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15/10/4

難病疑い歴5年。ハザマを生きている女子の話2

Image by Olia Gozha

運命は突然に…

あれは忘れもしない、2010年10月5日のこと。

私の日常は突如として非日常になった。


足がない!?


朝起きると昨日の夜寝る前にあったはずの左足がなかった。

いや、なかったのではない。

私の左足は確かに本来あるべき場所には存在した。

だが、確実に自分にとってはないに等しかった。

そう、この時私は左足のくるぶしから下の感覚が消えていたのだ。

しかもこの日より以前に度々あった左手の脱力も同時に起きていて、私はベッドから起き上がることすらできなくなっていた。


当時、私は岩手の田舎の進学校と呼ばれる部類の高校に通い、朝8時から夜8時まで学校で授業を受け、夜9時から深夜1~3時頃まで家庭学習に励むという生活を送っていた。

左手の脱力は9月半ばくらいから度々起きていたが、ストレスや疲れだと思い、放置していた。

もしかしたら、それはこの病気の前兆だったのかもしれないと今は思う。


とにかく、急に左手と左足を動かせなくなった私はどうすることもできなかった。

階下からは親が私を起こすための怒鳴り声に近い声が聞こえる。

必死に起きようともがいた結果、私はベッドから落ち、ベッドの横に置いていたテーブルとベッドの間に挟まれる形になってしまった。


さすがに遅いと思ったのか、父が部屋に入ってきて、異常事態の私に気づき、ベッドに戻してくれたが、すっかり混乱していた私は泣くことしかできなかった。


両親が即座に話し合った結果、隣町の整形外科に行くことになったが、私はあまりの出来事に、家を出るまでのことをほとんど覚えていない。


感覚というものはかなり重要で、左足の感覚のなくなった私は立つ、歩くという当たり前のことさえそのやり方がわからなくなっていた。

微かな記憶で、両親に両側から支えてもらい、ほぼ引きずられるような形で歩き、階段は父におんぶされて下りたはず。

家の敷地は砂利なので、玄関から車までもおんぶだったと思う。


こうして私の非日常は幕を開けた。

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Image by Jukka Aalho

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