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15/9/4

今までの人生整理してみた。色々あったなと実感した

Image by Olia Gozha

 なんだかんだで去年成人式を迎え、なんかとか大学3年生になりました。そんな、珈琲と煙草が大好きな量産型大学生である僕の少し変わった人生を記憶のある限りで思い出して、整理してみました。

 ただの回顧録?みたいなもんですが、変わり者で読んでみようかなと思った貴方、暫しの間お付き合い下さい。


 僕は、静岡県静岡市葵区に産まれました。

 静岡県は何をとっても全国平均。そんな県の県庁所在地であり、全国平均県のど真ん中にあるのが静岡市です。知ってました?

 まぁここに生まれ、すくすく育ち(現在体重100㌔)21年なわけですが、まぁいいとこですよホント。年中あったけえ、空気はうまい(びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛ぃ゛)雪は降らない、適度に都会で田舎。え?そんな話はいいから本題にはいれ?いいじゃないですか、好きなんだもん、この街が。貴方も好きずら?


 静岡弁が飛びたす程に、話が逸れましたね。失礼いたいました。

 では僕の生家ですが、そこは昔々鷹狩が大好きだった大権現様、徳川家康公が鷹匠を集めた事でその名の付いた小さな町にありました。余談ですが、高級住宅街です。すげえだろ?こんなとこに住んでたんだぜ?

 では僕の家がバカデカイ豪邸だったかと言われるとそうではなく。江戸時代から残る由緒正しき、オンボロ長屋でした。周りは最近建てられたばかりの、歴史もなんもないただの大豪邸。周りの煌びやかさに負けず劣らずの詫びさびを感じさせる佇まいだったわけです。

 とまぁ、虚勢を張ってみましたが、実際は元工場を無理矢理人の住める様に改良したので、風呂はコンクリ打ちの床に申し訳程度の桶を置いたものでした。玄関の鍵は内側からは掛からず、外から南京錠でかうという粗末なものでした。そんなクソボロ屋に住みながらも、僕達4人はそれなりに幸せに過ごしていたわけです。

 紹介し忘れましたが、僕は4人家族でした。父(この人が原因でいろいろあったのですが)母、僕、2歳下の弟というのが、当時の家庭です。

 思い出す限り、幼い頃は水道代を節約する為に、近所の湧き水を生活用水にする位には貧乏でしたが、それなりに幸せな時を過ごしていました。

 小さな猫の額程の庭には似合わぬ10数メートルもある鯉のぼり(裕福だった母の実家から持ってきたもの)を父とふざけあいながら立てたこと。父さん鯉のぼり、母さん鯉のぼり、そして子供の鯉のぼりが、5月の青空に泳ぐのを家族で眺めた事は今も昨日のことのように思い出されます。

 家の近くには、父の実家である、クリーニング屋があり、そこで祖母と祖父の手伝いをしたり、2階に置いてあったピアノを演奏したりして遊んだものです。

 僕ピアノ、バイオリン、琴弾けるんですよね。

 そんな幸せだった幼少期を過ごし、僕は小学生になりました。

 そこで、僕はふくよかな体型が原因でイジメを受けるわけですが、それはまた今度の話で。

 色々あってスマートな体型になった僕は、小学校で初めての友達が出来ました。3年生の頃です。その友達に誘われ、ソフトボールを始めたのもその頃でした。

 ただ、ただ嬉しかった。今まで本の中の登場人物に自分を投影し、物語の中が遊び場だった自分を現実に連れ出し、そこで駆け回る楽しさを教えてくれる人が現れたことが。

 皆との連携が重要なチームスポーツである、ソフトボールの魅力に僕は魅せられていったのです。このスポーツが人生を諦めかけた僕を救ってくれたのは、もう少し後のこととなります。

 学年が上がり、4年生になった頃、僕の家庭には暗雲がたちこめるようになりました。

 毎晩のように、父と母が喧嘩をし、力で父が母を殴り、蹴り、言葉にはするのも嫌な言葉を浴びせかけるようになったのです。

 毎晩父は酒を浴びる程飲み、歩けない様な状態で家に帰ってきました。そして、何もしていない母に暴力を振るうのです。僕と弟は必死に母を守る為に父に抵抗しました。しかし、所詮小学生の腕力など大人にかなうわけがなく、僕達もその暴力に屈する事になったのです。

 もう、あの頃みた、優しい父の面影はどこにもありませんでした。

 ある日、例によって父が母に暴力を振るっていました。僕達兄弟は何もすることができず。ただ部屋の隅で、泣く事だけが唯一の抵抗でした。

 ただ、この日は特に暴力が酷かった。母は鼻血を流し、何時も優しい笑顔を向けてくれるその顔は、醜い痣が幾つもできていました。このままではお母さんが死んでしまう。この悪魔にお母さんが殺されてしまう。まだ幼い僕の中の本能が、そう呼びかけていた。

 そう思った僕は、泣いている弟に大丈夫だ、お兄ちゃんが居るからなと声をかけ、父に抗った際に引き裂かれた服をそのままに家から、十㌔離れた父の実家に自転車を走らせたのです。

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Image by Jukka Aalho

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