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15/8/8

売上どん底になりお店を閉める覚悟をした私が繁盛店に盛り返した話~前編~

Image by Olia Gozha

東京の片隅にある下町北千住。


マンションの一室を借りてエステサロンをはじめ早5年。


現在は数ヶ月先まで予約待ちで《予約のとれない人気サロン》とまで言われるようになりました。




しかし、私にも《どん底》という経営状態の時代がありました。

せっかく起こした株式会社を倒産させる覚悟を決め、一人で泣きました。

抱えた借金。沢山の怖い想像をしながら…。


今回のストーリーは、

”そんなどん底時代”から這い上がり、今の「幸せな経営状態」になれた経緯をお話ししたいと思います。



★*…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…*★




経営者仲間A「「賀葉さんのとこは間違いないね!」」


経営者仲間B「「いつも繁盛してるね!すごいね!」」


5年前エステサロンをはじめ、この5年間ずっとこの様に言われ続けてきました。


実際に詳しい経営状態を知っているのは役員に入ってもらっている主人しかいません。

周りから私の会社は、いつも”繁盛してる様に見える”様です。



いや、

私がそう見せているのかも知れません。




私は、絶対に守っている事があります。

それは《安定した笑顔でいつもいること》




サロンオーナーとして、

・情緒不安定であったり

・機嫌が悪かったり

・元気がなかったり

する事は、お客様を不安にさせる事に繋がります。




そして私の会社理念は『続いていく笑顔をつくる』です。

仕事において私が『笑顔』じゃない事は”私自身が許せる行為ではなかった”からです。




しかし私も、普通の人間です。

普通の43歳の女です。

経営がどん底となれば、不安にならない訳がありません。




具体的に言うと、

毎月の経費が100万はくだらない時に会社の通帳口座の残高が8万円になった時があったのです。



そう…

キャッシュが回らなくなり経営破綻しそうな状態です。





お客様の預かり金はちゃんとお返し出来る様に別で確保しておりましたから、そのお金が別途ありました。


「「このお金に手をつけたら終わりだ」」



そう思っていた私は、このお金を使う位なら、預かり金を全てお客様にお返しし、

覚悟を決めてお店を閉めよう!と思ったのです。




しかも、開業当初に投資した金額は300万円、その後、200万円のエステ機器購入のローンも組み、金融公庫から500万円の借金もありました。





お店を閉める覚悟をした時、

返済額の残りはまだキャッシュで300万円、ローンで200万円ほどありました。




つまりお店を閉めたら、500万円借金返済のためのアルバイトして返していくしかありません。




大好きな仕事を経営して500万円作る労力と、

アルバイトして500万円返していく労力では雲泥の差があります。




私は会社員時代に500万円貯金した経験すら無かったのでその困難さは容易に想像出来ました。

だからお店を閉めたら”恐ろしい地獄が待っているか”の様にも感じました。





何度も何度も役員である主人とミーティングしました。

夫婦である以上、家に帰ってもその話になります。






「私のやり方に口出さないでよ!私はブログだけで集客してきたのよ!」

主人「でもこんな状態なら広告だって載せるべきじゃないか?」

「言わせてもらうけどチラシだってお金がかかるのよ!」

主人「大体、お客様がいないんじゃスタッフのモチベーションだって下がるだろ!お客様に入らせてあげて初めて成長するんじゃないか!オーナーとしての責任だぞ!」

「じゃあ、どこの広告会社に頼んだらいくらかかってリターンはどれだけあるか調べてよ!全部私がやるんじゃない!私は忙しいのよ!勝手に言いたい事言わないで!」

主人「そうだよな・・口出ししてごめん・・。」


主人の言っている事は正しかった。

でも私はいつも強気で身内の主人に当たってしまう・・・

そんな自分にも嫌気がさしていました。



夫婦で同じ会社にいる事は、分かり合える”いい事”も沢山あります。



しかし、

家に帰っても仕事の話をしてしまいストレスがお互い溜まり”悪い事”も少なくありませんでした。






しかしある日、私は主人の”一言”で大切な事に気付かされました。





収支は、売上と経費のバランスです。


基本的に経費を抑える事よりも売上を上げる事を考えてきました。


しかし、この《どん底》の時期は経費を抑える事を考えざるを得ない時期でした。



「毎日、飾る生花だけどグリーンもあるし買うのやめようか・・・」



すると主人は真面目な顔で言いました。


主人「賀葉・・・・お花は止めないで。」





私は今もこの言葉を思い出すだけで涙が溢れます。

すべてが上手くいかなかったこの時を思い出す”一言”なのです。



「ごめん…大切な事を忘れてしまいそうだった。言ってくれてありがとう。」





私はサロン内の《気》をとても大切にしています。





開業時「なんかここの”雰囲気”がいい」とお店を決めた時も。


毎朝、今日いらしてくださるお客様や生徒さんを想い掃除する時も。


毎朝、グリーンに水をやる時も。


毎朝、生花を活ける時も。


毎朝、機械や化粧品を拭きながら「今日もよろしくね」と声をかける時も。


朝蜘蛛が顔を出し「あら、お久しぶり」と蜘蛛さんに声をかける時も。





いつも【ここ】が皆さんのパワースポットになる様に【良い気】が巡る事を忘れず仕事していました





そのはずの私が!!

ハッとさせられた事件でした。



僅かな経費のために生花を止めようとしたなんて…

私は大切なことを忘れるところでした。



しかし、それを忘れず続けたところで会社の回復は難しい状態です。



ここから一気に大逆転し、現在は借金返済全ての目処もたち、利益を沢山生み出す程になりました。その大逆転の方法は、「意外な事」でした。




後編に続く…










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