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15/12/22

早稲田で仮面浪人してみたら、最低点+0.44点で京大に合格した話

Image by Olia Gozha

この先の人生ずっと後悔しそうな状況にいたら、みなさんはどのような選択をしますか?




みなさん、はじめまして。山中 基弘といいます。

三重生まれ茨城育ち、旅が大好きな大学生です。

私は現役で大学受験に失敗し、浪人してから京都大学を志望するようになったのですがまたしても失敗し、進学した早稲田大学で再受験を決意して仮面浪人を成功させ京大に合格しました。

才能なんでしょ?と言われてしまうとそれまでなのですが、

私は才能ではなくて努力で京大に合格したと思っています。

この高校卒業から京大合格までの2年間でなにものにも代え難い素晴らしい経験をしたのでそのときの思い出を中心に自分のSTORYをシェアしたいと思います。

今回は以下のよう流れでお話したいと思います。


1.現役失敗

2.一浪失敗

3.仮面浪人決意

4.京大合格

5.まとめ


長文になってしまいますが、最後まで読んでいただけると幸いです。



1.現役失敗


振り返ってみると小学校のときから勉強は得意な方だったと思います。

小学5年生のときに親に中学受験のための塾に入れられ分けもわからず初めての受験生活をスタートさせました。塾には周りの小学校から頭の良い子が集まってきていたので刺激的な環境だったと思います。そして小学6年生のときに人生で初めて「受験」という勝負の世界を体験しました。そして無事に県内の私立中高一貫校に合格し、6年の学生生活が始まります。

中高の6年間は周りの友人に本当に恵まれ充実していましたが、学校のことがどうしても好きになれませんでした。私立だったこともあり校則が厳しく、また中1のときから同じ目標を押しつけ生徒に掲げさせようとする学校の方針がどうしても気にいらなかった。そのような学校に反発するように、いかに校則ギリギリを生き抜くかを必死に考え学校生活を送っていました(笑)

また部活動をやっていたので毎日くたくたになりながら学校から帰っていて、授業も寝てしまうことが多くお世辞にも真面目な生徒とは言えませんでした。

昔から特技や好きなこともなく、将来なりたいものもなく、だだなんとなく日々を過ごしていましたが、高校1年のときに転機が訪れます。担任の先生との出会いでした。

その先生は化学の教科担当でもあったのですが、先生の化学の授業がとても魅力的でした。そしてあるとき先生が私の何でもなかった化学の才能を褒めてくれたのです。もともと化学は好きだったのですが、先生のおかげで化学が大好きになりました。

この頃から将来は化学で研究で有名なって世界で活躍し、最終的にはノーベル化学賞を取りたいと思うようになりました。


3年生になる前に志望校を東京工業大学に定め、6月に部活を引退してから勉強に本腰を入れて受験を迎えましたが結果は不合格。

成績開示したら最低点-2点差で不合格。


印象に残っているのが卒業式。式では各クラスで有名大学に受かった人が壇上にあがって表彰されていました。

「周りの同期が東大や早慶にバンバン受かってる中で自分はなんだったんだろう...」

そんな悔しい想いとともに、私の中高6年間の学校生活が終了しましました。


2.一浪失敗



一浪のときはお茶の水で浪人生活を過ごすことになりましました。

初めの頃は今年こそは!と意気込んでいたものの卒業式の悔しさを勉強に向けることはできず、志望校もはっきり定まらずただ家と予備校を往復する日々を繰り返していました。たぶん現役で失敗したという事実をまだ受け入れられていなかったのだと思います。

そんなこんなで夏休みに突入して転機が訪れます。

高3のときにクラスが同じで仲良しだった友達(以下Pくん)が京大をめざして京都で一人暮らしをしていたので、息抜きも兼ねてPくんに会いに京都へ行くことになりました。


彼はいつも素直で真っすぐ、僕に足りていなかったものを持っていました。

当初は彼の家に籠って勉強合宿をする予定だったのですが、日中はひたすら京都観光して家に帰ってきてからは夜遅くまで自分たちの将来について語り合うというかけがえのない時間を過ごしました。

そして京都で数日生活していくうちに自然と京都という街に惹かれていきました。


「ここで大学生活を送れたら最高だろうな…」

そこで浮かんだの京大合格という四文字。

調べてみたら化学の分野では京大は日本一で、志望学科の出身者にノーベル化学賞受賞者が二人、そして高校同期は誰も受かってないし何より受かったら京都に住める。

もうここしかないと思いました。

そして京都を去るときに、Pくんにたどたどしい日本語でこう言われましました。

Pくん「「一緒に京大目指さない?」」

親友に言われたこのたったひとつの言葉で僕の人生は変わることになります。


京都から帰ってきて目標が定まってからは以前より勉強に身が入るようになりました。

そして迎えた受験本番。終わったあとの感触も悪くない。

2011年3月10日、合格発表。ネットで確認したら不合格。

成績開示したら今度は最低点-5点で不合格。

2011年3月11日、東日本大震災。

不合格という事実を受け入れられずベットで寝たきりになっていたところを震度6弱の地震が襲う。

揺れで机の上にあった予備校のテキストたちが吹き飛び、部屋がめちゃくちゃになった。

勉強が嫌いになった。この世の全てが嫌になった。


3.仮面浪人決意



その後進路はというと、親と今年は大学に進学するという約束をしていたので早稲田大学に進学することになりました。

地震の影響で大学が始まるが5月になったのでそれまで時間がたくさんあってずっと家に引きこもっていたのですが、いつまでも落ち込んでいてもしょうがないと思い少しずつ外に目を向けるようにしました。

そんなとき目に入ったのが新聞に挟まってた一枚の広告。中学受験時代にお世話になった塾が最寄り駅の校舎で個別指導の塾講師のアルバイト募集ものでした。

親からも時間あるんだったらバイトでもしたら?と言われていたのですぐに応募し、面接ではお世話になった先生の話で盛り上がってすぐ採用になりました。

人生初めてのアルバイト。最初は上手く教えられるか不安だったけど社員さんや他の先生たち、そして何より塾に通ってくる生徒さんたちに支えられて楽しく仕事ができました。

生徒さんが必死に勉強する姿をみて、失いかけてた学ぶ姿勢を取り戻せたような気がしました。



そして5月になり大学がスタートしました。

私立だったし東京での一人暮らしはお金がかかるので片道二時間かけて大学まで通う日々。

最初はここで頑張ろうと思っていたけど時間が経つにつれて

【京都で一人暮らしをする】

という自分の思い描いていた大学生活とのギャップを感じられずにはいられませんでした。


そして自分に問いかけましました。


「このままこの場所にいていいのか?このまま何も行動起こさずいたら、この先何十年ずっと後悔してしまうのではないか?」


そして自然と出てきてた答えが仮面浪人という選択肢。

仮面浪人とぐぐってみても

「ほとんど失敗するからやめとけ」

「お金と時間の無駄」

などネガティブな情報しかでてこない。

でも自分は自分。他人は他人。やるしかないと思いました。


そんなこんなで大学が始まって早々に再受験を決意し、仮面浪人生活をスタートさせました。

サークルには入らず、大学の授業とバイト以外の時間を受験勉強にあてるという大学生活。

しかし実際は大学に慣れるまでにも時間がかかりまた大学の授業も多く思うように受験勉強のために時間を割けない。じわじわ焦りを感じつつ前期は単位をそこそこ取って夏休みに突入しました。


夏休みはバイトと受験勉強の日々。バイトの時間以外は家に引きこもり勉強。

しかしもともとあまり家で勉強できない性質だったので、だらけてしまいなかなか勉強のリズムをつくることができない。

「このままじゃやばい。今年が京大に挑戦できる本当に本当の最後のチャンスなのにこんなんでいいのか。」


そう思い親に頼みこんで、後期からまたお茶の水の予備校に通わせてもらえることになりました。

バイトは楽しかったし特に辞める理由もなかったので、受験勉強の息抜きだと思って週2,3回くらいで受験本番の10日前まで続けました。バイトで稼いだお金は模試代、受験費、そして二次試験の京都への交通費と宿泊費に充てました。


予備校が始まった8月末から受験本番の2月末までのこの半年間は、今振り返ってみてもありえないくらい勉強しました。

毎朝6時前に起きて電車で予備校へ向かう。電車の中ではもちろん勉強。朝教室一番に着いて授業が始まる前に30分勉強。午前中4コマ授業を受けてから昼休みは10分でご飯食べ終えて残り50分は自習室で勉強。午後の授業2コマ終えたらバイトがある日は地元の駅にすぐ帰って17時から23時までバイト。バイトがない日は予備校の夜21時まで残って勉強して帰るという日々を続けました。

11月の模試ラッシュのシーズンがピークでした。

授業、模試、バイト。授業、模試、バイト。

やることが多すぎて大学を休んでまで受験をするという自分でやってることが本当に正しいことなのかわからなくなりました。病みました。親に愚痴りまくりました。けどぶれずに続けることができました。


ただただ京大に合格したかったから。



4.京大合格



秋の京大模試はA判定、センター試験もうまくいき、自分の頑張りが結果として形になっていたので自信をもって本番に臨むことができました。そして今年落ちたら人生終わるのはわかっていたけど、次こそは絶対受かるだろうっていう思い込みがどっかにありました。

そして本番終わったあとの手応えのなさと言ったら。絶対落ちたと思って合格発表まで再び引きこもりになって過ごしていました。


そして合格発表当日。なぜか夜行バスに乗って京都まで見に行く。

自分の番号あるかな・・・



あったー!!!

すぐ母親に電話したら仕事中だったのでこうメールが入ってました。


「親孝行してくれて誇りに思います。よく頑張ったね。あとてゆっくり電話しようね。」


中学生のときから女手ひとつで育ててもらってなのに迷惑ばかりかけていたので、少しは親孝行できたかな。SNSで報告したら高校の友達、早稲田の友達、バイトの友達、みんなが自分の合格を祝福してくれました。ほんとたくさんの人に支えられていたと実感しました。


2ヶ月後に来た成績開示をみると最低点+0.44点差で合格。

人生こんなものかと思いました。



(成績開示の紙をなくしてしまったので、当時mixiで書いた日記から一部抜粋)


5. まとめ


いかがだったでしょうか?

高校卒業してから本当の大学生活をスタートさせるまで2年かかってしまいましたが、

特に最後の半年間は他に誰にも負けない努力をしたと思っています。


ありきたりな言葉だけど

努力は裏切らない

そして

目標のためなら環境のせいにせず、いかなる手段を取ってでも本気になって努力するべきだ

ということをこの長い受験生活で学びました。


頑張る理由なんて何でも良いと思います。

私はたまたま友人に会いに行った京都が気に入って住みたいと思っただけでした。

高校生のときにはまさか自分が京都に行くなんて夢にも思いませんでした。

5年後、10年後の未来なんて誰にもわかりません。

今いる環境に疑問をもったなら、すぐ環境を変えて努力するべきです。

環境を変えるのはすごくエネルギーの必要なことですが

環境を変えることが出来た人はそれだけのエネルギーを持った人なので

そのあと必ず目標を達成できると思います。

しかしその過程で失敗することもたくさんあるかもしれません。

そこからどれだけ反省し、どれだけ自分の力に変えることができるか。

その逆境を乗り越えたときにまたひと味違った自分に出会えるのではないかと思います。


そして何より


夢や目標に向かって頑張ってる人はかっこいい


これが私の思う所存です。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

このSTORYを読んでなにか感じていただけたら嬉しいです。

よかったらシェアの方よろしくお願いします。


2015.12.23  山中 基弘



仮面浪人ナビという仮面浪人に関する情報提供している団体にインタビューしていただいたときの記事です!こちらは主に受験生向けになっています。


自分に納得が行かず、仮面浪人を決意。【前編】

自分に納得が行かず、仮面浪人を決意。【後編】

受験の相談も随時受けつけているので、何かありましたらSNSの方からからメッセお願いします^^



◎あとがき


京都に住む夢が叶って始まった大学生活。

2回生の春休みにタイ・カンボジアに行ったのがキッカケで海外一人旅にはまった。

もっといろんな世界を見てみたい、世界一周しよう!

そして今年7月、世界一周の旅に出ることができた。

また夢がひとつ叶いました。

さぁ、次はなにをしようかな



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