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15/6/24

んで俺は市に収容された

Image by Olia Gozha

市に手配された新しい部屋はいわゆる生活保護費をぼったくる施設だった

アパートの退去期限のほんの数日前に市から新しい住居を提供された。

いわゆる2種なんとか施設ってやつで低額短期入所施設という所だった。部屋の下見も出来ずもうそれしか選ぶ手段が無いようにうまくやられた。仕方なくと言うかもうそれしかなく契約しなければならなかった。

もちろん色んな他の手段も考えたし色々なコネも使った、が、結局色々と市政が絡むと誰も助けてはくれなかった。何度も海外を旅したこともあり海外に逃げてしまおうかとも考えたし、医者に入院させてくれ、とも頼んだりもしたが結局そこへ行くことになった。

家財道具を処分しろと市の職員は言う。何故だ?今迄ずっと暮らしてきた品々を何故処分しなくちゃいけ無いのだ!市の職員は維持出来ないだろうという。俺は考えた。レンタルボックスを借りて荷物を保管することにした、そんな施設には少しの間だけだろうと考えたからだ。だって俺は急な病気で手術を受ける前まで自分で店を持って商売していた個人事業主で店主であり店もそこそこ流行っていたしそれまでも自力で生きてきたわけだから。

で、施設に行った。とんでもない所だった。

とにかく無職なので生活保護を受けることになった。が、支給額は月に11〜12万程度、そこからその施設に部屋代やら共益費やら飯代やらで月に96000程度支給日当日に取られる。飯も市の最初の説明では3食出るとの話だったが朝と夜の2食でおかずが酷い。ご飯とインスタント味噌汁とおかずがメンマだけってな日もあった。部屋も6畳一間でトイレ風呂玄関は共同。それで家賃が保護費限界の46000円と来た。俺が20歳の頃初めて一人暮らしした部屋が26000円だったがそこより酷い。なのに46000円。

裏で市と業者が繋がっているのが見え見えだったが後にどんどんどれは確信になっていった。

もちろんそこには本当に行く場所がない孤独な老人で病気になってしまい退院後に働けず仕方なくそこにいるような人もいたが他には刑務所から出てきたばっかの人やアル中の人、うつ病の人、後はなんだかわからない人が色々いてもうメチャクチャな日々を経験することになった。

短期入所施設と謳っているがもう何年もいる人が半数はいたかな、総勢27人だったか?その程度のいわゆる寮というか昔の共同玄関のアパートみたいな感じかな。

で、俺は入所早々厨房を手伝ってくれないかと誘われた。俺の経歴に包丁を持つ仕事が書かれていたからかもしれないし、他の人よりはまともだと思ってくれたのかもしれない。やがてこれを受けたことが大きな意味を持ってくる。

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