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15/8/15

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。8話

Image by Olia Gozha

満州で終戦を迎えてから約2年、チヨと三人の子供達はやっとの思いで日本の土を踏む事ができた。


故郷の福島へ向かう列車では特別な配慮で無賃で乗車させてもらい、その代わり、通常の乗客口は通らせず、荷物の出し入れをする出入り口を使って乗車した。

チヨにとって窓から見える日本の光景は戦争の爪跡こそ数多く残ってはいるが、少しずつ人々が活気を取り戻しているように見えた。そして列車を乗り継ぎ、故郷の駅に降りた。

チヨは自分の故郷の変わりように戸惑っていた。 駅前にはバスが走り、人々が行き交っていた。

戸惑っていたのはチヨだけではなく、そのボロボロな身なりをした母子が呆けた顔で立ち尽くしているので、チヨ達の周りには、ちょっとした人だかりが出来ていた。旧満州国からの引き揚げ者と知ると、写真に納めたいと言う者まで現れた。  

そこへたまたま、バスの運転手をしていたチヨの妹の亭主が、その騒ぎに気づき、もしや満州に行った義理の姉ではと声をかけ、実家まで送り届けてくれた。


チヨの家族や親戚達は、旧満州が敗戦後大変な事になっていると新聞などで知り、チヨ達の身を案じていたが、終戦後2年近く経っても何も連絡が無かったので、チヨ達は死んでしまったのだろうと思われていた。そして、その間にチヨの実母は亡くなってしまった。

一方、寅清の実家では義父が再婚しており、そこへ、死んだものと思っていた息子の嫁が戻ってきたので、無事を喜ぶどころか、全く迷惑な話だと、義理の母はチヨ達に納屋をあてがって、そこで暮らすようにと言った。

納屋の中では藁の上に布を広げ、そこにチヨと子供達は寝ていたが、それでも、あの避難生活よりはマシな暮らしだと、チヨは文句も言わず家事や畑仕事をした。度々、鬼のような姑にチヨも子供達も苦しめられたが、帰国後は衰弱していた子供達も外で元気に走り回るほど回復して行った。



その日、子供達は元気に家の中で遊んでいた。

そこへ、痩せこけた男が一人土間に入り、腰かけ、子供達の顔を見つめ始めた。

子供達は突然の訪問者に驚き、しばらくその男をじっと見つめていた。

と突然、すみえは何かを思い出したかのように男のもとへ飛び込んでいった。その瞬間、男は堰を切ったように大声を上げて泣き出した。

父が帰還した日の出来事は叔母も覚えているそうだ。

寅清がシベリアから帰り、チヨ達は新しい家に移り住んだ。少しずつ荒れた土地を起こし、田んぼや畑を作った。そして、貯めたお金で山羊を買い、その後、生まれた二人の子供の乳代わりにした。

こうして、寅清とチヨは五人の子供に恵まれた。



叔母は、ここまで話し終えると、祖母の点滴を変えながら言った

叔母 まさ枝「おチヨさんは、ご飯の食べ方も忘れ行くのに、いつも、自分のすぐ目の届くところに履物と米、それと財布を置いておかないと気が静まらないの。」

祖母はすぐにでも、逃げ出せるように何度も確かめるのだそうだ。

痴呆の症状が進んでも、戦争の記憶は祖母の頭から消えることはなかった。

翌朝、朝食を終えた後、叔母は祖母の床ずれを防ぐため上半身を起こしていた。叔母の代わりに、祖母の肩を抱かせてもらったが、子供のように小さく驚くほど軽かったのを覚えている。

叔母 まさ枝「おや、おチヨさん。今日は薄目を開けてるよ。きっと孫が遊びに来たのに気づいたんだよ。」


それから二ヵ月後に祖母は亡くなった。

葬儀には千人を超える参列者が集まり、祖母の幅広い交流関係に驚かされた。村の古いしきたりで行われた埋葬は、寅清と同じく土葬であった。八年間待ち続けた祖父の墓石の横に新しい土まんじゅうがぽっこり寄り添うように膨らんでいた。

私の息子は、その土まんじゅうに向かって小さな手をそっと合わせていた。


(※当時は、自分の敷地内の場合のみ土葬で申請許可されてたそうです。現在は不明)



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