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15/8/20

最低の兄貴、なのか?

Image by Olia Gozha

最寄りの駅に着いた。


そこには迎えに来てくれた妻が待っていた。


妻を見た瞬間、

また耐えられなくなってしまった。


「あいつ、ダメだったんだ。。。ひぐっひぐっ」


自分で書いていても情けないが

文字にするならそのようになる。


涙がこぼれてきて、

妻に抱きついてしまった。


車に乗り込んで病院に向かう。


車に乗ると少し落ち着いて

「は〜なんだかな〜」「マジか〜」

みたいな事を落ち着いた口調で口走りながら

病院に向かった覚えがある。


ようやく、少し思考が落ち着いて


「俺は弟の生前に何かしてやれたのかな?」

「なんにもしてあげられなかったな」


なんて思いが湧いてきた。


弟が高校1年の時、俺は大学大学3年だった。


その頃の記憶がふと蘇る。


弟は県内一バスケが強い学校で

バスケに専念していた。


実力も成果も中途半端な兄貴とは違い

県内一番の学校で、しっかりと通用している様子だった。


俺が大学2年で、弟が中学3年の時、

社会人バスケで一度だけ一緒にバスケをした事があった。


さすがに負ける事はなかったが

大人の中でも通用しているスキルと

身体能力の高さに驚かされた。


「こりゃ、同じ年齢だったら100%俺の負けだな」


と認めざるを得なかった。


そんな弟は恐れる事もなく、県内一

バスケが強い学校へ進学した。


それだけでも自分の器では考えられなった。


ただ、朝練が自宅から始発の電車でも

間に合わないほど、早朝から行われていた。


弟は1年なので、遅刻は許されないため

親が毎朝、車で送っていた。


ある日、両親とも朝に家におらず

困った弟が早朝に俺を起こした。


「悪いんだけど、学校まで送ってくれない?」


まだ朝5時である。


大学生活で堕落しきっていた俺は

早朝5時に起きるなどありえなかった。


別に弟のせいでもないのに

かなり不機嫌になりながらしぶしぶ車で

1時間の距離を送って行く事にした。


往復2時間だ。


早朝5時から往復2時間、寝たいのに

マジで勘弁してくれって感じで

本当に不機嫌で嫌な兄貴だったと思う。


思い出されたのはそんな記憶だった。


あいつが生きている間に

一体、俺は何をしてあげられてたんだろうな。。。


そう考えると虚しい気持ちになった。

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