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16/2/29

大学生までABCしかできなかった私がヨーロッパで働いている話~現在進行形~まとめ前編

Image by Olia Gozha

私のストーリーをご覧いただきましてありがとうございます。

要点だけまとめたので1話1話更新してたのより読みやすくなってるはずです。。。笑



今から約10年前、とある大学の教授室で、、、


教授「お前、食欲、性欲、睡眠欲って知ってるか?」

「はぁ。。。。。」

教授「お前、死にそうになったらどれを取る?」

「えっっっ?!」

教授「つまりな、死にそうになった時に飯食うか、セックスするか、寝るか、どれや?」

「多分、空腹で死にたくないけん飯食いますね。」

教授「よし、俺のゼミ『食品経済学』やから食品関係の会社に就職目指せ!」

「いやいやまだ就職なんてまだ先ですよ?!」

教授「お前な、こんな三流大学出てええとこ就職出来ると思うんか?俺が勉強以外で武器になる事をいろいろ教えてやるからバイトない時は俺の授業来いよ!」

「………三流大学は教授が言ったらアカン!笑」


なぜ私が教授室に行っていたのか理由すら忘れましたが10年たった今でもこの会話は鮮明に覚えています。


・最初の授業は世界中から集めたインスタントラーメンの試食

・二度目の授業はゼミ生でのBBQ



どちらも実際に試食してそしてポイントのみを抑える、教科書を90分だらだら流し読むようなありふれた講義とは違い、わかりやすくインパクトのある時間でした.




そんな授業だったからでしょうか、今まで全く勉強などしてこなかった私が本当に学びたいと思うキッカケとなったのを覚えています。



そしてそれから半年後、教授との会話の中で

教授「お前、英語話したいなら海外行ってこい!日本にいても無理やからな!www」

「絶対行くから覚えとけよ!」

教授「金髪美女とやりたいなぁ~お土産ヨロシク( `・∀・´)ノ」




そんな会話で海外行き決定!




その足で大学の学部事務室に休学届けを取りに行き、、、、




「海外で英語勉強するので大学二年間休学します」

「ご自由に!卒業はしなさいよ。そして男ならお金は自分で稼ぎなさい!」


母すんなり快諾、そして父に電話

「海外で金髪美女と結婚するために大学二年間休学します」

「えっ?!あっそう!ご自由に~」

父さらにすんなり快諾、というよりもはや興味なし....www




とりあえずバイトでお金を貯め、海外に行く方法をいろいろ調べるとワーキングホリデーというビザを取得するとその国で仕事も出来るとの事。

お金は自分で稼ぐという考えしかなかった私にそれしかビザの選択肢はありませんでした。




とりあえず海外に慣れるために1カ月だけニュージーランドに行くことにしました。




語学学校に行きながらホームステイ



語学留学やワーキングホリデーでかなり多くの人がエージェントに高いお金を払って語学留学していると思います。

これで英語が話せるようになると思って...




しかし世の中そううまくはいきません!!!





そこにあえてバイトで貯めたお金を使って申し込んでみましたが、初めて自分一人で海外に来たというのもあって遊びたい気持ちが勝り、授業もろくに受けずカジノや街へ散策に出かける始末。毎週末になるとホームステイ先にいたロシア人のおじさんと街へ繰り出しては遊んでいました。



学校では履歴書の書き方だけ習って英語力もあいさつ程度...

ニュージーランドでの生活に1か月で40万円、、、高い買い物をしてカナダに向かいます。



バイトで貯めた残り約40万円、そこからカナダへの航空券、保険代金、3週間のホームステイへの支払いで現金約5万円でバンクーバーに到着。



仕事が1ヶ月で決まらなければ帰国するしかない状況に自分を追い込みました。

↑というよりニュージーランドで遊びすぎてお金が無くなり追い込まれていました。




バンクーバー到着後は街中にある掲示板やネットで仕事を探します。

3週間が経った頃、ようやく電話面接にてバンクーバーから東にバスで17時間程行ったところにある街のホテルで仕事をする事が決まりました。




ハウスキーパーとして



リゾート地にある三ッ星ホテル



そういえば聞こえはいいですが街全体が標高1000mを超える山奥。

9月なのに雪が積もってます。


そんな街のホテルのハウスキーパーとして働き始めます。

仕事内容は部屋の掃除とベットメイキング


フィリピン人に交じって毎日15-20部屋の掃除を行います。

そんなこんなで初めての給料日。


給料は2週間ごとに小切手で支払われるため給料日にフロントデスクに給料をもらいに行きます。




仕事ができない人間は即クビ!



給料をもらう際、職場に必要ない人間はマネージャーに呼び止められ来週から来なくていい旨と3日以内に寮を出ていくように伝えられます。


ルームメイトとゆかいな仲間たち



ホテルから用意された寮の部屋は約20人が住むタコ部屋。寮内は完全に飲酒禁止!

今はどうなってるかわかりませんが犯罪が多かったため夜になると寮の前にパトカーが停まっているようなそんな場所でした。



私の部屋には3人のカナダ人

1人目のルームメイトはシャブ中

2人目のルームメイトは元売人

3人目のルームメイトはプレイボーイ



個性溢れすぎな面々でした。




なかでも元売人のルームメイトのクリスはホテル到着後にお金をもっていなかった私にお金を貸してくれたり、カナダの危ない部分を教えてくれたりいろいろと世話になりました。




皆さんには絶対お勧めしませんが、そんな環境にいると3日もすれば慣れてきます。



バーバラ



この人に会えたから今の自分がある、そう言っても大袈裟ではないと思います。



彼女はここに来る前、世界でも指折りのホテルチェーンの部門マネージャーでした。



黒人(南アフリカ出身)というどうしようもない事で差別を受けた事もあったそうです。



自国が貧しいため移民としてカナダに渡り、様々な困難に耐えながら今の地位を築いてきました。



なにより人の使い方がものすごく上手い。



人をかなり削ったにも関わらず一人一人の負担はほぼ変わらず、自ら率先して動きます。



これがマネージャーのあるべき姿だと初めて実感しました。



そしてある日バーバラに呼び出されます。


「クビですか?」

バーバラ「いいえ。あなたにこの部門のスーパーバイザーをやってもらいます。」

「スーパーバイザーってなに?」

バーバラ「管理職よ♪まぁ気楽にやりなさい。」

その時点でカナダに到着後3ヶ月、英語はやっと60%ぐらいわかってきたかな〜っていうレベルです。



当時は全然意味がわからなかったですが年を取るにつれてバーバラの思いが今になってわかります。

『立場は人を作る』やってみないと管理する側の気持ちはわかりません。



姉さん!フィリピン人がいう事を聞きません!



前に書いた通り職場には多くのフィリピン人が働いていました。



仕事に関しては積極的とは言えない人が多かったんですが、もともとお国柄として彼らの意識には『年功序列』というものがあります。




そこに、来て3ヶ月程度、しかも二十歳そこそこの私が昇格した為余計に不満だったんだと思います。




それまでフレンドリーだったフィリピーナ達が急によそよそしくなり、私が管理する日には仕事の内容や進捗も悪く完全にイジメに合っていました。




もちろん支持の出しかたや各個人の能力などもバーバラと幾度も話し合いを重ね1日のプランをたてるわけですがなかなか上手くは行かず、初めて悔し泣きしたのを覚えています。




結局仕事に関してはマシになっていったものの、私に対する対応は変わりませんでした。




そんな時ホテルのGM(ゼネラルマネージャー)からビザの延長を提案されます。



ですがそのとき実はホテルをクビになった時の為にレストランでもバイトをしていました。



ホテルのマネージャーからビザの延長を提案されるとほぼ同時にレストランのマネージャーから寿司シェフをやらないか?と言われます。



朝から夕方まではホテルで働き、1時間休憩してレストランでキッチンヘルプとして夜中まで働くという生活を続けていたのですが寿司シェフになると仕込みがある為ホテルでは働けません。




悩み抜いた末、帰国後食品関連の仕事を考えていた私はビザの延長を断り、ホテルの仕事を辞め、寿司シェフとして働く事を決めます。




この選択が今でも大きく役に立っている事はいうまでもありません。



特に外国人のイメージとして日本食=寿司



必ずと言っていいほど寿司作れる?って聞かれます。




特に海外の寿司は日本人が食べるのとは異なり、全く新しい発想で創られるものも多く貴重な経験となりました。




現在ヨーロッパのシェアハウスに住んでいますが、今の家が決まるときも私が寿司を作れるというだけで倍率40倍の部屋を見つける事が出来ました。






1年間のカナダでの生活を終え、帰国




このストーリーではだいぶ端折ってますがかなり密度の濃い充実した1年間がついに終了しました。




帰国する日は朝4時のバスというにもかかわらず多くの職場の方や友人が見送りに来てくれて改めて来て良かったと実感しました。




そして帰国するわけですが大学を休学してカナダに来た為あと1年また大学生に戻る事になります。




新卒の方が就職しやすいだろうという考えだったのですが帰国してニュースを見るとリーマンショックの影響で『就職率過去最低!』の文字が。。。




ちょっと心配しつつ大学の就職相談課に行ってここまでの経緯を説明すると、職員の方にある程度の会社ならどこでも行けるぞ!と心強いお言葉。





冒頭に教授が言っていた通り私が通っていたのは学力で言えば3流





私の学力はそれ以下かもしれません。。。笑





事実、私が卒業する際の大学就職率は約30%でした。





ですが企業はそれ以上に経歴を評価してくれたみたいです。





結果、早く仕事を決めたかったのであまり就活はしませんでしたが書類選考はほぼ全社通過、4月には何社か内定を頂いていました。




もちろん一般の生徒と比べると2年遅れなので偉そうには言えませんがスムーズに就活を終えられたのはラッキーでした。


後編に続く

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