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13/5/3

音楽を始めたきっかけ

Image by Olia Gozha

最初のきっかけ

最初のきっかけは、小学校の音楽発表会だった。


その頃は俺はなぜかパソコンクラブというのに所属していて、そこで日がな一日HTMLとCSSでクラッシュ・バンディクーの攻略サイトを作っていたんだけど、たまたま音楽発表会の練習を音楽の授業中にやることになって、そのときに初めて楽器に触った。

で、曲目が『剣の舞』。鍵盤楽器がメチャクチャかっこいい曲で、初めて聴いた時から「鍵盤やりたい」と思った。もちろんやりたい楽器の立候補の時はシロフォン(鍵盤でピアノと同じ鍵の打楽器)に立候補した。俺と同じ事を考えていた人はたくさんいて、オーディションみたいになったけど、最終的にはシロフォンを叩く人の中に残ることが出来た。

それで練習を始めたんだけど、なかなかうまくできない。音楽の先生に色々教えてもらって、なんとか形になった頃には、もう合奏練習が始まっていた。本番もメチャクチャ緊張したけど、なんとかこなして、良い発表になった。

それから、休み時間とか放課後にはいつも音楽室に行って、当時はやっていたゼルダの伝説の音楽をピアノで弾いてみたり、音楽クラブの練習をなんとなく覗いてみたりとか、そういうふうにして小学校を過ごしていた。

この時の音楽の先生には感謝しなきゃいけないと思っている。だって、あのとき、

「君には音楽の才能がある!」

と言ってくれていなかったら、きっと俺の音楽歴は小学校で止まってしまっていたから。それに、放課後とかに音楽室に行って好きに楽器を演奏できたのも、俺らがいる間ずっと音楽の先生が準備室に残って仕事をしてくれていたからだし。

中学校はなぜかわからないけど私立を受験したいと思った(親に言われて受験するっていうのが当たり前っぽいけど、俺は違くて、自分の意思で『この学校に行きたい』と思っていた)。選んだ学校では音楽活動が盛んというわけでもなかったけど、入ってみると吹奏楽部はちゃんとあるし、年に一度の学園祭ではバンドコンテストなんかもやるくらい、音楽が好きな人が自分たちが楽しみために色々なことをやっている学校だった。

もちろん吹奏楽部に入って、チューバという低音楽器を選んだ。理由は誘われたからだけど、最初行ったパーカッションでスティックを上手く扱えなかったから、そのときは納得してた(そんな俺も今となってはドラムだから、人生どうなるかわからない)。

次のきっかけ

で、唐突にちょっと暗い話になるけど、中二のとき、いじめにあって不登校になった。なんでだったかちゃんと覚えてないけど、まず授業中に色々あって先生にビンタされたのが最初だったような気がする。学校に行かなくなるっていうことは、つまり部活もやらなくなるってことなので、短い期間だったけど俺は楽器に触っていなかった。

その間夢中になっていたのがインターネットを介したコミュニケーション。その頃はDAWとかじゃなくてMIDIで曲を作るのが流行っていて、結構気軽にできるものだったので、それで好きなゲームの音楽をコピーして、そのゲームの攻略サイトの人に送りつけてコンテンツとして載っけてもらうっていうのをやっていた。

最初はものすごく楽しかった。俺TUEEEE感にあふれていた。なんだって出来る、っていう感じ。

でも、そんなのはまやかしで、結局人の作ったものをコピーして自己満足に浸っているだけだった。やっぱり自分の体を使って自分の息で楽器を鳴らして、みんなでひとつの音楽を作り上げることのほうが断然楽しかった。

それに気付いた時、俺の不登校は終わって、とりあえず学校が休みの日曜日に部活に顔を出した。それで楽器を吹いた。最高に楽しかった。翌日の月曜日、授業があるけど、普通に学校に通って、授業に出て、久しぶりに会う友達と挨拶をかわして、部活に出て楽器を吹いて、クタクタになって家に帰って寝た。引きこもってた時よりも断然楽しかった。

そのあとはずっとチューバを吹き続けて、音大に入りたいとかも考えたけど、家の都合で音大に行くような金がなかったので諦めて、趣味でこれからもずっと音楽を続けていこう、って思うようになった。だから働くためにちゃんとした大学に行こう、勉強しよう、って思ったのが高三のとき。そこから必死に勉強して、いわゆる「良い大学」に入った。音楽をやるには金がかかる。だから、良い仕事をするためには高い水準の勉強を出来るところに行きたくて、慶応義塾大学に入った。

あ、もちろん吹奏楽サークルがあることをリサーチした上でキャンパスも選んだ。

最後のきっかけ

そのサークルでは「音楽を楽しもう」っていうのが基本コンセプトにあったので、コレまでとは違って色々なことが出来た。まず、チューバ一辺倒だった俺がパーカッションにコンバートした。どう考えてもチューバを吹いたほうがいい演奏ができるんだけど、パーカッションやりたい、って言ったらパーカッションに入ることになっていた。

そこで一年頑張って、それなりに上手く演奏できるようになった後、そのサークルの先輩から「バンドやらない?ドラムで」って誘われた。

もともと興味はあったし、面白い感じだったのでやることにした。

メンバーのほとんどが大学四年生で次の年就職だから、半年しか続かなかったし、ライブも二回しか出来なかったけど、あの半年は俺の大学生活の中で今でも一番輝いている。本当に楽しかったし、勉強になったし、新しい世界を知ることが出来た。長い人生の中でこんなにも早く、あのスポットライトの魔力に取り憑かれることが出来たことに心から感謝している。

締め

まぁこんな感じ。

文章にしてみると意外と普通な感じだったけど、それぞれのきっかけがそれぞれのタイミングで来なかったら、どこかで俺は音楽を辞めてしまっていたかもしれない。

でも、幸いにして今も俺は音楽を続けているし、これからも、何があっても、一生かけて曲を作り続け、バンドで頑張り続け、ステージを目指し続けるんだろう。

きっと、誰の人生にもこういうターニングポイントみたいなのがあって、俺はたまたまそれを上手く掴み取ることが出来たんじゃないかと今になって思う。

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