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15/9/1

小学2年生で心臓の病気になり、諦めかけた妊娠~出産。彼女が成人して子供を産むまでの話し。

Image by Olia Gozha

小学校2年生の時に、心臓の病気を発症して…20年近く、薬の服用をしていたので…ずっと子供を諦めなくてはダメなのか?と思い続けて生きてきた。しかし、そんな彼女を神様はずっと見ていてー


~このSTORYは、私の大切な人のお話です~

彼女の許可をとって人生ストーリーを書き綴らせてもらってます


わたしには、同い年の従妹がいる。小さい頃からずっと一緒に今まで大人になってきた。

それこそ0歳からの長い長いお付き合いー


わたしには、弟が1人いますが、姉妹と呼べる人はいません。

まさに、このSTORYの主人公の彼女が、わたしにとって2か月だけ早い

お姉ちゃん?お友達?的存在?みたいな感覚なんです。


(彼女の母が、私の母の妹という間柄)


小さい頃は、公園や遊園地にお弁当を持って、よく家族交えて本当の姉妹みたいに遊んだ。

互いの家にもよくお泊り会をしたり、彼女の母はお菓子作りが上手かったのでよくクッキーを作ったりも…もちろん食べる方が好きだったわたし。


リカちゃん人形やバービーちゃんで遊ぶのが、私達は大好きで四六時中人形ごっこで遊んだ。



そんな彼女が…ある日突然…危篤状態という知らせを聞いた。

まだ小学2年生だったー


母と急いで!彼女が運ばれた救急病院へ直行した!

病院へ着くと…叔母が(彼女の母) 必死に!彼女の名前を叫んでいた。


心電図は…ピーーーーーーーッ!止まっていた。心肺停止状態


○○ちゃん!○○ちゃん!

彼女の事↑


わたしは、突然の出来事で驚いた…叔母さんの彼女を呼ぶ声に…

事態は思っていたより悪いのか…とその時悟った。


そう…彼女は一回、死んだのだ。



その時、彼女が見たものは…物語に出てくる本当に天国の様な場所で…川があったり白い服の女性を見たと後になって聞いた事がある。


そして…ピッピッピッピッ・・・・・心電図が動き出した!

生きて還ってこれた!


後になって聞いた話ですが…彼女が目覚めたのは、お母さんの呼ぶ声が聞こえたからだそうです。


その時、心臓マッサージ等をしていたのかはわからないが・・・

まだ小学2年生の、小さな彼女の身体はこの世にまた生を戻した。


神様は○○ちゃんは、こちらに来るのは、まだ早いよ!と言ったに違いない。


そして彼女は心臓の専門の詳しい大きい病院へ運ばれた。

彼女と病気の長い長い戦いが始まるー


そして、倒れた原因は心臓の不整脈だという事がわかり

小学2年生で彼女は家から離れた病院で入院する事になった。


私は、母に連れられ彼女の入院する病院へ、よくお見舞いに行った。

まだ幼かった私は、彼女がどんな思いで入院していたのか知らなかったけど…


今思えば、怖かったろうし、痛かっただろうし、辛かっただろうし、遊びたかっただろうし

小学生だけど普通の子のようにグランドで走りまわりたかったと思う。


障がい者手帳も持っていたので色々と身体の事で、走ったりダメとか規制もあったはず。


私も、親戚関係にあたるので遺伝とかの関係で心臓の動きの検査も一度だけした記憶がある。

心電図モニターをつけて走ったり、動いたり…まだ小学生低学年の頃だけど記憶にある。


私は、いつものように○○ちゃん来たよ~!と言って普通に過ごす事くらいしか出来なかったが

小児科病棟で脈を見る装置?をパジャマの中に付けて歩く彼女が少し大人に見えた。



病院には私と同じくらいの子や小さい子も入院していて、まるで學校とは別世界だった。

病気と闘う子供は、真髄に生きるという人生のテーマを真っ向から立ち向かって学んでいる感じがした。


彼女は、たくさんの検査や、痛い注射や入退院も人並み以上に経験して大人になった。


地上に降り立つ前に神様に聞かれる事がある。

病気で産まれるか、健康で産まれるか…

病気で産まれると決めた子は病気を持って産まれるー



病気は辛いけどそれ以上に、魂の成長になる。そして勇敢な魂は病気を選ぶ。


病気は人を弱くもさせるし、強くもさせるー


彼女には弟がいたが、叔母は彼女の世話に徹していたので、まだ小さな弟もきっと…

姉の病気と同じように、一人孤独と闘っていたんじゃないか?と思う。


幸い、祖母(母方の)が近くに住んでいたので弟くんは孫一番の、おばあちゃんっ子だった。

祖母と私達は、血が繫がってないと彼女から聞いた事があってすごくショックだったが

血の繋がり以上に孫達にとても優しいおばあちゃんだった。


祖母は若い頃、子宮外妊娠で子供が産めなくなってしまったらしい…弟くんの世話が出来て

祖母にとっても、貴重な神様から頂いた巡りあわせ、幸せな時間だったと思う。


実祖母は、早くに亡くなっていて、母がまだ20代の事。写真でしか見た事ないけど

あの世に還った時には、写真で見ているから迷うことなく会えると思う。


小学生の頃から彼女は看護師さんになりたいと憧れていたが…高校卒業後は医療事務の専門学校に入学し卒業後は、医療事務の職に就く。


恋愛もすれば、好きな男の子供が欲しいと普通の人は思う。

昔から、子供が欲しいと言っていた彼女だが…病気の影響で、子供は無理だと言われていてた。


子供を産むと言う事は、彼女の命のリスクが伴うからだ。


普通に妊娠して、子供を育てたい!そういう感情が小さい時からたくさんあったと思う。

そういう強い葛藤が長年あって、年頃になっていった彼女ー


そして、私が25歳で妊娠した。

私はどちらかというと、子供が欲しいと思った事は実は一度もなかった。


そんな私にも試練が訪れるー

妊娠5か月で胎児の病気が発覚して、管理入院する事になる。人生初の入院!点滴!

もちろん彼女も、お見舞いにしょっちゅう来てくれた。


お見舞いに私の大好きなキキララグッツをたくさん買って来てくれた★

彼女の優しさ、それだけで、私は目の前にある胎児の病気という試練から少しでも救われた気がした。



何よりも、傍に居てくれるだけで安心感があった。

小さい頃から入院して病気を経験した人。そんな彼女がもの凄く頼もしく感じた。


そして当時、お付き合いしていた彼女の彼氏も一緒に来てくれた。

病院デートってわけですね(;^ω^)


二人とも私のお腹もさすってくれて、まだ見ぬ子供にいっぱい力をくれた。

息子の名前も呼んでくれた。


けっきょく、病気を選んで産まれてきた我が子は、産声もあげることなく…

救命処置をするも48分の命で逝ってしまったー


心臓は強かったから、何とかしてあげたかったと…

小児科の先生から後から聞いた。


息子が亡くなった当初は、イルカのぬいぐるみや、お菓子や、イラスト詩や、

息子宛に書いたお手紙など彼女にもらった。


私の息子が亡くなって半年後…彼女は彼と結婚するー

結婚当時はやっぱり子供を産めるかどうかなど、悩んだ末だったと思う。


私は…お骨を前にして、クリスマスの夜、息子にお願をした事がある。

○○ちゃん所に赤ちゃん連れてきてあげてほしいなぁ~

↑彼女


叶うといいなぁ~☆彡そう願い・・・




1年後…私は不妊治療を始めるも、子宮頸がんになってしまう。

異形成の初期の段階でレーザーでくり抜く処置をした。


その頃、彼女はというと…長年の思いを実現させるため

妊活の準備に入った。数年前より医学も進歩している。万全の体制を整えるため

心臓の状態を調べる検査をしたりして…医師に妊活OKをもらった矢先…


ガン検診で、彼女も子宮頸がんだった。

チョコレート嚢腫など過去に婦人科の病気も患った事があると聞いた事もある。


若い女性に多い子宮頸がん

ほっといたら死に至る。幸い私達は、初期の段階で同じ処置をして治った。


ガンの術後の検診で何と!

彼女は妊娠している事がわかった!


神様は見ていたのだー

小学2年生で生死を彷徨って生き抜いてきた彼女の事を…ずっと

子供が欲しいと言う願いを聞き入れたのだろう。


頑張ったご褒美だったに違いない。



しかし妊活段階で、医師からハイリスク妊婦になると言う事を告げられていた。


出産時に赤ちゃんが低血圧で産まれる可能性。

場合によってはICDを入れなくてはならない可能性。

(ICDは、命に関わる不整脈を治療するための体内植込み型装置)

出産後、病気が悪化する可能性も考えなければならい。

産まれてくる子供に、病気が遺伝する可能性は1/2


子供を授かったと同時に・・・不安も大きくなっていた彼女だったー


そして…経過は、検査入院をしたりもしたが

母と、叔母と彼女と私と4人で一泊の旅行にも行った。

お腹が大きくなっていたが温泉旅行へ



産まれたら、なかなか行けないし・・・

この4人で旅行に行って見たかったと叔母が言っていた。


そして…妊娠後期に入り管理入院する事になった彼女。

予定では心臓に負担がなるべくかからないように下半身麻酔の無痛分娩で

産むと言う事になっていたが…


予定日まで1か月くらいだった時の事ー

NSTで(胎児心拍をモニター)赤ちゃんの心拍が落ちてしまった!

動揺した彼女も不整脈を出してしまい・・・急をようした

全身麻酔の緊急帝王切開だった。


無事、女の子が産まれた!


前日、何故か…たまたま彼女に頑張りや~!というメールを入れていた私。

そういう事か~と思った。


神様がきっとそうさせたー


赤ちゃんは低体重で産まれてきたため1か月ほど
NICUに入っていた。


実家から小学2年生の頃からずっと…通い慣れしたしんだ病院の道を

彼女は車で毎日、母乳を届けた。


母の愛情で今は、すっかり大きく成長した彼女の子。


妊娠~出産まで、彼も不安で不安で仕方なかったと思う。

一度に、子供と妻を失う恐怖と闘ったのだから。


そうして…家族3人歩んで行く

とある、一家族のSTORYでした。





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