢も止まったように感じられる。
父が亡くなって、子供や孫までできると
「次は自分が去る順番か」
と思わざるを得ない。人生とはこんなに短いものか。英語を身につけるのに10年。数学を身に付けるのに10年。とすると、もう何かにチャレンジするとしても1つか2つで時間切れとなる。若い頃は人生の幕切れがはるか彼方にあると信じていた。
鏡の中に見える自分は老人だ。こんな老人は悟りを開いているはずだった。ところが、現実の自分は迷いが多い。今日も高校生の子が
「先生、学校の英語の先生留学生相手に話しもできない」
なんか頭の中で一生懸命に文章を作ってカタコトの英語で話しているそうだ。もちろん、優秀な生徒から見ると、教師失格と烙印を押されている。こういう先生を見たら、若い子は遠慮なくダメ先生と呼ぶ。
しかし、私が同じことを言うと批判の声が飛んでくる。
「なにをえらっそうに!」
というヤツです。そのおかげで、私の周囲から誰もいなくなった。日本では、正直者は村八分というのが田舎の掟なのだ。こんなんだから、若者が嫌って過疎の町になるのだけど、本人たちは分かっていない。