結婚したての頃、元姑と母が争ったことがある。
元姑がその際のことを、私に言った。
「『嫁にあげたんじゃないですよ。○○さんと結婚しただけだから」
って言われた』のよ!!」
まるで水知らずの人に、いきなり、「あなた馬鹿ですね」と言われたかのように、
通りすがりの人に、いきなり泥だんごを投げつけられたかのように、
めちゃくちゃ悔しそうに言うのだった。
いや、
心の声「その通りですけど。」
と、私は思ったけれど。
私は、「あげる」という品物じゃない。
今どき、こんな表現をすることじたいがおかしいでしょ、と。
けれど、
元姑からすれば、それは当然の権利であって、
「嫁にあげたんじゃない」なんて言われることは、
かなり悔しいことのようだった。
なんというか、ファンタジーだよね。
驚いた。
いきなり、別の惑星に来ちゃったんだ。
そんな感じ。
母は、感情が不安定なところがあったし、
無神経だったけれど、
私を「女の子なんだから」と言って育てることはしなかった。
自分で言うけれど、私は母よりはるかに頭が良かったので、
自分の枠内に収めようなどということは、考えも及ばなかったんだろう。
父も同じで、さらにもともと優しい質の人だったので、
自分の枠内に収めようなどということは、1度もなかった。
学校の先生たちは、男女平等の理念でやっているので、
やはりそういうことを言われたことはない。
育ったところは観光地だったけれど僻地で、
幼稚園から1学年1クラス、女子18名、男子9名で育つ(途中転校してまた戻ってくる)と、
子供の頃というのはあきらかに、体も知能も女子のほうが成長が早いので、
そのうえ数が2倍ともなると、
それはもう、女子の天下なのだった。
「女子もがんばらねば! 男女平等!!」
などという理念ではなく、
リンゴが赤いように、バナナが黄色いように、
明らかに女子の天下なのだ。
高校は無理なく通えるところを選んだので、進学校ではなく、
そのせいなのか、やはり女子が優秀なのだった。
がり勉君が、
がり勉君「みりえさんには、どう勉強しても勝てない。」
と、つぶやいていたらしいけれど、
みりえ「いや、だって、男子だもん。むりでしょ。」
と、ふつうに思っていた。
バナナは、赤くならないよね、と思うのと同じように。
そんなこんなで育ったので、
就職して男社会を実感すると衝撃だったけれど、
それでも所属した企画部が、頭のいい上司が集められているところで、
私の隣の上司は、留学経験のある、英語ぺらぺらのリベラルな人だった。
なんの違和感もなかった。
2年で退屈して辞めて自分で学習塾を開くと、
それは自分の城なので、やはり自分らしくやっていくことになる。
そんな、
そんな、
そ~んな私が、
いきなり、
「『嫁にあげたんじゃないですよ。○○さんと結婚しただけだから」
って言われた」のよ!!」
といきりたっている元姑と同居することになるのだ。
地球から、トンデモビックリ星にワープしたのかと思った。
まじで。
世界観がひっくり返る、とはこのことだ。
元夫は、知り合った頃、かなり世界が広くて、リベラルだった。
みりえ「うわ、ひろ~!ふか~!何これ~~!!」
と、強力な磁力にひかれる砂鉄のように、
私は吸い寄せられていったのだけれど、
みりえ「なのに。」
みりえ「なのに。」
みりえ「なのに。」
その住んでいる世界は、
とてつもなく、狭い狭い世界なのだった。
ギャップすぎるでしょ。
ま、私は創造力の強い人間で内向型なので、
その内なる世界が広ければ、それでいいのだけれど、
元姑は、私をほっておいてくれないわけで。
「嫁にもらった」と思っているから。
そんなこと、0.00000000000001ミリも思っていない私とは、
みりえ「水と油。」
みりえ「猫とネズミ。」
みりえ「ナメクジと塩。」
みりえ「蛇とマングース。」
みりえ「盾と鉾(ほこ)。」
みりえ「ヒールと泥沼。」
みりえ「カレーとシチューの夕飯。」
とにかくまったく合わない。
10メートルの星形を、1センチの○の中に押し込めるような努力を、
元姑は、必死になってやるわけだけれど、
無理でしょ。
そんなもの。
必死になって押し付けてくる
「嫁というシステム」。
ことあるごとに、
元姑「○○と結婚したんだから、しかたない。」
いやもう素敵なお言葉で、
しだいにそれは、
心の声「じゃあ、離婚すればいいんじゃない?」
という思考に、私を運んでいったのだけれど、
元姑は、自分がそんな役割をはたしてきたなどとは、
まったく思ってもいないだろう。
「家」「家」「家」「家」って、いつも言ってたけれど、
日本で「家」をほんとに持ってたのって、江戸時代には武家とか商家とかでしょ。
で、今は少子化で、お互い一人っ子同士の結婚となると、
「家」の存続も難しい。
でね、
とってもおもしろいと思うのは、
あんなに「家」「家」「家」「家」と言ってた元姑は、自分の結婚では、
昔の大地主の長男を、自分の家に婿に入れてしまって、
当然舅の家とは仲が悪く、
「あの人たちは変わってるから、関わらないほうがいい」
と常に言っていた。
元姑にとっての「家」は自分の「家」で、
親族は自分の「親族」なのだよね。
なんとも自分の都合によく、「嫁というシステム」を利用していた。
「これこれこうあるべきだから」
と言う人たちのほんとのところって、
そんなものだ。
自分の持っている(と思っている)権利を、ただ守りたいだけで、
システムが正しいか、時代に合っているか、なんて少しも考えていない。
だから、
そんなものだと思って、
個人は、個人に都合のいいシステムを選べばいいと思うのだ。
みりえ「自分に合わせて選ぶのが1番!」