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15/9/5

②「ドラマみたいな人生」と言われるけど実際はそうでもない。-少年時代その1-

Image by Olia Gozha

子供の頃私は東京都の下町で祖父母と両親の5人で暮らしていました。


父は見た目は「や」のつく職業の方の様な風貌でしたが柔道をボランティアで教えていたり動物や子供に優しい本当にあたたかい人でした。

母は教育に熱心でよくひっぱたかれていましたが愛情のある優しい人でした。

私が六歳の時にその母に癌が見つかり母はこの時から10年以上闘病生活を送ります。

祖父も私が六歳の時に他界し5人で暮らしていた家には母も入院し私と祖母と父の3人になりました。

その頃の私は多少の寂しさを感じてはいたもののあまり変わらない毎日を過ごしていましたがある日、顔見知りの中学生のお兄さんに性的ないたずらを受けそうになりました。

この時のことは何年も過ぎた今でも覚えています。

時々遊んでもらっていた近所のお兄さんに誘われ家に遊びに行くと突然カーテンを閉め当時6歳の私の太ももを撫でてきました。

ズボンを脱ぐように言われ私は恐怖のあまり動けずにいましたが叫べばなんとかなると思い泣き叫びながら助けを求めました。

変態さんはそれには焦り口を塞いでこようとしましたが私が近付いてきた変態の顔面に思い切りかかとで蹴りをいれるといくら年の差があるとはいえさすがに変態ヤローは痛がっていたのでその隙にダッシュで逃げました。

クソヤローは追いかけて来なかったものの近所に住んでいるので次に逢うときが恐怖でした。

親には何か恥ずかしいことの様な気がして何も言えずただまた遭遇した時のことを考え怯えていたのを覚えています。

しかし、変態兄さんはその後会っても気まずそうに早々と居なくなるだけでなにも起きなかったので安心しました。

そういえば大人になってから祖母の葬儀で彼に久しぶりに逢いましたが相変わらず気まずそうにしていてなんだか可哀想な気になりましたが外資系の会社で稼ぎまくっていると聞いたので地獄に落ちろと考えを改めました。

少し脱線しましたが母が癌で入院して祖父が他界して変態にやられそうになっても私は実にあっけらかんと毎日を過ごしていました。

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Image by Jukka Aalho

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