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15/9/26

優等生が一流大学で劣等生になり、得たもの

Image by Olia Gozha

憧れの同志社大学の入学式の日。目に入る全てが新鮮だった。

"ここで一体どんな出会いが待っているんだろう…"そう思うと、胸が高鳴るのを感じた。

英文学科生は約300名。名簿を見ると、私の学籍番号は18番。野球でいうとエース番号。

なんか嬉しかった。

オリエンテーションの時に、後に卒業まで講義でお世話になるイギリス人の教授からスピーチがあった。

聴きとって、理解出来るのが嬉しかった。

"Carpe diem. Seize the day." 

どうやら映画の有名なセリフらしい。

この言葉を、私は今でも自分の人生のモットーとしている。

1日1日を…大切に生きる。当たり前のようで、見失いがちなこと。

まぁその当時の私にはそれどころではなかった。

入学してからすぐにサークルの勧誘期が始まり、色々なサークルに行った。

いまいちだった。

ピンとくるものがなく、あっという間に勧誘期が終わろうとしていた。

その時だった。

あるテニスサークルの先輩が、声をかけてくれた。とても面白くて、優しくて、食堂に連れて行ってもらった。

テニスには全く興味がなかったが、運動は好きだったし、テニスも悪くないなと思ったのと、何より…サークルの人たちを私はすぐに好きになった。

入会を決めた。

テニスに、英語の授業。

楽しいことだらけ…のはずだった。

私が違和感を覚え始めたのはゴールデンウィーク明けくらいからだ。

五月病どころの騒ぎではない。そんなのにかかってる暇もなかった。


授業が…分からない。


大学とは不思議な場所で、みんな勉強していないのに、講義についていけている。サボっていても何故か講義についていける。

だから自分もついていけている、そんな錯覚に陥っていた。

以前のように話を聴いてくれる父がそばにいるわけではない。

不安を誰に打ち明けることもできず、作り笑いで誤魔化す。

父に電話をした時、思わず言ってしまった。

「私…こんなとこ来んかったら良かったったいね。福岡の大学に行っとけば良かったったい。」

父は怒ることもせず、ただ呟いた。

「…そうね。辛いなら帰っておいで。お父さんは止めん。」

その時に…自分がとんでもないことを言ったと感じた。父が私のことを見捨てず、これまで応援してくれて、ようやく大学に入学出来て、何百万という学費、仕送りを惜しむことなく私に投資してくれて…

頑張らなかったのは…誰?

私、だ。

周りのせいにして、自分が頑張ることを怠っていただけ。

周りは周り。私は私。

小学生の時によく大人に言われたことだ。こんなことも私は忘れていたのか。

「…ごめん、私やっぱり頑張るよ。」

そう言って父に謝った。父は何も言わなかった。後から聴くと、父は私が結局頑張ることを知っていたらしい。全く父には頭が上がらない。

前期は見事に単位を落としまくった。

これがまた大学の恐ろしい所で、自分で頑張らないと決めればそこで脱落することも出来る。単位を取らなくても進級は出来たりする。

だが私はめげなかった。辞めて帰るなんて出来るわけがなかった。

周りに合わせるのは止めた。自分の意思で、自分がとりたい講義をとることにした。

「えー、同じのんとろやー」と言われても、「興味ないからいい笑」

と断った。

自分の勉強したいことを、自分の意思で学ぶ。それが大学の意義ではないか、と感じ始めた。

高校のようにカリキュラムが組まれているわけではない。自分の意思で行動をする。

自分の興味あることだと不思議とやる気になった。別の学科の授業を受けてみたり、新鮮なことがたくさんあった。もし合わないと思えば、履修中止も自分の意思で出来た。

高校の時の私とは少し違って、また違う形で勉強が好きになった。

自分のスタイルで、自分が学びたいことを学ぶ。知識が肥やしとしてどんどん蓄積されていった。周りの学生が居眠りをする中、ノートにたくさんの面白い話や知識を書き込む。たまらなく楽しかった。

英文科の授業は相変わらず難しかった。帰国子女や、海外留学経験者に囲まれての授業。劣等感を感じずにはいられなかった。

幸いだったのは、ここでも人に恵まれたことだ。海外で生活していた子、留学経験者に高校の時に周りにいなかったので、とても新鮮で、そしてみんな優しかった。気取ってる子なんかいなくて、サバサバとして。

私のことを笑う子なんかいなかった。むしろいつも話しかけてくれた。テンションの高い先生のクラスでは何故か私が、先生の標的になり、いつも弄られていた。そしてみんなが笑う。その空気が温かくて好きだった。クラスメイトたちに劣等感は抱かないでいい、彼女たちからむしろ何か学べれば、そう前向きに考えれるようになった。

単位はギリギリでもいいから、取れればいいと思った。

先生がどう自分を評価しようと、私がそれぞれの講義から何か学んだことがあるならば、それは私の財産になるからだ。単位は、先生からの評価。私が財産と感じるかは、私の評価だった。

いつしか成績を気にしなくなった。

劣等生の開き直りかもしれない。だが…なんか違う気がする。

大学ってきっと、そういう場所なんだと思う。高校まで詰め込むように勉強して、校則があって、やれスカートは膝下、肩に髪がつくなら結べ、朝礼は8時半からだの…長い間ある一定の枠の中で生きてきた私たちが、開放され、自分の意思で動けるようになるのが…

大学、という場所だ。

勉強も良し、アルバイトも良し、留学も良し、インターンも良し、恋愛も良し、サークルや部活も良し、友達と旅行も良し!

自分の意思で動くことで、これまでの自分にまた更にプラスαで、教室では学べないものを得ることができるのが、大学の良さなんだなと気付いた。

勉強が出来なくても、得れるものが大学にはある!と感じた。

サークルで得た思い出や、仲間は今でもかけがえのない仲間だし、

数少ない学科の友人たちも今でも大切な友達だ。

話すことはあまりなくても、学科の先生たちからの言葉は今でも心に残っているし、今でも元気にしているかなと考えたりもする。

教授が入学式の日に私たちに残したあの言葉を…卒業式の日にまた思い出した。

Carpe diem, Seize the day. 

今を、生きる。


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