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15/7/26

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。2話

Image by Olia Gozha

祖母の名はチヨ。



大正二年八月に、福島県富岡にある庄屋の長女として生まれた。兄と妹の三兄妹であった。チヨは学問に熱心な桃割れ髪のいわゆるお嬢様であった。しかし、チヨの父は昔かたぎな人で「女に学問は必要ない。」といって一方的に学問への道を閉ざしてしまった。そして、親同士が決めた許婚と結婚をさせてしまった。

しかし、チヨが結婚した夫には結婚する以前から付き合いを続けている人がおり、挙式をあげたその日から、ろくに家には帰らず愛人宅へ入り浸っていた。チヨが嫁いだ先はお茶屋さんを営んでおり、当初は馬引き達の休憩所でチヨは店の賄いも手伝っていた。周りからは「チヨさん、堪えてくれよ。」と言われ続けての結婚生活だった。


「馬引きとは、馬に人や荷物を乗せて運ぶ仕事のことです」

大正三年四月、馬引きの倅として寅清が誕生する。寅清が生まれてまもなく実母が病で亡くなり、祖母に育てられ、父の仕事の馬引きを手伝うようになる。ほどなくして、馬引き達が集まるお茶さんでチヨと出会い好意を抱くが、チヨはすでに結婚をしている身であった。が、そのチヨがとうとう夫の家を飛び出してしまう。繊維工場の事務職を世話してもらい、夫とようやく離縁する。

「当時は夫と離縁した娘が実家に戻る事はなかなか受け入れられなかったそうです。」

チヨの離縁を知った寅清は、チヨとの結婚を望むが、自分の家柄を気にして、学校の先生に形だけではあるが自分を養子にしてもらうえるように頼んだ。しかし、それでも、チヨの実家からはなかなか結婚の承諾を得る事が出来なかった。

 昭和六年、中国奉天の郊外、抑条湖において満州事件が勃発、昭和七年三月一日、満州国建国宣言があり、その翌年、国の皇帝に「愛新覚羅 溥儀』日本軍部により擁せられる。各地において日本軍部が制圧していく時代へと入っていくのである。

寅清は、馬引きの職を離れ陸軍に志願、いまだチヨとの結婚を許されぬまま戦地へ向かう。寅清は軍人になる事で身分の違いを覆したかったのである。数年の兵役を務め、除隊。晴れて二人は結婚する事になる。その後、茨城の日立に移住し、寅清は製作所で仕事をするようになる。

「当時は国に仕える職務は尊ばれたそうです。軍人もその一つでした。」

だがそれも、ほんのつかの間の事であった、おりしもその年、日本は日独伊防共協定に調印、時代は第二次世界大戦へと突入していく、寅清もまた徴兵という形で再び陸軍に戻り満州の黒龍江省(黒竜江省)へ送り込まれた。そこはアムール川近くロシア国との国境の町と呼ばれていた。


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