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15/7/31

映画のつくり方を、僕がこれからも伝えていく理由。

Image by Olia Gozha

あれからもう、ずいぶんと、年月が経ちました。



* * * * *



「私、どうしても作りたい映画があるんです!」


その女性のあまりにまっすぐな視線に、僕は思わずたじろぎました。


「どうしても、どうしても、作らないといけないんです!」




赤坂のTV局そばの喫茶店に、僕はいました。


道路に面した窓は開放的で大きいけれど、

外はすっかり薄暗くなっていて、

なんだか喫茶店の中に閉じ込められているような感覚でした。



これから寒くなっていく、という季節。

しとしとと雨が降り続いています。



ちょっと断れない相手に、僕は突然呼び出されたのです。


「久しぶりにね、少しだけ会いたいなあと思ってね」



それなりに忙しく生活していた僕は、

しぶしぶ赤坂の指定の喫茶店に顔を出しました。


そこには、呼び出した張本人と、その隣に

真っ赤な服を着た女性が座っていました。



30代中盤くらいの、地味で小柄な人でした。



僕がカルフの名刺を差し出すと同時に、彼女は言ったのです。


「どうしても、作りたい映画がある」と。




正直、僕はじんわりと嫌な気持ちになっていました。

呼び出された理由が分かったからです。



こいつに頼めば、なんとかしてくれる、

そんな風に言ったのだと、分かったのです。



当時の僕は、ただ、映画を作りたいだけの人間でした。



自分の頭の中に企画があふれかえっていて、

それをどうするか、だけ考えて生きていました。



彼女は続けます。


「これを見てください」


そう言って取り出したのは、分厚い書類。

きちんとタイプされ、写真もふんだんに使われています。


映画の、企画書でした。



僕は、言われるがままにパラパラとめくりました。



タイトルも決まり、登場人物も書き込まれ、

ロケ地候補も決まっているようでした。


彼女は、設定や映画のテーマについてよどみなく話し続けていましたが、


僕は上の空でした。



僕は、自分が作りたいだけであって、他人の映画なんかに興味は無い。



何度か口に出しそうになりながら、

それでも黙って聞くとも無しに聞いていました。


間を取り持った人物の手前もあります。


同時に、仲介した人物にもイライラし始めていました。


俺の時間を、返してくれよ。




ふと、彼女の言葉が止み、視線を感じたので顔を上げます。


この企画、どうですか?


口にしないまでも、彼女の目は明らかにそう問うています。



ロケ地を見るだけでも、日本を半分くらい移動しなきゃいけない。


とても無理だ、と思いました。



でも、無理です、と言う代わりに、

「アドバイスならできますよ、いつでも連絡ください」

と僕は言いました。


そう言えば、この場から早く解放されると思ったからです。



帰りがけに、彼女は握手してください、と言いました。


片手を差し出すと、彼女は両手でがっと握り、

目をうるうるさせながら言いました。



「私は今、人生で一番幸せなんです」


「ようやく、私の一番大きな夢をかなえてくれる人に出会えたんです」



外に出ると、来たときよりも雨は強くなっているようでした。


傘をささないととても歩けない。


夜空を見上げて、少しうんざりしていました。




その夜すぐ、メールが来ました。


「私の一生をかけた夢をかなえてくれる人に、ようやく出会えました。

 興奮して寝られません。」


僕はそのメールに返事をしたかどうか覚えていません。

返事をしなかったかもしれません。


じわじわと、フェードアウトできればと考えていました。




しかし数日後、今度は電話がかかってきました。


あまりのしつこさに少しいら立った僕は、その企画が難しい点を指摘しました。



「あの、どうしてもダメなんでしょうか。お金なら何としてでも集めます!

 どんな苦労もします!」



その後も、メールと電話は続きました。


正直、重くしか感じられませんでした。



企画の弱点を一つ一つついていっても、

彼女はがんばります、の一点張り。


「私、これを作るのが夢なんです。

 どうしても、どうしても作らないといけないんです!」



電話の向こうで追いすがる彼女に、僕はとうとう、


どうしても受けられないですごめんなさい、


とはっきり告げて無理矢理電話を切りました。



そして、


電話を切った後、ものすごく落ち込みました。



その後何年経っても、僕はこのことが頭から離れません。




僕が無理矢理電話を切る瞬間に、


電話の向こうで一瞬息を吸い込んだ、


あの彼女の絶望感を考えると、吐きそうになります。




自分に、人の大切な夢を壊す権利など、ない。




僕には、その人が言った


「作らなきゃいけない作品があるんです」


という気持ちが、痛いほど分かるんです。



当時も、分かっていたはず。

なぜなら、僕自身、


「どうしても作らなきゃいけない」作品をいっぱいもっていたから。



お金を使って、制作会社に頼めばいい、

そういうことではないことも、よく分かるんです。



なのに僕は、拒否をしてしまった。


自分にはできない、と決めつけてしまった。




その後じわじわと、いろんな人から求められるがままに

映画のつくり方を伝える活動を始めることになります。



それは僕が、

映画について詳しいから始めたのではない。


教える立場が心地いいから、

何かに都合いいから始めたのではない。




今の僕は、

自分の作品を作るのと同じくらい、


多くの人が「自分の映画」を作れるようになることを大切にしています。




僕が映画のつくり方をアドバイスをするときにいつも頭に描くのは、


あの時の赤い服を着た女性です。



どうしても、どうしても作りたい、自分の映画を持っている人です。




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