また暇になった。前回の更新は2年半年ほど前、医師国家試験の時か。あれから国試を合格し、現在は初期研修を終え外科専攻医一年目。日々学ぶことはあれど、仕事が終わると手持無沙汰になってきて暇を感じる。やる事がないわけじゃないんだけど、なんだか心の中がすっぽりと抜けている感じがするんだ。
昔から一つの物事に熱中していないと落ち着かないたちで、暇を感じるとそわそわしてしまうかすべてが無駄で煩わしくなって寝てしまう。どうしようもないこの気持ちをなんとかしたい。でも怠惰を貪って、睡眠をし過ぎた時のあの頭がぼやける感じは好き。誰にも理解されないけど寝ることは趣味の一つとなっている。自分は自分の興味のある分野でしか生きていけないんだろうなと再確認する。
丁度将来の希望の科である心臓血管外科のローテートが終わり、現在はひと段落している。仕事が終わると手持無沙汰でやることがなく、何となく手術の練習をして虚しく一日を終える。手技の練習以外で何か新しい趣味を始めてみたいが、金もないので億劫になってしまう。時間を持て余したのでこの二年間ちょっとを振り返る事にした
医師として働き始めてもイマイチやる気は出てこなかった。患者を目前に、何もできないのは嫌なので勉強はしていた。特に急変時の初期対応はどの分野に進んでも必要となる可能性があるので、とりわけそちらを優先して学んだ。しかし、研修を通してはどちらかというとやる気のない研修医に区分されていただろう。自分の性格上、手技がある分野がいいと思い外科系の科目を多く回るようにした。特に鏡視下での手術に興味を持っていたため、暇な科をローテト中は一日4時間ほどラパロ(腹腔鏡の手術)の操作の練習をしていた。最初はかなりおぼつかない操作だったが、1か月も過ぎればそれなりに上達した。しかし外科のローテート中は術中操作として何かをするという事もなく、カメラ(内視鏡手術で術野を見せる役割)をもって過ごしていた。外科は興味は持っているが、実際に面白いのだろうか。練習をしていれば、何か役割が与えられるというわけでもない。練習も殆どしていない人でも、学年順で上から執刀の役が回っていく現状を見て思うものもあった。術者が展開と針の持ち替えをし直すたび、自分のやる気が削がれていく。短いローテートの期間の中で、修練医が同じようなミスを繰り返すたびになんだか虚しくなっていく。それに対して、自分は内視鏡のカメラ持ちとキンコウを引くだけの役割しかなく、退屈に感じる。結紮一つすら与えられないこの研修で、どのように外科医としての魅力を感じればよいのだろうか?何かに熱中してしか生きられない自分とは、外科は思ったより合わないかもと考えるようになった。将来はバイト医になって趣味に生きようかなと思いつつも、なんとなく手を動かすのだけは楽しくて毎日ラパロの練習を続けていた。オペ室にいる時間帯以外は毎日練習台の前に立っていると、ある日心臓血管外科の先生から声を掛けられて、そんなに手技が好きなら一度でいいからうちの科をローテートしてよと言われた。人口血管を渡されて毎日必ず練習しろよと伝えられた。当時は整形外科を回っている最中だったが、指導医に回ってくる研修医に手技はやらせないと言われたこともあって、あまり人工血管の縫合の練習に乗り気になれなかった。そのDr曰く、やりたい奴はやらせなくとも勝手に入局するからという話であったが、自分としては初期研修の短い期間のみで今後の働く仕事(手術)が面白いかも分からないのに厳しい外科科目へと進む奴は頭がトンだ奴しかいないように思えてしまった。現状頑張る必要なしとの判断で、やる気は失せていった。
しばらく時間が経ち、思い出したように先生が声を掛けてくれた。練習の成果を見てやるからやってみろと言われたが、その時はもう他の手技も含めて殆ど練習していなかった。血管吻合も言われてから一週間程度、一日一回だけなんとなくやったのみだった。思い出しながら吻合して見せたが、結果は酷いものだった。糸は血管内で交差し、ピッチもバイトも崩れていた。練習すればかならず上手くなるから、もっと練習するようにとだけ残し、先生は去っていった。気にかけてもらったのに申し訳ない事をしたと思い、再び練習するようにした。その日から一日最低一回は血管吻合を必ず行い、Timeを記載し早くできるように改善点を毎回考察するようにした。一か月後に再度見てもらった際、練習したなと褒めてもらい回ってくれれば必ずどこかで練習した成果を出せる場を用意すると言われた。心臓血管外科はハードワークなイメージしかなく、どちらかと言えば毎日昼寝をしていたい自分としては敬遠していたが、褒められたことが嬉しく直ぐに回りたいと伝えた。
ローテート初日、来週のOpeで胸を開けて貰うから(心臓手術の際に胸骨を割って胸を開く手技、通常医者5-8年目位の手技)と一言伝えられた。ビデオで予習しろよと言われ、手術の動画が入ったHDDを胸に押し付けられた。開心術を見た事もなく、電気メスすら触った事がなかったため当初は本当に自分が開胸をするとは思えなかった。手術をしたいとおもっていたが、先生の発言を受けて戸惑いつつも、あの場所に立ったらとても怖いんだろうと思うようになった。動揺する気を落ち着けるために毎日開心術のイメージトレーニングとビデオの復習を行った。当日大学から応援の先生が来て前立(助手の立ち位置で、手術をコントロールしてくれる役割)をしてくれた。話を聞くとどうやら大学の教授ということを知り、手は余計に震えたと思う。当初は開胸までと聞いていたが、ターナーソウで胸骨を切り終えると、そのまま心膜の剥離までするぞと言われ頭が真っ白になってしまった。初めて間近でみた、力強く拍動する心臓に気当たりしその後は殆ど覚えていないが、念のために人工心肺のカニュレーションまでは予習をしていたため取り上げられずに進んだみたいだ。その手術は冠動脈ろうの手術で、瘻孔を結紮するだけの簡単な手術のはずだったが、結紮を終え閉胸まで行ったところ、突然心室細動(VF)が出現し止まらなくなった。再開胸での心臓マッサージを行いながら体外循環の確保のため大腿動脈の血管確保が行われた。PVCからR on Tとなり、TdPを繰り返したのだ。不整脈がT派に重なると、脈が一瞬だけ伸び徐々にVT・VFへと移るのだが、モニターの音がジェットコースターの加速していくあの瞬間のように聞えたのをよく覚えている。自分が開胸を行った患者がなくなる可能性が目前まで見えたような気がして、怖かった。情けないが、せめて邪魔にならないようにと慌ただしく動くOpe室の端で狭くなっていた。再開胸でVFは落ち着き、手術は終わった。幸い合併症なく経過し、患者は元気に退院していった。VFがなんとか止まった際に、先生はあっけらかんとなんとか止まったね、怖かったろと話しかけてくれた。その時初めて我に返り、端で突っ立ていた情けない自分を思い出し、悲しくなった。自分は端で立っている事しかできなかったが、あの時間Ope室では、外科医はもちろん麻酔科医、オペ室看護士、技師と全ての人は役割を全うしていたのだ。自分の役割はなんだったのだろう、少なくとも端で立っている事ではないだろう。何を考えてあの時処置をしていたか先生に聞き、次あの場にいれば自分も何か一つでも手伝えれるようにと考えた。
翌日また来週胸開けて貰うから、と言われ前回の事があったため何処まで学べばよいかを聞いた。言われた所までは何度も見直しとシミュレーションをして、手を止めず、前立の先生に導かれながらやる手技にしないと思ったからだ。先生からの返答としては、いけるのならばどこまでもとの事だった。先週あんな事があり、研修医にこんな事を言うこの先生は頭のネジがトンでいるのではと思いはしたが、燃えない訳がない。その後入る手術は見たことが無くとも手術の手順を予習し覚えるようにした。手技が終われば動画でどんなに小さな役割でも自分が介入した所を見直し、問題点を挙げ、その問題点を改善に努めた。とりわけ先生が以前執刀した動画を用いて自分との比較をすることが、一番の勉強法だった。そのうち腹部大動脈瘤の末梢側の吻合の機会を頂いた。毎日やれば上手くなると言われてから、欠かさず練習はしていたが先生が行った対側の吻合時間の三倍近くかかって縫合した。出血はなかったが、自分としては時間がかかりすぎていたためひどい出来だと思った。後で質問をすると深部での縫合は、他の外科では少なく、それを意識して練習しないと難しいと助言を頂いた。その日から深部での吻合の練習ができるように環境を整備した。最初は箱のなかで縫う練習を行うだけだったが、それだとシミュレーションとしては不出来だと思い、胸郭に開創器を掛けた術野を再現できるようにシミュレーターを自作した。既に心臓血管外科のローテートを終えていたが、初期研修の間は毎日自作のBOXで練習をしてTimeと改善点を記載するようにした。当直の際は先生に借りた持針器と拡大鏡を使って、眠くなるまで練習した。続けてい行く中で深部での吻合もできるようになり、針の持ち替えも上手くなり、冠動脈のバイパスの練習なども織り込むようになった。日々の取り組んだ練習内容を、表に書き込むようにしていると、練習の成果が表れているように思え、少しはましになったかなと思っていた。
心臓血管外科のサマースクールと言われる、医学生~研修医を対象にした会が有り参加した。結構練習していると思っていたので、ちょっといい気になっていたかもしれない。バイパス・弁置換術・TARのDistal吻合など手技を実際に心臓の専門医から指導を受けれるという内容だが、ツーマンセルのPairに指導医が付く形だった。しかしこの時pairになった女の子を見て正直萎縮した。自分と同じく二年目の研修医であるが、臓器を扱う手つきは異様な程てなれており、自施設の大動脈弁置換術(AVR)の手順を完全に把握している。解剖についても少なくともその辺の専攻医よりは造詣が深かった。手技は丁寧で、展開も上手く、前立も自然にこなしていた。時間は意識していないのか、急ぐような姿も見せず、しかし終わってみると自分より早く手技を終えている。次元が違う彼女を見て、恥ずかしくなった。Wet labを終えて、講義を受けている最中に見知らぬ相手に恥ずかしいと思ったが声を掛けた。これを逃すと一生追いつけないかもと思ったからだ。話を聞くと、彼女も昨年位から心臓血管外科に興味を持って練習を始めたと話していた。大学の先生に指導を受け、月二回のWetLabをこなし、DryLabは毎日練習をしていると聞いた。話を聞いて、それはズルいぞと思い頼み込んでそのWetlabに参加できるようにしてもらった。その後は月二回、できるだけ参加し手技の向上に勤しむようにした。移動距離は数百キロ程度あるが、特に苦にはならなかった。彼女の指導医の先生は、遠く離れた処から来たサンダルにジャージ姿の自分を見て、当初怪訝な顔を見せたものの帰る時には次も来るなら気を付けていくようにと話してくれた。仕事の合間をぬい、毎月二回早朝に出発し、夕方まで練習し、夜遅い時間帯に戻ってくることを繰り返した。
帰宅しスクールで会った凄い研修医の話を伝えると、先生からはうちは田舎で周りに牧場沢山あるし心臓買ってきたら?と返してきた。直ぐに周辺の施設にコンタクトを取り購入までこぎ着けた。翌週から豚の心臓を使ったトレーニングも日課にした。彼女が月2回と言っていたので、取り敢えず週二回することにした。全てにおいて自分が劣っていたが、とりわけ縫合以外の操作(主にはさみと剥離の操作)と前立の能力が最も差があると思ったためその二つに重きを置いて練習するようにした。ハサミなどの縫合以外の操作はWetlabを通して獲得できると思ったため、前立の能力の獲得はどうしたらいいか考えた。ほとんどの手術は一人で行うことはなく、助手や2助手と協力して行っていく。この際に実際に執刀する術者より、サポートをする助手の方に実力が上の人が経ち術者をコントロールすることも多い。そのためうまい助手として立ち振る舞うには、術者の気持ちを知っておくことが前提となるのだ。そしてこの前立を上手くこなす事ができれば、実際に執刀したことがなくとも執刀するに値する実力がついてきたと判断され症例が回されるのだ(と先生が話していた)
また術者として上達するには助手との協力が不可欠であり、助手と一連の流れを共有しておく事とコミュニケーション能力が重要になると考えた。操作が難しいと感じた時に、それを言語化し、助手にどうして欲しいかを伝える能力が優れた術者に必要なのだとスクールでの経験で考えるようになった。一人で難しいと感じた場の展開を、自分の頭の中にあるイメージを助手に気づいてもらう必要がある。助手の手が止まった際に、イメージを共有できていないのか、手技難度で躓いているのかを知る必要がある。何でてが止まっているか分かれば、術者が手を止めて再度指示をするか、助手に任せて作業するかを決められるのだ。そんなわけで同じく外科に進みたいと考えている研修医を誘い、WetLabを行いながら前立を行い、彼らの助手の練習をするようにした。その中で自分が手技を行う際には前述の事を意識して相手に手を動かしてもらうように指示できるように練習した。初心者の彼らを上手くコントロールさせて執刀させることが、自分の技術のコントロールに繋がると考えた。また手術の動画を更に見返して、術者だけでなく助手の動きにも焦点を当ててビデオを見るようにし、彼らにその動きを再現できるように指示するようにした。日々のトレーニングは動画で撮像して、見直すようにした。
WetLabはできるようになったものの、冠動脈サイズのグラフトや弁はないため、中途半端な練習になった。ひとまずAVRは肺動脈弁移植する方針とし生体弁に見立てて糸掛けの練習をした。冠動脈に関しては対側の冠動脈を剥離して、バイパスするようにした。剥離の際の動作が伏在静脈の採取に似ているため、膜を意識して剥離の練習もすることにした。バイパスは静止下だと味気がないので、心臓が拍動できるシステムを胸部外科学会に上がっている論文を参考に作成した。昔からなんとなくプログラミングは勉強していたので、簡単な構文をイジるだけの電子工作は問題なく行えた。僧帽弁に関しては、置換は糸掛けのみで、他plolapseの様な比較的単純な形成を練習することにした。他大血管に対しての人工血管置換も練習し、胸部大動脈瘤(TAAA)・腹部大動脈瘤(AAA)の練習も行った。大学では解離・瘤どちらも、合併症がなければトータルアーチ選択する事が多いと聞き、Distalのかなり深い位置での糸掛けも意識して行った。とりわけ自分が早期に行う可能性のある、AVRとAAA、人工心肺の糸掛けの練習を主とし、前立に立てるように他の高度の手技にも取り組み術者の気持ちから助手としての動きへ繋げれるようになればと考えて練習した。練習することも楽しかったが、内容を先生へ報告するたびに凄いねとにやりと笑う先生を見るのが一番好きだった。
日常の殆どを手術の事を考えながら過ごしていた。その後再び心臓血管外科のローテートをすることになり、AAAで末梢の置換と下腸管膜動脈(IMA)の再腱の機会が回ってきた。かなりの努力を費やして前回より上手くはなったと思ったが、修行は足りず、満足の結果は得られない。手技自体は前立の先生の協力もあって行えた。末梢側の再検も以前の半分以下の時間で縫えるようになっていた。ビデオを見返し、以前よりもマクロな構造を捉えて手技に励めるようになっていた。Wet labのおかげで、血管の三層構造を意識しながら手技に励めた。二度目の血管吻合の経験であったが、緊張して手が震えたり初めての開胸のように目の前が真っ白になる事もなかった。前立の先生の発言も理解でき、自分の視野の中でどこを示して、どうするかを明確にくみ取れるようになっていた。しかし、後で自分の動画を見直すと恥ずかしくなるほどの欠点が見えてくる。成長したと思えば思うほど、先生の技と自分の差を理解し挫けそうになる。十分と思えた準備が、全然足りていないと気づく。その後再び改善策とトレーニング方法を考えて次の機会に向けて励む。手術が終わればICUに張り付いて患者を診て、その間もビデオの復習をしながら運針の練習をして過ごした。術後の造影CTで繋げた血管の開存を確認して、また嬉しくなる。
外科医は自分が考えられる最大限の努力を費やし、最大限のパフォーマンスを発揮しても救えない患者はいるのだろう。救いたくても、手術にすらたどり付けず亡くなってしまう方もいる。例え手術ができたとしても、合併症で難渋する方も多い。緊急手術が必要な症例で、執刀できるまで行ければ幸運で、回復して退院できるという事は本当に色々な方の支えがあって実現できているのだ。どれだけ備えても足りないのだろう。其の事を考えると、何か行動せずにはいられなくなる。楽しいとか、大変とか、疲れるとか、かっこいいとか、そういった感情や打算的な考えからこの分野に進みたいと思ったわけではない。あの日心臓が止まった患者を目前に、どうしたらチームの一員としてあの場で貢献できたのかと、必死に考えもがいてたらこの分野で外科医になる事しか考えられなくなっていた。手術が面白いかなんてまだ分からない。終わったあとは何時も放心して、復習するたび自分の至らなさを実感している。心臓血管外科医として働く事が本当に面白いかはまだ分からないのだ。おおっぴらには言えないがもともと患者を救いたくて、医者になったわけではない。実家が貧乏で、サラリーマンで手っ取りばやく稼ぐには何がいいか親に聞いたところ、医者と言われこの職業を選んだ。片親で苦労を掛けた親に仕送りをして楽をさせてあげたいし、子供ができた時にお金がないあのどうしようもない気持ちを味合わせたくなかった。そんな考えで医者になったが、あの日を境にこの道で頑張りたいと思うようになった。命を救って感謝されたい訳じゃない、ただあの場にいて何もできない自分が嫌で、何もできないと分かっているのにそのままにするのが嫌なんだ。当院の外科専攻プログラムのうち、心臓血管外科でのローテートは終わってしまった。大学での研修内容も刺激的な初期研修と違って、自分が何かするという事は残念ながらなかった。10年経とうと若手とも言われる領域であり今後も心臓血管外科医への道のりは長い。でもこの熱はまだ冷めない。
追記
読み返したらけっこう熱い事書いておりますが、ネトゲのリリース日のメンテ待ちで書いた文となっています。ゆるくがんばりたいと思ってます。ブループロトコル楽しみだな


