それは、デイビッド・リンチの映画を観ているような体験だった。
表現の全てにメタファーが込められていて、混乱を起こしてしまうほどの衝撃だ。
僕は現在、ITのベンチャー企業で働いている。
その日は立て続けに仕事が重なり、
ヘトヘトになって家路に着いた。
時刻は、深夜3時だった。
いつもより疲弊しきった僕は
家に帰るなりそのままベッドに横になり
気絶するかのようにすぐ眠りについた。
そして朝、目が覚めた。
誰かにふくらはぎを強くタップされながら。
同じ箇所を3回ずつ叩いてくる。
「おい!おい!」と低くて掠れた声が聞こえた。
僕が顔を上げて見ると、そこには1人の老人が僕を睨んで、立っていた。
汚い何色とも表現できない、使い古したポンチョ。
下には同じ状態の汚いスウェット。
前歯二本が無いらしい。
すべて白髪で、真っ黒に焼けた肌が
より白髪を際立たせている。
深く刻まれたしわは、眉間に強く寄っていた。
僕はむくんだ顔を上げたまま
呆然と老人を見てしまっていた。
僕の頭では現状をすぐ飲み込むことが出来なかった。
てか分かる訳ないじゃん。
分かる人いるの?ナニコレ
老人は睨んだまま言葉を放った。
「おめぇ、どこにやったんだ?」
「…え?」
「ここらへんにやったんだよ。ダイジなもんを。」
「…???」
僕の頭は意味不明ながらに回転を続けた。
何が起きているんだろうか。
僕はこの何かを探しているらしい老人と
面識があったのだろうか。
なんだっけ、おばあちゃんち今日泊まりに来たんだっけ。
会ったことのない、死んだ母方の祖父かな。
幼稚園のバスの運転手さんにちょっと似てない?
そうか夢か。そうでしょうね夢でしょうよ。
考えんのとかやめよ?やめとこ?寝よ?
「おい、おめぇなんとか言えよ!」
老人が僕に怒鳴った。
僕のいる場所は現実なんだと理解した。
やっと理解した僕には一つの疑問だけが
強く言葉になって飛び出した。
「どちら様ですか?」
「…」
「おい、おめぇなんとか言えよ!」
どうやら耳が遠くて僕の言葉が通らないようだった。
声を貼らなければ。
「おめぇ、どこにやったんだよ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!
一度家の外に出ませんか?」
「ぉぅ」
いいんだ。
出るのは全然OKなんだ。
「では、出ましょう。」
「ぉぅ」
僕と老人は玄関におもむろに向かい
外へ出た。
老人は靴下のまま外へ出た。
きっとその靴下は、靴と靴下のハイブリッドなんだろう。
外はもう明るかった。
鳥が鳴いている。
もう恐怖心のなくなった僕は尋ねた。
「お家はどのへんですか?」
「あっちの方だ。」
「ではそっちに行きましょう!」
「ぉぅ」
もうなんかよくわかんないけど大丈夫だ!
この老人、俺の言うこと聞いてくれるぞ!
ゆっくりと老人は部屋のドアの前の僕に
背を向けて歩き出した。
老人が歩き出したと同時に
僕は部屋に即座に戻り、鍵を掛け
これでもかという程の音を立てて、チェーンを掛けた。
一息付く間もなく
僕は部屋の物が盗難にあっているか調べた。
幸い過ぎることに、何一つ老人は僕の部屋から何も盗ってはいなかった。
時計の針は6:30を指していた。
僕が、ヘロヘロで戸締まりを怠ったその日、
おそらく徘徊していたあの老人が、片っ端から部屋を開けて回り
僕の不用心な部屋にヒットしたのだ。
これぞ運命と呼べる程の確率だ。
老人が何を探していたのかは
結局わからない。
大家さんに電話をして、このことを伝えると
戸締りを厳重注意された。
普通にめっちゃ怒られた。
当たり前だ。
だが過去この見ず知らずの老人が入ってきたケースは無いと言う。
まぁ、
当たり前か。
僕はその老人を
「ロストマン」と名付けた。


