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15/10/29

高木教育センターのありふれた日々(4)

Image by Olia Gozha

高木教育センターのありふれた日々(4)

 

第三十一章「知らないと損をする」

第三十二章「あっち側と、こっち側」

第三十三章「打倒!四日市高校」

第三十四章「ナシ婚、ナシ校、2015年」

第三十五章「日本一の受験マニア」

第三十六章「下町ロケット」

第三十七章「胆管結石と通風の痛み」

第三十八章「私の指導力じゃない」

第三十九章「クールヘッド、ウォームハート」

第四十章 「Bくんのこと」

 

 

 

 

第三十一章

「知らないと損をする」

   英語に「受験英語」「資格英語」「ネイティブ英語」がある日本の現状を憂えています。詳細はブログに書きましたし、Youtube にも投稿させてもらい反応はかなり大きかったです。硬い話にしてはね。

  なんで、こんなおかしなことになっているのでしょう。これを読んで下さっている方は whose って関係代名詞をご存知ですか?今の中学校の教科書からは消えています。ご存知でしたか? whom も教えない。 

  文科省や教科書会社の言い分は明快で

「現実に余り使われていない」

  ってこと。現場の教師はそのように教えている。

 しかし、本当にそうなのかな。もちろん、大学入試では出まくり。だから、高校に入学した途端に関係代名詞が増える。問題集や参考書も扱う。それどころか、ほとんど使われない(ネイティブの感想です) take it for granted that - や no less than と not less than の違いとか文法学者顔負けの暗記をさせられる。

 

 皆さんは山を「-座」と数えることは知ってみえますか?タンスは「-棹」。でも、多くの日本人は

「あそこに山がひとつある」

 と言います。タンスは一個でしょうか。文法学者が、

「それは正しくない」

 と言っても、誰も文法学者の言葉などに耳を貸さない。

 中学校の英語は、この耳を貸さない日本人のような方針で教える。高校では、文法学者が正しいと教える。ここに齟齬がある。生徒が混乱するのが当たり前なのです。中学校までは現実主義で教えられ、高校になったら文法主義。

 文科省、教科書会社、教育委員会!

「責任者は誰だ!いいかげんにしろ!!」

 と言いたい。

 

  これは、文科省がブレまくっているからだ。文法中心主義でいくのが、現実主義でいくのか。もちろん、現実主義でいくべきだと思う。京大を7回受けて得点開示して、

「京大の英語は現在使われている英語を評価する」

 と推測された(かなり確かです)。

 日本の教育界の「権威」が老害である可能性が高い。文科系の教授は、実験などで実証するのではなくて肩書きや権力で支えられている。だから、シェークスピアの時代のような英語を扱う参考書や問題集ができあがる。

私の立場は「下町ロケット」の社長より弱い零細塾の講師でしかない。文科省の大臣や役人が耳を貸すわけがない。いくら英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級、京大二次試験8割でトップクラスと言っても、まったく負け犬の遠吠えほどの効果も及ぼせない。

 そして、中学生や高校生は混乱のまま置かれる。おかしな話だ。

   

  馳浩文科大臣は専修大学文学部国文学科卒のもとプロレスラー。私はこの方より英語に詳しい自信がある。しかし、今の日本は、四日市高校に落ちた先生が四日市高校受験生を指導し、英検2級の先生が1級や準1級の生徒を指導し、京大を落ちた先生が京大受験生を指導している。

  格下のものが、格上のものを指導できるのでしょうか。全くおかしな社会が出来上がっている。

  だから、私の優秀な塾生の子たちが

「あの先生は頭がおかしい」

 と判断して、授業など聞いていないのは当たり前なのだ。内職をしている。道徳的に正しい行為と信じて、教師の指導どおりに宿題ばかりやっている子に未来はない。善良なのに気の毒だ。

  放置できないと思うけれど、私には権力も発言力もない。

  

  私の塾には、地元中学のトップクラスの子、四高や桑高のトップクラスの子が多く通ってもらっている。彼ら、彼女らは家業が医者とか保護者がプッシュして(犠牲も払って)息子さんや娘さんを旧帝や国立大の医学部に入れるため頑張ってみえる。

  真剣なのだ。この自分の将来を賭けた戦いの舞台は「公平」で「ハイレベル」であって欲しい。

 先の whose や whom は北勢中学校では習わなくても、隣の藤原中学校では教えている。北勢中学校の生徒は

「教科書にないから覚えなくていい!」 

 と本気で考えている。気の毒だ。私立高校では出題される可能性も高いのに。そんな頼りない教師たちの言うことに振り回されている。北勢中学校では去年も今年も、四日市高校に合格者は1名。規模の小さい藤原中学校は去年も今年も6名も合格している。

 

受験はシンプルに考えられる子が勝つ。どれだけ能率的に勉強できるか否か。その一点に全ての知恵と時間とエネルギーを注げた子が合格する。

 

第三十二章

「あっち側と、こっち側」

  大学を卒業して、刈谷のある塾に勤務することになった。昨日まで教壇のこっち側に座っていたのに、今日からはあっち側に立つことになった。研修など一切なく、いきなり授業をしろとのことだった。後で分かったが、教師や講師の仕事は自動車運転と違う。手取り足取りしても無駄。道路とちがって生徒の反応はまちまちなので、全てが臨機応変なのだ。

  もっと面食らったのは、自分の塾に四日市高校や暁6年制の特待生が来てくれた時のことだ。私は四日市高校から京大「医学部」に合格した同級生がいた。彼とは、同じ北勢船で通っていたので親しかった。でも、彼はあっち側の子で、私はこっち側の人間だと思っていた。上位の1ケタ順位に入る子は別格の子たちで、自分がどんなに頑張っても手が届かない遥かなあっち側だった。

 

 私は何がなんでも追いつこうとジタバタしたあげくに、身体に変調をきたし入院騒ぎを起こしてしまうほどだった。英語が多少得意というだけで、運動も、芸術も、なにも取り立てて優れた長所がないので

「これでは生きてゆけないなぁ・・・」

 と途方に暮れた。でも、生きてゆかなければならない。塾で指導しながら帰宅後は英語の勉強に明け暮れた。それで、30歳の時に英検1級に合格した時は驚いてしまった。三重県で1人か2人しか合格しないことを知っていたからだ。私は、そんなあっち側の人間ではないと信じていたからだ。

 

 そして、気づいた。あっち側とこっち側なんて存在しないってこと。英検1級に合格はしたけれど何も変わらなかった。私はバカのままで何も悟れない。経済的に裕福になったわけでもない。賢い塾生の子たちからの信頼感が多少は改善された程度のこと。

  ところが、この権威の否定というか心理的な壁の崩壊は後の人生に大きな影響を与えることになった。壁がないのだから、とにかく進めば何とかなる。そんな楽観的な人生観が生まれた。

  自分が文系人間だと信じていたが、塾生の方から

「高校数学の指導もお願いできませんか?」

  と依頼された時も

「何とかなるだろう」

  と引き受けた。結局、10年ほどジタバタした末に京大二次試験で7割のレベルまで到達したことを成績開示で確認した。今では小さな頃に記号の羅列にしか見えなかった英語が日本語と同じように読めるし、中学時代に無意味な記号の羅列にしか見えなかった微積分の数式を自由に操れるようになった。

  あっち側と思っていた世界が、いつの間にかこっち側になっていた。いや、そんな壁などもともとなかったのだ。

  日本では高校で文系と理系に分けて指導する。社会では勝ち組と負け組みに分けられる。それは、仕方ないのだ。みなさんも

「あのラーメン屋はうまい。こっちは不味い」

 と分けるはずだし、病気になったらやぶ医者より名医にかかりたい。平気で分類する。

 私の亡くなった父は町の靴屋さんだった。私は生まれた時から商売人の息子だったから繁盛する店や人気のない店に敏感だった。だから、学校や塾でも上位層や底辺層に分けたりランキング付けをすることが当たり前だと思った。

 それが、北勢中学校に行ったら

「順位は教えない。それは差別につながるから」

 と言われてビックリした。なんという綺麗ごと。あまりに社会の実情とズレた説明。だから、私は教師の言うことなど耳を貸さなかった。中学三年生の夏休みには、学年主任に電話して宿題はやらないで自分の選んだテキストで勉強すると宣言した。

 

 差別と騒ぐのは、徹底的にやらない中途半端なことをするからだ。私は文系人間に分類されたけれど、今は数学Ⅲを指導する数学講師でもある。塾生には毎年「京大医学部」を受験する子がいる。

 こっち側だと思っていたけど、あっち側に入って指導している。そもそも、そんな分類など意味がない。不味いラーメン店も、研究を続ける意欲があれば旨いラーメン店に返信することも可能なのだ。

  本当の平等とは、徹底的にやる競争のもとで生まれる。それなのに、競争そのものを否定するのは現実に無知だから。

  あっち側とこっち側、文系と理系、勝ち組と負け組み。それは、固定したものではない。その壁はみんなが思っているほど高くない。高いと思ったり、壁が絶対と思うのは自分の心の問題であって、誰かのせいではない。誰かの分類を受け入れる必要もない。

 

第三十三章 

「打倒!四日市高校」

近年の四日市高校の京都大学の合格者数は以下のようになっている。

 

京都大学合格者数(四日市高校、定員360名)
        H27 H26 H25 H24 

京都大学   12   8  16   10 

 

  年度による変動はあるが、10名前後を行ったり来たり。私が塾のHPで「京大英語」を載せ始めたのが4年前。以来、3年間連続して京大に2名の合格者が出た。そして、今年初めて10名の京大受験生を抱えている。

 4年前は「打倒!四日市高校」など夢物語だった。四日市高校は私がいた頃からずっと、三重県の県立高校の不動のナンバーワンであり続けている。しかし、私は四高に愛校心がないので躊躇なく打倒できる。

 ここ「いなべ市」では北勢中学校が去年も今年も四高合格者が1名という異常事態が続いている。京大合格者はその四高の上位3%くらいしか合格できないのだから難しいに決まっている。

     ここは日本一教育熱が低い地区と言っていいと思う。お隣の桑名市では20名ほども四高合格者が出ているのに、1名というのがいかに異常なのか分かってもらえるだろう。

 私が英検1級に合格しても

「それって、難しいの?」

 だし、京都大学の二次試験「数学」で7割をとってみせても

「ダメじゃん、先生が70点では!」

 と言う始末。これでは、何を指導しても全く意味がない。親がいるので今はここを離れられないが、私は必要とされていないと思った。それで、通信生のページを作りプロブやYoutubeを投稿し始めたら北海道から鹿児島まで申し込みが来てビックリした。

 さらに驚いたことは、成績優秀な高校生の子が桑名や四日市という都市部から逆流して田舎のいなべ市に来てくれるようになったこと。やはり、都市部では受け入れられるようだ。

  私の塾生の優秀な子たちは、

「絶対にいなべなんか出て行く!」

  という子が多い。日沖靖市長は、優秀な人材が毎年ここから流出していることをご存じなのだろうか?どんどん過疎が進むではないか。いくら工場を誘致しても、優秀な人が都会に流れては地方は廃るばかり。

 

           主格  所有格 目的格

 人   who    whose   whom

 モノ    which   whose  which

 

  なんで、隣の藤原中学校では whose を教えるのに北勢中学校では教えないのか。そんなことだから

「学校で聞いてないよぉ」

 となり、

「覚えなくていい。出題されない」

 となる。あと半年で同じ高校に通うのに、気の毒だ。

 

 そんなことだから、当塾の理系女子は

「あの先生はダメ」

 と言って内職にせいを出す。

「ヤル気のない男子は私の目の前から去れ!」

 となる。志が低いのではなくて、志が無いそうだ。

  もちろん、大半の子は

「大学卒業したら、絶対にここには戻らない」

 と言っている。

 

  最近の合格実績が公開されていないが、四日市高校の次に生徒がめざすナンバー2の桑名高校の京都大学の合格実績は以下のようになっている。なぜか最新のものが公開されていない。

 

京都大学合格者数(桑名高校、定員320名)
         H25 H24  H23

京都大学     1   4    1 

 当塾は過去3年間、毎年2名ずつ合格しているので桑名高校と同じレベルか既に越えた。だから、「打倒!四日市高校」なのだ。京都大学の合格者数では、ダントツの個人塾にしたい。

  今年、当塾から10名超のチャレンジャーが出そう。一気に四日市高校を抜き去りたい。

  そのためには、来春の入試でなんとか京都大学の合格者を2ケタにしたい。無理なら、2年後。そのために、京大の二次試験を7回も受けて情報を蓄積してきた。京大受験生の解答を何百枚と添削を繰り返して、アドバイスの質を高めてきた。

 

第三十四章 

「ナシ婚、ナシ校、2015年」

 ナシ婚

  厚生労働省が行った調査によると、2011年には67万件の夫婦が結婚したということであるが、その中で結婚式を行った夫婦というのが35万件であったとのことであるから、近年では結婚を行われる場合でもナシ婚となる割合というのは半数近くであるということである。

このようなナシ婚が選ばれる、または挙式を忌避される理由としては「披露宴に数百万円もの費用がかかる」(他のことに金銭を使いたい)ことや、「人前で目立ちたくない」「披露宴まで行う必要がない、と割り切る」など、特に経済的事情が数多く存在しており、2000年代以降の若者は結婚式などといった事柄に多額の金銭を費やすよりも貯金をしたり他の事柄に金銭を使うべきという考えが多くなっているからとのことである。

 

  経済的な理由もあるだろうが、今どきの若者は中身のない儀式には意味が見出せないらしい。そんなものにお金もかけたくないし、参加したくない。それは、学校も同じことらしいのだ。

  私は商売人の息子として育てられた。中身のない虚業の危うさは身に染みている。亡き父の教えだ。

  1960年代、私は阿下喜小学校の生徒だった。1クラス43人。団塊の世代の次の世代の私たちは、まだ受験戦争の真っ只中。三重県の片田舎にも、退職した先生などのやる塾があった。

  でも私は塾には興味がなかった。この頃は、鉄腕アトムや鉄人28号に夢中になり、大阪万博に何度も足を運んだものだ。しかし、同級生の人数が多くて高校入試も大学入試も激しい競争だった。神経衰弱で入院したほどだった。

  高度経済成長の中で三重県ではS塾という塾が企業的な塾を始めた。その頃、私は三重県を離れて大学生だったので塾の動向は分からなかったが、大学を卒業して、アメリカから帰国した1980年代は「河合塾」「駿台」「代ゼミ」の3大予備校の時代だった。予備校から、塾にまで手を広げていた。

  今もそうかもしれないが、高校より予備校の模試の方が信頼感を持っていた。駅前にビルを建てて見た目も立派だし、出版物も多く隆盛を極めていた。

 刈谷で塾講師をやっている時は、勤務している個人塾が河合塾の支部教室と競合していた。三重県ではS塾が拡大中らしかった。

 

  その1980年代に、東進衛星予備校が3大予備校に食い込もうとして創業された。

 

東進衛星予備校(とうしんえいせいよびこう)は、株式会社ナガセによって経営される東進ハイスクールの部門の一部(予備校)[3]1985年に開校した東進ハイスクールが、1991年に衛星授業サテライブを開始し、自校舎への映像配信システムを他の学習塾が利用できるシステムに発展させたものが東進衛星予備校で、現在全国に約800校ある。映像配信システムとフランチャイズ方式を用いた大学受験予備校。講師の講義を通信衛星やインターネット回線を利用して全国の加盟校に送信するシステムを用いる。

  これは、退職した教師などが塾をやっている地方にとっては朗報だった。なぜなら、三重県などの地方ではマトモな塾講師がいなかったからだ。都市部の一流講師が録画した授業を地方に配信するシステムは画期的だった。もう30年も前のことだ。瞬く間に、全国に広がっていった。

三重県を席巻していたS塾の高校部門も東進衛星予備校の軍門に下った。当時はビデオが最先端の技術だったのだ。

 

  ところが、東進学衛星予備校が軌道に乗った2005年頃に、インターネットが普及して、Youtube が始まった。

 

  PayPalの従業員であったチャド・ハーリースティーブ・チェンジョード・カリムらが2005年2月15日カリフォルニア州サンマテオで設立した[3]。初めて動画が投稿されたのは同年4月23日である[4]。設立のきっかけはハーリーらが友人にパーティーのビデオを配る方法として考えた結果に作った技術を使い、「皆で簡単にビデオ映像を共有できれば」と思いついたことによる[5]

  

  調べてみれば分かるが、Youtube の動画の中には無料の授業動画がいくつもある。最近では、「受験サプリ」は月額980円。トライの「Try it」は無料。これで、東進衛星予備校の高額のDVDの使いまわしは役立たなくなった。

 これは私たち地方の塾講師には何を意味するのか。

 

 三重県の最大のS塾が東進衛星予備校の軍門に下っただけでなく、今度はその東進衛星予備校が受験サプリや Try it に押される。この状況は、

「もはや、地方には良い講師がいないので適当にやっておけば勝てる」

 というビジネスモデルが崩壊したことを意味する。地方の塾講師も、都市部の講師と授業の質を競わなければならなくなった。逆に言うと、地方の講師も都市部のマーケットで戦える。

  私はそう考えて、「京大の英語」の準備を始めた。2000年頃のこと。都市部のマーケットで戦うためには全国レベルの質が求められる。それで、英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級などに挑戦し、Z会を8年やり添削の研究をし、京大模試を10回、センター試験を10回受け、京大を7回受け成績開示した。

  今後はコンテンツの勝負になる。講師の質が問われる。

 

  これは、大変だった。時間があれば全て英語の勉強に当てた。お金があればネイティブとの個人指導につぎ込んだ。だって、京大に行くには往復1万、宿泊に3万、受験料などで1万以上。7回受けるのに食費などを入れると40万円以上かかった。

 

  これを生徒の立場から見ると、どうなるのだろう。S塾の頃でさえ、学校の教師より塾の講師の方が信頼されていた。そこに都市部の講師との競争が加わった。

「自宅に居ながらネットで学校以上の授業が無料で見られる」

 これでは、学校に行く理由がなくなる。

 

 この頃に生徒の二極分化が始まった。落ちこぼれて学校に行かない登校拒否が問題になり始めていた。しかし、実態は落ちこぼれた生徒だけではなかった。学校が生徒の要求に応えられなかったことが後で分かってくる。

 

  私の指導している優秀な理系女子は

「だって、あの先生は旧帝受けたら絶対に落ちますよ」

 と冷静に教師の学力を分析する。動画でプロの予備校講師の授業を見ているから目が肥えているのだ。保護者の方は50年前の道徳に縛られて

「先生になんて口を!」

 と言われるが、生徒とのジェネレーションギャップは大きい。そういう保護者の方は、自分の経験をもとに

「学校に意味がないなんて、どうかしている」

 と思われるようだが、今は時代が違う。以前は、不登校の子は学校から「落ちこぼれ」たと見なす教師が多かったが、不登校の生徒の中には「浮きこぼれ」た生徒も多い。学校の指導内容があまりに劣悪だという意味だ。

 

突出した才能を持ちながら、学校生活になじめず不登校になっている子どもを選抜し、日本をリードする人材に育てる「異才発掘プロジェクト」に東京大先端科学技術研究センターと日本財団が乗り出す。目標は、小学校を中退した後、母親が寄り添って勉学を支え、才能を開花させた発明王エジソンの再来という。

 

「自由の学風」を伝統とし、数多くのノーベル賞受賞者を輩出している京都大が、来春の入学者を対象とする平成28年度学生募集から「特色入試」の本格導入に踏み切る。特色入試で京大が求める学生は、これまでのようにどの科目でも学力が高い〝優秀な学生〟ではない。特定の分野に偏っていても卓越した能力を発揮する「とんがった人材」(大学関係者)だ。

  つまり、東大や京大も学校になじめなかろうが、不登校であろうが、そんなことはどうでもいい。そんなことより才能。変人も大いに結構ということだ。そんな中、昨年(2014年)「3大予備校」と言われていた代ゼミが歴史的使命を終えた。

 

代ゼミ、20校閉鎖 浪人生減で全国7校に 記事保存

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大手予備校「代々木ゼミナール」を運営する学校法人高宮学園(東京・渋谷)は全国27カ所の校舎を7カ所に減らす方針を固めた。20カ所では2015年度以降の生徒募集をやめて休校し、事実上閉鎖する。施設の活用法は未定という。代ゼミは大学受験の浪人生を主な対象に運営してきたが、少子化や現役志向の高まりで浪人生が減り、業績が悪化していた。

 

  もはや、古いビジネスモデルでは生き残れない時代になっている。NHKの「白熱教室」をご覧になった方も多いと思う。世界最高峰の教授たちの授業が家庭にいながら見られる時代だ。生徒の目も肥えている。学生アルバイトや地方の田舎教師だからと、低レベルの授業をしたら見捨てられるのは当たり前の状況。

  現実に、私の指導させてもらっている塾生の中には

「学校は卒業証書をもらうため(受験資格をもらうため)に行っている」

 と言う子もいる。もはや、勉強の場だと思っていない。

 

  私は政策金融公庫で娘たちの学費を賄った。その返済のためにも、コケるわけにはいかないのだ。

 

  この大きな歴史の流れの中で「助け合い」「絆」をスローガンに、強制クラブ、遅い下校時間、宿題だけの勉強。その結果の教育格差。こんな地元の公立中学校の惨状を見ると、賢い子たちが地元を脱出したいというのは当たり前だと分かる。

  • クラブ活動の自由化

  • 下校時間の自由化

  • 学区の廃止による学校間競争

    こんなことでは間に合わないかもしれないが、急務だと思う。

  私の勤務していたアメリカのローガン中学校には、クラブ活動は存在しなかった。クラブ活動が健全な精神を育むなんて、ウソだ。グローバル時代になり、日本に外国人も増えてきた。世界標準ということで、9月入学も検討されている。

  クラブ活動も廃止すればいいが、せめて自由化は実施しなければならない。強制は何事につけても良くないし、プロの指導者もいない危険もある。形骸化していて中身ない儀式に若者はついてこないのだ。

  こんなことを続けていたら、学校など行かなくていいという「ナシ校」が現実化するだろう。

  

  今日も賢い理系女子のB子ちゃんが、ある男子に告白されたらしく

「アホは論外!」

 と言っていた。

「中学はあきらめた。高校には自分くらいの学力の子も多いはず。そっちで探す」

 とのこと。そういう意味でも、学校は意味がないのだ。自分より背が高く、自分より賢く、自分より収入が上でないと、相手にしないそうだ。昔の3Kではないか。

 長身で、女子のトップで、美人のB子ちゃん。そんな男子はいないよ。

 

 学校も、塾も生徒も時代とともに大きく変化してきた。しかし、現場はそれほど変わっていない。私の塾生の子は中学生は四日市高校や桑名高校、高校生は京大や名大をめざす子が多い優秀な子が多いが、DVDも動画も音声教材も何も使っていない。

  使っているのは、家庭学習中の質問に答える写メとファイル、メールくらいなものだ。授業は相変わらずホワイトボードとプリントだけ。これは、何を意味するのか。

 

 結局、指導は講師と生徒という人間だけの問題なのだ。

 

ダメな予備校は暴走族講師とか大きなビルで話題を狙うが、勘違いも甚だしい。私はそんなものに釣られる生徒は要らない。難関校合格の見込みがないからだ。そして、その生徒の性格や基本的習慣はどうやって形成されるのか。そこに、保護者の存在がある。

 若い頃は気づかない。私は大学で合コンで馬鹿さわぎをしている時、両親が親戚に頭を下げて借金をしていることを知らなかった。卒業して働き始めたら生活レベルが落ちて不満に思っていたが、その頃父親も母親も借金の返済で大変だったことを知ったのはずっと後のことだ。親不孝だった。

  でも、自分が親になって分かったが私が一生懸命に勉強して四日市高校、名古屋大学と難関校に合格していったので無理してでも助けてくれたのだろう。そして、一生懸命に勉強した理由は、おそらく商売人だった両親が日々一生懸命に働いているのを日常的に目にしていたかららしい。

  小さい頃から、その両親の期待に応えたい思いも強かったのだ。今、受験指導をしながら思うのは保護者の存在の大きさだ。モンスターペアレントの子供はたいていダメな典型の子だった。

 学校や塾がいくら進化しても、親にはかなわないのだ。

よろしくお願いします。

 

第三十五章

「日本一の受験マニア」

 私はアメリカから帰国して自身満々で英検1級を受けに名古屋に向かった。だって、受験勉強ではノイローゼで倒れるまで勉強した。大学ではLL教室に通い、帰宅後はECCに通い、NHKの番組を見て、アメリカで1年間勉強した。受験勉強では名古屋大学に合格し、英会話ではアメリカで生活に困らないレベルまで引き上げた。

 これで落ちるわけがない。ここまでやった人はいない。100%の自信があった。それなのに、落ちてしまった。信じられなかった。心が折れそうだった。

「英検なんか本当の英語力をはかってない!」

 と周囲に八つ当たりをしていた。しかし、途中でやめるわけにはいかない。それで、これで最後だと思って翌年受けてみた。それで、筆記試験に合格した時は

「これで合格した」

 と内心確信した。なのに、合格するはずの二次試験で落ちた。信じられなかった。もうダメだと思った。それまでに、持っている時間もお金もすべて英語の勉強につぎ込んでいた。子供が生まれて自分に投資する余裕がなくなっていた。

  しかし、筆記に受かると翌年は筆記が免除だったのでダメもとで面接試験だけ受けに行った。そしたら、合格した。もう一回受けたら合格する気がしない。その後も、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級、慣行英検1級などに合格したわけだけど、どれもこれも失敗の山が築かれた。

 今だから笑って公開しているが、39通の「合格」「不合格」通知は機械的に受けていたわけではない。その都度「もうダメだ!」と心が折れそうだった。「もうやめよう」と毎回思っていた。しかし、何も分からない娘たちの顔を見ていたら父親として折れるわけには行かなかった。

 「落ちた!」「もうだめ」「こんなバカな」「もうやめた」「もう一回だけ」「こんな知名度の低い資格は要らない」「こんな父親ではマズイ」「受かるヤツいるのか?」「こんな資格なくても中学生の指導はできる」「でも、今を外すと一生ムリかも」。こんな繰り返しで10年ほど過ぎた。

  これは、京都大学を受ける時もそうだ。まずは、Z会の「京大即応」コースを始めた。真っ赤になって戻ってきたから、最初は

「スゴイなぁ」

 と思った。しかし、2年、3年と続けて気づいたことがあった。それは、人間の脳が一度に10以上の情報の処理はムリということだ。

アイエンガ―という人の研究からわかったことなのですが、人は選択肢が多すぎると、選択する事すらやめてしまう。それも無意識的に。沢山あると選択肢の区別が難しくなるためにこういうことが起こると考えられています。

 真っ赤になるほどの訂正をされると、もはや間違いを見直す気さえなくなり学習効率が落ちるのだ。それで、私が自分で添削を始めた時はポイントを出来るだけ絞るようにした。ある程度の学力のある子は、その学習効果に気づいたらしく最後まで継続してくれた。

 ところが、ダメな生徒は添削者が汗をかいて訂正だらけになると高く評価する。時には、私の訂正が少ないことを手抜きだと非難する人もいた。そういう人はもちろん怒って途中でやめてしまう。

 河合塾や駿台の「京大模試」を10回受けた時も大変だった。試験会場は言うまでもなく全員高校生か浪人生。私のような50代のオッサンはいない。だから、目立ってしかたない。教室に入って行くと必ず周囲の目が集まり、視線が痛かった。

 そして、気づいた。赤本の問題より遥かに難しい。これは、自分で塾経営をしていたので事情はすぐに察知できた。本番より簡単な問題を出題して本人に変な自信をつけさせてしまうと、無謀な受験をしてしまう。すると、後で

「模試で合格可能性が高いと出たから受けたのに、落ちたぞ。責任とれ!」

 と突っ込む人が必ず出てくる。だから、必要以上に難問を出すわけだ。和田秀樹さんの「新・受験技法」を読むとD判定、E判定でも合格する子が毎年いる。

  こういう分析をする一方で、

「今日もオジサンは私ひとりだったなぁ」「オレ、一体なにやってんだ?」「こんなことして誰が喜ぶんだ」「ここまでやらなくても生徒の指導はできるし」「このお金を全部別のことに使ったら、何ができるのかな」「こんなレベルの高い数学を必要とするのは1000人に1人か」

  毎回「もう、これでお終い」と思っていた。英語や数学の勉強と受験にかけるお金を塾の宣伝広告費にかけた方が儲かるかもしれない。実際に、英検1級や京大二次で7割の数学を必要とする子など、当時はほとんどいなかった。

  娘たちの顔を見ると、申し訳ない思いがしたものだ。この子たちのためにお金を使い、一緒にいてやるべきではないか。そういう葛藤の連続だった。でも、生命保険を解約までしてA子ちゃんを支えていたお母様のことを思うとやめるわけにはいかなかった。

「旅行に行く時まで勉強なの?!」

  と、もと奥さんに責められた。結局、理解されなかったようだ。バツイチになってしまったから。子供たちに悲しい思いをさせて無念だった。でも、自分では必死で父親と塾長の責務に奔走していたので、ダメ出しをされても何もできなかった。

「こめんね」

  

第三十六章

「下町ロケット」

技術者はみんな自分の無力さを知ってるよ!私が今日、娘の事で喜びを感じたのは特許のおかげなんかじゃない。この服のシワをどうやったら簡単に伸ばせるか。ただそれだけを思ってアイロンを創りあげた技術者の想いがあったからだ。例えこの裁判で負けたとしても・・・ナカシマに特許を奪われたとしても・・培ってきた技術力だけは決して奪えない!

 「下町ロケット」は面白かった。銀行はあのまま。私も経験した。調子の良い時は擦り寄ってきて、調子が悪くなると手のひらを返す。大企業も同じこと。傲慢で金儲けだけでロマンがない。例外はあるけどね。

 非難するつもりはない。銀行員は自分では独創的な仕事ができないから銀行員になっている。大企業はロマンではなくて、従業員を養うことが優先する。食うためなら何でもやる。 零細企業だって、ドラマだから感動的なだけで現実は大企業の言いなりで裏切られて夜逃げの上に一家離散なんてよくある話だ。しかし、金儲けに走ると独創的な開発が難しくなる。大きなリスクを取れなくなるからだ。

 TV番組は同じプラットフォームで、同じような俳優さんが演じていることが多い。しかし、ある番組は大ヒットして、ある番組は惨敗する。なぜか。それは、冒険できるか。そこに想いが込められているか。

 私は少林寺拳法の愛好家だ。黒帯を持っている。同じキックやパンチなのに、どうしてブルース・リーのキックは感動を呼び、他の格闘家のキックは感動を呼ばないのか。それは、彼自身が言っている。Emotional content つまり、気合だ。

  受験勉強も同じことで、同じ授業を受けて、同じ問題週を使っているのに学力に大差がつくのは何故か。もちろん、才能の違いはある。しかし、才能など結果の説明に使うだけで最初は分からない。見えない。

 できる子とできない子の違いは、いろいろある。基本的な生活習慣、ポジティブな人生観、豊かな感受性。そして、一番大切な「集中力」。こういうものが揃わないといくらマニュアルを見せても役に立たない。

 ある有名な小学生英会話教室が

「先生になる夢かなえます」

 という女性講師の募集を行っている。ここには、生徒目線がまるで無い。講師になる女性に夢を与えることだけが大切。教室を増やすことだけが大切。つまり、金儲けが大切。

 これも非難するつもりはない。家庭にいる女性に収入の機会を提供する立派な仕事だ。ただ、大人の論理と生徒の論理は違う。生徒には、女性講師が有能か否かが全てであって雇用状況など関係ない。

 コンビニのようにマニュアルどおりの授業、全国一律の教材。これでは一番大切な気合が入らない。工夫の余地がない。コンビニ弁当と同じだ。手料理の良さはない。 大規模化すると、どうしても人間らしさが消える。マニュアル化する必要があるから当然だ。教室ごとの違いが出ると困るので当然なのだが、残念なことだ。

 銀行員や公務員のような巨大組織の一員になると、個人の工夫の余地は全くなくなる。気合を込めたり、全身全霊の情熱を傾けるためには

「失敗したら全てが終わる」

 という過酷な中小企業の環境の方が適している。人生を賭けて勝負に出るリスクが火事場の場火事からを求めるからだ。もし、銀行屋さんが人を見る目があれば惨めな結果にならなかっただろう。肩書きや立場で人を判断するから痛い目をみる

 当塾の特別個人指導クラスは満席だ。地元中学のトップクラスの子や、四日市高校や桑名高校のトップクラスの子ばかりだ。なんで、そんな子たちが大規模校に行かずに田舎の小さな個人塾を選んだのか。それは、賢い子たちは肩書きで塾を見ないからだろう。

第三十七章

「胆管結石と通風の痛み」

 病気の中でもっとも痛みの激しいものを挙げると、結石と通風と言う人が多いそうだ。私は両方とも経験している。30歳の頃、授業をしていたら突然脇腹に痛みが走りその場にうずくまり病院に担ぎ込まれた。名古屋の河合塾学園に非常勤講師の職が決まったばかりだったので、病院から手術で1ヶ月ほど勤務できなくなったと電話をしたことを覚えている。

 短期間の入院ですむ腹腔鏡手術を希望したら無理だと言われ、手術を避けて音波で割ることは出来ないか尋ねたら石がバラバラになったら事態が悪化すると言われた。結局、開腹手術になってしまった。ベットの上で身動きできず、寝返りもままならなかった。その時に考えた。

「好きな所に行けて、好きなものを食べられるって最高だなぁ」

  私はもともと酒、タバコ、ギャンブル、女遊びなどとは無縁の生活をしていたが、そうした行為の愚かさを改めて認識した。通風だってそうだ。肉食やストレスが良くないそうだが、ストレスのない生活など無理ではないか。しかし、歩くことも出来ない痛みの中で考えた。

「くだらないことで悩むのはやめた。下らぬプライドや馬鹿な人のことはスルー」

 若い頃は、運動でも勉強でも限界に挑戦し続けて倒れるまでやった。しかし、歳をとったら無理をすると本当に死んでしまう。自然に無理をしない自然な生き方をするようになった。

  10倍の収入があっても10倍食べられるわけではない。100倍の収入があっても100人の妻が持てるわけではない。食欲とか性欲など空しい。金銭欲もむなしい。そういう人生観に変わっていった。

  英語が話せても、数学の問題が解けても、楽しいけれど、それだけのことで誇る気持ちが消えていった。塾講師なので広報はしなければならないけれど、人として才能があるか否かは決定的なものではない。

  勘違いした人が「威張るな!」「バカは教えないのか」「自意識過剰」など罵倒が飛んできても、どうでもよくなった。無礼な人、非常識な人、素行不良の生徒などの相手をしていたらストレスで殺されてしまう。そんな人の相手はできない。罵倒されても、近づくつもりはない。毎日を穏やかに暮らすためには、礼儀正しく、常識を身に付けた人、礼儀をわきまえた生徒だけを相手にするしかない。

 もし、ここに100人の人がいて泳げる人が1人だけなら誰から泳ぎを教わりたいだろうか。もちろん、泳げる人だろう。ところが、人間社会ではそうなっていない。泳げない人の中には金持ちや社長もいるだろう。泳げる人が、ただの農家の人であることもあるだろう。

 すると、多くの人は金持ちや社長という肩書きに引きつけられて泳ぎを教わろうとする。そして、溺れて死ぬ。しかし、賢い人は肩書きやお金など関係なく、その人を見る。だから、溺れずに助かるのだ。

  名誉欲、金銭欲にとりつかれた人の末路は、えてしてそういうものなのだ。私は同情などしない。自滅してください。

 

第三十八章

「私の指導力じゃない」

 毎年、塾生の子たちが中学生は四日市高校、高校生は京都大学に合格していくと

「高木先生の指導力はすごい」

 ということになるらしい。卒業生の7割ほどが難関校に合格するようになってから知名度が上がった。でも、それは最初から成績が良い子が集まってもらえるから。また、イマイチの子は途中で塾をやめてしまう。結果的に、本番をむかえる頃には合格するに決まっているような子だけが残っているだけだ。

 私の指導力のせいとは思えない。同業者の方や、学校関係者の方が高い合格率の理由を教材や指導方法にあると思われ尋ねてくることがある。しかし、何も秘密などない。生徒の方がすべてなのだ。

 設問を立てるのなら、

「どうして賢い子が集まるのか」「どういう子が最後まで頑張るのか」

 であるべきだ。前者はよく分からない。たぶん、私が自ら英語の資格試験を受けたり、京大を7回受けたりして実証しているからかもしれない。後者はハッキリしている。性格がまっすぐな子だ。ゆがんだ性格の子では学力が伸びない。続かない。

 たとえば、数学の問題が解けない時の典型的な反応を2つあげると

「こういう問題は、どこに手がかりを見出すべきですか?」

 というのと

「こんなの習ってないからやる必要ないし、出題されない。問題集がおかしい」

 というもの。

 つまり、自分を進歩させよう、自分を変えようとするタイプと、他人を批判し、他人を変えようとするタイプ。後者の他人を批判するタイプの子は、どんな指導をしても満足しないので最後まで残らない。たいてい、志望校には合格しない。

 前者の自分を高めようとするタイプの子は最後まで残ってもらえる。そういう子ばかりが受けるから、私の塾の合格率は高い。お気づきでしょうか。ここに秘密があるのを。

  私は生徒に媚びて簡単な問題ばかりやらせて「スゴイ!」「大丈夫」なんて言わない。塾を去られても指導レベルを下げない。ここには、最悪の場合は塾が倒産することも覚悟の上という強い思いがある。

  自分で勉強してみて分かった。教科書準拠の問題集ばかりやらせる学校。同じ水準の問題ばかりやらせる塾や予備校。それでは難関校の合格は絶対に無理なんです。難関校に合格していく子の勉強法を見れば分かる。学校の宿題だけで満足するタイプじゃない。

 みんな赤本を2周も3周もやっているのだ。「解ける」では満足しない。「制限時間内で、合格点をつけてもらえる解答が書ける」までやり続ける。そういう子たちなのだ。必要なら、好きなクラブも犠牲にする。必要なら、生徒会も趣味も放棄する。友達から後ろ指をさされても気にしない。

  そういう子の背後には多くの場合、支える保護者がみえる。期待に応えるため頑張る。そういう生徒に、他人ばかり責める生徒は絶対に勝てない。そのことが分かっているので、私は指導レベルを下げられない。

 これは、自分でやった人。そういう生徒を指導している人でないと分からない。誰だってクラブはやりたい。誰だって趣味を捨てられない。でも、勉強を優先すべき時はきっちりやる。そういう子だけが「合格」をつかむ。

 

第三十九章

「クールヘッド、ウォームハート」

  cool head and warm heart(冷静な頭と、温かい心)

――アルフレッド・マーシャル

英国の著名な古典派経済学者、アルフレッド・マーシャルが、1885年のケンブリッジ大学経済学教授就任講演「経済学の現状」で述べた言葉。

 勉強ができる子の特徴は、常に冷静で感情的でないこと。微積分の問題を解こうとすると、生徒の反応は2つ。

「数学大嫌い。こんなのやって何になるの!」

 と叫ぶ感情型。その一方で、

「これは、どこから話を始めるといいかな」

 と解法について思索を始めるクール型。私はあまり怒らない。最近はマジメな塾生ばかりになってきたので、以前のように怒鳴る必要がなくなった。オタク型のように言われることもある。

 そういえば、私の指導させてもらっている四日市高校でトップクラスの理系女子は、一般で言われる女子度が低い。一般には、可愛いフリフリのついた服を着た女子特有の言葉を使う女子を、女子度が高いと言う。

 しかし、私の塾に来る理系女子はほとんどいつもダサいジャージばかり。よくて制服。そして、

「アホな男子に告白されて迷惑している」

 と平気で言う。バカにしているのではないですよ。数学の問題を解く時には、論理のみで語る。その延長上で、赤は赤。長いものは長い。そういう事実を客観的に述べているだけ。アホな生徒をアホということに躊躇がない。

 これでは9割の男子は近寄れない。でも、そういう女子は

「無理して結婚する気はない」 

 と言う。中年になった私は、彼女たちが優しいことを知っている。でも、たぶん高校生の男子にはキツイ子に見えるだろう。私も高校生の頃には、東大や京大に合格できるような理系女子は不気味に見えた。

 この歳になると、感情的な人がどれほど問題や事件を引き起こすか分かってきた。クールな頭を持っている人が本当は優しいのだということも分かってきた。痛みで叫びをあげている患者に同情しても始まらない。冷静に観察して、診断をつけ、治療をする人が一番やさしいと言える。私の指導している賢い子たちは、そういう子たちなのだ。

 知性に欠ける人たちは、

「大丈夫だよ。頑張れ!」

 と言うのが優しいと思う。確かに優しいだろう。そういう人も必要だろう。しかし、本当にその患者が求めているのは痛みを止めて治療してくれる人だ。そういう頼りがいのある人はクールヘッドなのだ。そういう人こそが、ウォームハートを持っている。中年の私はそう思う。

  だから、私は受験指導でも「優しく」ありたい。ところが、多くの生徒と保護者は「易しい」問題を扱い、「大丈夫」と言ってもらいたがる。それでは落ちるのに、そう言ってもらいたがる。だから、堕落した塾や知性に欠ける講師はそのように対応する。そして、落ちる。

 人気刑事ドラマ「相棒」(テレビ朝日系)の新シリーズ「シーズン13」が10月から2クールにわたって放送されることが、20日に明らかになりました。水谷豊(62)演じる杉下右京から異例のスカウトを受けて相棒となった成宮寛貴(31)演じる甲斐享が、今シーズンでは新たな成長を見せ、右京との関係にも微妙な変化が訪れるそうです。

超音波の殺人ツールを使えば胸に壊死ができることを軽く見たのが敗因だと、言われる田上。
ビールをコゴクンと飲みほす。
「あれは、失敗作だ。」
顔色が変わる田上。
「失敗作?」
「君のことを雇おうと考える軍事産業の関係者はいないね。」
憤りを必死でこらえるように語る田上。
「あなたが、絶賛した僕の卒論、あれを書いてた頃から考えてたんだ!5年かけて作りあげた。これから改良を加えれば・・・」
「君にはできない。」

 

 こういう経験を繰り返すと

「私がヒントを与えても、真意を理解できる生徒がほとんどいない」 

 と気づく。それでは、自分が今まで勉強してきたエッセンスを次世代に伝えられないではないか。すると、上記の「相棒」の杉下右京が部下をスカウトしたのも、ガリレオの湯川先生が田上にガッカリしたのも納得できる。 自分の技術を後輩に伝えようと思い始めたら、気づいてしまう。継承できるクールヘッド、ウォームハートを持っている若者がなんと少ないことか。絶妙のヒントを与えても

「授業に関係のないことはやめてください」

 と言う生徒に何度会ったことだろう。逆に、ヒントは理解できたけれど自分の出席や金儲けしか考えない生徒もいた。以前はA子ちゃんのような生徒は10年に一人くらいしか出会わなかった。

  しかし、今はそういう生徒が塾に何人もいる。本当に嬉しいことだ。できるなら、そういう子たちの背中を押して人類の役に立つ仕事をできる場を確保させてやりたい。

  私がA子ちゃんのような生徒を一生懸命に合格させようと頑張っていたら

「他の生徒が落ちても構わないのか!」

と言った人がいた。本当に頭が悪い。私が高木教育センターの塾長だ。塾生の合格のためなら何でもする。それは、結果的に塾生ではない子を落とす努力とも言える。ひねくれた人が見ると。左翼の先生によく見られる典型的な偽善者か、視野狭窄の人。なんで、そんな人が先生をしているのか不思議だ。

そんな競争の全否定教師が、運動会でみんなお手々つないでゴールインとか、学芸会で全員主役を持ち回りとか、ありえない教育を展開する。ここ三重県では、業者テスト追放で業者が倒産したし、偏差値追放、順位は本人にも隠蔽するという典型的な左翼教育が蔓延している異常事態だ。生徒が気の毒でならない。

実は、運動会でリボンなどを与えて順位を明確にする学校は少数派だ。東京都小学校体育連盟の調査(1997年)では、都内の小学校の約8割は、運動会で子どもたちの順位をつけないようにしている。ゴール前で手をつないで一緒にテープを切らせたり、足の遅い子には距離の短いコースを走らせるなどの工夫もしている。

ときどき洗脳されてしまった生徒や保護者が塾にやってみえる。とても受験指導ができない。受験とは、競争そのものなのだから。そういう方は、オリンピックの金メダルも、学問もノーベル賞も、文学の芥川賞も、音楽のレコード大賞も、すべて「差別」に見えるのだろう。

子供たちをダメにしたいのか?妄想ではなくて現実を見ると、社会主義の親玉だったソ連はとうの昔に崩壊した。生き残っている社会主義の国は、北朝鮮や中国やキューバ。こういう国がユートピアで、国民は西欧諸国や日本より楽しい生活をしているのだろうか。人権が守られているのだろうか。

 これからの国際社会で、息子や娘たちが生きていくためには受験だけでなく就職試験や、その後の企業間競争に勝ち抜いていく力をつけてやらなければならない。私は後継者になれるような子に、自分の技術を伝えていきたい。

 そうでなければ、死んでも死に切れない。

 

第四十章

「Bくんのこと」

 私の大学時代の友人にBくんというのがいた。医学部だから頭は良かったが、

「医者はええなぁ。女のパンツの中が見放題やもんなぁ」

 と公言する変態だった。彼は早熟で、大学時代に親に内緒で同棲していた。大人だった。詳しくは知らないが、相手は看護婦さんらしかった。彼は、私の目には遊び人だった。

ところが、ある時からその女性が彼の周囲から見えなくなった。話を聞くと別れたという。彼女が二股をかけていたそうだ。もう二度と女は要らない。これで清々した。勉強に専念できると言っていた。

私も似たような経験をしていたので、話が合ったのだ。私が自分の経験談を同級生の女子に話すと

 

「別の男を気にするなんて、高木くんちっちゃい」

 と言う。とても、ついていけない。

「ボクは女性とうまくやっていけないのではないか」

 と思った。

 それから7年後に結婚した。自分としては頑張ったつもりだったが、結局バツイチになった。悪い予感が的中してしまった。結婚してから14年目のことだった。

 小さかった子供たちに可愛そうなことをしてしまった。両親にも心配をかけてしまった。本当は平凡でも幸福で安定した家庭を築きたかった。仕事にかまけて家庭を放り出したと思われたらしい。無念だった。

 しかし、私の才能も、時間も、体力も限界があって、どうしようもなかった。無力感を嘆くヒマもなかった。でも、心のどこかで

「これで自由になれる」

 と思っていた。前にも敵、後ろにも敵では身体も心ももたない。

 Bくんは、今はある国立大学の大学病院で医者をしている。彼は、別れた彼女に未練があったが捨てた。賢いヤツだったから、女と医者の勉強の両立は無理だと悟ったらしかった。

 彼は、

「犠牲が多いほど真剣にやれるんや!」

 と言っていた。私もそう思う。やりたいクラブをやり、やりたいデートを楽しみ、育児も仕事も何でもこなす。どれ一つも諦めない。そんなスーパーマンはいない。私はフランス語の勉強をしているが、死ぬまでに英語とフランス語で精一杯。世界にいくつの言葉があるのだろう?

 捨てたものに思いが残っているからこそ、

「時間を無駄にできない」

 という打ち込む気持ちが真剣になるように思う。Bくんは医学部の授業料を捻出するために親が田んぼを売ったことを知ってしまった。

「おれ、いったい何やっとんのや!」

 と目覚めたらしい。そういう犠牲の上に自分の生活が成り立っている。その自覚が彼の背中を押した。Bくんの彼女は悪くない。 Bくんも悪くない。誰も悪くない。それでも、うまくいかないことの方が多い。それが人生というものだろう。

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