小さな町の製作所とはいえ、従業員30名の立派な製作所の立派な社長。しかも商工会や町の仕事も精力的にこなす町の名士が、当時ひとまわりも年下の男に涙ながらに懇願したのは余程のことだったでしょう。
女の涙にゃ弱いが、男の涙にはもっと弱い!
何のことだか分からない決意を胸にすぐさま救出作戦を始めました。
こちらのケースはマニラからいかに素早く出国できるかがカギです。皆に気づかれないように事を進めなければなりません。
ホテルのロビーに荷物を預け、ある人物に電話をしました。
「ハロー、ワタナベ?今度は誰を殺せばいいのかな?」
電話の相手は笑いながら軽口を叩いてきました。
冗談の好きな陽気なフィリピン人、名前は「エルソン」。
以前、マニラで私のお客様がトラブルに巻き込まれた時、救助に向かうためにボディーガードを勤めてくれた元傭兵、現在はNBI(国家警察)の警察官として活躍していました。
彼とはその後、親交を深めマニラでは唯一が「友人」と呼べる存在でした。
「私は誰も殺してないし、殺して欲しくもない、冗談は止めてくれ(笑)」
「じゃ、またトラブルか?本当に日本人ってトラブルが多いね」
「悪かったな、それは日本人はまじめで純粋だからだ。だから悪徳警察官に嵌められる」
「今回は警察官か?どうして欲しい?」
「とにかく今からオフィスに行きたい。時間を取れるか?」
相手にこちらの手の内が知れないように早めに動いたほうが良い。一晩でケリを付けるつもりでした。
空港近くのNBIオフィスには相変わらず夜なのに頭にサングラスをかけふてぶてしさも増して来たエルソンが迎えてくれました。
シャツから出る二の腕の盛り上がり方や背筋をピンと立てた歩き方などは元傭兵らしいたくましさがありました。
「最近、あそこのホテルはこんな事件が多くてね。ツーリストポリスも手を焼いているらしい。」
事件の概要を聞いたエルソンはパソコンで警察官名簿をを見ながらつぶやいていました。
「やっぱりそうか!」
「何か分かったのか?」
「やっぱり、予想は当たっていた。そんな日本人はマニラ署にはいない」
事件の黒幕は実はその日本人だったようです。
ホテル近くのカフェで何も知らない日本人に若い女性をナンパさせそのままホテルへ連れて行き、警察官に重罪を突きつけて連行させて、困ったところにマニラ署から来たとうそをつき日本人が現れて示談の提示をする。
それが奴らのパターンだったようです。
「でも、それほど大掛かりにやっていたらとっくにNBI(国際警察)が動くだろう?」
「多分、被害者が訴えてないので事件が明るみに出ないようだな」
「訴えていないって、証拠隠滅でそのまま留置か・・・被害者は一生牢屋か・・・」
「あるいは、殺されたとか・・・だ。」
英語が堪能は部長は私達の会話には付いていけてるようでした。しかし、語学は理解できても話の内容にはまったく付いていけてない様子でした。
「殺す・・・って、ひろしも殺されるかも知れないって事ですか?」
「あくまでも可能性の問題です。留置中の死亡事故は結構多いんです。実は今年も日本人の留置者が5人亡くなっています。」
「ご・・・5人もですか?」
詳細は分かりませんが、実は留置中、裁判の前に死んでしまう日本人も多いと聞きます。それは事故か病気はそれは詳しくは分かりません。しかし、日本では考えられない事が実際に起きるのもこの国です。
「何もかも、明るみに出ずに処分しようって魂胆だな。訴えられる前に消してしまえ、いかにもここ(フィリピン)のスタイルだ」
ひろしが殺されるかも知れない・・・青白い顔をして困惑している部長とは対照的に私とエルソンは意外とリラックスしていました。
「お前もそんな事ばっかりやってるとそのうち狙われるぞ、そろそろ拳銃でも持ってたほうがいいんじゃないか?」
「拳銃はだめだ、当たらないし、腰に来るからいやだ」
一時期、小ささな島で駐在員として滞在中、私は2度殺し屋に命を狙われたことがあります。それを心配して当時の警察署長が護身用の拳銃を用意してくれました。
軍の払い下げのいかつい拳銃はバックルが甘く、腰にさしているとすぐに落下し、そのたびに一緒に歩いているガードマンが驚いて凄い勢いで飛び跳ねてました。
銃を持たされてうれしかったのは初日だけ。駐在するアパートで暇つぶしに一人で西部警察ごっこをしていましたがそれもすぐに飽きてしまいました。
腰につけているとそれは意外に重たく腰痛を引き起こすため、結局次の日からクローゼットにしまったままでした。
「頭を狙っちゃだめだよ。至近距離から腹を狙わないとね」
他の捜査員も含め緊急のミーティングが始まりました。
私からの差し入れのハンバーガーとポテト、それに食べると口の周りがケチャプで真っ赤になるようにスパゲティーをほお張りながらおよそ、その食事に似つかわしくないようは話に部長は終始困惑していました。
「あの・・いったいどうなるんでしょうか?」
私達の会話をよそに部長一人だけ不安で仕方ないといったそぶりでした。
「もちろん、明日の朝に救出に行きます。」
指に付いたケチャップを舐めながら私が言うと
「そのまま日本に帰ったほうが良いね、警察署から直接空港に車を回すように手配をするよ」
スパゲティーの真っ赤なケチャップが白いシャツに付いてしまい濡れたティッシュでそれをぬぐいながらエルソンは淡々と話していました。
「救出って、いったいどうやって・・・被害届もあることだし簡単には釈放できないのでは・・・?」
もはや、食事ものどに通らないといった部長はしきりに水を飲みながら事の成り行きを知りたがっている様子でした。
「被害届は出ていません」
「そ・・そんな・・・」
「出てないということは、何もありません。彼は加害者でもなく犯罪者でもありません、なので留置している理由がありません。」
警察の端末にアクセスし、日本人の事件を確認していましたが、そんな事件は一切上がって来ていません。
「今の段階では彼は無実です。きっともっとお金が取れるだろうと思い被害届を出さないで拘留しているんだと思います。無実の人間が日本に帰るのにはなんら問題の無いことでしょう」
「ただ、すんなり釈放というわけには行きません。今回はNBIでも彼のことを調べたいといい、いったん彼を警察署から出します」
「そうして、調べたけど犯罪もなにもない。彼は無実で釈放されます。」
「釈放された人は無実ですから何処に行こうが勝手、普通に空港から日本に帰っても問題は無いわけです。」
「いうなれば・・ミッションザ脱獄だな」
「刑務所じゃないんで脱獄は変だよ」
「そうか・・・じゃなんていうんだ?」
帰れるのか・・・・きょとんとした部長の顔でしたが次第に生気が戻ってきたように見えました。話のつじつまが部長の思考回路の中で繋がって来たんだと思います。
「そんな簡単な事で私はボロボロになるまで悩んでいたんですね」
初めての人は戸惑うと思いますが、それが彼らのパターンでした。そうして日本人を餌食にして日本人が日本人を騙す手口が横行していました。
明日の午前中に日本行きの便を手配してください。エルソンはオフィスで待機、警察署へは若い署員が救出に向かいます。私と部長は空港で待機しましょう。
アロハ君を救出して車はそのまま空港へ向かいます。空港に着いたらすぐに出国してください。
「それにしてもあの詐欺師の日本人は何とかしなきゃ・・・」
「今までこの国で長年渡り歩いてきたんだ、そうとうな詐欺師だと思うよ、油断はしないほうがいい」
「アロハ君と部長の連名でマニラで詐欺の被害届を出して下さい。今度はこちらが奴を逮捕します」
「異国の地で日本人を騙し、今度はその日本人が刑務所に入るんですね・・・なんか悲しいです。日本の助け合いの精神って何処にいったんでしょ?」
「大丈夫。ここにしっかり根付いているじゃないですか」
NBIの署員を見ながらしみじみと感じました。お金のためだけじゃない。そんなフィリピン人も多くいると・・
翌朝、ホテルのロビーにはキチンとひげを剃り、帰り支度をすませた部長の姿がありました。
少し照れくさそうにこちに会釈をしながら、大きなトランクを二つ引きずっていました。
「ひとつはアロハ君の荷物ですか?」
「あっ、はい、奴の荷物が入っています。奴の部屋から私が荷物を詰めてきました。部屋が散らかってて荷造りするのは大変だったですけどね」
ミッションの朝、NBIの若い署員はカピテの警察署に入り、日本人の引き渡し要請をかけました。
「ここに日本人が拘留されているな?NBIでも調べたいので引き渡して欲しい」
エルソンの用意した取り調べ依頼書を見せてアロハ君の身柄をこちらに引き渡すよう要望しました。
「あっ、ご苦労さん、はい分かりました。」
部長が「そんな簡単でいいのかよ!」と怒るくらい簡単に身柄を引き渡したといいます。例の詐欺師の日本人の指示だと思っていたのかも知れません。
午前発のJAL便は比較的空いていました。当日発券のチケットは正規料金で割高でしたが難なく2人分の席を確保出来ました。
「部長、今度こそお別れです。長い間ご苦労様でした。」
「いえ、こちらこそ本当になんとお礼を言ったらよいか」
マニラ市内にある国際空港のターミナル1ではアロハ君を待ちわびた部長と私の姿がありました。
アロハ君には車の中でおおよその話の概要は聞かされていたようです。
「あの、本当に申し訳ございませんでした」
少しやつれたアロハ君でしたが、彼が一番元気良かったようです。
「さっ、挨拶はいいから早く出国してください。出国さえ終われば晴れてあなた達は自由の身」
足早に出国カウンターに向かい、二人並んで出国の手続きをしていました。
その姿がなんともほほえましく、心から「良かったと」思いました。
私も午後から休暇を取り直そう、すぐにチケットを手配すれば夕方には無人島に到着出来るかもしれない。
サンセットには大きく沈む太陽をみながらビールが飲める。最高のバカンスだ!
「ん?少しもめているみたいですが?」
二人の様子を伺いながらNBIの若い職員が怪訝そうにつぶやきました。
「どうしたんだろう?ちょっと様子を確認してみて?」
若い署員に出国カウンターに行かせ状況を確認させると若い署員があわててこちらへ戻ってきました。
「出国出来ません、出国に制限がかかっているようです」
「何かがおかしい、昨日まで出国に制限はかかってなかった。エルソンに電話をして状況を確認してもらうように」
あわてて署員がエルソンに電話をし状況を確認していました。さっきまの陽気なフィリピン人とは違い、携帯電話を握りしめながら次第に眉間にしわを寄せていきます。
「大変です!二人に逮捕状が出ています」
「一人は未成年者レイプ、そして一人は麻薬所持」
麻薬?もしかして・・・
「部長、警察署で何か触りませんでしたか?砂糖かなんか入っている袋みたいなもの?」
「ふくろ?あっ、なんだかパンケーキの材料だとかいって日本人が私に見せてくれたけど・・・」
「それだ!部長の指紋がその袋にべったりと付いていたそうです。部長。それは麻薬です。部長まで嵌められてました。」
敵の方が一枚上手でした。
アロハ君が拘留されていたカピテの警察署からの連絡ですぐに空港に向かったと判断した日本人の詐欺師は空港へ出国差し止めと逮捕状請求をかけたそうです。
麻薬所持も無期懲役または・・・
「死刑」・・・
あっという間のも早業、もはや自分の保身に走った日本人の詐欺師は証人を消す作業に入っていました。
さっきまで正義感たっぷりの精悍な顔立ちのNBIの若い署員が下を向きながら
「逮捕状が出ている以上、私は職務を全うするため、お二人を逮捕しなければなりません」
もはやこれまで。このまま彼らが逮捕されてしまうと正式な逮捕状だけに簡単に帰国は出来ません。場合によっては本当に一生をこの国で終わらせなければなりません。
急な展開にどうする事も出来ないむなしさと憤りが広がり、にぎやかな空港の中に私たちだけが終始絶望のふちに追い込まれ静かな時が流れていました・・・
「しかたない・・・エンジェルだ・・・」
「エンジェル?」
若い署員が怪訝そうに聞きなおしました。
私には最後の切り札が一枚だけ残っていました。
しかし、それは決して使ってはいけない最後の最後の切り札でした。
続く・・・