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15/8/29

★天使になった我が子に会うまでのお話。ー葬祭業で培ったスピリチュアル思想で乗り越えた❓家族崩壊・妊娠中絶・異常妊娠・誕生死・マタハラ・子宮頸ガン後遺症・不妊治療・動物愛護ボランティア活動はじめる。を経験した話し…【誕生死編①】

Image by Olia Gozha



胎児の病気が発覚してから、その時感じた事や、スピリチュアルな体験や、私達夫婦のとった行動を赤裸々に書き綴っています。【誕生死編①】です。


【おくりびと編】はこちら

http://storys.jp/story/17884


長い春を経て入籍

24歳の秋、長い長い交際のち、彼と二人で婚姻届を出しに行った。結婚指輪を買いに行き、普段行かないようなビルの最上階のレストランで二人だけのささやかなお祝いをした。

彼と出会ったのが、高2の夏。私がアルバイトする地元の創作料理店に彼がお客さんで、やって来た。9歳年上のイケメンの彼に、私の一目惚れでした。常連さんの、しげさんに協力してもらい交際がスタートしたのは、その年の秋だった。


彼も霊感体質なのか?始めて私を見た時、白いオーラが身体から滲み出ているのを目撃する。

心の声「こんな事ってあるんだなぁ~(;^ω^)」

彼はずっと私を見守り、8年間支えて来てくれた。同棲もすでに始め…数年経っていたので

新婚気分は味わう事なく…晴れて私は人妻になった。


そして…この先、迫りくる、いくつもの障害、困難をまだ知る余地もなく。

神の道しるべ

24歳の秋に入籍してからも、私は近くの葬儀会館でアルバイトを続けた。

週5でバイトして、晩御飯を作るのが億劫で、働きながら家の事を完璧にするのって難しいなぁ~

と感じていた。そしてある時、ふと思った。

心の声「私、結婚して何してるんだろう?」

心の声「こんなに仕事に打ち込んでさぁ・・・・」

心の声「何のために、働いてるんだろう・・・お金のため?う~ん。」

でも、居心地の良いこの会社を辞めようとは思わなかった。

むしろもっとここで頑張りたい!と思っていた・・・その時は。

今思うに、この時、私の心のうちを神様がそっと覗いていて人生修正したかの様に感じる。


天からの贈り物

入籍して、そろそろ結婚式と披露宴の準備しようかなぁ~と思っていた頃

もの凄く高エネルギーなスピリチュアルな体験をする。

ある夜、ベットの上でボーっとしていると…ふと讃美歌が聴きたくなった。

私はクリスチャンではないけど、以前の仕事場でよく耳にする事が多くそれがきっかけで、讃美歌を聞くことが好きだった。


夫に、スピーカー持って来てもらい…好きな讃美歌の


「賛美歌320番 主よみもとに近づかん」


「讃美歌312番 慈しみ深き」


をベットに横になり、聞いていたら何故か?

今まで味わった事がない程…


愛に満たされファ~ッと、とても幸せな気持ちになり…


すーっと、涙が頬を伝って流れた。

音楽を聞いて涙をする事などあまりなかったが、この時は不思議な感情だった。


愛に満たされ、神を感じた。

私は、この時もしかしたら?天から大切な贈り物を授かったのでは?と思っている。


そして、私はある夜、夢を見る。

「大きな鯉の滝登りの夢」印象的だったので夢占いで調べると…

:女性がこの夢をみると、妊娠の知らせかもしれません。その場合、産まれるお子さんは男の子の可能性が高いでしょう。鯉が大きいほど、あなたに吉運を持ってくるお子さんとなります。

と書かれてあった。


そして…そして…私は妊娠していた。



2度目の妊娠

二十歳の時、自分の若さから妊娠中絶を経験している。その時に手術した後、自分の中で決めた事…

それは次、妊娠したら絶対産む!と決断していた。

私は、妊娠したとわかり正直、動揺した。今までの生活の変化、母親になると言う事…


怖くて泣いた。


今まで、子供が欲しいと思った事がなかったから。でも産むという選択は自分との約束。

それは、人として絶対に、これ以上、妊娠中絶はしてはいけないと潜在意識で思っていたからだった。

同じ過ちは、私は繰り返したくない

はじめまして、こんにちわ。

検査薬で妊娠がわかると、夫に付き添ってもらい、すぐに近くの産婦人科病院へ行った。

エコーで小さな胎嚢を見た、心臓も動いていますと説明を受ける。妊娠2か月だった。

やっぱり…妊娠していた。胎嚢を見るのは、二度目で同じような形をしていた。

夫は喜んでいた、彼も中絶経験で、後悔していてたのでずっと、赤ちゃんが欲しかったから

2011年の12月だった。


アルバイトは・・・

妊娠初期で悪阻もあり、しんどかった。でも落ち着いたらバスで本社での事務仕事でもしなよ。

と言って下さったのだが…


やっぱり責任持てないから休めと言われた。


まだ働けたし私は、休みたくなかった。

休めと言われれば、休むしか仕方なかった。気持ちとは裏腹に…

どんどん自分のやりたい事が出来なくなって行く…そのもどかしさが辛かった。


定期検診妊娠5か月で

始めの産婦人科では、医院長がご病気のため診れないと言われたので、上司に紹介してもらった

車で30分ほどの産婦人科で定期検診を受けることになった。

医師「エコー見る限りでは、男の子じゃないかな?なんか付いてるでしょ?」

夢占い!当たってる!やっぱり!と思った。


そして、いつもの様に、夫に付き添ってもらい2~3回目の定期検診で夫にも、赤ちゃんを見せてあげようと思い…

初めて診察室に一緒に入った時だった。お腹にエコーをあて医師がじっと見つめる…


いつもより真剣な面持ちだった。

私が、話しかけるも…じーっとエコーを見ている。そして、内線で違う産科の先生を呼び出す。


え?え?なになに?と思っていた。夫も???


違う医師が到着して、医師二人でエコーを見て何やら話している…

そして…告げられた事は

医師「赤ちゃんがエコーで見る限り、1㎝ほど浮腫んで見えるのでもしかしたら…気のせいかもしれませんが、大きい病院で診てもらって下さい。」


むくみ??

もらった紹介状は、密封されていたが夫が、ハサミで空け中を見てみると…


「胎児水腫の可能性あり」と記載されていた。


どうしょう・・・大丈夫なのかな?


心配で心配でずっーっとその事だけが頭の中を駆け巡る日々。


この時、異常妊娠の兆候として、お腹がもの凄く張っていて、張り止めの薬も飲んでいた。


その日は、神前式の打ち合わせがあったので、病院を後にした私達は神社に向かう道中でも…

結婚式の事など考えられるわけもなく、お腹の子の浮腫みが心配で心配で…胸がドキドキした。


足早に式の打ち合わせを済ませ、家に帰り、テレビをつけると大津波が陸前高田、気仙沼を飲み込んで車や家が押し流されいる映像が目に入った。


その日は、2011年3月11日だった。


色んな情報が目に入るそんな日で、私は、頭がおかしくなりそうだった。


結婚式

異常が発覚して、数日しか経っていなかったが、日取りを取り決めていたので式を執り行う事に…

頭の中はお腹の子の事でいっぱいで不安の中、25才の誕生日に小さな氏神様の神社で家族だけで、慎ましく神前式を挙げた。


叔母に借りた、鶴の刺繍が前面に施された白無垢に袖を通し、真っ白なたくさんの百合の花を頭に挿し、私のお腹は妊娠5か月ですでに大きくなっていて、まだ見ぬ我が子をかかえての式だった。

着付けの女性「大きなお腹ですねー?え?まだ妊娠5か月?え?大きいですよ・・・。」

と言われたが、私は初めてだったので、こんなもんじゃないの?と思っていたが…

この時すでに、私のお腹は異常妊娠の兆候が出ていて、普通ではなかった。

悪阻はすでになく、ただお腹だけが大きくなっていて苦しかったが、病気が発覚してからは、

お腹の子がより一層、愛おしく思えてきて…大切な命を、守りたかった


絶対大丈夫!と信じて神に祈り続けた…


紹介状はじめての大学病院

結婚式の2~3日後、胎児水腫の可能性ありと書かれた紹介状を持って、家から車で1時間くらいの場所にある大きな大学病院へ向かった。

夫と診察室へ入ると、真面目そうだけど、私達夫婦の目を見てちゃんと真剣に受け答えしてくれた

臨床遺伝専門医の先生がいらっしゃって、こう説明してくれた…


遺伝子の先生「胎児水腫というのは赤ちゃんが浮腫んでいて、その原因の一つとして染色体異常の可能性があります。染色体異常としてよく知られているのはダウン症などがありますが、他にも18トリソミー、13トリソミーと言った生存率が低い異常も見られます。」

病院に行くまでに【胎児水腫 赤ちゃん むくみ】でぐぐりまくっていたので、何となく説明されてある程度は覚悟していたが、染色体異常・ダウン症・18トリソミー・13トリソミー…ダウン症は知っていたが、まさか自分の子供が?


障がいを持って産まれてくる????


胎児水腫というのはただの病気ではなく、障がいの可能性があるという事を知った。

遺伝子の先生「羊水検査をすれば、胎児細胞をもとに、染色体や遺伝子異常の有無を調べられます。」

わたし「どうやって検査するんですか?」

遺伝子の先生「お腹に針をさして羊水を抜き取りそれを検査にまわします。」

その日は、エコーとアレルギー検査と胎児の染色体異常の可能性のお話しと…

羊水検査を進められて診察は終わった。


待合室で待っているあいだ…羊水検査の用紙を見つめ、夫と話しをするが、検査は保険適用外で10万ほどするし、もし検査をしてお腹の子の障がいが、わかったとしても中絶は望んでないし、そもそも法律でもうすでに、出来ない数週だし…羊水検査する意味ある?という感じで夫は話していた。


私は、検査で針をお腹に挿すという行為がもの凄く恐怖で痛そうだし…悩んだ。

この頃は、採血で染色体異常がわかる新型出生前診断というものがまだ実施されていなかった。

そして、今後はこの大学病院で定期検診をする事になった。


水族館 思い出作り

もしかすると…お腹の子は死んでしまうかもしれない?そんな不安の日々を過ごした…

不安で不安で不安で日中、私はお腹の子の事だけを考えた。

そんな日々を送る中、夫が言った…

「もし、限られている時間の中に僕たち3人は居るのなら…思い出作ろう!たいき(お腹の子の名前)が喜びそうな事してあげよう。」

わたし「そうやね!たいきが喜びそうな事・・・・やっぱり魚かな?夢に何度も魚が出てくるし…水族館?」

「さかな」だと直感で思った。というのも…私は妊娠中もスピリチュアルな体験を何度もしていた。

夢で知らせてくれた男の子の妊娠。妊娠中、鯉や龍や魚と言った、生き物が夢に何度も出てきたり…


子供をおぶって堤防を散歩していると、黒い小さな魚を発見して子供が「お!」と喋った夢を見て私は思った。あぁ~この子やっぱり、さかな好きだなぁ~と。


私はお腹が張り歩くのも苦しいほど大きなお腹をかかえて、夫とお腹の子と3人で水族館へ出かけてた。


きっと見えてる?感じてるよね?たくさんさかな見れたかな?と思いながら。


そして、あるイラストが目に入った。それはまさしく今のカタチの、お腹の子に似ていて

微笑ましくなるイラストだった。水族館へ生きてる我が子と夫と来れてよかった。


神棚の音

感じるはずの胎動も感じないまま、5月に入った、そんなある日…寝室で、横になっているとふと

「伊勢神宮」と頭によぎった。リビングに居た夫が寝室に入って来てたので夫に言った

わたし「伊勢神宮行く?」


すると夫は驚いたように…

「今さっきさ、神棚から音がパチン!って鳴ったよ!で不思議だったからおまえに今、言いに来たんだよ。」

わたし「え?まじで?」

「これって、伊勢神宮行けって事じゃない?」

わたし「そうかもしれないね。」


神の啓示?伊勢神宮

私たち夫婦は、夏から秋頃にかけ、年に一度、三重県にある伊勢神宮へ足を運んでいる。

子供を授かったのも…伊勢神宮へ参拝した直後に妊娠した事になるので…


今回の妊娠は…お伊勢参りに行った事で何か…深いご縁を感じていたー


妊娠前に、参拝した時、印象深かったのが天照大御神の祀られている本殿の前で目を瞑り手を合わせていると…目を瞑っているのにも関わらず…


ファーッと白い光とキラキラと輝く…何かを感じた。



初めてのことだったのでちょっとビックリしたけど、参拝後は清々しく神様からパワーを頂いた様な気になった。

お願い事も本当は神社ではあまり、しちゃいけないんだろうけど3つの願い事をするとすぐに叶った。


お神札を購入して、自宅の本棚に立てかけて置くようにお祀りしていたのですが…

普段、別にいいじゃん?って感じの私の性格なのですが…それが、何故か無性に気になってしまい

夫にその胸を話したー

わたし「ちゃんと神棚にお祀りした方がよくない?」

その後、神棚を購入して、その中にお祀りし直した直後だったー

特に子作りも意識していなかったが、自然に妊娠していた。


安産祈願へお伊勢参り

子供の病気が治る様に…私達は神にすがる思いで伊勢神宮へ向かった。


2011年5月1日だったー


草津のインターで、私の携帯電話の着信音が鳴ったので、見てみると母だった。

電話越しに…普段私達の前で、涙を流す事はめったにない母が、泣きながら…

「おじいちゃんがさっき、病院で亡くなった。」

突然の、祖父の訃報だったー(母方の)

脳梗塞で倒れ入院していたが…まさかこのタイミングで逝ってしまうとは…

すでに草津だったので、とりあえず急いで参拝を済ませてからおじいちゃんのとこに行く事にした。


その時…私達夫婦は、子供が無事である様に…頭がいっぱいで祈るしかなく…

神でも、仏でも何でもいいから、すがりたい気持ちだったので、おじいちゃんには申し訳なかったけれど…

子供が無事に産まれてくる事と、おじいちゃんが迷わず天に還れる事を祈り…願い…

参拝してすぐに帰った。


おじいちゃんのお葬儀

祖父は、お金持ちで大きな家に住んでいて、外車に乗り…生前は商売をしていた。

夫とおじいちゃんは、同じ誕生日の同じ血液型で、経営者という同じ立場なので共通点が多く、おじいちゃんの最後のお誕生日は、ささやかだけど、夫と合同でお祝いもした。


優しくて…男らしく…お金の羽振りもよく…立派な人だったー


葬儀は祖父の大きな自宅で執り行った。祭壇には、胡蝶蘭の花を一面にあしらい…真っ白で本当に綺麗だった。数多くの祭壇を見てきたが…今まで見る祭壇の中で一番美しかった。




祖父はテレビっ子だった。祖父の愛用したテレビに、生前の家族で映るメモリアル写真を何枚か

音楽と言葉をのせたスライドショーを流すと、たくさんの参列者がモニターを見て涙した。


そのスライドショーを制作したのは、夫の会社の従業員さんが徹夜で作ってくれたものだった。


私はというと…お腹が張って苦しくてあまり身動きがとれなかったが…

おくりびととして、最後に何かおじいちゃんにしてあげたい…そう思いメモリアルコーナーを作った。


祖父がコレクションしていた帽子に、メガネ、賞状に、トロフィー、みんなで写った家族写真…

先に旅立って逝った祖母と愛犬の写真もー


参列者はそのメモリアルコーナーを通って焼香に向かうので必然的に、見てくれていて嬉しかった。

さすがにしんどかったので、火葬場には行かず…自宅で待機した。


そして葬儀がすべて終わってほっとしたのも束の間の出来事が・・・



【誕生死編②】へ続きます。

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