2013年4月5日僕はインターネットカフェにいた。
二日目に突入したネットカフェでの滞在。
なんで俺はここにいるんだったけ?
仕事が出来ずうだつの上がらない僕は上司や先輩に毎日のように叱られ日々のサービス残業、そして溜まってゆく仕事に限界を感じていた。
自分が腐っていく感覚がわかった。
もう無理だ。
休み明けの朝、僕はその日出勤せず実家近くのネットカフェに逃げ込んで、ずっと「痛くない自殺」をキーワードにパソコンとにらめっこをしていた。
鳴り続ける携帯。
それを全部無視してずっと死ぬ事ばかり考えてた。
でも二日経っても死ねずにいた。
死ぬ勇気もない本当に中途半端な人間だと悲しくなり泣いた。
そこでふとモニターに目をやると『旅』と言う文字があった。
「そうだ…。前からやりたいと思ってた旅…。一度死んだと思えばもう失う物もない!!旅に出よう!!!」
少し生きる気力が湧いてきた。
携帯をみると母親から連絡が何件も来ていた。
「連絡を下さい。皆心配してます。生きているかだけでもお願いだから…」
こんなに心配かけて本当に情けなかった。
後になって姉から聞いたのだけど、勤めていた会社へお詫びにも行っていたらしい。
家に帰ると母が出迎えてくれた。
「......おかえり」
「ごめんなさい....」
「うん、心配してたよ。ご飯は?」
「食べてない.....」
「カレーあるよ食べなさい」
申し訳なさと僕を迎えてくれた母の有難さが混じり涙が止まらなかった。
その時食べたカレーの味が今でも忘れられない。
そして自分からこれからの事を切り出した。
「俺、旅に出ようと思う。ずっとやりたかった事だし、正直今は次の仕事を探す気になれないから...」
すると母は
「それは無理して、自分を追い込もうとしてやる事ではないよね?」
「うん、『今』本当にやりたいことをやりたい。旅をやりたいって事は嘘じゃない」
「わかった。それなら何も言わないよ」
今になってもその時の母の寛容さに感謝するばかりだ。
しかし一口に旅と言っても何から始めたらいいんだ?
1:旅の準備
とりあえずどうやって旅をしよう。
正直なんでもいいんだけど、車
だとすぐに終わりそうだし、自転車だと一年程で終わりそうだ。
どうせなら二年くらいかけてやりたい!
徒歩でやってみよう!
そこから準備が始まったのだけど
僕には貯金が無かった。
情けない事に口座には数万円しかなかった。
前の会社が安月給で、かなり節約していたものの経済的に厳しかった。
しかし元手がなければ旅も糞もない。
「身の回りの物全部売ろう!!」
新車で買った車、ゲームソフト、服、バッグ....値段が付きそうな物は全て売った。
できた元手は40万円。
多いか少ないかわからないけど、とりあえずお金はできた!これで旅に出られる!
そこからバックパック、寝袋、テントなど旅に必要な物を買い、残った金額は35万ほどになった。
正直これで足りるのか不安だった。
いや!もうやるんだ!とにかくこれで行ける所まで行こう!!
そして携帯も解約した。
毎日毎日携帯ばかり見てる自分が嫌だったからだ。
実際これが1番不安だった。
携帯がない生活なんて想像も出来なかったから。
そうして旅の準備が整っていった。
2:旅の出発
旅を始める一週間ほど前、友人数人が送別会(?)をしてくれた。
「歩いて日本一周....?なんでまた……」
「なんだかんだ広島あたりで帰ってくるんじゃない?」
「俺だったら近所のコンビニでも車使うけどな」
かなり『お前には無理だろ』的な空気があった。
まぁそりゃ仕事をこんな形で辞めたし、元々から色々な事に対して中途半端だったからなぁ。
また不安になった。
途中で辞めちゃうんじゃ?
怪我したら?
病気したら?
変な人に絡まれたら?
夜はどうしたら?
やっぱり辞めようかな....なんて何回思ったか。
自分さえも自分のことを信用できて無かった。
今思うとよくそんなんで旅に出たなと思うばかりだ。
そして、不安しかなかった2013年4月29日の朝。
出発の見送りは母と祖母がしてくれた。
「辛くなったらいつでも帰ってきていいんだからね」
「大丈夫、だと思う。それじゃいってきます」
「気をつけてね。。。」
そうして僕は福岡県北九州市にある実家を出発し
旅に出た。
3:記念すべき第1日目
さあ!旅だ!
ポツポツと歩き出した徒歩の旅。
実際はまだ見慣れた風景ばかり続いてるので全然旅をしている感覚になれない。
300mほど歩いた位だろうか、肩が痛すぎてバッグをベンチに降ろした。
なんだこれ...
まだ始まったばかりでこんなにキツいぞ....。
今日中にせめて福岡県を出たかった。知り合いに会いたくなかったし他人から声をかけられるのも恥ずかしかったから。
そもそも徒歩って一日どれくらい歩けるんだ?
昼を過ぎた頃、お腹が空いてきたので母にもらったオニギリを食べる事に。
なんだかこれじゃまだハイキングだな...。
そうしてまた歩き続けると中年のおじさんに声をかけられる。
「おお!兄ちゃん!どこから来たんや!?」
「あ、いや今日始まったばかりで....なんかすみません...」
「ああそうか、まあ頑張れよ!」
早く地元から出たい……。
そうしているうちに日も沈みだし、今日の泊まる場所を考えなければならい時間がやってきた。
着いた場所は北九州市の市街地である小倉。
いつも車で30分程で来れる場所である。
マジかよ……。たったこれだけしか歩けないの?
野宿なんてまだする勇気もないし街中だから今日はネットカフェに泊まろう。
先が思いやられるな…。
「あれ?白石くん!?」
「!?」
「白石くんやん!何やってんの?その荷物は?」
出会ってしまった…知り合いに…。
「いや、あの…歩いて日本を旅しようと思って、今日から」
「ええ!?そうなんだ、大変そうやね。頑張ってね」
「はい、ありがとうございます…」
バッチリ知り合いにも会うとは…。
いつも利用しているネットカフェに入店し、今日歩いた距離を計ってみた。
なんと
20km…………
気が遠くなりそうだった。
本州を縦断するだけで最低でも2000km。
パンパンになった足、バッグの重みで痛む肩。それがまた不安を募らせた。
俺はとんでもない事始めてしまったな……。
4:本州への第一歩
旅二日目。
よし!今日こそ福岡をでる!!
筋肉痛になった足と痛みの残る肩を不安材料にネットカフェを後にする。
正午をまわった頃、門司港に到着する。
もちろんまだ見慣れた景色だったがやっと福岡県から離れることになるんだと気持ちは高ぶっていった。
そして九州と本州を結ぶ関門トンネルにさしかかる。
ここは車でしか来た事なかったけど、どこから行くんだ?
トンネルの標識に「歩行者・自転車はこちら」とある。
なんと九州と本州を結ぶ関門海峡には歩行者専用トンネルがあるのだ!
知らなかった……。
トンネルに入ると山口県へと続く長い直線。
その丁度中間地点に福岡県と山口県の県境の印が!
おおお!!
初めての県またぎ!!
やっと旅が始まった気がした。
まだまだこれからだけど、ようやく俺は一歩を踏み出したんだ。
そんなことを考えていた。
5:野宿ってなんだ
さて山口県下関市に着いた訳だが、これからが重要。
今日こそ野宿場所を探さないといけないからだ。
事前に調べた情報だと公園、神社、道の駅などがいいらしい。
しかし周りに公園もなければ道の駅もなかった。神社はあるけどどうも小綺麗にしている神社で野宿が出来る雰囲気ではない。
とりあえず下関港周辺を歩いてみる。
唐戸市場だ…。
ここなら営業が終わった後に野宿できるんじゃないか?
そうして営業が終わるのを待ち、町が暗くなったのを見計らって軒下の地べたに寝袋を広げた。
これが野宿かぁ…。
自分でも不思議なくらい充実感に溢れていた。
旅ってこういう事なんだな!
と勝手にワクワクしていた。
しかし寝袋に入ったものの時間は21時を過ぎたあたりで、全く眠れない。
普段夜更かしばかりの生活だったので当たり前と言えば当たり前だが。
「うわ!こんなとこで寝てる!」
!?
う!市場の人だ!まだ中にいたのか!!
「よくやるよなー、ホームレスか?」
そう言って数人の市場関係者は僕に立退きを命ずる事もなく去って行った。
よかった…。
でも確かにホームレスだなこれじゃ…。
明日は野宿場所大丈夫かな…。
そんな不安を頭に巡らせていると何時の間にか眠りへと落ちていっていた。
6:当たり前の出来事に気付くと言うこと
三日目の朝、まだ日も登らない時間市場にやってくる軽トラックの音で目が覚めた。
早く移動しないとここも営業が始まってしまう。
急いで仕度をしてまだ開ききらない目蓋を擦りながら歩きだした。
暫くすると歩いていると進行方向から太陽が登りだした。
はぁー…。
日の出なんていつぶりに見たっけ?綺麗だなぁ…。
徐々に明るくなっていく風景が何故か神秘的でこんな当たり前の素晴らしさも忘れていたのかと思った。
ちなみにこの時大雑把ではあるが太平洋側を北上し、そして日本海側から南下する予定にした。
全都道府県を周る!できれば!
その意気込みだけが自分のモチベーションだった。
いや、それで充分だった。
7:初の旅人との出会い
山口市の国道を歩いていると向かい側からバッグパックを背負った二人がやってきた。
「こんにちはー」
「こんにちは!旅されてるんですか?」
近くに来てわかったけど、この二人結構ご年配でしかも夫婦で歩いてるようだ。
「お兄さんどちらから?」
「僕は福岡を出発したばかりで、今から日本を一周しようと思ってます」
「えー!?それは凄いわ!私達はね兵庫県から歩いて来たの、今から九州を周ってから帰るつもりなのよ」
いやいや、俺より凄いじゃないですか(笑)
なんと奥さんが65歳、旦那さんは70歳ときたものだ。もう脱帽ものである。
でも奥さんがいたく僕の旅に感動してくださって、餞別を渡してくれた。
「おばちゃん貴方の行動力に感動したから!これで美味しい物食べて!」
何度も断ったけど、無理矢理手の中に握らされたので、有難くいただくことにした。
そして初めて連絡先を交換し、お別れした。
旅先で旅人と出会って連絡先を教えるってなんか凄いなぁ…。
また繋がりがあるといいな。
そこから出会いの素晴らしさを知っていくようになった。
8:タイトルの意味
山口県の周南市に着いた。
旅が始まって数日が経った。
相変わらず旅の要領がつかめないと言うか、毎日の野宿場所に四苦八苦し、風呂や洗濯のタイミングなどがわからなかった。
しかし気分は開放的ではあったので数日の間はその気持ちで誤魔化しつつ過ごしていたのだが、その日ある旅人と出会い気分が一変する事になる。
「よお、お兄ちゃん歩き旅?」
そこには自転車に荷物を載せた中年男性がいた。
「はい、でも福岡を出発したばかりでまだ旅初心者というか」
「あ、そう。俺は旅をもう6年やってんだけどさ」
「ろ、6年!?凄いっすね…」
「なんか兄ちゃんの持ってる装備なんか不安だね」
「そうですかね…?」
「ん?これからどういうルートで行くの?」
「今から太平洋側を北上して北海道を目指そうかと思ってます」
「えぇ?今から歩いて北海道!?北海道って盆過ぎたら寒いの知らないの?」
「いや、まぁなんとかなるかなって…」
「いやいや、北海道なめたらダメだよ!何?食事とかどうしてんの?」
「コンビニとかで買ってます」
「そういうのは6時過ぎてからスーパーに行って割引のお惣菜とか買うんだよ!」
「はぁ…」
「ラジオは持ってんの?」
「いえ」
「ラジオなかったら明日の天気わかんないじゃん!雨降ったらどうすんの?」
「そうですね確かに…」
「資金はどれくらいなの?」
「一応40万です」
「それちょっと少ないんじゃない?今から四国に行ってバイト見つけた方がいいよ!」
「そうですかね?」
「そうだよ!そもそも太平洋側北上じゃなくて日本海側にした方がいいな!そっちの方が近いし、まして歩きなんていつ着くかわかんないぞ!」
「そう、ですね…」
「そういえば非常食は持ってんの?」
「いや、それも持ってないです」
「なんだそれ、今まで出会った旅人で非常食持ってないの君が初めてだよ」
「…………」
「正直君は旅はしない方がいいかもね、特に歩いて日本一周なんて」
……………
かなり凹んだ。
やっぱり無謀なのかな…。
今から北海道に行くなんて。
そう思いつつも歩みを辞める訳にもいかず、足取り重く前に進むしか今の僕にはできなかった。
9:自分の信念
おじさんと別れた後僕はどうしたかと言うと
実は全部無視した(笑)
太平洋側を北上するのは絶対に曲げず、特にアルバイトもしなかった。
北海道に着いてやっぱり俺が正しかった!と、もう会う筈もないそのおじさんに言ってやりたかったから。
旅は進みついに一つ目の県、山口県を抜け広島県に着いた。
よし!!よし!!よし!!県を越えた!!
途中で買った地図を見返すと山口県だけで10日かけて歩いていた。
と、10日か……。これがあと最低でも46残ってるわけか…。
あんまり先のことを考えると目眩がするので辞めた。
とにかく広島県についてから1番最初にお目見えしたのが
「世界遺産・厳島神社」
そもそも広島にこの神社があることも知らなかったし、日本三景って言葉も知らなかった。
今までテレビや新聞なんかで見たり聞いたりしたことある物を自分の目で見れるんだな旅って…。
そう思うとこれから何が見れるのかまた楽しくなって来た。
日本三景か…よし!日本三景全部見たる!!
..............................................
ここまでご拝読頂いてありがとうございました。
このストーリーを書いてます現在も旅をしている最中です。
これからは旅で経験した出来事、出会った人たちの事などをストーリー別に綴っていきたいと思ってます。
是非応援していただけると幸いです。