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15/8/28

絶対的自己否定だった私。ある人の一言で、「私でも◎◎になれるかも・・・」と思い、◎◎が芽生え、人生に希望が見え、劇的に人生が変化した話。

Image by Olia Gozha

「はぁ・・そうなんですか?(「トラウマ?」私には、そんなものないけど。。。心の声)」



自己否定。

他者否定。

人間不信。

トラウマ。

  

  

ものごごろがついた時には、

この状態が「当たり前過ぎて」、

自分がそういう状態にいるってことに、

当時、私は、全然、気付いてなかった。

   

  

例えるなら、

暗いドームの中に、

震えながら、

一人で膝を抱えて、

誰かが、

迎えにきてくれるのを待っている感じ。

でも、誰にも近づかれたくない。

   

  

その中は、

とても寒くて、

本当に真っ暗で何も見えなくて、

だけど、

誰かが助けて!!って、

叫んでる声だけが、

やたらとうるさく響いていて、怖い。

だから、私は、膝を抱えて、

耳を塞いで、

気づいたら、

ただ、

ひたすら耐える事しか、できない状態になっていた。

  

  


「当たり前」過ぎるものは、人も自分も気づかない。




  

そんなイメージがいつの間にか、

私の頭にはあって、

それが「当たり前」過ぎて、

「生きていく」ことや「人間関係」

ということに対して、

「疲れて、めんどくさくて、苦しく辛いもの、我慢するもの」

誰に何を言われたわけでもないのに、

いつしか、そんなイメージがついていた。

   

  

「早く死にたい。」


それが、口癖の時期もあって、

母を困らせた。

      

   

良くそういう状態になる人は、

家族に問題ありますよーなんて、聞くこともあったけど、

でも、私の家族は至って平凡で普通。



ちまたで言われるような

暴力もなければ、

両親のケンカもない。



好きなものは適度に買ってもらえて、

車があり、

家があり、

両親と祖父母、そして弟がいる。

そんな感じ。

   


ただ、幼少期、

母が、とにかく忙しくて、

愛情を一身に子供に注げる状態だったか?



といったら、

したくても出来ないくらいの

忙しい環境下だったということは、

後々、母から聞くことになるが、

そんなの自覚できるはずもなかった。


  

そして、

その「真っ暗なドーム」のイメージは、

小学校高学年頃には、

ぼんやりとあり、

年齢を重ねるごとにそのイメージは強くなっていった。



からだとこころに異変・・・そして。




そして、

自分では、訳が分からないうちに、

気づいたら、

中学生で、摂食障害になり、

当時の最低体重は28kg。



高校に上がるといじめの対象となり、

家族を罵倒し、

暴れ、

20歳を過ぎると、

アルコールを多飲し、

自傷行為をし、

自殺企図がとまらない。

そんな状態になっていた。

  

  

それでも、

24歳になると、

「摂食障害」は克服し、

社会に出て、働いていた。

本当に自分でもよく分からないうちに

摂食障害ではなくなり、

「社会人」として、

見られる年齢になっていた。

  

  

おそらく、

周囲からは、

社会に適応し、働いているように見えるのだろうが、

学生だろうが、社会人だろうが、

摂食障害だろうが、なかろうが。。。

ずっと、共通していたことは、

私にとって、常によく分からない世界が目の前に広がっており、

自分の中には、「真っ暗なドーム」のイメージが付きまとっていた。

  

 

だからだろうか? 

周囲の人間が笑っていると、

浅はかに見えた。

そのくだらいことの何がおもしろいのかわからず、

いつも他人を否定し、理解ができず、

どんな風に会話をしたら、

「楽しい」とか「嬉しい」と感じられて、

「笑って」会話が出来るのか全然わからず、

いつも、

頭が混乱していた。

そして、その「真っ暗なドーム」に閉じこもった。

    


みんな、こころの底から

楽しんだこと嬉しいって思ったことも

笑ったこともないのに、

どうして「人が好き」とか「人と話すのが楽しい」とか言って、

嘘笑いして・・・

なんで、

そんな嘘をみんな言っているし、やっているんだろう?って、

ずっと、思い込んでいた。

  

  

そんな状態だからだろう。

人と話せば、

「あなたっていつも上から目線で怖い」

「なんでそんなに否定してくるの?」

「あなたのその状態は誰もついていけないよ」 

「考えすぎだよ」

「何を考えているのか分からない」 

「あなたのそれは間違っている」

    

   

物ごごろついたときから、

そうやって、周囲に言われてきた。

本当に私には、そんなつもりはないのに、

そうやって受け取られてしまうことが定期的に起こる。

そんなつもりはないと、

ことばで相手に伝えても、

それすら相手に伝わらない。

 


ことあるごとにそういう状況が続いていた。



私こころの声「私は、頭がおかしいのだろうか?」



ずっと、そう思っていた。



そして、

私に理解できるよう、

どうしたら、その状態を改善できるのか?

という答えは誰もくれず、



頭ごなしに

「あなたのその状態がだめ!!!」

ずっと、そう言われ続けているようだった。

  

  

それでも、

自分なりに、工夫をしたり、

良さそうなセミナー等に出かけ、

駆けずり回るように2年くらいありとあらゆる

コミュニケーション方法や、こころや人に関する手法を見境なく勉強した。

    


その結果、

周囲から、

「最近変わったね」とか

「少し話しやすくなったね!」

と言われることはあった。



だけど、

ちっとも嬉しくないし、腑に落ちない。

確かに、

いろいろ、勉強する前は、

私はとても頑固で、

モノの見方が偏っていたのだな。という事は、

なんとなくわかった。



だから、

自分勝手な決めつけや思い込みで、

人と話さないように、

気をつけていた。

  

  

それも、

確かに周囲からしたら、

変化だろう。

だけど、

相変わらず、

「真っ暗なドーム」のイメージは、

そのまま自分の中に残っていたし、

そこに安心感を覚える気もした。



そして、

自分には、理解出来ないタイミングで、

「怖い」とか、

「否定されているような気がする」

とか、

言われ続けていた。

  

  

結局、何が正解・・・・???





私こころの声「結局何が正解で、人は何を見て判断して、「怖い」とか「否定している」とか、「良い」とか、言っているの・・・・??」

  

2年、駆けずりまわって、勉強して、

だけど、

正解を探し求めるのも

疲れて果てて、

もううんざりしていた。

  

だから、

自分なりに出した結論は、

 

私こころの声「結局、何をやっても私の根本は変わらないし、私にその気がなくても、否定されたと思われてしまう・・・。一番知りたいと思っていた部分の答えは、ないんだ・・・。」


というものだった。

  



それから、

私は、勉強する気力も変わりたいという気力もなくなって、

勉強会に行くのも、

人に会いに行くのも、

面倒くさくなり、

以前と同じように、

仕事以外で、

人と関わるのが、

億劫になっていった。

そして、

出来れば、仕事でも必要最低限は、

人と関わるのが煩わしかった。

  

  

でも「人と関わらないと生きていけない、山奥でひっそりと暮らす勇気もない」

その自己内矛盾が私を苦しめ続け、

ますます、「真っ暗なドーム」

は漆黒のごとく黒くなり、

知らず知らずのうちに

さらに、私は、「生きる」ことや「人生」に絶望していたんだと思う。

  



絶望から見えた希望の種



  

そんなある日の事、

いつもと同じように

友人に勉強会を紹介された。

  

  

もう、情報・知識を頭に詰めるのは

たくさんだと思っていたけど、

なんだか、

その日は、

外に出る気力があり、

そんな状態の私を、

理解しようとしてくれる数少ない友人の誘いだったこともあった。

   

   

「久しぶりに行ってみようかな・・・・・。」

  


そう思って、

勉強会に出かけた。

  

  

そこで希望の種を見つけたんだ。

  

  


そこで出会った今の恩師である彼が言った。

恩師「ぼくはね、人が好きで好きでたまらないんだよーーー^^♪」

「「!!!!!!!!!」」

  

そのことばに今までにない感覚と衝撃を覚えた。


「私でも人を好きになれるかも・・・・!!!」


そう思った。

  

  

そう。

私は、今まで、「人が好き」という感覚がどういうものか、

感じたことすらなかったのだと、

この時初めて気付いた。



今までにも、

「人が好き」と言っている人に出会ったことはあったが、

「私も人が好き」「今は人間不信があるけど、人を好きになれるかも・・・」

私自身がこころの底から

思えたことはなかったのだ。

  

  

つまりは、

「人間は怖いもの」「人間は不信するもの」

という固定概念が私の中では当たり前過ぎて、

それを覆せると思っていなかったのだ。

  


**** 



例えるなら、

「あそこのケーキ美味しいんだよー!」

という話は良く人づてに

耳にしていたけれど、

実際には、

食べたことがなくて、

想像でしかない状態。

「あそこのケーキは美味しいらしい」という感じ。

  

  

だけど、

あの瞬間、初めて、その話に聞いていた「ケーキ」を一口、

食べた気がした。

   

  

そして、

「噂に聞いてたケーキってこんなに美味しいのか・・・!!」

その時は、

そう思った感じ。

  

 

だからこそ、

この一言で、

「私にも人を好きになれるかも・・・」

そう感じたのだと思う。

つまりは、

もっと、ケーキを美味しく食べたい!

噂で聞いているだけより、

食べることももっと、経験したい!

単純にそう思ったんだと思う。


   

****


  

それから、

ここでもう一度、「こころ」について

勉強し直そう。

自分自身を見つめ直そう。

そう決心した。

大きく言うならば、


「絶望」していた「生きる」ということに「希望」をもらったんだ。

  


初めて、

気持ちよく

大きく伸び伸びと

深呼吸が出来た気がした。

  

 

改めて、自分を振り返り、見つめ直す。

  


  

そこから改めて、

「こころ」について勉強しなおして、

自分を見つめ直そうと思った。

その「決意」をするのに、

今でも心に残っていることば。



恩師「あなたはね、トラウマがあるけど「勇気」があるんだ!!!」


今になってわかること。




彼に出会う前の私は、

「絶対的自己否定、絶対的人間不信」が真実で、

それ以外のモノの見方としようともぜす、

それが絶対正しい!と、

疑いを持ったことがない状態に私がいたってこと。

  


つまりは、

否定や不信が当たり前過ぎて

自分が「人に対して不信がある、自分も他人も否定している」という

その状態に全然、気付いてなかったの。

  

  

そこに気付き、

「何をどのように変化させたら、絶対的自己否定・人間不信を克服できるのか?」

という事が分かった時、

「勇気」を持って、

今までとは違う世界に飛び込もう!と決めたときから、

人生が本当の意味で

変化し始めたんだと思う。

  

  

そんな状態から、

今では、

こころの底から

「私は人も自分も好き!!!」

って言える自分を感じる事が出来るように

自分の「こころ」が変化した。

  

  

その変化を楽しんでいるうちに、

人間関係も、

モノの見方も、

人への接し方も、

話し方も、

表情も、

すべてが劇的に変化し、

周囲から、

「変わったね!」

と言われることが嬉しく感じるようになり、

誰になんと言われようと、


「私は今が一番幸せです!!!」


と言える自分に変わっていった。

  

  

周囲の環境に目を向ければ、

今でも、

山あり谷あり、涙ありだけど、

それに振り回され過ぎす、

私が感じられる感情や想いを

どれもこれも楽しんで、

時には感じる「自己否定や人間不信」も

一生懸命で、かわいいなと思えるようになった。

   

  

そして、

ちなみに、私と29年間一緒にいた「真っ黒いドーム」。

今思えば、孤独で絶望していた私の

一番の友達だったと思う。

 

 

だけど、今はドームがなくても、

笑ったり、一緒に泣いたり、

本音を言って時にはぶつかる、

一緒に居られる仲間がいて、

家族がいる。



「真っ黒いドーム」は、

ずっと、怖いものだと思っていたけど、

実は、

私を守ってくれていたんだと、

今は思う。

そして、

そのドームは、

いつの間にか、消えていた。



ちょっと、寂しい気もするけど、

今までずっと、

私の状態を否定も肯定もせず、

ただただ、

私を守ってくれてありがとう。

そばにいてくれて、ありがとう。

と心から思う。

  

  

そして、今。



私こころの声「この経験は、他の人にも「希望の種」にならないだろうか?」


そういう気持ちが

いつしか

自然と湧くようになっていた。

  

 

考えだせば、

自分の中に未熟はまだまだ

たくさんある。 

「人が怖いな」と感じてしまう事も

正直ある。 


  

だけど、

当時の私と同じように

悩み、苦しみ、

答えが見えず、

自分の人生を

どうしらいいのか本当に分からないと感じている人へ

ここに希望の種があるよ!

ということを

届けたい。

  



人生は、

自分の絶対的な固定概念を超よう!という「決断」があり、

「行動(勇気)」が伴えば、

その「きっかけ=希望の種」

を掴むことができ、

「必ず道は開ける」し、

何より、

過去にどんな経験をしていても、

自分自身が飛び込みたいと思えば、



飛び込む「勇気」はみんな持っている。 

  


そして、そこから、

人生は、豊かになるし、

今までに感じられなかったものが感じられる。

今まで以上の可能性の花が開く。

  


本当にそうなんだ。

絶対的な自己否定だった事に、

気づかないくらいの私にだってできたのだから。

 


当時の私のように、

そんな風に悩んでいる人たちに、

その可能性にたくさんの人に気づいて欲しい!!

そんな想いと勢いだけで、

独立開業して、

気づいたら、

紹介だけで、

セッションを提供できるまでになっていた。



***



「希望の種」を私に感じさせてくれた彼に感謝の意を込めて、

@MIYUA.という

名前をつけ、

そして、

そこで勉強した「技術」を使い、

「人と会うとなんだか疲れる自分を卒業!」自分らしく生きたい人へ向けて、

「生きること」や「人生」に希望を感じるセンスや感性を磨くセッションや、

誰もが本音を言い合い、何か辛い時には助け合えるような仲間作りの一環として、

「ゆる〜く本音をぶちゃける会」などを開催している。

  

  

今でも、

すべてのことが万能に出来ると自分の事は

思っていない。

だけど、

「絶望しているからこそ見える希望がある。」

「一人で乗り越えられない事も人との出会いをきっかけに乗り越えられることが出来る。」

そう信じて、

私が伝えられることを全力で伝えています。  

  



最後まで

お読み頂きありがとうございました。

このストーリーが少しでも、

悩んでるあなたのこころに届いたら、幸いです。

  

   

@MIYUA.のHPはこちらから。

http://mimaki-m.com/

   

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