銀行員は「やられたら倍返し!」けど「商社は三倍返し」と教わってきました!
規模の小さい商社に移って2年目のある日、初めて社長からナベチャンと呼ばれました。
普段から威勢の良い社長はいつも「おい!」とか「ナベ!」とかまともに名字で呼ばれて事がありません。そんな社長からがやさしく「ナベチャン」と私に手招きをしましたので私は驚き反面、嫌な予感反面と両方を感じつつ社長室に入りました。
社長室には一人の男性が座っていました。少し初老の男性ですが、背筋がしっかり伸びており物腰は優しいのですが、りんとしたオーラを持つそんな私の第一印象でした。
「実はこちらの会長さん、俺が昔から世話になっている方でね。フィリピンでマグロ船を持っていらっしゃる方だ」
フィリピンでマグロ船?
フィリピンはもともと単価の安いキハダマグロが水揚げされます。
そんな原料安の国で自社でマグロ船なんて持ってて採算が合うんだろうか?・・・
不思議な気持ちで聞いていました。
「ところが、現地に日本から船頭を派遣して一年経つんだけど未だにマグロが一本も水揚げされていないようだ」
一年も・・・ですか?
かなりの設備投資をしたが、折々で「あれが足りない」とか「これが壊れた」だとかお金を要求される。いったいいつになったらマグロが来るのか分らないので困っている。と、初老の男性。
食品関係といいますが、群馬に大きな工場を持つ和菓子メーカーの三代目。経営はすべて息子さんに任せ、今は会長職になっているそうです。
「そんな方がなぜマグロビジネスなんですか?」
「いや、経営を息子に任せた時になんだか寂しくてね。昔から魚が好きだったのでマグロだったら間違いないかなと思って」
単純な発想でしたが、当初船さえ買ってくれればすぐに事業がスタート出来る事。
そして獲れた魚はすべて国内のあるメーカーが買い取ってくれると確約を付けているので安心して任せたんだそうです。
国内メーカが出した企画書を見せてもらいましたが、年間の捕獲量や買い付け価格等明らかにおかしい。フィリピンでたった一隻の船がそれだけの水揚げが出るわけは無いし、買い付け価格も明らかに相場を逸しています。
たった一艘の船で年間一億の利益が出るなんてどう見てもまともな話ではありませんでした。
「どうすれば・・」と、社長は困り顔でした。
「正直申し上げても宜しいでしょうか?この事業計画は間違いなくおかしいです。今すぐにすべてを精算してこのビジネスから手を引く事をお薦め致します。」
大きな会社の会長たるものがどうしてそんな話に乗るかね~、と半場あきれていましたが、すでにこのビジネスに7千万円のお金をつぎ込んでいる事からもう後戻りが出来ないという会長に延々と「フィリピンの怖さ」をお教えいたしました。
社長室で三十過ぎの若造が偉そうにフィリピンの話をし始めたとき、鼻で笑っているようなしぐさを見せた会長も「殺し屋」「逮捕」「拘留」などあまりにも現実離れした話に付いていけない状況でした。
次第に真顔になっていく会長に
「命あっての事です。この7千万円はあきらめましょう」
と進言しました。
自分の事では無いとは言え、マグロを詐欺の道具に使われる事の腹立たしさや、弱い立場の人間を騙す連中の事を考えるとものすごく憤りを感じ早く話を終わらせてこの部屋から出たい心境に駆られました。
そんな私の様子を見かねた社長が
「まぁ、まぁ、だからといって相手にミスミス7千万円を取られちゃったら会長さんだってかわいそうだろう。何か手はあるだろう。お前だったらどうする?」
ガラは悪いがさすがに一国の社長です。私の性格をよく御存じで・・・
そんなわけで私なりの解決策を会長に伝えました。会長は一生懸命メモを取っていましたがやはり理解に苦労されている様子。
「だめだこりゃ」
と思いながらも一通り説明をし、社長室を後にしました。
会長も相当ビビったはずだ、これに懲りてもうフィリピンの事業はあきらめるだろう。
ところがこの話が意外な事で大きくなり、私もフィリピンの裁判に出廷しなければならなくなりました。
私が会長に授けた解決策の手順は・・・
1.フィリピンで獲れたマグロを全て買い受けるという日本の会社と約款を交わし契約書を作る。
2.船を買うために送金した内訳を全てを書類にし、その船籍を持つフィリピン企業に受け取り確認のサインをもらう。
3.サインをもらった計算書を日本の公証役場に持ち込み、公証としてとして認めてもらう。
4.日本で認めてもらった公証をフィリピン大使館に持ち込み、フィリピンの公証として認めてもらう。
5.業務不履行を盾に船や資材の返還を求め、マグロを買い取ると契約書を交わした会社に対し今までかけた費用の返還を求める行動を起こす。
会長はメモを取っていましたが全く的を得ていない様子。だめだこりゃと思いながらも早くこの場を去りたい一心で「何かご不明の点があれば携帯に連絡ください」と社長室を後にしました。
しかし、その一言が命取りになりました。
翌日から私の携帯には「会長」からの電話が頻繁になってきました。
「マグロを買い取るという日本の会社がそんな簡単に契約書にサインするかな?」
「会長、相手は詐欺師ですよ。騙されたふりをして銀行からお金を借りるには売買契約書が必要だとか、もっともらしい言い訳を作って相手から書類を取らないと会長が不利になるだけですよ」
「ところで約款はなんて書けばいい?」
「会長、会社の弁護士さんがいらっしゃるでしょ、そちらに相談したらいかがですか?」
「会社の弁護士はあてにならん、まったく受ける気は無いようだ。あきらめなさいとの一点張りだ」
そりゃ、そうでしょう!
会長からの電話は仕事中は勿論、朝早くから夜遅くまで遠慮なく鳴り続けました。そりゃ、向こうは暇人。朝となく昼となく思い立ったらすぐに電話をしてきます。
特に夜にお酒が入った後にかかる電話はろれつが回らず時に二時間を超えるようになりました。
俺は寂しい老人を慰めるテレクラ嬢か・・・
まるでストーカーのような電話はエスカレートし、一度電話に出ないと二度、三度とこちらが出るまでリダイアルを続けるので打ち合わせなど一時間電話に出られないとあっという間に30件の履歴が「会長」で埋まってしまい、業務にも支障をきたすようになりました。
そんな会長を疎ましく思い「今後、仕事中は電話をかけないように」と、お願いをしました。
それと、会長一人では詐欺師集団に太刀打ちできないので、誰か弁護士さんなり付いてもらった方がいいですよ。と、助言をしました。
少しきつめに言ったのでその日から会長からの電話は無くなりました。しかしその二日後、会長がある一人の男を連れて会社を訪れました。
名前は菊池さん、会長が務める和菓子工場の営業部取締役と肩書の入った名刺を渡されました。
年は40代、一流大学を卒業し、大手銀行を経て会長の和菓子工場に就職したそうです。銀ブチメガネでいかにも堅物そうな物腰でしゃべる印象を持つ人でした。
さすが大手銀行出身のキレモノらしく、私が出した解決策を把握している様子でした。
エリート育ちの自信がそうさせたのでしょうか、完全に一歩上から人を見下している。
融通の利かなさそうな雰囲気を持つ笑い方が気になる人でした。
「今後は菊池に任せたから、ナベちゃんと二人で連絡を取り合いながらうまくやってよ」
「会長!私、関係ありませんから、巻き込まないでください」
そんなやり取りはありましたが、「これでやっと会長から解放される」という安堵感がこみあげてきました。ここで話をこじらさないように菊池さんにすべてのイニシアチブを握ってもらえるように静かに静かに話をしました。
これで静かになった・・・
それからしばらく経ったある日、久々に会長から電話がありました。
「ナベチャン、今度の三連休どうしてる?」
「いえ、特に予定はありませんが?」
「だったら船を見に行こうよ、マニラへ・・・」
あれから菊池さんとはたまに書類の事で連絡がありましたが、特にこれといった問題は無く淡々と書類をまとめていました。
書類がすべて整ったのでマニラに皆を集めて契約書にサインをもらうとの事。その立会人としてマニラに一緒に行ってほしいとの事でした。
書類は菊池さんがしっかりやってくれていたので問題は無い。今回、私は見てるだけで済みそうだなと思い。
「会長!当然、ビジネスクラスですよね」
と、軽い気持ちで返事をしました。
JALマニラ行の午前便は意外と空いていました。「はい、これチケット」と渡された席はまさしくビジネスクラス。
「私たちは席が取れなかったので、こちらで」とエコノミー席に移動する会長と菊池さん。
「ちょっと、待ってください。みんなでビジネスだと思っていました。私ひとりじゃ心細いので会長がこちらの席をお使いください。私は菊池さんと打ち合わせをしながら移動しますので・・」
飛行機の座席といい、考えれば何か違和感がありました。
会長が私の会社を訪れた時からその違和感はありました。マニラまでの機中、菊池さんは「自分の命に変えてでもこのビジネスを精算させなければ」と悲壮感があります。
「菊池さん、一つだけ約束してください。無茶をすると簡単に命を狙われる国です。どうか日本流の考えは捨ててください」
ずい分お酒に弱くなったという会長でしたが、マニラの空港に着いた会長の顔はとても緊張していました。あれほど飛行機の中でお酒を飲んでいたのに・・・
空港にはすでに出迎えが来ていました。
マグロを買い取るといった日本の会社の社長、そして船を所有しフィリピンで加工工場を持っているというフィリピン在住の日本人経営者。
そして一年間給料だけもらってマグロを一本も獲らない船頭。
まだ疑いを持たず、金ずるがねぎを背負って現れたと信じている様子。満面の笑みでこちらを見ています。
これから三日間、見守るだけでよさそうだとの甘い考えを反省し、どうやって奴らを料理してやろうかとふつふつと何か湧き出す物を感じながら彼らの用意した車に乗り込みました。
続く・・・