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15/10/23

高木教育センターのありふれた日々(3)

Image by Olia Gozha

高木教育センターのありふれた日々(3)

第十九章」 「悪ガキ」

第二十一章 「名大教育学部、河合塾、駿台、Z会」 

第二十二章「ボクが大規模校を辞めたワケ」

第二十三章「めいなんランチ」

第二十四章「美空ひばり」

第二十五章「ガリレオの湯川先生」

第二十六章「悪魔の銀行」

第二十七章「浮きこぼれに光を!」

第二十八章「受験の真実」

第二十九章「ある塾の倒産」

第三十章 「福山雅治はハイスペック女子と結婚すべきだった」

第三十一章「知らないと損をする」

第三十二章「あっち側と、こっち側」

 

 

 

 

 

 

 

第十九章

「悪ガキ」 

 

   私は四日市高校や中学生の学年トップクラスの子がたくさん来てくれて気づいたことがある。それは、みんな孤独の中に生きているということ。本人たちは気づいていないことが多い。

  たぶん、数学の普遍的な真理にくらべたら人間関係など重要性が感じられないのだろう。はっきりと邪魔だという子もいる。もちろん、賢い子たちだから私が同類であることを分かっての発言だが。

  そして、そんな生活態度が自然に彼らの成績を上げていく。

    

  科学技術が作り上げたスマホやインターネットに目を見張り、自分もそういった世界に加わりたいのだ。研究室で研究しているイメージが好きらしい。

  そこに他人はいない。妬みやイジメやドロドロした人間関係など、研究に何の関係もない。うっとおしいとしか感じられない。微分積分やベクトルに集中したいのに、横槍を入れて欲しくない。

  科学技術からは便利なものが次々に生まれてくるけれど、人間関係でドタバタすることからは争いばかりが生まれてくる。そんなロクでもないことに時間とエネルギーを使いたくないのだろう。

  異論があることは分かっているが、彼らのような人間も必要だ。

 

  四日市高校や桑名高校に合格した子は、みんな

「同じクラス子たちは礼儀正しいし、アホな子がいないので助かる」

  と言う。中学時代にどんなにアホな子たちに悩まされたか愚痴ってくる。その経験が

『ということは、ランクが上の大学に行けば・・・・』

 と、勉強にも身が入るようなのだ。

 だから、勉強したいなら進学校に行った方がいいと大人たちは言うのだ。

 

  もちろん、受験の面から見た場合の話だから生徒が全員そんな子ばかりである必要はない。でも、パティシエになりたい子と、アスリートになりたい子と、研究者になりたい子が同じ勉強をすることは無理がある。

「みんな仲良くやりなさい」

 と言っている大人たちは、言うだけで実行していない。料理人は料理人と切磋琢磨するし、オリンピック選手はアスリートばかりで練習を繰り返す。もちろん、研究者は学者どうしで情報交換をする。

 

 

 

  それでいいのに、強制的に机を固めて教えあいを強要する。クラブは強制的に参加をさせる。みんな同じ宿題の提出をしないと罰まで加える。

  これでは、嫌になってしまうのは当たり前のこと。自由がないところに、進歩はない。

  日本の公立中学校にはワルが多い。だから、締め付けないと秩序が保てないと教師は考える。それは、理解できる。しかし、ワル用の締め付けを自由にやらないと伸びない子に適用するのは間違い。

  そんなことをしたら、真面目に伸び伸びやりたい子たちがダメになってしまう。

 


   大安中学校         藤原中学校  

  私は現実の学校や生徒のナマの声を書いているだけ。誰かを批判したいわけではない。困っている生徒が多いことを見過ごせないだけだ。

   先日も、騒がしいので窓の外を見たら小学生の高学年らしい子どもたちが私の家の庭やら家の周囲を走り回っている。怒鳴りつけてやった。人の家の敷地は遊び場ではない。

  アメリカなら撃ち殺されても文句は言えない。頭がイカれている。そんな生徒に微分積分が理解できるわけもない。理解したいとも思わないだろうが。

 私の指導させてもらっている生徒の感覚は、そんな感じです。

「他人の家に勝手に侵入してはいけない」

 その程度の感覚があるから、とても一緒にやっていけないのだろう。

 

  こういうことを書くと批判が殺到することは承知している。

「そういうワルを指導するのが先生の仕事だろう!」

  というヤツだ。しかし、私はそんなことを口にする人に問いたい。

「何をされても黙って笑っているのか?」

  と。アホくさ。ここがアメリカと日本の決定的に異なる点だ。ユタ州なら、怒らせるような行為をする方が悪いと言う。しかし、日本では怒る方が心が狭いと批判される。

  人間は聖人君子ではない。それに、聖人君子ならワルを許したりしない。

 

『刺殺された教え子を悼む』

-黒磯市女教師殺害事件・心なき新聞論評記事に憤りつつ-

植村憲治(都留文科大学教授・数学)

 栃木県黒磯市の中学校で、私のゼミの卒業生腰塚佳代子が男子生徒に刺殺された1月28日夕刻、私は長引いた会議の疲れを癒やすため同僚と八王子市内で談笑の一時を過ごしていた。明日への活力を取り戻して帰宅すると、小学校一年生の息子が「お父さん、大変だよ、お父さんの教え子が刺し殺されたよ。」と子供としては精一杯緊張した顔つきで教えてくれた。その時点では誰のことだか分からず、学長へ連絡をとった。学長の口から腰塚佳代子の名前を聞いた瞬間私の目の前には、学生時代の朗らかな、そして思慮深さが伺える、いかにも知的な彼女の笑顔がはっきり浮かんだ。その笑顔は今でもしばしば私の目の前にある。まさに今この瞬間も文字の向こうに浮かぶ彼女の笑顔を見つめながら鎮魂とも言うべき一文をしたためている。

アメリカでは校内犯罪の凶悪化に対応して教師が警察から最低限度のサバイバル術を
伝授されているケースが非常に多いそのサバイバル術の中で銃やナイフを突きつけられた場合の必要な身の処し方として以下の4点があげられる
1.抵抗しないこと
2.議論しないこと
3.不意の行動をしないこと
4.相手の命令や要求に率直に従い、
 相手が怒っているのであれば
 すなおにあやまる
これを実践することによって死という最悪の事態は回避できる

 

  第二十章

「トラウマと思い出」 

  亡き父はウザかった。しかし、私は父の助けと理解がなかったら大学にもアメリカにも行けなかった。言葉にしきれないほど感謝している。生きている間に感謝の言葉をかけるべきだったが、もう遅い。

 

  私は名古屋大学を卒業した後、名古屋駅前に事務所を構えるある会社に勤務した。つまり、誰でも知っている大手だ。そこには第一営業部で売った教材を買ったお客様を集めて塾で指導するビジネスモデルの会社があった。講師たちは第二営業部に属していた。名前のとおり、社長は教材の営業が第一で、講師などオマケ扱いだった。

  ある日、社用車を駐車場に置こうとしたらスペースがない。社長に言うと

「そこらに置いておけ」

  それで。

「そんなことしたら・・・」

 と言いかけたら

「いいんだ!」

 とさえぎられた。もちろん、その後苦情がきてボンネットの中のパイプを引き抜かれてしまった。謝罪に行かされた。

 また、別の日には塾に保護者の方がみえて

「営業の人がうまいことを言って」

 と苦情を言われたので、社長に伝えたら

「おまえは、営業の者が汗水垂らして売ってきたものを」

 と罵倒された。

「金のためなら、何でもありなんだ」

 と思い知らされた。大手なんて、どこもこんなもんだ。名古屋駅前に事務所を構えるためには必要な経営哲学なのだろうが、教育とは無縁の世界。

ただ、私は生徒アンケートで40人中2番の人気講師だったからマシだった。生徒の支持のない講師など

「いくらでも代わりはおるんやぞ!」

 と恫喝されて気の毒だった。もう限界だった。ちょうどその時に、アメリカに行くことになった。名古屋大学を出て、転職を繰り返し、あげくに自分が戦争で戦ったアメリカに行くと言い出した息子を父は気持ちよく送り出してくれた。今思うと、心が痛む。

 アメリカについて、どこまでも青い空。広い空間に心が表われた気がした。しかし、日本で培われた人間不信のトラウマはなかなか消えなかった。

同僚の理科教師アランに

「今日、パークシティに行くがついて来るか?」

 と尋ねられても

「何か裏があるんじゃないか?」

 と警戒した。人を信用していなかった。ところが、エリックが水上スキーに連れて行ってくれた時も、校長会がヨットのセーリングに連れて行ってくれた時も、単なる親切心で、裏など何もなかった。

  それで、あまりのことに混乱して、親しかったロンに

「なんでローガンの人はこんなに親切なんですか?」

 と尋ねた。すると、

「うーん、難しいな。たぶん、この世で良い行いをすると神様が見ているから」

 と言う。

「そんなバカな!そんなことあるかい!」

 と思っていたが、違った。本気でそう考えて行動しているらしかった。

 日本に帰国後に、四日市のキリスト教会に通った。でも、日本の教会はアメリカの教会と全く違った。ある時

「高木兄弟は、仕事と教会のどっちが大切なんですか?」

 と尋ねられた。それから教会に行っていない。

 

 結婚する時は、義理の母親に

「なんで名古屋大学まで出て塾やっとんの!」

 と反対された。

 ある時、電話がかかり

「A塾が高木先生は塾を閉鎖するからA塾に移るように言われたけど、そうですか?」

 とのことだった。

「日本人はバカか!!」

 と本当に嫌になった。渡米する前は日本人であることに誇りを持っていたが、今はそんな誇りはない。ユタで会ったアメリカ人は、私の周囲にいる日本人よりずっと上等だった。

 

  そんな時にA子ちゃんが塾に来てくれた。彼女はアメリカ人のようだった。裏がない。私は東員第二中学校でトップと評判の子や、北勢中学校で抜群の子と評判の子など何人も教えさせてもらった。

  ところが、前評判どおりの子はほとんどいなかった。こんな片田舎でトップと言っても、しょせん井の中の蛙でしかない。一番重要なのは、心の持ち方なのだけど殆どの人には、私の言うことが通じなかった。

  A子ちゃんは違った。経済的な困難さや過酷な環境が彼女の人格を磨いたに違いない。私が人間不信を感じさせる言葉を口にすると

「今まで出会った人が悪かっただけですよ」

 と慰められる始末だった。

 

最近のことを書くと人物が特定されるので書けないけれど、その後もA子ちゃんに匹敵するような素晴らしい子たちが集まってくれた。生徒の言葉によると四高や桑高で上位にいる地元の生徒の多くがほとんど当塾に集まっているそうだ。

 地方には高校レベルの英語や数学を指導できる講師がいないのも理由だろうが、共通しているのは人としての基本ができていること。表裏がない。

 娘たちや、彼女、彼らのおかげで私は英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級などに次々に合格でき、京大の数学でも7割がとれるようになった。今では、通信生が北海道から九州鹿児島までいてくれる。

  そして、近年の合格者は京大医学部、阪大医学部、名大医学部、三重大医学部、東京医科歯科大学と信じられないような結果となっている。これは、三重県の小さな片田舎の個人塾としては奇跡のようなものだ。

 おかげで、ブログに書いたらジャンルのトップにランキングされた。それもこれも、A子ちゃんをはじめとする素晴らしい生徒たちのおかげだ。感謝している。

 

 素行の悪い子、モンスターペアレントと呼ばれる人たちと接すると人間不信に陥る。逆に、素晴らしい子に出会うと豊かな気持ちになる。だから、アメリカでは

「怒る人より、怒らせる人が悪い」

 という哲学が徹底していた。ところが、日本では怒らせる人のことは視野に入っていない。

「教師たるもの、絶対に怒らずに、生徒を見捨てずに、体罰禁止」

 など、できもしない目標を掲げる。偽善と嘘の塊のようなスローガン。実態はイジメと徘徊と授業レベルの低下が広がっているだけなのに。

 

 私はそんな渦に巻き込まれたくない。

 今日も、マスコミは巨大なビルを映像で示す会社を持ち上げる。スポンサーだから大事なのだろう。メーカーなら理解もできる。しかし、教育関係つまり塾も同じ経営哲学でいいわけがない。しかし、ビルを大きさで塾や予備校を決める人が多いのだから驚いてしまう。

 

  私が自分の塾を建てるには、父の土地と家を担保にするしかなかった。するしかないというのは傲慢だ。してもらったのだ。大都市にビルを建てられるわけもない。

 

 賢い子もいるが、そんな現実の大人世界を見ると

「金が儲かれば何をしてもいいんだ」

 と思う中学生や高校生が増えるのは当たり前ではないか。私は30年も受験指導をしている。A子ちゃんが、その後どんな生活をおくっているのか知っているし、私の勤務していた名古屋駅前の会社はもう無い。

 

 短期的にはうまくいくように見えても、中身のない仕事をしても続かない。そんなものに頼って勉強しても、肝心なものが欠けているので成功するわけもない。世の中はそんなに甘いものではない。長期間、不特定多数の人をだますことは不可能なのだ。

 

  だからこそ、道徳や宗教がある。人は視野が狭くて近視眼だから絶対的な生きる原則が必要だ。教育関係なら、金もうけが全てではいけない。問題児だったBくんは暴走して一生ベッドの上だと聞いた。本当は悪いものは悪いと言わなければ、悲惨な将来が待っているだけ。なのに、ビルの維持費のために私たちは

「大丈夫、お任せください」

 と言わされていた。私はトラウマがあるし、ユタで経験したことを忘れるわけにはいかない。A子ちゃんのようなタイプの支持者も多い。ブレるわけにはいかない。

 

 もちろん、私は資本主義の論理は理解している。

「大きなビルが建つ。それは、指導法が良いから生徒が集まり儲かったからだ」

 そう考える人が多いので、

「そう考える人が多いのなら、でかいビルを建てれば指導法がいい証拠はビルだ」

 となるわけだ。

 

 しかし、そう考えない講師も多い。ビルを建てる資金を集める時間やエネルギーを勉強に集中する講師もいるわけだ。

 

 一時期、地方に高校の内容を指導できる講師が地方にいないため東京で講師が授業をして撮影したDVDを日本中に配信する予備校が流行したことがあった。しかし、そのビジネスモデルは受験サプリのような安価な動画の普及で崩壊した。Youtubeには無料の授業動画があふれている。

 

 ネットで英作文の添削を依頼すれば、誰かが添削してくれる時代だ。

 

 これでは、生徒も保護者の方も迷うのは当たり前だ。指導法がすばらしいからビルが建つこともあるかもしれない。そんなものに目もくれず、腕を磨く小さな塾の講師もいるだろう。無料で添削してくれる人は、本当に合格できるレベルにある人なのだろうか。浪人生が返答している場合だってある。

 

 私の塾生の子たちは、田舎の無名講師の私を信用してくれる。それは恐らく、

 

  • 英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連経験A級などに合格している。

  • アメリカ帰りで本場の英語を知っている。

  • 指導した生徒が、京大医学部、阪大医学部、名大医学部などに合格している。

     

 という事実を信用してくれているのだろう。私の方も、

 

1、地元の成績上位の高校生が多数通ってくれている。

2、通信生が北海道から九州までから申し込みがある。

 

 この二つの事実にどれだけ勇気づけられていることか。日本中の賢い子たちが支持してくれると、

「おまえがやっていることは間違いない」

 と保証していてくれる気がするからだ。

 

 

  私は自分だけが正しいと主張できるほど、傲慢ではない。ただ、科学の目を持ちたいと願っている。さまざまな意見があるのはいい。しかし、生徒や保護者を食い物にするのは許せない。

  賢い生徒が言うように、実証されたものだけが確かなのだろう。いろいろ試して、どれが合格に近づくために一番有効なのか試してみるのが一番だ。

 

 でも、そんな言葉に耳を貸してくれる人がほとんどいないことも知っている今日この頃。しかし、どんな状況になっても道を誤らずにいたい。

「自分は、どうして金ばかりに走らないのだろう」

 と思う。そして、思い当たるのはリンゴ箱の戸板の上に置いた靴。今では靴はダメになったら修繕などしないが、私が子供の頃は修繕していた。父は戦争から復員して何もできない状態から、靴の修繕を始めたらしかった。

  そういう父を見ながら育った私は、見せかけで商売をする危険性、欺瞞性が身に染みているのかもしれない。

 

 

第二十一章

「名大教育学部、河合塾、駿台、Z会」 

 

  私は名古屋大学の教育学部を卒業してから、名古屋の予備校、塾、専門学校で14年間非常勤講師をしていた。自分の塾があったので常勤講師はできなかった。その間に、河合塾講師にも駿台講師にも会った。南山女子の講師を兼任している人もいたし、著書を持っている講師もいた。だから、そういう類の先生がどういう人か経験的に分かっているつもりだ。

  それに、京都大学を7回受ける過程でZ会を8年間やり続けたし、河合と駿台と代ゼミの京大模試は10回受けた。そして、京大の英作文の添削を徹底的に研究した。それで、

「添削と訂正、模範解答がぜんぜん心に響かない。得点力が上がらない」

 と実感した。その時点で、英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検Aj級の英語力があったし、アメリカで1年間中学教師をしていたし、ネイティブと10年ほどの交流があった。その経験から分かったことは

「この添削も訂正も、生活感、実感がないから心に響かないんだ」

 ということ。では、なぜ生活感、実感がないかというと体験がないからだと思った。一度もアメリカを見たことがない人が、アメリカの町を語っても空虚だ。

「こう書けば京大のボーダーを越える」

 と一度も京大を受けたことがない先生が語っても、むなしい。アメリカで住んだ経験がないのに

「ネイティブならこう言う」

 と解説されても何かが違うことは高校生でも感じる。

 

  皆さんは大学の経済の授業がつまらないと感じたことがないだろうか。それより中小企業の社長さんの話の方が面白いと思ったことがないだろうか。私は教育学部の教授が

「こうすれば学校の授業は面白くなる」

 という授業がつまらなくて学生たちが寝ている状況がおかしいと感じていた。

「現場を知らないで理屈だけの話をするとこうなる」

 という良い見本だった。

  私が大規模塾や予備校で40人中2番の人気講師だった理由の一つは、これだと思う。私は実体験から語っていたからだ。だから、英検の指導を始めた時も自分で受けてみたし、京大の受験指導を始めた時も自分で受けて確認した。

 センター試験は10年かけて10回受けてみた。

 

 予備校や塾の講師の経歴を調べたらすぐ分かることだが、学者系の人が多い。つまり、英語なら

「文法書や辞書にこう書いてある」

 という説明をする人たちだ。これでは、生徒たちが無味乾燥の砂漠を歩いている気分になるのは当然だ。Z会の添削は、毎回添削者が異なっていた。どういう経歴の人が添削をしているのかは公開されていない。でも、間違いなく学者系だと思う。

  京大模試の方は、出会った英語講師か学生アルバイトが採点しているのだろう。講師でも京大を受けた人は少ないだろうし、受験生の数から考えたら講師だけで採点しきれるはずがない。学生アルバイトを使っているのは間違いない。

  つまり、ここ中京圏なら良くて名大の学生アルバイトが京大受験生の答案を採点しているわけだ。関西圏でも、京大を落ちて同志社に行った生徒がバイトで京大受験生の答案を採点している可能性が高い。

 私は現実に、英検2級の先生が1級の生徒を指導している現場を見たこともある。四日市高校を落ちた講師が四日市高校の受験生を指導している現場を見たこともある。格下のものが、格上のものを評価するって変です。

 そして、こんな裏側を暴露すると業界では裏切り者扱いであることも知っている。しかし、これでいいのか問題提起をしないでいいのだろうか。ビルを建て、タレントを使って宣伝し、マスコミで煽る。こんな予備校や塾の講師が教育者だと言えるのだろうか。

 

  塾や予備校の講師は楽だ。どうせ、生徒のほとんどは自分の言ったことが正しいのか間違っているのか分からない。適当に言ってバレるのは、相手が賢い子だけ。そんな子は滅多にいない。 

  大多数の子は、講師の良し悪しが分からないから月謝が高いと良い塾だと判断する。入り口が立派だと良い塾だと判断する。タレントが宣伝している。そういう、どうでもいいことで判断する。

  

第二十二章

「ボクが大規模校を辞めたワケ」 

 

  私は名古屋大学を卒業した後、河合塾学園、名古屋外国語専門学校など7つの予備校、塾、専門学校で14年間非常勤講師をしていた。自分の塾の経営のプラスになると考えたからだ。

  しかし、いろいろ問題点があって辞めた。私はそのうちの1つの塾で生徒アンケートがあった時に40人の講師の中で2番目の人気講師だった。その理由の一つは、中学レベルなら5科目、高校レベルなら英語と数学の両方が指導できたことだ。

 生徒目線に立つと、これは便利だ。明日は試験だという時に

「明日は数学のテストなのに、先生は英語しかダメなの?」

 となる。そんなことをしたら、

「明日は試験なので、塾を休みます」

 となってしまうわけだ。それで、私は自分の担当以外の指導もすることがあった。すると、ある日塾長から呼び出され、担当科目以外の指導を禁止された、私一人が複数科目を指導すると、他の講師にも同じことを要求する生徒がでる。それで、他の先生を困らせてしまったわけだ。みんな横並び。和を乱すのはならんというわけだ。

 

 ネットが普及して、インターネットを利用した塾や予備校も増えてきた。皆さんは大手のネット予備校や塾では

「生徒との直接のメルアド交換やメールのやり取りは禁止」

 という通達が講師との契約書に書かれていることをご存知だろうか。塾側は、

「生徒と講師が直接仲良くなったら、生徒をつれて独立されてしまう」

 というリスクがあり、講師の方にとっては

「労働時間外に生徒から質問がきては困る」

 という労働協約上の問題が発生するからだ。

「生徒と親しくしてはならん」

  これが大手の原則なのだ。

 

 私の塾は個人塾だから、5科目指導もすれば(高校生は英語と数学)、メールや写メでの質問は無制限かつ365日24時間対応だ。こんなことは、大規模塾や予備校では不可能なのだ。

 

 私は大手が嫌いだ。14年間働いてよく分かった。経営の論理ばかりが先立ち、生徒目線の需要に応えていない。左翼も嫌いだ。労働条件(主にお金)ばかり主張して、

「講師はみんな同じ労働条件。労働時間外の搾取は許さない」

 などと言う。一見正しい主張に聞こえるが、要するに能力がある講師の存在を許さない。みんなと同じ条件以上で働くな。生徒の質問に答えられなくなってしまうではないか。

 

 中身で勝負できないとなると、金にモノを言わせてタレントを使ったCMや、駅前に大きなビルを建てて生徒や保護者にアピールしようとする。そして、法外な授業料を要求する。このビジネスモデルは葬り去らなければならない。暴走族講師や、ヤンキー講師など要らない。講師は芸能人ではないのだ。

 

  自分の塾が小さい頃は

「大規模塾の講師という肩書きで信用を得よう」

  という打算があった。父の靴屋は、私が大学生の頃に近所にイオンが進出してそちらの中にある靴屋に押され気味だった。大手を利用しないと生き残れないという現実は知っていた。

  それだけではないだろうが、私の塾は順調で

「ボクは父を追い越したかも」

  と傲慢に考えていた頃があった。しかし、青春時代を戦争でつぶされてしまった父。私のようにバツイチになって子供たちに可愛そうな思いをさせずに頑張った父にはかなわないと思う。生きているうちに、そういう思いを伝えておきたかった。

 

  大規模校の内部に入って指導してみたら、最低だと思った。しかし、個人塾が良いかというと私は「イエス」と言えない。塾を始めてから、塾の入り口は壊されるし、個別訪問をしながら私の塾は閉鎖されると触れ回るし、いたずら電話はかかるし、明らかに近所の塾のいやがらせ。

  ある生徒が入塾して翌月やめたので謎だったが、

「先生、あの子はA塾の息子だよ。スパイだよ」

  と言う話もあった。いくら生活のためとはいえ、やってはいけないことだろう。

 

  私は大規模塾とも個人塾の塾長とも関わりあいたくないので、業界団体には加わらない。今はネット社会なので、業界団体に入らなくても情報はいくらも手に入る。横並びは生徒の方には良くない。

  大人の事情を考えずに、生徒目線に立てば講師と生徒の間を一切遮断んする大規模校のやり方はムリがある。だからといって、ある個人塾のように寒いから授業中にウドンを食べているのも親しさのはき違いだろう。

  私は、誰とも違うやり方を始めた時に倒産を覚悟した。誰とも違うということは、誰にも理解されないリスクがあるからだ。しかし、やってみたら地元の高学力の生徒だけでなく北海道から鹿児島まで(通信生)支持者が集まってもらえた。

 

第二十三章

「めいなんランチ」 

  当時、名古屋大学の東山キャンパスの南の端に「名南喫茶」という小さな喫茶店が設置されていた。

「メイナンにいるから」

 は当時よく使われていた言葉だ。私たちは、くだらないことを楽しく語り合っていた。まさか、そのくだらない生活を支えるために両親が懸命に働いているとは想像もしていなかった。親が子供を支えるのは当たり前と思っていた。

 ところが、父が亡くなった時にトラブルが起こった。姉たちが

「おまえだけ大学に行かせてもらったのだから遺産相続は好きにさせない」

 という。そんな風に思っていたんだ。初めて知った。想像も出来なかった。

 

 だから、Bくんが

「絶対に親には内緒だけど、お婆ちゃんが国立に落ちたても金を出して私立に行かせてくれるって言ってる」

 と言っても驚かない。各家庭でいろいろな事情があるのだろう。息子や孫の希望をかなえてやるために、親やお婆ちゃんが懸命になるのは分かる。自分が親になってから切実に分かるようになってきた。そうやって捻出している月謝を大切に使うのは塾長としての責務だ。

生徒集めのためにタレントを使ったCMに使うわけにはいかない。それが私の矜持であり、決定だ。

 Bくんは、その辺の家庭の事情をよく理解していて

「迷惑をかけられない。何としても国立大に合格したい」

 と言う。

 そんな生徒を指導した後で

「オレを分からせてみいや!」

 みたいな生徒を見ると(今はそんな生徒はいなくなったが)

「この子はBくんと同級生だけど、1000年経っても追いつけない」

 と思う。

ところが、そんな生徒に限って、保護者の方が

「なんとか桑名高校に合格させたい」

 と言う。できるわけがない。この瞬間に塾講師の覚悟が分かる。

「お任せください」

 と言うのはお金のために仕事をしている講師。

「今のままではムリです」

 と言うのは、真の塾講師。

 ところが、多くの保護者の方も生徒の方も金の亡者の方を選択するのだから困ったものだ。

 

  塾や講師の選択眼もない子や、その保護者が頑張っても結果が出ないことは明らかだ。これは、私の意見ではなくて現実だ。ムリな期待と押し付けると、その子はつぶれてしまうし。

  「ビリギャル」やら「バカヤン」を真に受けてはいけない。もともと賢かった子が、一時的にグレていただけ。エジソンやアインシュタインも教師からバカ扱いを受けていた。しかし、それは教師が評価ができなかっただけ。

 

  なんで今頃「名南喫茶」が懐かしいのだろう。名古屋大学など好きではなかった。一緒に語っていた教育学部の連中も特別に好きではなかった。しかし、社会に出て長年受験指導をしていると

「でも、あいつら理屈は通じたよな」

 と思うようになってきた。それが懐かしさの元になっているらしい。バカな生徒を指導するのは、賢い生徒を指導するより10倍は体力を使う。解説が5倍くらい時間を使い、練習問題の採点も3倍くらいかかる。若い頃ならいいが、歳をとると体力がもたない。

  体力だけではない。同じことを3回、4回と解説しているとストレスが溜まる。

  ストレスだけではない。バカな生徒は勉強が嫌いなのですぐ塾をやめる。経済的にも不安定になる。

  経済的に不安定になるだけではない。バカな生徒は落書きやいたずらが多く、備品を壊すし汚すので修理代や清掃費がかかる。

  塾をやめる子が多いと、チラシで募集しないといけないから宣伝広告費もかさむ。当然、月謝を上げなくてはならなくなる。

  その上、バカな生徒だと塾で一番大切な「合格実績」も上がらない。ハッキリ言って、そういう生徒ばかりが集まって閉鎖や倒産に追い込まれた塾をたくさん見てきた。

 

  そういう経験が重なると、今はもう無い「名南喫茶」の日々が懐かしくなってくる。あの時に語っていた相手は、今思うと私の指導している優秀な子たちだったわけだ。そんな子たちに囲まれていたのだから、話が合わなくても最低限のマナーは保証されていた。

 

 アイスコーヒーを飲みながら、ホットドックのような「メイナンランチ」を食べて、藤棚の花を見上げていたのは昔のことになってしまった。指導教官も亡くなってしまった。

 

 

第二十四章

「本当のことを言え!」 

  私は大学に入るまでは

「大学に行けば何でも分かる」

 と学問に絶大の期待を持っていた。サイエンスはこの世の全てを解明しているのだと信じていた。心理学を学べば、人の心は理解できると思っていた。そうでなければ、

「あの人の心は故障しているから、犯罪を許してあげましょう」

 なんていう精神鑑定が成立しない。

 ところが、名古屋大学の教授に会って授業を受け本を読んだら

「なんだ、コレは?すべてデタラメではないか」

 と思った。意識や知能といった基本的な概念でさえデタラメ。つまり、学者によっていろいろ説がバラバラ。普遍的な定義さえない。分かりやすく言えば、勝手に思いついたことを話しているだけ。それを支えるデータがない。

  精神鑑定に用いられるテストでさえ、よくて統計的な支えがあるだけ。つまり、数学的に言えば相関関係がいいところで因果関係の説明などいっさいない。

 

 カウンセラーは心理学系が多いだろうが、心療内科という医学系もある。それで、医学的なアプローチならもっと科学的かと本を読んだり人から話を聞いたら、脳の働きは謎、なぞ、ナゾの連発だった。つまり、何も分かっていない。

 脳どころか、生命が何かさえ分かっていない。

「同じ原子で出来ているのに、どうして人は動き、机は動けないのか」

 こんな当たり前なことさえ、明確な答えが出来ない。私は小学生に尋ねられたら答えられない。大人になったら、ランクの上の大学に行ったら、いろいろ期待したけど全て期待はずれ。結局、

「何も分からない!」

 ではないか。旧帝に合格し、英検1級に合格し、京大に合格できる数学力がついて、それでも何も進歩がない。何も分からないではないか。

 ノーベル賞をとっても、金メダルをとっても、世界一の金持ちになっても、私たちが住んでいるこの世界、つまり宇宙の構造が分かると思えない。自分の身体がどうして動くのかも分からない。病気や死を避けることも出来ない。

 

  教育産業にいると、教師や講師に日常的に会う。そして、その多くが分かったような顔をして授業を行っている。しかし、本当は何も分かっていないのだ。

「ごめんなさい。何も分かってません。ほんの少し分かっていることは」

  これが正しいスタンスのはず。

 

第二十四章

「美空ひばり」

 美空ひばりさんが、発声法や舞台での立ち振る舞いを事細かに説明しても誰も彼女のマネは出来ない。世界に同じ人間は二人としていない。当然ながら、塾講師も二人として同じ人間はいない。

 当塾のブログがジャンル一位になり、Youtube の再生回数が3万回を越える動画が現れ、京大医学部に何人も合格者が出始めた頃から

「何をどうやったらそんな実績が出せるのか?」

 と問い合わせが来るようになった。企業秘密でも何でもないのでブログや動画で公開している。しかし、方法論が分かったとしてもマネは出来ないのだ。サイエンスは再現実験が可能だろうが、人間は一回こっきり。再現など出来るはずもない。

 一番肝心なことは

「他の人が同じ歌を歌っても感動されないのに、なんで美空ひばりだけが?」

 という問い。音量とか音程とか、テクニックだけでは説明しきれない。受験指導も同じだ。同じ「チャート」を使っているのに、A子ちゃんは身につき、Bくんは身につかない。なんでだろう?才能か、環境か、動機付けか。

 才能や環境は生徒自身にはどうしようもない。できることは、動機付けだけ。強い動機付けがあると、才能や環境をはね返せる場合が多い。

 

  本物と偽者の違いは紙一重。

  本物は

「模試の点数など、どうでもいい」

 と言いながら、真剣に勉強をする。ところが、偽者は同じことを言いながら勉強をサボる言い訳に使う。同じことを言いながら、行動が違ってくる。

  ひばりさんのモノマネをする人と、本物のひばりさんの違いも紙一重。姿を見ないで聞いていたらよく似ている。でも、何かが違う。この「何か」が紙一重の大切な違い。料理でもファミレスと三ツ星レストランの違いは、ほんの少し。そこが決定的に重要なのだ。

  どこが違うかというと、人間としての生き方が根本的に違う。たとえば、私が学力アップの方法を生徒に話すときの生徒の典型的な反応は2つ。一つは、

「要するに、威張りたいんだ」

 というものと、

「なるほど。やってみます」

 というもの。どちらの成績が伸びていくのか、言うまでもない。

 やってみる子も、時間もエネルギーも全て注いでやる子と、形だけマネる子に分かれる。結局、話したことを忠実にやってみる子は、全体の5%ほどだろうか。

 なぜ95%の子は挫折するのかというと、本気度が欠如している。

「そんなことはない。ウチの子は真剣です」

 と言われる方が多いが、詳しく尋ねると「寝て、食べて、風呂に入る以外は勉強している」かというと違う。適当に遊び、生徒会や部活もやり、残った時間で勉強しているだけ。これでは、全てを賭けている生徒に勝てるチャンスは少ない。

「そんなことをしたら、健全な成長ができない。バランスこそ大切」

 と言われる人が多いが、誰に吹き込まれたのだろう。アスリートは運動ばかりやり、パン屋さんはパンばかり作っている。そういう人は不健全なのだろうか。難関校に合格するような子は、全ての時間やエネルギーを勉強にかける子も多い。そういう子は異常性格になってしまうのだろうか。

 現実は、そうなっていない。

 

第二十五章

「ガリレオの湯川先生」

  「ガリレオ」の湯川先生が、ひらめいた時にところ構わずに書き付ける数式。

「あんな風に複雑な数式を自由に操れたらカッコイイなぁ・・・・」

  小さい頃から、そんな理系のロボット博士にあこがれていた。だから、たとえ英語を身につけても満足できなかった。

  もちろん、私はTV番組が設定するような天才博士にはなれない。でも、ちょっとでもそんなレベルの数学を身につけたかった。それで、文系の英語講師をしながら数学Ⅲを勉強し始めた。でも、それだけでは勉強を始めるパワーが身につかなかった。しかし、そんな時にA子ちゃんが塾に来てくれた。

 英語も同じことで、バンフリートさん、ブレアーさん、エリック、アランなどの助けがなかったら英検1級までたどり着けなかったと思う。そもそもアメリカに行かせてくれた亡くなった父の助けがなかったら留学など思いつかなかった。

  A子ちゃんが、あんなに良い子に育ったのは、生命保険を解約してでも大学に送り出そうとしたA子ちゃんの母親の思いやりのせいだと知っていた。

 

  若い頃は視野が狭いために

「名大に合格したのも、英検1級に合格したのも、みんな自分の努力のおかげ」

  と傲慢に考えていた。しかし、自分が親になって子供を育ててみてよく分かった。

「自分ひとりでは何もできなかった」

  そのおかげで、全国の難関大をめざす受験生の背中を押すことが出来る学力が身についた。数学の授業が終わって白板の微積分やベクトル、数列の数式を見て感慨にふけることがある。

「これ、自分が書いたんだよなぁ」

  高校生の頃に途方に暮れた数式だ。

 

   今度は私が子供たちを支えて、塾生の子の夢をかなえる番だ。外国語が自由に使える楽しさを教えてやりたい。数式を自由に操り、この世界をよりよく理解できる楽しさを教えてやりたい。

 

  四日市高校のような三重県一の県立ナンバーワンの進学校でも、北勢中学校に勧誘の手を伸ばしている。2年連続1名しか進学していないからだ。この異常事態を放置できないのは少子化のせい。県立高校でも定員割れの高校は統廃合の波に襲われる。

  近所の私立高校の進路指導の先生は正直だから、塾にみえて

「絶対評価の調査書など合否の参考にするわけないでしょう。ただ、そう言わないと中学校の授業が崩壊しますからね」

 と笑ってみえた。

 自分が高校の責任者だと考えてほしい。どんな生徒が欲しいですか?生徒が集まる一番の理由はなんでしょう。東大や京大を見たら分かる。優秀な生徒が多いからですよね。

 まさか、本気で

「調査書にある体育も家庭も美術も頑張ります」

 って信じてませんよね。進学校がテニスボーイを欲しがるわけがない。要らない。もちろん、体育会系で生徒募集をする工業、商業、私立系は別ですよ。

 欲しいのは、「英語」「数学」が出来る生徒。特に、最近は理系が人気なので「

「数学ができる生徒が欲しい!!」

 と各高校は存続を賭けて血眼と言っていいほどの熱心さです。私たち、塾講師、予備校講師も同じこと。

「英語が使えて、数式を自由に操れる。そんな生徒が欲しい」

 のどから手が出るほど欲しいのです。

第二十六章

「悪魔の銀行」

  私は塾をアパートの一室から始めた。生徒数が多くなり、自転車の置き場もなくなり近所に騒音などで迷惑もかけ、塾を建てる必要に迫られた。それで、銀行に相談した。20代の若造に、土地や建物のための資金があるわけがなかった。

  しかし、銀行によっては

「はっきり言わせてもらいますが、当行は大手塾を勝ち組、個人塾は負け組と思っています(融資などできるわけがないでしょう)」

 と、けんもほろろの対応だった。それも、応接間などに通してくれるわけもないのでお客も従業員もみんなの聞こえる状態で宣告された。私は、あの屈辱は一生忘れない。人間ができていないので、あれ以来知り合いや塾生にその銀行の対応の悪さを言い続けている。

 いつか潰れればいいと思っている。

 

 また、結婚する時も交際していた女性の母親から

「なんで名古屋大学まで出てアパートの一室の塾なんですか?」

 と罵倒された。教師になれば結婚させてやってもいいと言われた。小さなアパートの一室を借りている個人塾を世間ではどう思い、どう扱うかを骨身に染みるほど思い知らされた。資金の一助になるかもしれないと、名古屋の塾や予備校などに昼間だけの非常勤講師の職を求めて履歴書を送っても梨のつぶてだった。日本では、英検や通訳ガイドの国家試験のような公的資格のない講師は信用がなかった。

  塾生である中学生にさえ

「学校の先生は違うこと教えたよ。先生、大丈夫なの?」

  とバカにされる始末だった。

 

 貯金もない、資格もない、仕事は吹けば飛ぶような塾で、結婚もできない状態だった。

「大学に行かせてもらい、アメリカで勉強した結末がこれか・・・・」

 と途方に暮れた27歳だった。人はそういう闇をくぐらないと真剣にはなれないのだろう。結局、親が自分の宅地を担保に入れてくれて銀行の融資を受けられた。そして、猛勉強して英検1級に合格し、結婚もし、昼間の名古屋の仕事も見つかり、順調に塾を始められた。 

  しかし、私は自分に敵対した人を忘れてはいない。味方には10倍のもてなしを。敵には10倍返しを。これが、私のモットーなのだ。織田信長が好きなのだ。

 

  今は通知表は絶対評価で5がいくつ付けられてもいいが、私の頃は相対評価だから上位の7%に入らないと5はもらえなかった。私は北勢中学校を卒業する時、音楽以外は全て5だった。秀才だった。

 しかし、それでも上記のような世間の扱いなのだ。英検1級をとって名古屋の大規模塾で講師をしていても足りない。だから、50代で京大を7回も受けて成績開示をするハメになった。

  こんな片田舎で、絶対評価を使って

「ボクは5科目ともいつも90点を越えている。クラブと勉強を両立している」

  なんてほざく子もいるが、「ふざけんじゃねぇ」と思う。そんなことでは、私以上の屈辱的な扱いを受けるのは目に見えている。私はここまでやっても、ただの無名の田舎の塾講師だ。世間は甘くないぞ。

  そんなキミに融資する銀行などない。アパートの一室の塾さえ維持できない。それは間違いない。だから、私は塾生に365日24時間家庭学習中の質問を受け付けるという破格のサービスを提供している。これが高い合格率を支える理由のひとつだ。

  そうして、

「アイツは近づくとすごい得をする。しかし、敵にまわすと怖いヤツ」

  と思ってもらう。残念だけど、この日本社会はなめられると人間扱いしてもらえない。つまり、生きていけない。私は自己防衛のために、そうしているのであって臆病な銀行員を恨んだりしていない。恨んでいないけれど痛い目は見てもらうしかない。

  こんなヤクザのような姿勢はイヤだなぁ。でも、優しく言うと人扱いしてくれない人が多すぎる。せめて、話合いができる相手には優しくしたい。きつく当たるのは敵だけにしたい。

第二十七章

「浮きこぼれに光を!」

  バブルがはじけて20年くらいになる。あの頃から派遣が広がり、所得格差が叫ばれ、勝ち組と負け組みという言葉が一般に使われるようになった。受験業界でも、落ちこぼれだけでなく浮きこぼれという言葉が広がった。

  以前は平均点が60点と言えば、正規分布の中間層が一番多かった。つまり、60点くらいの子が多かった。ところが、今は90点くらいのグループと30点くらいのグループがいて、その平均値が60点というイメージだ。中間層が極端に減った。

  ここ三重県北部では、四日市高校・桑名高校・川越高校は大学進学率がほぼ100%の進学校。いなべ総合・桑名西高校・朝明高校は就職と進学が入り混じっている。そのため、上位3校は競争が激しく偏差値が高いグループ。下位グループは定員割を起こすこともあり偏差値が分からないくらい低い。

  そして、とうとう貧困の連鎖とさえ言われる状況に突入した。塾などに行かせられるのは親が裕福な場合に限られる。学力上位の子がそのグループに多い。つまり、親の所得が子供の将来に影響を与えると言うのだ。

  塾で受験指導をしていても明らかに2つのグループは違っている。近所の底辺私立校からの問い合わせがあると、私は嫌な予感に襲われる。ご父兄からして礼儀知らず、かつモンスターである例があまりに多いのだ。

  逆に、四日市高校や桑名高校の生徒からの問い合わせの電話で嫌な思いをしたことはない。いわゆる、「親が親なら子も子だ」という傾向はハッキリとある。もちろん、極まれに「鳶が鷹を生んだ」という例もあるだろうから、一応話は聞く。

  授業をすると、ハッキリ分かる。たとえば、試験前だと学校の使用するテキストから出題されるのでその問題集を始める。すると、前列から2番目に座った子が突然こちらを見て

「先生、終わりましたけど」

 と言う。これで何事が起こったのか分かりますか?こちらは、何の科目のどのテキストを終わったのかも分からないのに、

『学校で指定された箇所を終わったので、次にやることを指示して下さい』

 と言っているらしいのです。経験で分かる。このグループは何から何まで指示しないと何もできないグループだ。もちろん、上位校には合格できないグループ。こんな人間ではコンビニでも使えない。自主的に動けないのなら、ロボットの方が間違えないだけマシだ。

  

   これがそのまま社会にでて、負け組みと勝ち組に分かれていく。もちろん、途中でそえに気づいて改心する子もいるし、勉強と関係がない大工とか料理人とか別の道に進む子もいる。しかし、サラリーマンや公務員の場合、上記の二極分化はかなりハッキリしている。中学の段階で将来が予想できる。

  塾、予備校、学校は、この底辺グループに来てもらうと倒産するリスクが高まる。実際、そういう例を多くみてきた。

「あの塾は不良のたまり場だ」

 と言われ、備品の破壊や盗難で修理費や管理費がかさみ、すぐ塾をやめるから宣伝広告費をかけて常に生徒募集を行い、合格実績が上がらず、徐々に生徒が離れていく。そして、最終的に閉鎖となる。よくあるパターンだ。

  以前、「落ちこぼれ軍団の奇跡」という本が話題になった。TV番組の「スクールウォーズ」のもとになった本だ。

 

 そんなA氏にとって、今回の事件は青天の霹靂だったに違いない。大阪市立桜宮高校で起こった高校2年生のバスケットボール部主将の自殺事件で、体罰をしたバスケ部顧問の男性教諭B氏(47才)。『スクール☆ウォーズ』のモデル教師A氏は、このB氏と、“深すぎる関係”で結ばれているからだ。在阪スポーツ紙の記者が明かす。「体罰をふるったBさんは、実は『スクール☆ウォーズ』のモデルとなったラグビー部元監督Aさんの娘と結婚しているんです。つまり、義理の息子なんです。Aさんの娘も教師で、桜宮高に勤務していた縁でBさんと結婚。AさんとBさんのふたりは同じ“熱血教師”として意気投合してきたそうです。Bさんが、義父の指導方針を受け継いでいたとしても不思議ではありません」

  この話も、落ちこぼれは卒業してバリバリのエリート選手が優勝しただけと言えば言いすぎだろうか。理由はよく分からないが、日本では昔から落ちこぼれが立ち直る話がウケる。最近では、暴走族講師とかビリギャルとか。なんでだろう。そんな非行講師や非行少女を持ち上げてどうしたいのだろう?

 

  日本をよくしたいのなら、落ちこぼれにスポットライトを当てるのではなくて、浮きこぼれにスポットライトを当てるべき。マスコミは頑張っているマジメな生徒に恨みでもあるのだろうか。

  私も落ちこぼれの成功物語を見るのは嫌いではない。しかし、そのほとんどが嘘であることも知っている。嘘が言いすぎなら、脚色、実話にもとづいたフィクション。万一、ほとんど脚色なしにしても「100万人に1人」に起こるかどうかの確率。つまり、宝くじを買うような確率。

  宝くじを現実の予算に組み入れるバカはいない。受験勉強をギャンブルと考える子は、ほとんど落ちる。

 

第二十八章

「受験の真実」

  私は北勢中学校では、体操部の副キャプテンだったし、クラスの議員で班長だった。しかし、そんなことを公表したことはないし履歴書などに書く欄もない。つまり、社会では評価の対象とならないので公表していない。少林寺拳法の黒帯で、若い頃にジャッキー・チェンとTV番組に出たという話も評価されないことを知っている。

  たまたま勉強ができたので公表しても大丈夫だが、そうでないと

「要するに、いろいろやってどれも中途半端で何も成果が上がらなかったということね」

  と評価されるのがオチなのだ。社会とはそういうもの。

 

  ところが、三重県のように日教組の先生が100%という県では特に

「クラブ、生徒会、勉強、恋愛、なんでもバランス良く成長していこうね」

  という理想を掲げる。科目も

「体育も家庭も音楽も、みんな大切」

  と指導する。時には

「調査書は合否を左右する。どの科目も手を抜かずに」

  と恫喝する。嘘なのに。四日市高校がテニスボーイを欲しがるわけがない。東大や京大が、家庭や音楽が得意な生徒を欲しがるわけがない。

  私はクラブも生徒会もやってきて、否定するつもりはない。政治家をめざすのなら、生徒会で練習するのも悪くない。アスリートをめざすのならクラブもいい。しかし、あれもこれも手を出すのは人生を誤る第一歩だ。

  最初に左翼教師に洗脳されると、

「ボクは科学者になりたい」

  というタイプの子は困るのだ。そういう賢い子たちは、とうの昔にソ連が崩壊し北朝鮮や中国のような社会主義の国がパラダイスなどと信じていない。現実が違うのだから明らかだ。

  東大や京大が、一芸に秀でた生徒を特別扱いして入学させる制度を持っていることも知っている。バランスなどどうでもいい。ガリレオの湯川先生や、相棒の杉下右京のように変人と呼ばれるくらいでちょうどいいと知っている。

  そうでないと、競争に勝てない。受験とはそういうものだ。

 東大は、来春の入学者を対象とする平成28年度入試から推薦入試の導入に踏み切った。出願資格として、数学オリンピックなどでの顕著な成績(経済学部)や商品レベルのソフトウエア開発経験(理学部)などを挙げている。

 京都大学も28年度から「特色入試」を導入。医学部では国内の大学で初めて、数学や物理などの国際科学オリンピックで日本代表として世界大会に出場した高校2年生が出願できる「飛び入学」を実施する。入学後の研究計画や卒業後の人生像を記した「学びの設計書」も合否判断に用いる。

 

  受験など、どうでもいいと言う人もいるだろう。

「将軍様に全てを捧げます!」

 と言う人もいるだろう。私は否定する気はない。問題なのは、全ての子を一つの方向に向けるために「強制」することだ。

 

  • 強制クラブは直ちにやめる。自由参加にする。

  • 下校時間を設定しない。学校に7時間以上拘束しない。

 

この2点は都会では保証されている場合が多いが、地方は全体主義的なのだ。

実施しないと、地方から若者の流出が続くと思う。私の優秀な塾生の子たちは地元の閉鎖性に辟易しているのだ。

  たぶん、この地区は近い将来過疎地として財政破綻の道を歩み統廃合されるような気がする。若者がいなくなりつつある。私の塾生はほとんどが大学を卒業後に戻ってくるとは言わない。

 

第二十九章

「ある塾の倒産」

  私は大学を卒業後に愛知県のある町で1年間塾講師をしていた時期がある。もう30年以上前の話だ。時効だから書いても大丈夫だろう。その時に、同僚だった先生は自分の塾をつぶしてしまったそうだ。田舎のオジサンという感じだった。私は20代だったからオジサンに見えたが、今の私より若かった。小学生の子供がみえた。

 

  その人は塾を始めた初年度に何も分からずに確定申告に行ったら、税務署の人が出てきて

「これだと税額が40万円になります」

 と言われたそうだ。そんなお金がないと嘆いていたら、追い討ちをかけるように翌年の予定納税も払えときたそうだ。

「税理士に話したら税額は10万円に落ちた。あの税務署のヤツ分かって40万円も持っていった。許せん!!」

 と怒っていた。

 本当は正直に納税したかったらしいが、塾のほとんどが適当に申告して浮かせたお金で宣伝広告費に当てている。自分だけが正直に申告すると、正直者が倒産して生徒のためにもならない。それが彼が脱法行為を始める言い訳だった。

 生徒から集める月謝の一部を売り上げから外していたとのことだった。

 

  ところが、塾を始めて2年目に1ブロック先に大規模塾のビルが建ったそうだ。当時は、今と違って生徒もその保護者もバブルが始まる頃で浮かれていた。大きなビルの高額な塾に通うことがステータスのように思う人が多く、アッと言う間に生徒が大規模塾に流れて経費も払えず借金を重ねて倒産に追い込まれたそうだ。

 

  私の勤務していた塾の中でも、人気のない先生だったから私は

「これでは倒産するのも当たり前だろう。大規模塾が来なくてもダメだろう」

  と思っていた。旧帝を出たわけでもなく、公的な資格を持つでもなく、教材研究に熱心でもなかった。私は人気講師だったので傲慢に見下していた。年長者だったけど、塾は実力主義の世界だから仕方ない。

 

  さらに、悲惨なことに倒産して失業したら奥さんが子供を連れて実家に帰り最終的に離婚になったそうで子供に会えないと嘆いていた。あまりに悲惨なので、あまり聞きたくなかった。それで、何となく距離を置いていた。しかし、その後に他の講師の方の中にはもっと悲惨な経験をされている方がいることも知った。後輩は

「それでも一回結婚できたからいいです。私は結婚する金もないです・・・」

 と言っていた。

 

  私はその後、アメリカで教師をして帰国して名古屋の大規模塾に勤務して逆の立場から世間を見ることになった。すると、今度は逆に

「今は金看板で食っているけど、いつかは独立したい」

 という先生が多かった。大規模塾は、とにかく人数を集めないといけないので生徒の質は小規模塾よりずっと酷かった。だから、講師は

「こんなバカを相手に生活している自分はなんだろう」

 と思うらしかった。私は自分の塾があって優秀な生徒を教えていたので良かったけれど、常勤講師の方は絶望的な気分になるのだろう。理解はできた。

 

 しかし、内心

「でも、キミは金看板があるから先生と呼ばれているだけだよ」

 と思っていた。独立したら、学歴イマイチ、人気イマイチ、資格なし。これではすぐに倒産してしまう。離婚くらいで済めばいいが、ヘタをすると自己破産。もっとヒドイことになると夜逃げや首吊りものになる場合だってある。年間3万人の自殺の多くは経済的な理由だ。

 

  そんな現実を見て生きてきた。だから、学校の先生が言われることはどれもこれも浮世離れして聞こえる。その教えを受けた生徒が

「クラブも、生徒会も、勉強も、恋愛も、青春を楽しみたい」

 などと言うと

「この子は間違いなく倒産組になるだろうな」

 と思ってしまう。世の中は、そんな甘い考えを許すほど優しくできていない。もがき苦しんで必死に生きている人ばかりなのだ。何の犠牲も払わずに、自分の思い通りになると勘違いできるのも今のうちだけだ。

 

  難関大に合格するのは難しい。医師の国家試験も難しい。でも、私たちはそれだけでは満足しない。医師の中でも名医にかかりたい。誰でもいいわけではない。それが現実だ。そんな医師は何万人に一人いるかどうかだろう。それなのに、100人や200人の中で良い成績だからと満足するような志の低さでは話にならない。そんな環境だから、志の高い子は出ていかざるをえない。

 

第三十章

「福山雅治はハイスペック女子と結婚すべきだった」

 

  私の塾から京大、阪大、名大に合格した「デキる」女子は美女が多い。バイオリンの名手もいたし、生徒会長もいた。スペックが高いのだ。そして、共通に口にするのは

「先生はバツイチと言うけど、私は一度も結婚できそうにない」

 ということ。テレビを見ると、バカっぽい女子に男性がデレデレしている。私が、

「じゃ、こんな風に口をとがらせて『イヤーん!』とか叫べば。男はバカだから」

 と言うと、

「そんなこと、死んでも口にできません!」

 と言う。デキる男子に聞くと

「自分より学歴や収入が上の女子はチョット」

 と言う。プライドの問題らしい。完全にバカな男は格差婚も逆タマも歓迎らしいけれど、それは女子からお断りらしい。

 

 結局、学力順位が上がりすぎて廊下に名前が張り出され

「先生、もうアカン。これでは男子が寄ってこない!」

 と悲鳴をあげて諦めの境地に至る。

 

「もういい。私は人工授精で賢い人の精子をもらう」

  と言う子もいる。ジョークだろうか。本気だろうか。

「先生、変な病気を持っていると嫌だからつきあう前に予防線を張れないかな」

  と言う医学部志望の女子もいた。こういう子は、キスもセックスも全て医学的な見地から考えるから男子もアプローチがしにくいだろう。

  私は四日市高校の生徒だった頃、上位20番くらいに入る女子(東大、京大合格レベル)は気持ち悪かった。何を考えているのか分からない不気味さがあって、話しかけるならアホっぽい子の方が楽だった。

  今の私は彼女たちは、スタイルもいいし、顔も美人だし、英語も数学もよく出来るし、何より人生経験を積んだオジサンの私と対等な目線で話ができる成熟ぶりで、高級品に見える。私は驚くとともに

「高校生くらいじゃ、この素晴らしさは分からんだろうなぁ」

 とため息が出る。

 

 

  A子ちゃんの話は以前書かせてもらった。美人で、性格が良くて、頑張り屋さんで、思いやりがあって、頭がいい。本当にステキな女子なのに、男性はアプローチをかけない。かけても少数らしい。

  こんな記事があった。

仕事ができる女性がモテない理由

  恋愛で仕事ができる女性は基本的にマメで、物事を効率的に進めがちです。また仕事で慣れているので全員に気配りをしてしまいがちで、単なる気配り上手で終わってしまうことが多いです。女性の場合は仕事と恋愛で脳を切り替える必要があります。ただ逆に仕事が出来ない女性はモテるという現実も結構心当たりがある人は多いのではないでしょうか。

 

 

  こういう女子に、

「どういう男子とつきあいたいの?」

  と尋ねると、必ず出るのが

「自分より賢い人!」

  です。バカな男を受けつけないところがある。英文を読んでいる時に、知らない単語が出てきて男子が

「その単語習ってません」

  と言うと、心底

「バカじゃない?」

  と思うそうだ。知らないことにではない。知らないなら覚えればいいのに、何が習ってないだ。

 あるいは、

「今日は宿題がないから、遊べる!」

 というのも、ダメ。

「おまえは宿題がないと勉強できないのか!」

 と思うそうだ。

「自分で何も決められないヤツは、私の目の前から去れ!」

 ということらしい。ダメ人間に用はない。

 

 でもね、学力が全てではないと言っても京大や阪大、名大に合格する自分より賢いって、ハードル高い。ほとんどいない。全男性の1%?

  その中から、自分を好きになってくれる確率。賢い子たちだから、極限値ゼロだと理解している。

  

  今の私には、こういう女子の素晴らしさが分かるので自分の部下とか共同研究者だったらいいと思う。私では力量不足と笑われそうだが。

  デキる理系女子たちは、私がバツイチで女性嫌いだと知っているし、素行の悪い生徒を毛嫌いしていることも知っている。つまり、自分と同類だと感じているらしい。安心して本音を語ることが多い。

  確かに、私は酒・たばこ・ギャンブル・女遊びには興味がないというか時間のムダだと日頃から言っている。そんなことより、微積分や英語の添削が楽しいなんて変かもしれない。

 

  賢い女子は私の塾に来て、難関校に合格して下さい。あなたの価値が分かる男子が必ずいますから。

  福山雅治はハイスペック女子と結婚すべきだった。そうすれば、世の中の流れが変わっただろうに。私ごときが何を書いても影響力がゼロだから。

 

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