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15/8/30

母子登校②

Image by Olia Gozha

いつもの通学路を

反対方向へ歩き出した私たち。

 

何気ない会話をしながら

遠回りをしながら

 

徐々に

一歩ずつ

学校へ近づいていきます。

 

学校まであと数メートル。

 

とうとう娘の歩みが止まりました。

【やっぱりだめ。行きたくない。】

そういいながら元来た道を戻り始めます。

私はあえて後を追いませんでした。

 

とにかく娘には

「考えて 自分なりの答えを出して 誰かに伝える」

ことをして欲しかったのです。

たとえそれが「学校に行かない」

という選択だったとしても。

待っているうちに座り込んで大声で泣き出してしまった娘。

これ以上は精神的に追い込んでしまうだけだと判断し、こう言いました。

「じゃあね、そんなに学校に行くのが嫌なら、今日はお休みしてもいいよ。その代わり、休むことはちゃんと自分で先生に伝えに行くんだよ。」

その言葉で少し気が楽になったのか、ここから20分ほどかけてようやく学校にたどり着きました。

職員室には、校庭に面した出入口があります。

校舎に入ることすら負担なようだったので、そちらの出入り口から挨拶をしに行きました。

【・・・おはようございます。】

すると、私たちの異変に初めて気づいてくださったN先生がやってきました。

『おはようございます。よく来てくれたね。H先生は今授業中で教室にいるけど、会っていく?』

【・・・は・・ります】

『なあに?』

【・・・今日は 帰ります。】

『そっか。それを言いに来てくれたんだね。わかった。H先生に伝えておくね。ゆっくり休んで、また来てね。』

そんな会話をしているうちに、校長先生や教頭先生まで来てくださり

「よく来てくれた」

「ここまで来れたんだから、えらい。」

と誉めてくださいました。

私の中の校長先生・教頭先生のイメージは、職員室や校長室で事務的な仕事ばかりしていて、児童や保護者とのかかわりはあまりないように感じていたので、こんなふうに私たちを温かく迎えてくださったことに正直驚きました。

誉められて少しほっとした表情になった娘と、その日はそのまま帰宅しました。

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Image by Jukka Aalho

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