top of page

15/7/20

244gの我が子が教えてくれた事 2

Image by Olia Gozha

仕事場から自宅まで、息子を拾って帰宅する。ひどい雨の日だった。

いつも通り家事をして、息子の世話をして何気なく横になった。身体がだるいなあー。昨日は初めて胎動を感じたけど今日はないなあ、、。そんな感じでウトウトする。

1時間後、腹痛で目が覚める。食器を洗わないといけないと思い立ち上がった時異変に気付いた。自分の周りは水浸しだった。咄嗟に〜破水した〜と理解する。医療従事者の自分にはそれが尋常でない量だと感じていた。「あのさ、赤ちゃんもうあかんかも」息子にそれだけ伝えていた。どうする事もできず、実家に電話し駆けつけた妹の車で病院へ向かう。病院につく頃には定期的に陣痛が到来していた。

うーん。エコーを見て首をかしげる当直医、その周りの険しい表情の看護師。「お母さん、妊娠の継続は難しいです。赤ちゃんはもう産まれてきます」医師の言葉が頭に入る。もう無理だとわかっていてもどうにかならないか?と思ってしまう。いや、この人がこう言うんだからどうしようもないんだ。グチャグチャな思考回路のまま「はい」とだけ返事をする。そこからは点滴、分娩台、、、。小さな咳をした瞬間、何かが下を通った。産声もない小さな我が子だった。

ただ、ただ泣いた。自分のせいだとおもった。情けない話、助産師さんに促されるまで我が子を直視できなかった。

244g、24cm、ちいさな、ちいさな我が子は白いガーゼの上で目を開ける事もなく静かに確かに生きていた。心臓は動き続けているのに助ける術がない。仕事途中に駆けつけた旦那の手のひらで1時間後に息を引き取った。18週6日一緒に過ごしたのに、生きているうちに手のひらに抱いてあげる事すらできなかった。「ごめんなさい、ごめんなさい」そうやって、誰彼構わずにただ謝る事しかできなかった。「よく頑張ったな」旦那の一言。気丈に振る舞っているのに、目は真っ赤だった。

その日は特別に産婦人科病棟に旦那も泊めてもらった。私の感情は哀しみに占拠されて息もできないほど泣き続けた。一睡もできずに次の日を迎えた。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page