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15/10/6

「高木教育センター」の、ありふれた日々

Image by Olia Gozha

「高木教育センター」の、ありふれた日々 

第一章  「英語の旅」

第二章  「A子ちゃんのこと」

第三章  「数学のはじまり」

第四章  「ネット社会で右往左往」

第五章  「偏差値追放、バンザイ!」

第六章  「ライフルと機関銃」

第七章  「怒りの根源」

第八章  「敵は家族にあり!」

第九章  「最高の学習環境」

第十章  「中間報告」

 

 

第一章

「英語の旅」

私の亡き父はウザかった。高校入試の合格発表についてきたし、就職したら2時間以上かけて勤務していた塾まで挨拶にきた。

  高校2年生の時までは、理系に進むつもりだった。ロボットを作りたかった。四日市高校は当時男子の割合が高くて男子クラスがあり、私はその男子クラスに放り込まれた。

今もその傾向があるが、当時も男子生徒は理系が多くて私はその中で理系に行くのが当然だと思って勉強していたが、数学の勉強を始めるとめまいがするような感じがし始めた。

 それは、公式の成り立ちを納得していないのに無理やり使わされることに生理的な拒否感が生まれたらしい。模試の結果によると、文系なら難関国立大に合格できるけれど、理系だとそこまではムリという結果。泣く泣く「教育学部」に進むことになった。

生きていくには英語講師になるしか選択の余地はなかった。しかし、その英語でも真摯に向き合うと問題だらけだった。

  最初に

「何かおかしいぞ」

 と気づいたのは、1982年にアメリカのユタ州ローガン中学校で社会の授業をしている時。同席していたネイティブの教師が、しばしば私の授業を中断して生徒に向かって説明し始めた時だ。

「ミスタータカギが今使った単語の意味はね、---」

 と解説を始めた。それで、一番仲のよかった理科教師のアランに

「なんで私の授業を中断するのかな?」

 と相談したら

「お前の英語は綺麗だけど、ビッグワードを使いすぎなんだ」

 とアドバイスをくれた。それで、注意して職員室の会話などを聞いていると、確かに中学レベルの英語を使っている。自分が受験勉強で習った難解な単語など全く出てこない。

 not more than と no more than の違いなど、使わないのだからどうでもよかった。私の塾生たちは、高校で与えられた「システム英単語」を使って単語をいっぱい覚えているが、多分ムダになる。

  アメリカから帰国した私は公的な資格を取ろうと思って、とりあえず英検1級の過去問を書店で入手した。そして、知らない単語や表現を見つけてウンザリした。

  もはや、高校生の時のように

「頑張って勉強しないと」

 と自分を責める気になれなかった。私はネイティブの助けを借りて問題を解き始めたが

「これは何だ?なんで、日本人のお前がこんなものを」

 と言う。それで、

「どういう意味?」

 と尋ねると      

「こりゃ、シェークスピアの時代の英語だよ」

 と笑っていた。

  しかし、アメリカから名古屋にある7つの予備校、塾、専門学校に履歴書を送付しても全て無視されたので、私は日本の英語業界で認知されている資格を取らざるをえなかった。

  事実、英検1級を取ったらどの予備校、塾、専門学校も返事が来るようになった。結局、コンピューター総合学園HAL、名古屋ビジネス専門学校、河合塾学園、名古屋外国語専門学校などで14年間非常勤講師をすることになった。

  その間に出会った英語講師の方たちの中に、英検1級を持っている人はいなかったし、旧帝卒の講師の方もいなかった。資格を持たないと雇ってもらえないという私の見方は誤っていた。

  私はその頃には受験英語を捨てていた。どの資格試験の英作文も面接試験も、すべてアメリカで使っていた英語で通した。つまり、中学生レベルの英語を使って難解な内容を表現する英語だった。

  ところが、今はまた受験英語を指導している。高校の入試問題も、大学の入試問題も30年前から何も変わっていないのだ。受験参考書の構文も、相変わらず take it for granted that や not until の世界なのだ。

  日本にやってくるALTが増えて、

「日本の教科書はクソだ」

 とか

「英語が話せない教師が英語を教えている!」

 と言っても誰も耳を貸さない。そして、偏差値追放、小学校から英語を、と意味不明の政策を打ち出す。私のいる予備校、塾業界も暴走族講師やらマドンナ講師やらパフォーマンスばかり。

 そして、それをマスコミが煽る。賢い生徒はあきれ返って「マスゴミ」と揶揄している。

 しかし、一体いつまでこのようなバカな状況が続くのか。

  でも、本当に英語教育界にまともな人はいないのだろうか?私が四日市高校や名古屋大学の教育学部で出会った学生の中にはまともな人もいた。それで、日本一レベルが高い東大や京大を受けてみることにした。

  京大は英語の試験が和訳と英作文という珍しい大学だ。それで、まず「京大模試」とZ会の「京大即応」を受講してみた。京大模試は河合、駿台、代ゼミなどを10回。Z会は8年間やって、じっくり研究してみた。

  ランキングに載り、Z会からは「六段認定証」というのももらったが、毎回の添削は納得がいかなかった。京大模試の採点も同様だ。それで、

「いったい、だれが採点してんだ?」

 と思い調べてみた。しかし、企業秘密で分からない。ただ、自分が勤務していた予備校の講師レベルだろうとは推測できた。受験参考書どおりの訂正がなされていたからだ。

  京大を受けた時は、最初の2回は「受験英語」で書いてみた。すると、6割正解くらいだった。私の英語がそんなレベルであるはずがない。それで、次の2回は「資格試験」の参考書に書いてあったような古い口語で書いてみた。それでも、7割くらいの正解率だった。それで、最後の3回はアメリカで使っていたような中学レベルの英語で書いてみた。すると、8割正解に跳ね上がったではないか。

   やっぱり、京大の先生は一流だ(笑)。

   私の指導させてもらっている優秀な生徒も同じ感想を持っているらしい。

「あの先生は、自分で京大を受けたら確実に落ちる」

  と、京大医学部に合格した子が言っていた。それで、

「この子たちなら、私の言うことが分かる」

  と、英語の添削を始めた。

 すると、やっぱりというか次々と京大合格者が出始めた。それだけで

はない。京大医学部、阪大医学部、名大医学部、東京医科歯科大学、三重大医学部など、どこにも有効なのだ。

  大学の先生は、やっぱり賢い(笑)。

 でも、そんなことを言ったら蛇蝎のごとく嫌われた。日本は和を重んじるだけで、議論をさせないプレッシャーが半端ない。

  みんな食っていかないといけないので、英語が話せなくても、生徒が志望校に落ちても、そんなこと関係ない。自分の生活が優先。そういうことらしい。でも、それで犠牲になる生徒たちはどうなるのだ。大人の責任を放棄していることにならないか?

北勢中学校にいる時は英語が一番嫌いだった。点数もよくなかった。数学は理科、社会、国語と同じで特に意識した科目ではなかった。総合点でトップクラスにいたので、それで満足だった。

  試行錯誤を繰り返す私に父は

「大学院に行きたいならお金は出してやるぞ」

 などと言った。

 第二章

「A子ちゃんのこと」

 

 もう10年以上経ったから書いても人物が特定できないだろう。長く受験指導をしていると忘れられない生徒がいるものだ。A子ちゃんも、その一人だ。

 

 私の塾に来てくれたのは彼女が小学6年生の時のことだった。最初に面接した時に、一目見て

「この子は賢い子だ」

 と分かった。学力を確認しようとプリントを渡したら、いつまで経っても提出しようとしない。完全に仕上げるまで粘る子だった。

 

 彼女は小学校の時から

「私は医者になりたい」

 と言っていた。私の塾はそういう子が多い。しかし、家庭は金持ちではないので何がなんでも国立大でないといけないと覚悟していた。私の小学校時代とはえらい違いだ。

 

 中学校では猛勉強して常に学年でトップクラスだった。そして、

「自治医大だと無医村に行けば学費が浮くとか聞いた」

 とお金がなくても医者になれる情報を集めだした。私もできるだけ協力して情報を収集した。

 そう思わせてくれる塾生だった。

 

 灘やラサールや東海の過去問を集めて練習する授業も彼女から始めた。そして、当然のように四日市高校の国際科に合格した。

 

 その頃、メールやファイルが普及し出したので私はさっそく

「家庭学習中に出た質問はなんでも送れ」

 と塾生に檄を飛ばした。私は中学生は5科目、高校生は英語と数学に対応できるのだ。ところが、そんなサービスも怠け者には何の意味もない。

 

 しかし、A子ちゃんはほとんど毎日ファイルを送ってきた。その質問の内容も勉強していないと出来ない質問ばかりで感心することが多かった。私は、A子ちゃんからどれほどの力をもらったことだろう。実は、白状するが高校の数学を指導しようと決めたのは彼女の影響が大きい。まさか、塾生に背中を押されるとは。

 

 英語に関しては、高校の時に英検の準1級に合格した。だから、英検1級の先生が必要になった。私は彼女の書いてくる英文の日記を読みながら添削をし始めた。これが、後にネットによる通信生の募集につながった。まことに、A子ちゃんが私に与えた影響は大きい。

 

 1級レベルのアドバイスをすると、たいていの生徒の方は

「何を言っているのか分からない」

 という反応だったけれど、A子ちゃんは私の意図することを即座に理解するため、授業も楽しかった。語彙や文法が正しければ良い英作文が書けるわけではない。

 

 当たり前だが、マナーやエチケット、採点官に対する思いやりが欠ける英作文は高く評価されない。学力だけではなく、そういう人間的な深みがないと見込みがない。浅い理解では京大などの難関大は合格できるものではない。

 

 実は、私に京大を7回も受けさせたのも直接的にはA子ちゃんの影響が大きい。

「この子は日本の宝だ。何としても志望校に合格させなければ」

 と思った。出来ることは何でもやる。娘以外の人間で、私にそんな思いをさせたのはA子ちゃんが初めての生徒だった。

 

 A子ちゃんは、あるクラブに所属して大会で入賞する成績をおさめていることは耳にしていた。ところが、高校2年のある時、自主的にそのクラブを引退した。理由は分からなかったけれど、成績が伸び悩んでいたのが理由だということは推測できた。

 

 私は、彼女の覚悟というか気魄に驚いた。

「先生はバツイチでも、1回結婚できたからいいですよ」

 と笑っていた。言葉の端々にクラブばかりか、彼氏も結婚も何もかも犠牲にしても医者になるんだという決意が満ちていた。彼女のクラスがある時は、楽しかったけれど緊張した。

 

「この仕事を始めてよかった」

 私にそう思わせてくれた塾生の子は多いが、彼女はダントツの存在だった。

 

 A子ちゃんは家庭環境にも、経済的にも恵まれていなかった。多くの生徒は、過酷な環境に置かれるとグレるか性格が歪む。しかし、彼女は厳しい環境を自分を育てる肥やしにできる稀な子だった。

 

「政策金融公庫と奨学金と私のバイトで何とかする」

 そういうA子ちゃんだった。そして、ある時ボソっと

「お母さんが生命保険を解約するって・・・」

 と小さな声でつぶやいた。しかし、その目には絶対に合格するという覚悟が見えた。

 

 そんな貴重なお金を塾に提供してくれるのだから、リキを入れないわけにはいかない。損得勘定などなかった。何としても合格してもらわなければならなかった。彼女が多くの患者さんを救うことは間違いない。待っている人がいっぱいいる。

  

  私は中学・高校時代を通じて、A子ちゃんと言えばジャージと思っていた。たまに制服で来てくれたけれど、女子度はゼロ。可愛い髪飾りを付けるでもなく、フリフリの洋服を着るでもない。もちろん、髪振り乱して勉強ということはなく、清潔にしていたけれどファッションに時間も金もかけるヒマはなかった。

 

  女子に「質実剛健」という言葉はおかしいのだけれど、A子ちゃんにはピッタリの言葉。私は戦前の教育は知らないけれど、両親を見ていて想像はついた。歴史小説に出てくる一昔前の大和撫子。

 

 これは偶然ではない。今、私の塾に各中学校のトップクラスの生徒が何人もいるけれど、理系女子はほとんど女子度ゼロ。平均的男子より理路整然と話す。そして、質実剛健。日本の未来は明るいと思わせてくれる。

 

 A子ちゃんは、その後「国立大学医学部」に現役合格して「旧帝の大学院」で学び、現在は研究職に就いている。私はA子ちゃんを長く見ていて思うことがある。

 

 A子ちゃんは気づいていなかったが、当塾では彼女の指導から生まれた教材群のお陰で、その後なんと「京大医学部」合格者が3人も続出した。私の塾の救世主でもあったのだ。

 

 現在の日本では、道を外れたギャル、ヤンキー、暴走族あがりの生徒や講師をもてはやしお金がそちらに流れる構造が出来ている。しかし、本当はA子ちゃんのように目立たなくても人々の役に立っている、道を外れない子にお金が流れるべきではないか。

第三章

「数学のはじまり」

数学に対する執着は残っていた。

最初に

「ボクは数学が苦手なのだろうか?」

  と疑問を持ち始めたのは、四日市高校の2年生の頃。1970年代の四日市高校は男子の割合が大きく、男子クラスがあり私は男子クラスに在籍していた。

  当時、男子は理系に進むのが大多数だった。その中にあって、テストの度に数学が壊滅的な点数になっていた。全国の模試なら、そこそこでも四日市高校の男子クラスではどうしても周囲の子と点数を比較してしまう。平均点と比べてしまう。

  点数だけでもない。三角関数、対数、微積分と進むにつれて

「もうボクの頭には入りきれない」

  と友人にぼやいていたのを思い出す。物理で13点を取り、

「こんなのありえない!」

  とショックを受けて、クシャクシャにして捨ててしまった。私は数学の公式を使う場合に、

「証明できないと、使う気になれない」

  というタイプだった。今思うと、それでは前に進めない。結局、自分が何をやっているのか分からなくなり気持ちが混乱し始めた。そして、1974年の大学受験の5日前を迎えた。

  2階の勉強部屋で数学の勉強をしていたら、突然手足が震え始めて椅子からズリ落ちてしまった。そして、

「お父さん、ボク変だ」

  と叫んだ。二回に駆け上がって来た父は、ひっくり返った亀のように手足をバタバタしている私を見て

「お前、何をしてんだ」

  と言った。そして、近くの総合病院に担ぎ込まれた。

  病院の看護婦さんは、私の手足を押さえつけながら

「アレ?高木くん、どうしたの?」

  と言った。北勢中学校の体操部の先輩だった。

  診断は、神経衰弱。いわゆるノイローゼとのことだった。私は頭が狂うことを心配したが、医者が言うには

「そういう人もいるが、身体に症状が出る人もいる」

  とのことだった。

  そうした経験を通して

「自分は、どうも文系人間らしい」

  と覚悟した。それで、名古屋大学「教育学部」で勉強している時に

「自分は先生かなぁ」

  とボンヤリ思っていた。それで、卒業後は英語講師として勤務を始めた。数学に触れるのは、自分にとってタブーになっていた。それから、20年ほどひたすら英語の勉強をしていて数学は求められて中学レベルだけ指導をしていた。民間では、英語講師だけでは仕事が得られないのだ。

  ところが、自分で塾を始めると

「明日は理科なのに、英語の授業ですか?」

  と生徒から文句が出始めた。それで、英語、数学についで、理科、社会、国語の指導もせざるをえなくなった。

  そのうち優秀な子が来ると、高田、東海、灘、ラサールなどの難関高校の数学の過去問にも手を出さざるを得なくなった。そして、ある日気がついた。

  そういう優秀な子は

「高校に入っても指導をお願いできませんか?」

  とリクエストが入り始めた。最初は、英語だけという約束だったのに中学生と同じで数学の質問も入り始めた。

 それで、考えた。

「灘高の入試問題の数学が解ける私なら高校数学も大丈夫かな?」

 と考えた。

「高校クラスも作りたいし、試してみる価値はあるかな」

 と思って、近所の本屋さんに行って高校数学の参考書・問題集の棚を見た。なつかしい「オリジナル」が目に入った。四日市高校の悪夢が蘇った。

  それで、恐る恐る手にとって中身をのぞいて見た。ひっくり返ってから25年以上が過ぎていた。まだトラウマがあり、手が震えた(笑)。しかし、驚いたことに、25年前の記憶が残っておりどんどん解けた。

  中学の数学を徹底的に教え込んでいるうちに基礎が固まったのか、中年になって精神が鍛えられたのか、よく分からない。とにかく、「オリジナル」を2周、「一対一」も2周、「チェック&リピート」も2周、「京大の数学」も2周。並行してZ会の「京大即応」を8年間やり続けた。

その間に腕試しに「京大模試」を10回、「センター試験」を10回、「京大二次」を7回受けた。

  そのくらいやらないと、優秀な生徒の指導には役立たない。成績開示をしたら、京大数学で7割正解だった。「暁6」の特待生、「国際科」の上位の子を指導しても困らなくなった。

  しかし、そういう点数の問題だけではない。自分の中で大きな変化が起きた。数学アレルギーが全く消えた。トラウマが消えた。怖くなくなった。今では

「まぁ、たいていの問題は質問されても困らないだろう」

 とリラックスして授業に臨める。当塾は、大規模塾のように準備した授業を一方的に話すスタイルではなく、生徒の質問に答える形式なので常に本番なのだ。

  今では、英語より数学の方がはるかに面白いと思える。だから、私は19歳の時点で「文系」「理系」に分類することに疑問を持っている。人間はそんなに簡単に分類できるものではない。

  文系だった私が今では

「この世の現象は数式で表現されない限り、分かったと言えない」

  と信じている。これは、完全に理系の発想だろう。

  学校では習わなかった「数学3」も独学で勉強している。そうこうしているうちに30年も過ぎてしまった。まさに、

「少年老い易く学成り難し」だ。

ただ、分かったことがある。私は自分の指導させてもらっている理系女子のような才能はないのだけれど、人の何倍も苦労して数学を身につけたために「生徒はどこでつまずきやすいのか」がよく分かるようになった。これは、数学講師としてはスゴイ武器になるのだ。

   ひっくり返って、病院送りになったり、受験会場で不審者扱いを受けて入場拒否をされたり、みっともないことが多かった。お世話になったホテルの人も最初は送迎バスは父兄は乗れないと勘違いしてみえた。

しかし、それもこれも必要なことだった。

  「とても頭に入らない」が「わかる!」に変わる瞬間を知った。

     こうして、今は英語と数学の両方が指導できる講師として重宝されている。

   考えてみると、高校生の時に吐きそうな思いで数式を見ていた時から30年が経過した。高校生の方は私もそうであったように2年後、3年後しか見えていないはず。そりゃ、そうだ。私もまさか自分がアメリカで生活したり、数学Ⅲを勉強するハメになるなんて予想ができるはずがなかった。

  父は亡くなる前に自分が大学入試に落ちた話をしていた。戦争で中国に行ったとも言っていた。大学に行って戦争に行くのを避けようとしたのだろうか。今となっては分からない。

 私の進学に強い関心を示していたのは、自分の原体験があったのかもしれない。もっと優しく接していたらよかったが、もう遅い。ご両親を大切にしてあげてください。A子ちゃんが最後まで頑張れたのも、私が頑張っているのも親の支えがあったからだと思う。

  ウザいと思った父は、私たちに良き少年時代を与えてくれた。私はと言うと、バツイチになって娘たちに良い家庭生活を与えられなかった。教養がないと思ったこともあったが、理屈を越えた愛情を与えられる方が人としてずっと大切なことだったのに。

  できれば、感謝の言葉を伝えたかった。

第四章

「ネット社会で右往左往」

 

   塾のホームページにブログの記事をエッセイ投稿サイトに載せたらどうかと提案がありました。一番下にそのサイトのURLを載せておきます。よろしかったらご利用下さい。

  投稿した途端、かなりの方がアクセスして読んで下さったようで嬉しいです。真摯に受験を考えてみえる方が多いことを実感します。

 

  よく作曲家の方が

「メロディーが天から降ってくる」

  と言われる。私も実感を持ってそう感じる。なんで英語の次に5科目。その後に高校数学を始めたかと言うと、天の声としか言いようがない。しかし、それでは非論理的なので分析してみる。

  だいたい10年なのだ、情熱が続くのは。皆さんは日本語が話せて感動されているだろうか。当たり前と思ってみえるはず。私は英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格した頃に、それまでの情熱を失った。

    10年も経つとある程度はどんな技術も身につくからだろうか。あるいは、人間の脳は10年くらいしか情熱が保てないのだろうか。英語の10年の後、翻訳や名古屋大学の大学院の入試で筆記試験に合格して学者になる夢も見た。

  しかし、それぞれの分野には達人がいて競争はきついしプロになる情熱も持てなかった。それで、塾生からリクエストの多かった理科や社会の勉強を始めてクラスを設置した。

  それも10年くらいでほとんどマスターしてしまった。ちょうどバブルが弾けて塾の経営も少子化で先細りが予想された。それで、やはり塾生の子のリクエストの多い高校数学に取り組んだ。

  ちょうどセンター試験を10回、京大二次試験を7回受けた頃に「終わったかな」という天の声を聞いた気がした。成績開示は、優秀な生徒の信頼を得られるくらいになり、授業で困ることがなくなった。

  それで、今はネットのブログに取り組んでいる。

  最初は楽天、Gooなど10個くらいのブログに並行して書いてみた。その中で読者が急激に増えたアメブロに決定。次に、読者数が伸びないのでYoutubeに投稿を始めて、ブログに転載。そして、ジャンルランキングに参加。今は、書き溜めた記事をエッセイ投稿サイトに投稿している。

  つまり、あれやこれやでネット活動しながら広報をしているわけだ。タダだから。大手がデタラメな宣伝広告をしているけれど、零細な個人塾では誰もふり向いてくれない。メディアが取り上げれくれる可能性を探っている。

  私は自分がデタラメではないと自負している。

    もちろん、何もせずに突然「天の声」が聞こえるわけがない。勉強し、食事や睡眠に気を遣い、定期的に運動し、お祈りし、瞑想し、危機感を持ち、常にアンテナを張り巡らす。

  そんな時に、アポ無し訪問とか、電話営業があると怒鳴りつけたりする。貴重な天の声を聞き逃す。老いた母親には優しくしたいが、こういう時だけは一人にしてもらう。倒産や夜逃げになって悲しませるよりマシだからだ。

  経営者の気持ちや50過ぎまで勉強し続ける人間の気持ちなど多くの人に理解できるわけがない。だから、妻から三行半を突き付けられても父と喧嘩しても譲れないところは譲れなかった。

  そういう孤独を引き受けるしかない。娘たちが私を勇気づけて、諦観を持たせてくれた。

  ブログは、しょせんコンテンツ勝負だ。受験と同じでテクニックでは読者はついてこない。真剣勝負でないとダメなのだ。これまでためた画像やデータを惜しげもなくつぎ込んでいる。

  私が英検1級、通訳ガイドの国家試験などに合格するために行ったノウハウ。センター試験10回・京大二次試験7回の経験から得た高得点の獲得ノウハウ。京医、阪医、名医、三重大医に合格した子たちを指導したノウハウ。そういうものを全て開示している。

  マスコミは、今も「GTO」から続くヤンキー、ギャル路線でヒットを狙っているようだが、現場の中学生や高校生はあきれ返っている。昔のNHKの「中学生日記」や、せめて「金八先生」くらいの普通のドラマを待っているのが分かっていない。

 A子ちゃんみたいな生徒がヒロインであって、アホなギャルなどマスコミが煽っても乗っからない。

 

1.英訳でも和訳でも、未知の英単語が出てきて、それが訳せなかった場合、模試では1つにつき満点から2点ずつ減点していますが、本番はどのような採点方法になるのですか?

おそらく、答案の印象というものが結構点数にかかわるのではないかと思うのですが。

 

2、先生は本番で8割超えをされるということですが、模試ではどのくらいの点数になるのですか?

 

 回答

1、  

 本番の採点がどのように行われているかは秘密でしょう。それで、私は実際に京大二次を7回受けて推測するしかなかった。その考察結果はブログに載せてあります。↓

http://ameblo.jp/takagishigemi/

 ただ、私の会った大学の先生は名古屋大学の教育学部の教授たちですが(名大卒や京大卒)受験生の方たちが考えるような厳密な人たちではないです(笑)。自分が彼らの試験を受けて、コンパなどで話した印象ですが。

  要するに、「英語の内容が理解できているか」だけがポイントなので全体の理解ができていると判断したら模試のような細かい採点はしないと思われます。

 2、                                                                      

ご存知のように、模試は本番より点数が落ちます。合格できるような点数をつけて本番で落ちたら予備校に抗議が殺到してしまいますから。トラブル回避のために必要な措置です。

私の経験は中京圏で名前を言えば誰でも知っている大規模予備校、塾、専門学校で講師を14年間やったという限定つきでの発言ですが、英検1級を持った英語講師に会ったことがありません。

 これは統計的に考えても納得がいきます。7つの旧帝の定員を各3000名として2万人ほどの定員に3倍以上の受験生が押し寄せます。大雑把に言って6万人以上。冠模試だと7割ほどの受験生が受けるとして、少なく見積もっても4万人。

それを採点する採点官が一人100枚採点するとしても、400人必要になります。旧帝受験者の答案を採点するのなら、受験生の上を行く学力がある人が採点すべきなのは言うまでもありません。

 しかし、河合塾も、駿台も、旧帝卒以上の学力のある採点官を400人以上確保できるわけがない。講師でさえ旧帝卒の先生に会ったのは中京地区では、私以外では1人だけでした。

 実際、ここ三重県では帰国子女の中学3年生のある塾生は英検1級を持っていましたが、調査によると中学教師で英検準1級以上は3割。高校でさえ準1級以上は5割。つまり、2級の先生が1級の生徒を指導しているわけです。

和田秀樹さんの「新・受験技法」によると、模試でD,E判定でも合格する人もいれば、エール出版の「合格体験記」によるとA判定どころか、全国1ケタ順位でも不合格になった恨み節が書かれたりしている現状です。

結論、

「模試は、占いよりはあたる」(笑)

  東大や京大受験生は、(ボーダーを越えている場合は特に)

「自分より学力が低い採点官が採点している」

  と思った方が現実的です。  

文部科学省は9月3日、平成25年度「英語教育実施状況調査」の結果を発表した。英検準1級以上相当の英語力を有している教員は小学校が0.8%、中学校の英語担当教員が27.9%、高校の英語担当教員が52.7%であることが明ら

かになった。

 

 

第五章

「偏差値追放、バンザイ!」

 

   2013年8月22日、三重県朝日町の空き地で、三重県四日市、市立朝明中学3年の女子生徒・寺輪博美さん(当時15歳)の遺体が見つかった強盗殺人事件で、三重県県警特別捜査本部は2014年3月2日、現場近くに住む三重県内の、当時・県立菰野高校3年だった18歳の少年が事件に関わった可能性が高まったとして、事情聴取を始めた結果、容疑が固まり逮捕した。

 

    同級生の高3男子が犯人、同級生の高校生を殺人で逮捕

その後の発表によると、波田泉有さんの同級生で同じ伊勢学園高校に通う高校3年生の少年(18)を殺人容疑で逮捕したということです。

現時点で詳しい経緯は分かっていませんが、「頼まれて殺害した」というような供述をしている模様。

 

  私の塾生たちが

「菰野は偏差値35、伊勢学園は44だし」

  と言っていた。

 

 残念だけど、世間の見る目はそんなもん。しばらくの間、ここ三重県では菰野高校と伊勢学園は

「あぁ、あの人殺しのあった」

 という風に言われる。また、

「やっぱり、偏差値が低い学校は・・・」

 とも言われる。

 

  該当の高校の志願者は減るだろうし、

「なんだかんだ言っても偏差値よ」

 という思いが、更に強化されるだろう。偏差値ランキングの高い学校でも「たまに」事件は起こるが、それは例外と見なされる。偏差値が低いと、やっぱりと言われる。残念だけど、それが現実。

 

 実際にはもっと酷いことを言う子もいた。

「この辺りで言うと、朝明か桑名工業くらいの偏差値ですか?」

 まぁ、そうなのだけど生徒たちは率直すぎてコワイ。

 表に出なくても、生徒たちの心の中ではそんな思いが拡散している。

 

  中学生や高校生の子たちは、私の塾生だけでなく「模試」や「偏差値」をどう扱っているか分かってもらえるだろうか。

 

  ところが、文科省の「偏差値追放」「業者テスト追放」の号令のもと、とうとうここ三重県では今年長年三重県の中学生の進路指導の指針となっていた業者テストの「三進連」がつぶれた。

  受験者減のせいだ。学校の先生は、これで生徒の間から偏差値信仰が無くなると喜んでみえるらしい。これで、人間教育「助け合い」「絆」の教育ができると本気で考えて見えるらしい。

  本当におめでたいというか、温室育ちなんだ。学校以外の社会のありようをご存知ない。現実の生徒たちに接している私には、生徒や保護者の本音と、学校の建前教育の乖離に呆然とするだけだ。

 

  アメリカで生活している時、私は日本では隠していた本音をさらけ出せました。本当に緊張せず、気楽に何でも話せました。

「これが本当の表現の自由なんだ!」

 と実感しました。ところが、日本に帰ったら、元の木阿弥。現実を見ず、語らず、建前だけで生きる多くの人たち。

 

 現実に目をそむけない受験産業だけが、私の生きる世界だ。

 

  経済的に恵まれない、頑張る子に報いる方法として、私の塾では毎月「特待生制度」で月謝を一部免除している。豊かな地方自治体では、最近塾の月謝を援助する助成金制度があると聞いた。

  アフリカの恵まれない子どもを救うのはいいけれど、日本国内で

「才能はあるのに塾で学ぶ機会がない子」

  を助成する制度はないものだろうか。ご存知の方がみえたら教えて下さい。お願

いします。A子ちゃんのような子は多いのです。

 

第六章

「ライフルと機関銃」

 

  アメリカの中学校で指導していると

「ここはライフルではなくて機関銃の国なんだなぁ」

 という思った。

 日本では「ゴルゴ13」のような一発必中を評価するけれど、アメリカはまるで違った。

「そんなことが出来るわけがない」

 という前提で何でも進む。だから、不器用な人でも、女性でも、子供でも敵を倒せる銃を考える。つまり、「数撃ちゃ当たる」という哲学だ。

 これは、どんな場面でもそうだった。手に負えない生徒がいたら、日本なら教師が

「何とかせねば」

と頑張るのが普通だ。でも、アメリカは

「そんなことできるわきゃない」

 という立場なので、すぐパトカーが飛んできた。ムリはしない。出来もしないことを求めない。楽なのだ。合理的とも言える。

 

  日本では強姦されても、加害者の人権を守るとか言って更正させることを優先する。しかし、アメリカでは

「人間は、そんな聖人君子になれない」

 ということで、加害者にGPSを付けて一般の人を守ろうという流れになったりする。私のいた中学校では、教室にホームレスのような服を着た怖い顔のオッサンとスーツを着たオジサンのポスターが張ってあって

「キミはどちらになりたい?」

 と書いてあった。

 

 日本でそんなことをしたら

「ホームレスを馬鹿にした。人権侵害だ」

 と騒ぎになりそうだ。本当は、みんな大企業につとめている人をホームレスより上に見ているのに、そんな本心を隠したがる。ウソツキ。

 中学校や高校の教師は、もっとヒドイ。

「勉強なんか出来なくても構わない。だから、学力順位は教えられない」

 なんて、ありえない偽善者ぶり。ここ三重県だけの特殊事情かもしれないけれど。

 

 

  私は少林寺拳法二段の黒帯だ。もう40年も練習を繰り返している。受験と似ているので性に合う。「頑張りました」では勝てない。勝敗はクリアーだ。どんな言い訳も役立たない。

  拳法では剣や銃にはかなわない。

  そういうハッキリした判断を避けたら、待つのは死だけだ。受験では「不合格」の泣きを見るだけだ。

  私の塾生たちは、学校の課す宿題に批判的だ。同じタイプの問題を繰り返しやらされると効率が悪いので困る。ならば、そう言って改善してもらうのがアメリカ流だが、日本では教師の目を盗んで内職に走る。

 なぜだろう?なぜ、率直に話ができないのだろう?

 日本社会では、全ての人間がデューク東郷のような超人であることを求められる。つまり、教師の言うとおりに従順であり、かつ難関校に合格すること。そんな超人のようなマネが出来るのはほんの一部の生徒だけだ。

  無理なことは無理と言えばいいのに、どうして隠れて勉強しなければならないのだろう。もっとハッキリ言う子も多い。

「あの先生は、旧帝には絶対に合格できない。卒業した大学も三流だもの」

 ならば、校長でも教育委員会でもいいので訴えて教師を変えてもらえばいいのだが、内職した選択肢がない。塾や予備校なら講師を選べるけど、学校では黙って支持に従うフリをするしかない。

 これは、おかしいと思う。誰でもゴルゴのようなスパイナーにはなれない。

  三角形の一つの内角の大きさを尋ねたら

「1382度」

  と答えた生徒がいた。たとえ、計算でそうなったとしても

「おかしい」

  と思うだろう。三角形の内角の和が360度だと知らなくても、分度器が180度までしかないことは小学生でも知っている。この生徒に、どうやって方程式や二次関数の内容を理解させられるのだろう。正直な先生なら(アメリカの先生なら)

「この子は他の生徒の迷惑になるので、別クラスで指導させてもらいます」

「追いついたら普通のクラスに戻します」

 実際に、私のいたローガン中学校はそうなっていた。

 ところが、日本でそういう話をすると

「差別だ!」「人をバカにしているのか」「そんなことしたら傷つくだろう」

 と総攻撃をくらう。だから、

「大丈夫。勉強だけが人生ではないよ」

 と意味不明なことでごまかしていく。社会に出たら、ごまかしが効かないのに責任回避なだけなのに。

 

 私はブログに父のことや特攻隊のことをよく書く。個人ではどうしようもない戦局の中で、自己犠牲を受け入れた先人には頭が下がる思いだ。しかし、その同じ事態をアメリカから見ると

「そんな聖人君子のような人間が存在するわけがない」

 という哲学なので、

「狂気の自爆テロだ」 

 と見えるのだろう。

 

第七章

「怒りの根源」

 

  私はアメリカにいる1年間に、怒った記憶はない。

「私はこんなに良い人間だったのか」

  と自分で驚いたほどだ。

  ところが、日本ではそうはいかない。親に怒鳴りつけ、姉に怒鳴りつけ、生徒に怒鳴りつける。なぜ、こんなことになっているのか。それは、ユタ州にいたときは

「怒る人より、怒らせる人が悪い」

 という教育を教会が行っているからだ。人間はイエス様のように完全ではない。無限の忍耐力などない。だから、できるだけ相手を怒らせるような言動は慎むべきだ。そういう哲学が徹底されていた。

  ところが、日本では備品を壊そうが、暴力をふるおうが、イジメで友人が自殺しようがやりたい放題。そういうはみ出し者も受け入れて更正させる。教育させる。そんな偽善が横行している。

  誰が、そんなイエス様のようになれるものか。だから、怒鳴りつけるしかなくなる。感情的になると、ストレスが溜まる。集中できなくて交通事故や、うっかりミスにつながりやすい。ロクなことがないのだ。

  たとえば、経費を節減して月謝を据え置き塾生の保護者の方の経済的な負担を軽減したいと考えている。そのような時に、塾生の方が落書きやら乱暴に備品を扱って破壊すると清掃や修理をしないといけない。その経費を確保するためには、月謝を上げるしかなくなる。

  選択肢は二つしかない。そのような生徒を塾から追い出すか、月謝を上げるかだ。もちろん、その前に塾生に話しをする。しかし、過去そんな説教がうまくいったためしがない。それどころか、怒鳴りつける。あるいは、実力行使で止めるしかなかった。

  「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:33〜34)

普通の人間は、十字架の拷問を受けている最中で、こんなことが心から言えるでしょうか。イエス・キリストは100%、痛みを感じる人間であり、神の子です。この方に「私の心にお入り下さい」と祈ってみましょう。人を赦せないあなたを、赦してもらうことができます。 

こんなことは普通の人間には出来ない。つまり、私には出来ない。悪い生徒に弁償してもらおうとしても、月謝さえ踏み倒していく。そういう悪い生徒が集まるから、塾は自己防衛のために月謝の銀行引き落としが拡大中だ。

私は、よく

「厳しすぎる」

 と言われる。しかし、たとえば患者の世話をしている医者や看護師がミスをしたらどうなるのか。命に関わる。塾長の仕事もそんなもの。試験の合否は命に関わるとは言わないが、それくらいの思いで勉強している子は多い。

「悪気はないのに・・・・」

 などと言う釈明は聞く気はない。真面目にやっている子が犠牲になってしまうからだ。

 ほらね、私は人を赦せないクリスチャン失格です(笑)。

 

第八章

「敵は家族にあり!」

  ハンバーガーは牛肉から出来ている。日本では仏教の影響が強いため、殺生を嫌い屠殺場の労働者は不浄と差別されたようだ。今も、牛を一撃で殺す場所に行くと女性などは

「かわいそう!ヒドイ!!」

 と叫ぶのだろう。しかし、そういう仕事をしてくれる人がいないとマックは食べられない。牛丼は食べられない。ステーキは食べられない。すき焼きは食べられない。

 私は、自分が通風になってから肉はあまり食べない。しかし、雑食性の人間には肉は必要なのだろう。

    私は一部の人に、屠殺場の労働者のように見られていることを知っている。一生懸命に塾生の方の成績を上げる仕事をしている。偏差値が届かないと「ムリ」とも言う。しかし、そういう仕事を外して「高校生活」「大学生活」という果実は得られない。

  塾のことを言ってはいない。塾がなくても、やることは同じだ。誰も指導をしなければ、合格はできない。完全な独学など例外中の例外だ。

 

 名古屋のある専門学校で英語を教えている時に、テキストに部落差別に関する記述があったので少し言及したことがあった。すると、授業が終わってみんなが教室から出ていったのを確かめてからBくんが教壇に近寄ってきた。

  そして、こうつぶやいた。

「さっき、先生が話していたことね。ボク、そういう地区出身なんですよ」

  と言って去っていった。私は突然のことで、何と返して良いか分からなかった。彼は勉強があまり出来ないから専門学校に来たのだろう。しかも、社会から差別されてきたらしい。

  大変な人生だと同情した。

「衣食足りて礼節を知る」

 と言う。衣食に関わる仕事が、なんで差別されるのか。受験指導をしていると、様々な子に出会う。Bくんは勉強に向いていなかった。英語など出来なくても生きていける。必要でない仕事の方が多い。

  ある日、彼の席に彼がいなかった。それで、

「Bくんは、どうしたんだ?」

 と尋ねたら、クラス中の生徒が変な顔をした。そして、ある子が

「彼は死んだよ」

 と言った。私はとても驚いた。それで、講師室にもどって他の先生に尋ねても変な顔をした。口に出来ないということは、犯罪か自殺かロクなことではないので他言無用ということなのだろう。

 

  私の最大の敵は、家族だ。

最初の危機に陥ったのは、塾がまだアパートの一室にある時だった。コンピューターを導入して生徒ひとり一人に毎月偏差値と順位を知らせた。すると、母は

「そんなことしたら、あなたの息子はビリみたいになって近所づきあいが・・・」

 と私を止めようとした。

 塾を建てたら利息も含めて1億くらいの借金を背負い、娘が三人生まれて何がなんでも生き残らないといけない決意だった。その頃に、特待生制度を作ったら奥さんが

「ヒドイ!そんな差別をするなんて」

 と私を責めた。外で戦い、家に帰っても戦いだった。他人なら、ある程度距離を保てるが、家族はダメ。子供の頃は、親は息子を励まし、奥さんは旦那を支えるものだと思っていた。

 しかし、現実は違った。四面楚歌だった。それ以来、私はハンバーガーを食べながら、動物愛護を叫ぶ人に嫌悪感を抱くようになった。偽善者。そんな偽善者が増えれば、Bくんのような犠牲者が出るだけだ。赦せない。

  家族は、感謝するべきことが多いため戦うのが難しい。しかし、情に流されると自分の生きる道を見失う。

第九章

「最高の学習環境」

  私が英語の勉強、数学の勉強に集中し、京大を7回受けていた頃、家族と戦いながらの学習環境だった。最終的に、バツイチになった。家庭裁判所で面接交渉権を得るための戦いの中で、英語や数学に集中し30年ぶりのオジサン受験という状況だった。

  特に不運だったと思っていない。もちろん、トラブルの最中は

「なんで、私が・・・・」

  と思った。法廷離婚理由になるような行為はなかったから。

  しかし、もと奥さんが持ち出した共有財産を処理しないと長女の大学の授業料が払えない。離婚して取り返す決意をした。ベストの道ではないけれど、選択の余地がなかった。

  そうして苦労の末、高校クラスも順調に進んでいったがエリート教育と批判された。この社会は歪んでいる。しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」と言う。支持者も増えていった。

  塾生の子たちを見ていると、逆境にある子の方が性根がすわっていて強い。温室育ちではダメなのだ。何が起こっても、どんな環境にあっても一本筋を通さないと難関校の合格など不可能なのだ。

  でも、本当に経済的に困って塾にも来られない子がいる。経済的に助ける方法はないのだろうか。知恵のある人、情報をお持ちの方は教えて欲しい。

  私は、毎日多くの人の命を救うであろう医学部志望の優秀な生徒をたくさん指導させてもらっている。この子たちに、投資すれば日本の科学技術が伸びることは間違いない。箱物に投資するより、ずっと日本のためになる。

 お金持ちの方のメリットにもなり、優秀な学生のためにもなる投資の仕組みが作れないものだろうか。大学までたどり着くと、私が利用させてもらった留学制度などが充実している。

  しかし、もっと若い中学生や高校生の子にお金の心配がない環境を与えられる制度ができたらいいのに。苦学生の過酷な環境を乗り越える試練が必要なのだろうか。私にはよく分からない。

第十章

「中間報告」

科学の心で、受験指導に向かうと英語と数学に関しては私のやった道をたどると思う。ところが、

「京大の英語で8割を超えました」

 とネットで成績開示したら、2種類の反応があった。一つは、

「ぜひ、英作文の添削をお願いします」

 というもの。もう一つは、

「英語講師のくせに、2割も間違えて。信用できん」

 というもの。京大のトップクラスが8割くらいで、英作文や和訳は客観テストだから間違いというのではなくて「評価」だという基本的知識さえない。そういう人に反論しても仕方ないので、スルー。

  数学も同様に、

「高校数学の指導ができる人が、この地区にいない」

 といって塾に来てくれる。

 しかし、一方で

「7割で恥ずかし気もなく公開している」

 という罵倒もある。たぶん、京大だけでなく、旧帝は医学部以外は65%程度で合格できるという基礎知識さえないのだろう。反論する気にならない。

  授業をやっていても、

「先生、コレお願いします」

  と言われて、

「これはリミットとシグマで積分の定義になるから」

  と言えば、

「そっか」

  で終わる子が多い。分からないと、計算までアレコレやるしかなくなる。そして、分からない子ほど計算でミスをすると

「先生が間違えた。講師失格!」

  と騒ぐ。賢い子たちは、計算など実はどうでもよくて本番も筋道を書いたら得点が大部分くると分かっている。

  そういう授業を10年も繰り返すと、国家予算(税金)を同じように全員に配分するのは間違いのような気になる。

「成績の良い子は進学校に進むのだから問題はない」

 と言われるだろうか。

「成績優秀な子だけに奨学金が出るから問題はない」

 と言われるだろうか。

 大村先生の言われるように、

「学問は人の役に立たなければ意味がない」

 とするなら、投げやりな態度で勉強している子たちは勉強で「人の役に立つ」可能性はほとんどない。他の道で人の役に立つべき。

  私自身、ストレスから入院したこともある。あまりのストレスで信号を見落として危ない思いをしたこともある。

「これ以上、ロクでないしの相手をしたら殺される!」

 と真剣に思った。これは、正当防衛なのだ。イジメから逃走するしか、自殺を逃れられない生徒と同じだ。私はマジメな生徒だけを相手にする塾を作るつもり。

 今もA子ちゃんのような子が当塾にいる。何とかして彼や彼女の経済的負担を軽減してやりたい。でも、私の知恵には限りがある。彼らは、必ず日本のために懸命に働いてくれます。才能豊かです。何か知恵はないものでしょうか。

 

  未来のノーベル賞候補の子たち。受賞するまで無名のまま放置しておくマスコミは、今日も芸人のバカ騒ぎばかり放映している。そんな人たちにお金が流れて、多くの人を救っている人たちにスポットライトが当たらない。この日本の現状を変えましょう。

 賛同していただける方は、ネットで拡散をお願いします。衆知を集めれば、彼らを経済的に支える方法が見つかるかもしれません。

 

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