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16/7/17

③『50歳のバツ2ママが、突撃アメリカで大富豪に直談判しビジネスチャンスを掴んでしまい・・そこからが本物試練の始まりだった件。』序章その3(再婚とオンライン空間)

Image by Olia Gozha

あなたは母子家庭の実際を想像できない


私は手に職があったので、まだ、マシだった。

なんとかギリギリ食べて来られた。


でも、女性で子どもを抱えて、工場労働や水商売でなんとか生き延びている

という人の生活に、思いを巡らせたことがあるだろうか?

彼女たちを責めることは、どうかやめてほしい。


今、人をつかえる立場になった私は、男性フリーランスではなく、

女性をつかう理由がそこにある。

男性は、いろんな事情があるのは理解できるが、

それでも、

どんなに大目に見ても、

贅沢言わなければ、食べていけるだけの仕事にはありつけると思う。


たしかに、父子家庭は支援もなく厳しいが、

それでも、母子家庭に比べたら、母子というだけでどこにも就職できない

なんてことに、父子の場合は、おそらく、ならない。

部屋も、簡単ではないにしろ、借りられないということはないはず。


だから、再婚し、楽になりたいと思う女性を、私は責めたりできない。


私には、仕事があった。

学びも順調だっった。

住む部屋も、なんとか確保できていた。


でも、知り合った夫は言った。

「女に学なんて必要ないよね」

「再婚して育児に専念するのか、学校を取るのか選んで」と。


今から思えば、そんな二択を突きつける夫を本当に信頼し続けられるか、

冷静に判断すればよかったのだが、

私は、疲れていた。


その年に、長年の親友がなくなり、

仕事で葬儀にも出ることができなかった。

伝統産業復興の新作発表の記者会見が地方であり、

キャンセルすることは不可能だった。


娘が発熱しても、シッターさんに預けて

仕事に行かねばならないことも、度々だった。


フリーランスで働くことの不条理を感じていた。




結局、逃げ道なんてないよね


夫と出会って2ヶ月で再婚が決まった。

子ども達は夫に懐いているようだった。

夫は国立大学院卒、年収1,000万円に後数万ほど足りないレベル

と聞いていた(後で嘘とわかった)。


初めて、夫の両親に挨拶に行った。


年齢以上に年老いて見える老夫婦がいた。


地味な木綿ワンピースに、古びた前掛け、ひっつめ髪の白髪の老女。

腰を曲げて歩く。江戸っ子弁のきつい物言い。

これが、姑だった。


「二世帯住宅の2階に住みなさい。

 まさか15万円も家賃を払って別に住むこともないわね?」


夫も、そうだそうだと言う。

舅は無口で、何も言わずニコニコしているだけ。


実家の両親は、猛反対していたが、

そのうち、「まあ、彼なら浮気も暴力もないでしょ」と

しぶしぶ納得した。


転居費用は、自分で出した。

夫は知らん顔だった。

「貧しそうなものを持ってくるな。また買えばいい」と言われ、

全部、捨てた。


宮大工の祖父が作った棚や、思い出の品々、電化製品・・・。


でも、夫の言葉とは裏腹に、

布団は、前の嫁の使っていたもの。

コンタクトの洗浄液から生理用品に至るまで、

逃げ出した嫁のものを差し出された。

入籍してしまってからの事。




転居後から、二世帯住居のはずの2階には、

いつも、姑がいた。

いつもいつも、家事全てにチェックが入った。


休日に子ども達と行楽地に出かけ、

戻りが5時を過ぎると、玄関で仁王立ちに待つ姑がいた。

外食は許されなかった。


冷蔵庫の中身をチェックされ

「無駄が多い」と、指摘された。


食器の洗い物をして水切りしておいたら、

「すぐに拭いてしまいなさい。なんてだらしない」となった。


お風呂は最後の人は、拭き掃除をしてから出ろと言われた。


干してあったレースの細いパンティが1階に落ちたらしく、

雑誌に履かせて、階段踊り場に飾られてあった。



全く知らない土地で友人もおらず、

保育園育ちの母子は、幼稚園ママから浮いてしまう。



 

私は、徐々に精神的に追い詰められ、

ネットの世界に逃げていく。


オンライン上で、子連れ再婚家庭のコミュニティを立ち上げ

掲示板での悩みに答えるうちに訪問者が増え続け、

ヤフー検索は「再婚」カテゴリートップになった。


中退を余儀なくされた大学は、

こっそり、慶應義塾の通信に入学した。


やがて、同じようにキャリアを捨てた女性たちが

悩みも打ち明けられずに、孤独にいるのではないかと気づき、

地域でのコミュニティを立ち上げた。

公民館を使って、ただ、おしゃべりをするだけ。


たまに自分が興味有る内容のイベントを開催し始めると、

学びに飢えていた高学歴の家庭を持つ女性たちが、

次々と集まり始めた。


彼女たちのスキルは高く、チームワークは最高にスムーズに進む。

話す内容は論理的で、冷静。かつ、他者目線で協調的。

契約企業のトップ男性陣より、ずっと優秀で温和だった。


「好きで仕事を中断したんじゃない。

 子どもがいるというだけで、仕事はもらえない」

と涙する女性たち。


皆、男女雇用均等法世代だ。

大学までは、男も女もなく頑張れば評価された。

女性も第一線で活躍できる総合職ができ、

「OLさん」とは別の、キャリアを歩み始めた彼女たち。



そのキャリアは、妊娠によって崩壊する。

まだ、そんな時代だった。


世の中では配偶者特例を無くすべきと

「専業主婦不要論」が声高に叫ばれ始めていた。


育児によるスローダウンが、キャリアの崩壊になってたまるか!

子どもを育てる経験が、絶対にプラスになる社会が来る!

いや、そんな社会を作らなきゃだめだ。


強い「怒り」が芽生えた。


出版社に企画書を送り続け、断られては直し、数百回は書き直した頃、

ようやく、私たちの思いは、『キャリア・ダウンのすすめ』として

出版された。


当然その本は、当時は随分、叩かれたものだった。




インフルエンザで40度以上の熱が出て、

6日間、寝込んでしまった日のこと。


ふと気づくと、

「いつまで寝てる気か」と、姑が部屋に入ってきていた。

掃除機をかけ始めた姑を避けようと、お手洗いに立ち

戻ってみると、

布団は干されていた。


この日以降、

私は、「中古物件を買って住めば、財産が残る」と

夫を説得し続け、格安の中古物件をフルリフォームし、

30年ローンを組んで、600万円を切る夫の年収から

数万ずつの支払いとし、

反対する姑を無視して、新居に引っ越した。





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Image by Jukka Aalho

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