プロフェッショナルの意識は大事だと思う。
けれど、その道のプロだからと言って、
周りが見えなくなってしまったり、
自分は悪くないと他人の意見を退けたり、人のせいにする。
自分が常に正しい、と思い込んでいては
周りはすべて敵になってしまう。
今の自分に慢心することなかれ。
柔軟な気持ちや対応、周囲を見ることができてこそ、プロだと思うのです。
どんなに相手が自分のファンであったとしても、
プロとしての意識を失ってしまっては、
それはただの自己満足。
相手からの信頼を、自分の慢心から失ってしまうこともあるのです。
大好きなケーキ屋さん
私が贔屓にしているケーキ屋さんがあります。
私は育った場所が非常に田舎だったため、
ケーキ屋は1件しか存在しておらず
そこの味しか知らなかったし、
特別な日しかケーキは食べることが出来ませんでした。
田舎から出てから、自分が食べたいときにケーキを買えるようになりました。
そのうちの1件のケーキのスポンジが、
非常に柔らかく水分を含んでしっとりとしており、
そのスポンジに惚れて、
お気に入りのお店となったのです。
子どもの誕生日が水曜日だったある年、
私が住んでいる地域のケーキ屋は
水曜日定休を暗黙の了解としているのか、
どこも開いている店がなかった時がありました。
そのお気に入りのお店に電話で相談してみたら、
なんと定休日なのに、ケーキを作ってくれるとのこと。
子どももそこの店のスポンジが好きなので、
誕生日ケーキに満足してくれて、親としても大変嬉しかったのです。
他にもこんなことがありました。
お店に買いに行ったら、
小学生の女の子がおつかいでケーキを買いに来ていて、
両手がふさがっているのを見て、
お店のおばあちゃん(店主のお母さん)がレジから出てきて、
女の子のためにお店の扉を開けてあげて、
女の子を見送っていました。
店主と、おばあちゃんと、従業員がひとり。
地元の小さなケーキ屋さん。
私は特別な日も、そうではない日も、
このお店でケーキを買っていました。
私は、このお店が好きだったのです。
・・・でも、もう行かないかもしれない。
クリスマス・イヴの出来事
あるクリスマス・イヴの事、
ケーキ屋さんはもちろん超繁忙期にあたります。
私も接客業ですから、11~12月は超繁忙期、
でもその年、夫が入院していた関係で、
早めに仕事をあがらせてもらっていました。
仕事が終わってからのことなので、恐らく夜19時くらいだったでしょう。
夫が入院している病院の隣に、このケーキ屋はありますから、
夫のためにケーキを買いに立ち寄りました。
このケーキ屋さんは20時まで営業しています。
私は1つしかないレジの順番待ちで並んでいましたが、
お店の隅の方で、OLらしき方が涙ぐんでいるのです。
店主さんが対応されていましたが、
どうもご予約されたケーキが、
手違いでか用意されていなかったようでした。
ああ、困るだろうなぁ、と私は思いました。
そのOLの方の服装からして、仕事帰りに違いありません。
きっと家にお子さんが待っていらっしゃるのでしょう。
クリスマス・イヴですから、おうちで待っている子どもたちのために
ケーキを買って帰る予定だったのだろうな。
もう夜ですから、他のケーキ屋さんは閉店しているはずです。
どんなにお子さんをがっかりさせてしまうだろうか、
それを思うと、このお母さんは心が痛むのだろうな・・・と想像できました。
でもクリスマス・イヴ。
ショーケースにホールケーキは1個も残っていません。
このOLの方は、やむなくショーケースにあった他のケーキを購入されました。
きっとどこのケーキ屋も閉まっているし、
運よく開いていてもホールケーキはないでしょうから。
店主はごめんなさいね、ごめんなさいね、と口では言っているけれど、
それ以上の対応は・・・・何もなかったのです。
OLの方が他のケーキを選ばれた時、
差額はいくらです、と伝えていました。
なんという残念な対応だろう、と思いました。
予約がなかったから、用意できなかったのは仕方がない、
お店としては落ち度がない、
というだけの問題ではないと思うのです。
目の前のお客様の後ろには、
ケーキを楽しみにしている家族がいるのです。
残念な思いをさせてしまったことには変わりないと思うのです。
例え予約がなかったにしろ、
用意できるホールケーキの在庫がゼロだったにしろ、
新たに別のケーキを購入してもらい、
差額を請求するのはどうなんだろう? と思うのです。
差額請求は正当なのかもしれません、
でも店主として、お客様にとって最善の方法、手段を
自分の裁量でその場で取れたはずではないか? と思うのです。
この店主が単に接客が下手なだけかもしれないけれども、
謝罪も、ごめんなさいねぇと口だけではなく、
しっかりとお客様に向き合い、頭を下げて
口下手であっても謝罪の意を伝えるべきではないだろうか?と思ったのです。
だってお客様は泣いておられたのですから。
店主にしてみれば、
予約もしていないのに言いがかりだ、
と思ったから、その対応だったのかもしれないですが。
この店主さん、ケーキは美味しいのに
残念な接客だなぁ・・・と思いながら、それでも私は通っていました。
は? その対応の意味が分からない。
そして、先日、
ケーキを買いに行った時のことです。
私は会社用と自宅用と、レジを分けて2回買い物をしました。
レジはおばあちゃんでした。
最初に会社用。
焼き菓子を買い、数が多かったので
お店の奥から店主が出てきて、
おばあちゃんを手伝って袋詰めをしてくれました。
その間におばあちゃんがレジを打ち、
打ったレシートを私に見せてくれました。
私はそのレシートを見てお金を支払おうと、小銭を用意している間に、
店主がもう一度レジを打ったのです。
つまり、1回の会計を2回レジ打ちしたわけです。
それを、おばあちゃんと店主が言い争いを始めたのです。
店主さん「打ったんだったら言ってよ、レジばかり見ているからまだレジ打っていないんだと思ったじゃない」
おばあちゃん「もう先に打ってあるんだよ」
・・・お客の前で、するか? 親子喧嘩を。
お支払いを済ませ、その後に自宅用を注文しました。
お金を払う前に、このお店のポイントカードがいっぱいになっていたので
金券として使用しようと、レジに出していました。
するとおばあちゃんはそれを見逃し、
レジを打ってレシートを切ってしまったのです。
私「えっ、この金券を使いたかったのですが」
おばあちゃん「え? そうだったの? もうレジ切っちゃったよ」
店主さん「今日のポイントついたのは次回来店時から使えるから」
・・・意味が分からない。
金券になるポイントカードを見れば、
今日の買い物でいっぱいになったのではないことは一目瞭然です。
でも金券を手に取って確認するわけでもなく、レジを打ち直すこともない。
そして、おばあちゃんは言いました。
おばあちゃん「金券として使いたかったら、次は会計より先に出してくれなくちゃ」
ああ、なんという残念な対応だろう、と思いました。
ポイントカードがいっぱいになるということは
リピーターであり、自分の店のファンであることは分かっているはずです。
ファンに対しても、こういう接客なんだなぁ、と
心から残念に思いました。
地域密着型で、きっとたくさんのファンはいる。
だから私ひとり、顧客が減ったからってどうってことはないのでしょう。
自分の店の接客に納得いかないんだったら、
来なくていい、と思われるのかもしれない。
淘汰ですから。
でも、だからといってそれにあぐらをかいていて、いいのだろうか。
それは慢心ではないのだろうか。
ケーキは美味しいし、大好きなんだけれど、
でも買い物に来るたびに、きっと自分の中で
胸の中にあるつっかえが、
わだかまりが大きくなってしまうだろう、と思う。
以前見た、クリスマス・イヴの時の対応は
自分ではなく傍観者だったから、
残念と思いつつも、ケーキを買いに来ていたけれども。
その時に抱いた違和感は、いざ自分事になったら、
やはり納得できるものではなかった。
もうすぐ、子どもの誕生日だけれども、
そのケーキは、このお店で買いたいと思えない。
子どもの生誕を祝うケーキは
やっぱり晴れやかな気持ちでお祝いできるケーキであってほしいから。
でも、このケーキ屋さんに感じた事を自分に向けた時、思う。
私は我を通し、頑なになっていないだろうか。
意志の強さや信念と思っているものは、
実は慢心にはなっていないだろうか。
信念とは、それ以外の意見や思いを全面拒否するものではない。
私は、人の意見や思いに対し、耳を傾ける謙虚さを持っているだろうか。
プロとしての意識を持って、お客様に接しているだろうか。
あなたも考えてみてください。


