ホームレスを覚悟した、24歳の冬
今でも忘れはしない、2013年真冬の2月3日、午前8時
大阪梅田の一等地の阪急百貨店前の歩道橋で人生をかけた勝負が始まる。
これができなければホームレス、そう覚悟をして家を出る。
今まで24年間で積み上げてきた、
簿記やFP、宅建などの資格や
学生時代にも起業したり、
学生団体を作って5000人集めたりで活動した実績
今持っているプライドをすべて捨て
本当の0から自分でビジネスを作り上げる覚悟を持って。
「それくらいしないと自分は変われない」
誰か知り合いに会ったりしないかな?
何か誰かに注意されたりしないかな?
警察に摘発されたりしないかな?
そんな不安と後ろめたさで、家で動けなくなっていたが、
「もうやるしかない」そんな覚悟を決めて家を出たことを覚えている。
2年前は新入社員として入社した普通の社会人
僕は大学卒業と同時に、とある中小企業に就職をしている。
就活は訳あって、4年生の12月から開始をした。
「ただ単に働いて生活をするだけの人生を送るのは嫌だ!!」
そう思って、会社員になることをひどく嫌っていた。
が、しかし。
収入がなければ生活はできないため
しぶしぶ会社員になる選択をする。
ただ、学生時代に起業していたこともあって
≪絶対に自分でビジネスをする≫と決めていた。
唯一、1社だけここなら働きたいと思う会社に出会えた。
しかし、実際に働いてみると、
やはり外から見る会社と中から見る会社は全く違うくて。
入社当初はこの会社なら40年間働いてもいい!と思っていた気持ちは
入社3ヶ月で、3年以内に独立をするという心変わりをする。
そこで目をつけたのが、ネットビジネス。
会社が忙しく、平日も帰るのは23時、土日出勤当たり前。
そんな環境の中で、副業をするには
いつでも仕事ができて、元手のかからないこれしかなかった。
そのネットビジネスの中でも、始めたのは輸入ビジネス。
僕の中では革命的だった。
「これで月に何十万、何百万と稼ぐ人がいるのか??」
「これなら僕も会社員を辞められるようになる!」
そう信じ込んでいたが、そんな甘いものとは知らずに、
約1年半輸入ビジネスに取り組むことになる。
副業1年半で総利益は7万円???
上手くいくと信じて始めた輸入ビジネスは、
月平均にすると1万円も利益が残らない。
時給換算100円ほどの労働収入。
唯一の救いは、マイナスではなかったこと。
今現在の僕が、友人知人に話をすると、
「よく1年半も続けられていたな。笑」と。
しかし僕は、これで上手くいくと信じ続けてきたし、
これでしか会社を辞められないと思って続けてきた。
入社をして約2年、タイムリミットはあと1年しかないにも関わらず、
まだ月の収入は1万円。
このまま続けても、月に2万円くらいにしかならない計算で、
「どうしたものかなー?」と頭を悩ませていた時期であった。
事件は突然に
2012年12月
靴磨きを始めた2か月前のことである。
事件は突然起こった。(というより起こした。笑)
会社の仕事で、大きな責任を押し付けられる出来事が起こる。
僕は、約2年務めていて会社で出来るようになったことと言えば、
・責任を押し付けられないための証拠資料の作成
・僕の意見じゃなく、上司の意見だという証明の根回し
・変な仕事を押し付けられないための要領の良さ
こんな感じである。
「何の為にこんなことが必要なのか?」
「できるようになるとどんな良いことがあるのか?」
を考えると非常に虚しくなった。
誰の為にもならない、責任転嫁の技術ばかりを身につけて。
日頃から会社のやり方には悶々としていたのである。
そんな時に責任を押し付けられ、
社長直々に呼び出しにあった。
そして、全く心当たりのないことをあれやこれやと言われ、「違います」と言うと
「言い訳ばっかりしやがって!!」と言われる。
そして最終的には、「始末書を書いてこい!!」と言われるまで。
ここで、全く心当たりのないことでも、
「はい。はい。すみません。」と言えれば良かったのだろうが、
ここで自分の信念を曲げてしまうと、
≪何か自分の人生において大事なものを失ってしまいそう≫
そう直感的に感じ、「もういいです。」と社長室を出て、
すぐに上司のもとへ行き、「辞めます。」と辞表を出した。
社長を除く役員が全員集まり、僕一人(入社2年目です)と
10時間にもわたる説得をされたにも関わらず、
僕の口から出る言葉は、
「社長が頭下げるなら、考えますよ」という
今思えば、なんとも世間知らずで生意気な発言。笑
その翌日より僕は、引くに引けない状況になり
何としてでも輸入ビジネスを軌道に乗せるしかなかった。
転職しても、会社はどこも同じでどうせ同じ理由で辞めるくらいなら、
自分でビジネスを立ち上げるしか自分の生きる道はない。
ようやく、お尻に火がついた時期であった。
お金を稼ぐことはカッコイイことじゃない。
前の会社は、
辞表を出しても会社の都合のいいところまで引っ張って
必要なくなったら「もう明日から来なくていいよ」という会社で
当時は退職日を決められてはいなかったが、期限がないことは分かっていた。
なので、すごく焦っていたことを覚えてる。
1日でも早く、生活できるだけの収入にしなければ。
それでも、12月、1月は上手くいかず、
切羽詰まり過ぎて、ようやく自分を見つめなすようになる。
僕はもともと、
「カッコよくお金を稼ごう」としていた。
・カフェでパソコン片手に仕事をして、月に数百万の収入。
・たくさんの人に慕われて楽しく過ごせて、会社員以上の収入。
そういう状態を目指して、大学3年生から自分でビジネスをやってきた。
それでも上手くいかないのには、何か理由があるとは分かっていた。
そしてある言葉と出会う。
「お金を稼ぐことはカッコイイことばかりじゃない」
今でも忘れはしない。この言葉があるから今の自分がある。
「よし!誰もやっていない、誰もやらないことをやろう!」
輸入ビジネスは少しづつ伸びていっていたので、
それは続けながら、「靴磨き」もしようと覚悟を決めた。
やるからには、会社員の収入を得られるくらいの計画を立て、
キャラ設定もしたし、ビラも自分で作ったし、予約のできる仕組みも作って、
月に30万の収入をイメージして、本気で取り組んだ。
それまで、全く靴磨きに関して知識がなかったので、
本も買ったし、ネットでも勉強したし、道具も買って何度も練習した。
無我夢中だった。
「できなかったらどうしよう?」なんて考える暇がなかった。
「やるしかない。できなければホームレス」なぜかそう思えていた。
そして、2013年2月3日当日を迎える。
待っていたのは素晴らしい出会いの数々
当日僕は何度も諦めかけた。
・会社の人に会ったらどうしよう。
・警察に何か許可を求められたどうしよう。
・何かトラブルに巻き込まれたらどうしよう。
何度も諦めそうになったので、
・とりあえず行ってみるだけ。
・とりあえず座ってるだけ。
・とりあえず声掛けてみるだけ。
と、できることだけを一つずつやった。
朝8時に行き、約2時間ほどずっと座りっぱなしでいると、
真冬に、スーツ姿(普通じゃ面白くないと思って)で座ってる僕に、
一人のおばあちゃんが声を掛けてくれた。
「何をしているの?」声を掛けて話をしてくれるので、
「全然暇なんで、ここでも座ってください。」とイスを差し出した。
「それなら靴を磨いてもらおうかな」と初めてのお客さんを取れた。
これは凄くうれしかったし、安心した。
やればできるんだ。
しかし、この出会いがお金以上に嬉しい出来事をもたらしてくれる。
このおばあちゃんが、実は元々経営者さん。
「僕も自分でビジネスがしたくて、靴だけじゃなく自分自身磨いています。」
と話をしていると、すごく可愛がってもらえた。
実はこのおばあちゃん、今でもつながりがあり、
よく家に泊めてもらったりもする。
そして、おばあちゃんの家に行くといつもいろんな経営者さんを紹介してもらう。
先日も行ってきたばかりなのだが、本当によくしてもらっている。
おばあちゃんと出会って、約2年ほど経った時に、
おばあちゃんが主催するパーティに呼んでいただいたこともある。
50人ほどの会場で、年配の経営者の方ばかり。もちろん僕は最年少。
誰一人知らなくてポツンとしていると、
「靴磨きの子よね?」といろんな人に声をかけてもらう。
あげくには、
「おばあちゃん、誰にでも君のことを話してるからみんな知ってるよ。笑」
とまで言われた。
勝手におばあちゃんが僕という存在を広めてくれていたのである。
僕は誰も知らないのに、相手は全員僕のことを知っている。
人生80年生きていても、なかなか経験できることじゃない。笑
靴磨きも約2か月続けたが(物販の方が上手くいった為)、
本当にいろんな経験ができた。
・ホームレスの人に憐れみを受け、飴玉もらったり
・ちょっと子供が珍しそうに僕に近寄ると、
すごい勢いで謝って、子供を引き離そうとするお母さんがいたり
・ロシア人のお客さんと仲良くなれたり、
・同じ路上販売の人と仲良くなったり、
普通じゃ経験のできないことばかりだった。
この靴磨きの経験をしてから、
靴磨きの方は一日働いて(8時から20時まで)、5000円くらいだったが
この時から物販の方がすごく順調にいき始めた。
何が要因だったのかはわからない。
でも要因と思えることはたくさんあった。
①本当にホームレスにはなりたくなかった。
②なので、覚悟が決まっていた。
③おばあちゃんと出会えたことで、
何もない僕を応援してくれる人になんとか恩返ししたかった。
などなど
今現在では、2社ほど経営するようになり、
物販の会社は1年目で年商億まで到達するようになり、
もう一つの会社は半年で、従業員約40名までになった。
おばあちゃんに会った時にいつも報告すると、
自分ごとのように喜んでくれる。
本当に頭が上がらない想いである。
今思えば、僕の原点は「靴磨き」
あそこから、すべてが動き出した。
今でも、あの梅田の歩道橋の場所へ行くと凄く感慨深くなる。
人間、最底辺を経験すれば意外と何でもできるようになる。
変なプライドを守るよりも、一度捨ててしまうことで、
今までの自分を変えることもできると体感してわかった。
そんな普通の人が体験していないような出来事、
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よかったらぜひ読んでみてください^^
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