初めまして。
自分はゲイです。
ゲイ名で拓人(たくと)という者です(・∀・)
本名は貴裕(たかひろ)ですが、もう12、3年拓人と名乗ってます。
なので、みんな拓人って呼んでくれます。
本名を知ってる友達も拓人と呼んでくれます。
かつてmixi全盛期に、ゲイ専用のSNSが幾つかありました。
その中で活動をしていて10,000hitsした時の記念に、10,000字ぴったりで書いたものを最近見つけました。
2006年10月8日とあるので、今から約10年前のものです。
そこに書いたのは、自分が自分はゲイであると自覚をしていく話。
ゲイとして人生を生きていくと決めて、それからほんの少し経つまでの話です。
いろいろこっ恥ずかしいし、表現もちょっと過激なものから分からない人には一切分からないような超婉曲なものまであります。
でも敢えて原文のまま載せてみます。
ゲイの人生ってこんななんだなぁって、一人でも「へぇ」と思ってもらえたら嬉しいです笑
では、10,000字という超長編ですが、最後までお付き合いください。
2015.7.19 對馬貴裕 a.k.a. 宮城拓人
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きっかけというのは無い。
いつの間にか「見たい」と思っていた。
事有る毎にちょっかいをかけたりはしていたけれど、昔から奥手というか、型を破れないコだったから手は出せずだった。
そう、女の子ではなくて男の子に対して湧く興味の方が大きかった。
波乱万丈な幼稚園時代を経て小学校に入学。
すぐに同じクラスのコ2人が気になり始めた。
かなり気になっていて、でも気付かれたくなくて、ちょっかいがある種いじめみたいになってしまっていた。
でも先生の前ではイイコだったから、周りのコからしたら厄介なコだったと思う。
クラスが変わる度に可愛いコを見つけては追い回す、ようにはならなかったけれど。
でも必ずマークはしていた。
スイミングスクールに通い出してからは、タイプど真ん中のコに目をつけて執拗に追い回した。
プールの中ではかなり大胆で、隙有らば触ったり…。
おかげでそのコには思いっ切り嫌われた。
けど、中学に入ってからそのコが同じ部に入部してきて…気まずい2年間を過ごした、と。
話は戻って。
初めては小4 。
それまで穿いたことのなかったトランクスを穿いて寝て、夢の中で。
その時は普通に漏らして、トランクスの糊でべとべとになったのかと思った。
それを無邪気に母ちゃんに報告したオレ。
でもそういう話の授業を受けた後に、図書館で読んだ本でその“お漏らし”の正体を知って「言っちゃった…」と後悔した。
当時は本当に何も知らなかった。
親とも友達ともそういう話をしたことがなく、知識はほぼゼロだったからだ。
しかしそんなワケで、生えるのも周りのコから比べたらかなり早かった。
声もさっさと変わった。
多感な年齢のオレにとって、泊まりがけの行事は一大事だった。
周りはまず生えてないから一人だけ浮いてしまうのだ。
焦って思いついた方法は…。
それで何とかその場は凌げるけど、やはり興味の的になるのは当然のこと。
興味を惹き過ぎて、嫌な目に遭うことがよくあった。
だからそういう話をするのにはずっと抵抗があった。
ただし、その分誰にも聞けなかったから自分で色々と情報は集めていた。
その頃から妄想癖があったということになるのかと思う。
中学に入ってからもクラスのコをチェックするのは変わらなかった。
そこは3つの小学校が集まってくる所で、今まで見たことないような可愛いコがたくさんいた。
仲良くなりたいと思うけれど、それは今で言うSっ気にまで昇華され発揮されて、結局仲が悪くなることがほとんどだった。
仲が悪くなるというか、怖がられると言った方が正確か。
勿体無い!
でも、その時目を付けたコと2回目の初めてを経験する。
触れ合っただけだけれど。
ほとんど事故で、周りに大勢クラスメイトがいたのにも拘わらず誰にも見られなかった。
本人達はというとお互いにびっくりしたように時間が止まっていた。
そして話題にもせずさらっと流して終わった。
今思えば青春の1ページ。
3回目の初めては中1。
シャワー使用。
まさに目の前が“真っ白になる”という体験だった。
それから少しの間はシャワーを使っていたけれど、時間も水も使うので怪しまれるだろうという判断から断念。
場所をトイレの中へと移していくことになる。
そうなるともちろんシャワーは使えなくなる。
手ですることを覚えるようになっていくことに。
最初は痛くてダメだった。
でもだんだん慣れてきて…。
高校は地元でも有名な男子校に入学。
噂はごくたまに聞くだけで、実際には何一つ経験できなかった。
その代わり。
駅前のファッションビルが改装されてできた大きな本屋さんに入り浸るようになる。
そこには今まで踏み入れたくてもなかなかできなかった未知の世界が広がっていたから。
コミックコーナーの一番奥にあったのは、“耽美”のコーナー。
その時はまだ立ち読みし放題だったから、どんどん手に取っては興奮して…を繰り返していた。
勇気を出して1冊買ってからどんどんハマっていった。
一時期5冊くらい持っていたのではなかったか。
バレるとマズいから、カバーを裏返しにして、鍵のついた引き出しのできるだけ奥に締まっておいてた。
高校に入ると、週1というのが習慣というかルールになっていた。
その度に鍵を開けては禁断の世界に耽っていった。
ちなみにそのうち、前だけでは物足りなくなり、後ろにもどんどん興味が湧くようになる。
後はご想像にお任せ。
唯一後ろに関するエピソードがある。
高2の確か冬。
中間試験の最中。
その日は試験1日目で早く帰ってきて勉強をしてた。
だけど、ふとイキヌキしようと思った。
その時はもう普通に使えるようになっていたから、頑張って昇り詰めたワケで。
それはもう、頑張り過ぎてコトが済んでも体がうずきまくる程に。
「こんなに凄いんだぁ」と感心しながら再び勉強に戻るものの、一向にうずきが収まらない。
もしやと思って体温計を探して、待つこと数分。
発熱していた。
その後3日間にわたって激しく高熱にうなされて、目の前が黄色くなる程強い注射を打たれて、ようやく回復する。
医者には、後ろから自分を慰めた直後に発熱した等とは言えるはずもなく、とにかく原因不明の発熱として処理された。
後から友達を介して医療関係の人に聞いたところ、そんなコトをした後に発熱するという症例は無いらしく、たまたま疲れが重なっただけなのでは?という結論になった。
で、さらにその後に聞いた(というか読んだ)話によると、女の子で初めての後には発熱するというケースがあるらしく、自分の時もそれと似ていたのか?
と今は思っている。
話は少し戻って、高2の夏。
家と高校の中間地点に、今まで知ってるものとは違う本屋がオープンした。
半分以上が読者を18歳以上に限ったもので、本だけではなくDVD等も取り扱っていた。
イロイロある中に、あの分厚い雑誌も並んでいた。
行き着けの本屋さんにもあったことはあったけれど、店員さんは顔見知りだったから立ち読みもできず、買うこと等有り得ない状況だった。
そういう時に見つけた雑誌だったから、こそこそ立ち読みをしに行っていた。
この時にはまだ買うまでには至らなかったのだが。
ただ、どうやら市内にその世界の商品を扱うショップがあるらしいという情報を掴んで、行ってみようということになった。
真夏の休日。
まずはその本屋に行って雑誌の後ろにある広告ページで確認。
即移動。
最初は確か探し回っただけでたどり着けなかったんだと思う。
何度目かの挑戦で発見して侵入に成功する。
目の前にはイロんなグッズがにょきにょきと並んでいて、それだけでドキドキした。
さらに平積みされた各種雑誌に立ち並ぶビデオ。
表紙やジャケットを見るだけで今まで味わったことの無い高揚感に襲われた。
そんな空間にガンガンと流れる“LOVE マシーン”や“ガタメキラ”…。
当時は歌ってる人達の名前等全く分からなくて、その歌を聞くとショップにいるような気分になったものだった。
頑張り過ぎて腰を壊した高3の夏。
何で頑張り過ぎたのか。
テニスなのかそれとも…。
大学受験を控えていたけど、どんどんやる気は無くなっていき、違うやる気だけが徐々に膨らんでいってたような気がする。
その“気”を晴らすべくショップには結構通い詰めた。
雑誌を買ったりビデオを買ったり。
2度程ショップを出たところで声を掛けられて、めっさキョドって逃げたこともある。
当時は本当に純粋だったから。
で、4回目の初めて。
これがはっきり思い出せないのだけれど、たぶん19の冬だと思う。
結局現役の時には受験を失敗して浪人していた。
部活の友達もほぼ皆浪人していた。
そんな2年目の受験の打ち上げで後輩を引き連れて『北の家族』に美味いビールを飲みに行った時だったと思う。
当時にしては気持ち良く酔っ払って、気持ち良過ぎてムラムラしてきていた。
どうにかして周りのヤツらより早く捨てようとその時心に決めたのだった…。
で、相手を探して………。
その時は前も後ろも済ませて、さらに発射スイッチまで見つけてもらった。
意外にあっさりとした初めてだったような気がする。
そんなこんなで、ずっと一人の世界に閉じ籠ってた時期も終わりを告げることになる。
めでたく合格した大学ではタダでインターネットを使いたい放題。
最初は好きな画像探しから始まった。
見つけた画像は何度も同じサイトへ行っては見ていたが、そのうち保存をしたくなるのがオトコの常で。
学校のプリンタ使ってそういう画像を印刷した。
プリンタが調子悪くて止まったりするとかなり焦った。
そのうち画像掲示板だけではなく、スレ式の掲示板に移っていった。
そしてそこで初めて友達というか知り合いを作ってみようと思い始める。
当時はBJとMNが盛り上がっていた。
KOはまだ駆け出しで、CBはできていなかった時代のこと。
投稿。
今考えると恐ろしいことだけれど、当時はサブアド等知らなかったから大学から貰うアドレスで投稿したのだった。
おかげで同じ大学の人やアドレスを見て大学が分かる人からどんどんメールが来た。
最初ということもあって本当にテンパった…。
削除依頼を速攻で出した。
そこでメールをくれて、ある程度続いたのが3人。
タメ1人と年下2人。
一番仲良くなれた(と思った)のがタメの人で、同じキャンパスに通ってる人だった。
『根っこの部分が繋がってる』人と話せるのがすごく嬉しくて、ひたすらメールをした。
コンビニの夜勤中に 5,000字近いメールを送り合ったりしていた。
で、いよいよ会ってみようか、ということに。
ドキドキドキドキ。
イロんな話をしていたから本当にドキドキした。
で、会ってみると…。
今思えば違ったんだろう。
だからこそ拒否したんだと思う。
当時はまだ厚い壁を周りにそびえさせてたし、そういう態度は相手からしたら、“メールと印象が全然違う”と映ったらしい。
相手は物凄く傷付いていた。
オレはそれが辛くて何度も何度もメールで謝った。
そのうち相手を励ますようになった。
返事が来ないのにとにかく一方的にメールを送って話しかけた。
繋がりを失いたくなかったから。
いや、そうじゃなくて自分が相手を騙した悪いヤツというイメージを振り払いたかったから。
でもそれは当然逆効果で、相手はどんどん冷めていった。
結局壊れた仲は戻らなかった。
ちなみにその人に連れられて、入ったFORUSで初めて29に足を踏み入れた。
そして510さんに接客され、ワイヤー入りフーデッド中綿ブルゾンに一目惚れ。
20,000円。
"Hybrid Theory" という今ではレアな物だとY吹さんから聞いた。
さて、他の2人とはどうなったのか。
これが凄い。
最初に会った人とその2人というのが3人とも元からの友達だったのだ。
元恋人同士がいたり、同居してる人同士がいたりするくらい仲が良い人達で。
そこにオレが飛び込むような形になっていた。
うまくいくはずが無い。
凄まじくぐだぐだでどろどろな時期がずっとずっと続いた。
その時ノンケの友達には「顔が死んでる」と見られていた。
初心者で一匹狼のオレと、こっちの世界に慣れていた仲の良い3人組の意識の差がそれだけ大きかったということだったのだと思う。
相手は悪くない。
向こうの反応は今考えると当然だから。
ただオレの考え方が妙に重かっただけ。
初めて入った世界に対する期待が大きかっただけ。
そうやって3人とも自然と疎遠になっていった。
そんな時に知り合った1人の人。
彼は看護師をしていて、タメだったはず。
確かB型。
メールしていて不思議な人だなぁとも楽しそうな人だなぁとも思った。
会ってみると実際楽しかった。
振り回される振り回される。
あれがホントの一目惚れなんだろう。
でも彼、実は最初の3人組と知り合いで。
オレの中でまた話がややこしくなっていった。
その他にもその彼とはうまくいかないだろう点もあって悩んだ。
向こうはそれに気付いて距離を取り始めて。
そして焦って取り繕おうとして、失敗。
大失敗。
まぁ、向こうも向こうでやり手ではあったのだ。
だから仕方無いと言えば仕方が無い。
ちなみにその彼が穿いてたデニムが、実は29 。
初めて会ってパスタを食べに行った時に偶然知ったこと。
彼のデニムのジップのスライダーヘッドに29のネームがあった。
それでをじぃっと見ていた。
「この人もあの店に行くのか。」
29にハマり始めたのにはこんな理由もある。
最初はとにかくぐだぐだどろどろだった。
でも、この次に会う人達が今のオレを形作ってくれることになる。
かつて師匠と読んだ人。
人を好きになるってことを教えてくれたコ。
ダメなものはダメといつも導いてくれたママ。
師匠と知り合ったのは春休みだったと思う。
まだ例の3人とごちゃごちゃしていた頃、彼からメールを貰ったのが始まり。
メールを始めて次の日の朝だったか、電話をしてその夜に会うことになった。
雰囲気が違った。
とても落ち着いていた。
言葉を換えれば、濃かった。
話は面白かったし、オレが知らないことも色々知っていたから早いうちに仲良くなれそうだった。
そしてその日はそのままお泊まりした。
親には無断の外泊だったから、その後で大もめしたのだが。
その夜からオレは目覚めていくことになる。
色々教えてもらった。
方法とか考え方とか。
あのどろどろの時期に彼に会っていなかったら、オレは今こうはなっていない。
“師匠”と呼ぶはそういう意味で、だ。
その後、師匠とはかなり頻繁に会うようになった。
そしてある時彼の行き着けのチャットを教えてもらった。
当時はかなり盛り上がっていたサイトだったと思う。
そこには自分より年下のコがたくさん集まっていて、ある意味カルチャーショックだった。
そのチャットのメンバーに会いに、思い立って東京に行ったりもした。
相手は、軽く“付き合おうか?”みたいな話をしたコ。
もちろん年下。
彼は自分のカラダで生計を立てていた。
そういうこともあるとは知っていたし、とりあえず割り切って考えてはいた。
だけどそれだけではうまく行くはずがなく、その1週間後には連絡を取らなくなった。
そのチャットのメンバーの中の1人が ママ だ。
その人の話は、一番最初に付き合ったコの話と同時進行になる。
ちなみに師匠とは、結局お互いに対する見方がすれ違っていってしまい、地元を離れる時にはもう連絡を取らなくなっていた。
あのコは、今はSNSになった会員制のサイトに登録をしていた、確か地域最年少のコだった。
それでとりあえずメールを送ってみた。
きっかけはただ単に年下のコと知り合いたかっただけだった。
メールをしてすぐ、3月22日の夜9時半に返事が来た。
『ハジメマシテ☆よろしくぅ!』
彼には当時付き合ってた人がいた。
遠距離で未だ会ったことは無いという。
そして両親にカムアウトをしているとも聞いた。
その告白は怒りと共に拒絶され、『治せ』と言われているらしかった。
寂しくて、彼氏に会いたくて、と言う話を聞いた。
そのまま夜を明かし、通っていた自動車学校でもひたすらメールをしていた。
恥ずかしいなんて思いもせず、求めてきたことに応じてあげた。
正直最初は困っていた。
でも断らなかった。
その流れで付き合うことになった。
最初は好きだから、というよりは守ってあげなければ、という思いが強かった。
1つ約束をして初めて会うことにした。
若いからこその約束をした。
夜に電話でその話をして、その後メールになってから急に返事が来なくなった。
何をしても無反応。
それでもとにかく約束の日に彼の地元まで行った。
行く当てもなくふらふらしていると着信が。
そのコから。
前の夜にオレと電話やメールをしていたことが親にばれ、ケータイを取り上げられたということだった。
「今来てるけど会える?」
「うん」
待つこと数十分、ようやく初対面。
ちょっぴりおどおどしていて、実際の背よりも小さく見えた。
そのままオレの地元まで U ターンして、師匠の家で場所を借りて初めてのコトを済ませた。
帰りは新幹線の切符を買ってあげた。
何かあった時の為にと、何故か実家の住所とPHSの番号を紙に書いて渡し、たまたま持っていた小さな証明写真も渡した。
そうやって彼との9か月が始まった。
免許を取るまでは無理な会い方をして色々迷惑をかけた。
けど、晴れて免許を取ってからは毎週のように車で会いに行った。
夜も寝るまでメールをした。
『寂しい夜は同じ空に浮かぶ月を見よう』と、歯が浮くような約束もした。
"I Will Come to You"という歌がぴったりだった。
初めて人の為に涙を流した。
それだけ一生懸命な恋愛をしていた。
そのつもりだった。
でも、新しく始まった生活を楽しみたい彼と、少しでも傍に居て欲しかったオレとの間には温度差が生まれていった。
理由はそれだけでは無いけれども、会う時間は少なくなっていった。
そしてそんな時に親身になって相談に乗ってくれたのが ママ だった。
一番最初に知り合ったオネェさんがママだ。
チャットで仲良くなりメッセンジャーでも話をするようになって、ケータイのアドレスも交換した。
色んなことを経験した人だった。
その分たくさん教えてもらった。
励まされもした。
怒られたりもした。
オレはママの息子の一人で、そう呼ばれるのはすごく嬉しかった。
でもオレはママが助けを欲している時に何もできなかった。
しようとしなかった。
『元気?大丈夫?』という一言のメールすら送れなかった。
たくさんお世話になっていたのに、オレはその一歩を踏み出さなかった。
そしてママとは離れ離れになった。
最後に連絡を取った時、ママは地元に帰る途中だった。
あれからどうしているのだろう。
その少し前、一人暮らしをしようと計画していた。
アルバイトを掛け持ちして金を貯め、不動産屋を回って物件を探した。
そして決めたのが、あそこ、木皿ハイツ。
彼氏を呼びたかった。
泊まりに来てもらいたかった。
そう話した。
会いに来れないのが分かっていながら話をして、そして喧嘩をした。
無理なのは分かっていた。
けど、身体を交えることの悦びを知った時に始めた一人暮らし。
本当はあのコが良い。
その思いとは裏腹に勝手に反応する身体。
掲示板に載せて何回も人を呼んで夜を過ごした。
それでも好きなのはあのコだった。
その頃には離したくないくらいに好きになっていた。
好きだったからこそ傷付けたくなくて、言えなかった。
嘘がどんどん積み重なっていった。
もう駄目だ。
そう先に思ったのは向こうだった。
泣きながら電話をしてきた。
でもオレは冷めていた。
「ホントにいいの?」
と聞いてその時は思い止まらせた。
その後有り得ない関係を持っても、やはり隠し通してしまっていた。
そしてこのまま付き合っていてはいけないとはっきり判り…さよならを、した。
あの夜から9か月目のこと。
もう幾つ寝ると、という12月。
最後の思い出にと思って、彼の地元に行ってケータイのカメラでたくさん画像を撮った。
いつもの待ち合わせの場所、車を止めて暗くなるまで話をした場所。
そして終わった。
終わったはずだった。
けど、そのうち普通に連絡を取るようになって、結局3年間の学校生活の初めから終わりまで見届けてあげることになった。
その後新しく始まる生活の手伝いみたいなこともした。
これまでにそのコとの関係は二転三転していて、今は何なんだろう。
もうあまり連絡も取らなくなった。
でも彼はオレの中では大切な人だ。
オレの中ではいつまでもカワイイままだ。
そのコとの関係が一度切れて、次の恋愛が始まりかけた時のこと。
事件が起きた。
色んな人と会っていた。
身体の関係は特に無かった。
純粋に友達が欲しかったから。
そうやって知り合った人に、初めてゲイバーに連れて行ってもらった。
若い人がよく集まる、当時賑わっていたバーだった。
マスターはイカニモなオネェ。
でも実は実家がオレの家とかなり近かった。
とにかく話が面白くて、夜暇になると一人で飲みに行っていた。
そんなお気に入りのバーを舞台に事件は起こった。
事の始まりは、そのバーで開かれたパーティーだったと思う。
その時も一人で行ったオレの周りには年上しかいなかった。
当時22だったから当たり前と言えば当たり前のことだろうきっと。
でも余りの年上の多さに、「年下がいなくてつまらない」と友達にメールをした。
そう、きっとこれが全ての始まりだったのだ。
そのパーティーから少し経ってから、見知らぬサブアドからのメールが来た。
『(本名名字)君、ヤバいことになってるよ(笑)』
という内容だった。
誰なのか聞こうとして返信をしたがすぐエラーで戻ってきた。
不安になった。
そんなことが何度か続いた。
メールの内容はその行き着けのバーで自分が噂になっていて、他のお客さんから目を付けられているというものだった。
アドレスが毎回変わり、文面はどんどん悪質になっていった。
それでもバーには通っていて、マスターにそのメールのアドレスを見せてたりした。
メールが来た時にバーに電話をして噂になっているか確かめたりもした。
そんなことは起こってない、とマスターは言ってくれた。
だけどその間にも嫌がらせはエスカレートしていった。
とうとう大手サイトの掲示板に書き込みがされた。
オレになりすましての投稿で、ケータイのアドレスが晒された。
夜勤の休憩中、ケータイを見るとメールの受信件数が10数件。
内容は全く覚えのないものばかり。
色々探して原因を突き止めると、その1つのスレッドに20件も30件もレスがついていた。
全てオレのことを何も知らず、嫌がらせをする為に書き込みをした人からのもの。
当時運営していた自分のサイトに書いてあったことも誹謗中傷の的になっていた。
教育実習をしていたこと。
たまに鬱になること。
自分だけのことならまだしも、友達のことまで悪く書かれいた。
そのうち幾つものサイトになりすましの書き込みが広がっていった。
ありとあらゆることが公の場で晒された。
強迫めいた内容の書き込みも出てきた。
正直怖かった。
自分のことを分かってくれている人なら、オレはあんな書き込みをしないと分かってくれるはずだったので、安心はできた。
しかし、それ以上に不安が膨らんでいった。
当然、該当するサイトには書き込みの禁止や犯人の捜査を依頼した。
しかしあまりの書き込みの多さに管理者は適切な対応をしてくれなかった。
大学のカウンセリングにも行った。
当時は何の役にも立たなかった警察にも連絡をした。
その時は犯人は分からなかった。
その後消去法で考えていって、1通のメールと、1人の人物に行き当たった。
あの「パーティーつまらない」というメール。
そして一晩を共にしたある人。
メールを送った友達には、バーの常連の友達がいた。
その人達の“派手な”行動は話に聞いたことがあった。
そして知らぬ間にその中の1人とたまたま一晩の為に会っていたのだった。
その人しか知りえない情報が最初から分かっていたのに、あまりの事の大きさに気づいていなかった。
勇気を出してその友達に電話をした。
全てを彼のせいにして話をした。
言い掛かりだと言い返された。
しかし、その電話の後急速に書き込みはなくなっていった。
予測は当たっていたらしい。
本当なら。
その事件が起きた2か月後くらいに来る自分の誕生日のパーティーをするはずだった。
自分のサイトで呼び掛けをして、楽しく騒ぐはずだった。
バーのマスターにもお願いをしようと思っていた。
貸し切りはできるはずも無いので、そういう場を借りたいと申し出ようと思っていた。
しかし、事件のせいで全てが駄目になった。
そのままバーには連絡をしなくなった。
本当なら謝らなければいけなかったのに。
いつも楽しい話をしてくれたマスターに、迷惑をかけたお詫びをしなければいけなかったのに。
半年後、ようやくほとぼりも冷めた冬に、思い立って行ってみた。
バーは閉まっていた。
聞いたところによると、夏の終わりくらいに閉店したらしかった。
マスターが東京に行くということで閉めたのだとか。
でも確実にオレの事件が店を閉める原因になっていたはず。
あんなにいい場所を閉めなければならなくなる程の事件の中心にオレはいた。
オレは被害者でもあり、でも見方を変えれば加害者でもある。
たくさんの苦労を背負わされたのは、あのたった1通のメールだから。
あのメールさえなければ今オレはここにいないかも知れない。
ちなみに、前の彼氏はそのバーの最後の客だったらしい。
正真正銘の最後の客で、閉店の日最後に店を出たと聞いた。
マスターの話になると2人で盛り上がったものだ。
その前の彼氏とのことについては以前書いたので、興味があればそちらも読んで欲しい。
これが 拓人 のゲイとして歩んできた道だ。
こんな色々な出来事を経験して、それが全て今の自分に繋がっている。
何一つ無駄では無かった。
あなたがこれを読んでどう思うかは自由だ。
けれど、オレとの距離が近づく切欠になれば、と思う。