
うちの父は長崎出身のTHE九州男児。
見た目も性格も。
寡黙で真面目で照れ屋で、
でもお酒入ると熱弁し出して少し厄介。
そして、とても優しくて家族思いの素敵な父です。
私はお父さん子でした。
お風呂も父と入っていたし、
勉強も宿題も父にいつもお世話になっていた。
食べ物の嗜好や考え方も母より父とのほうが合い、
私の人生において、父はとても大きな存在です。
私の父が定年を迎えることを聞いた時、
45年勤続し家族を守ってきてくれた父へ
何か最高のプレゼントしたいと率直に思いました。
世界でたった一つの、家族にしか出来ない、
そんなプレゼントを、これまで家族のために
真面目に一途に頑張ってきた父にどうしても送りたかった。
そのプレゼント企画は、一番父を思う私にとって
全くもって苦でもなく、次々とアイデアがわき、
これだ!と思えるアイデアがすぐ思いつきました。
私たち家族にしかできない、そして私にしか企画・実行出来ない
サプライズプレゼント。
すぐに母親、兄2人に企画案を送り、早速実行に移しました。
そんな父は、長崎の工業高校を卒業し、集団就職の波に乗り、
東京の会社へ就職。
配属が横浜工場となり、そこの製造部で定年を迎えるまで45年間
勤続した。
途中海外転勤などもありましたが、それ以外は毎日そこへ通い、
景気がいい時は残業も多く、夜遅い日もありましたが、
総じて父の仕事が辛そうという顔はあまり思い浮かばない。
家に帰って、愚痴を吐いたり、ぐーたらしている姿はほとんどなかった。
逆に、いつも穏やかで(大河ドラマと将棋を見る時だけは神経質で
うるさくすると怒られましたが。。)疲れているはずなのに、
私の話をよく聞いてくれ、私が陸上部で毎日筋肉痛で疲弊していた時は、
私の足や背中をいつも揉んでくれた。
私もなんとわがままな娘なのだろうか、父の帰りを待ちわびて、
疲れているだろう父が帰ってくるなり、
リビングで寝転んで、「待ってたよお父さん!足揉んで~」と
甘えていた。
父は呆れながらも私がいいよと言うまで揉んでくれていた。
私が父の肩を揉むべきだったと社会人になって仕事の大変さを知った
今になって気づいた。。(もう遅い・・)
さて、そんな娘がそんな父にどんなサプライズを仕掛けたか、
全貌をお伝えします。
タイトル
「定年退職を迎えた父へ、
最終出社日の朝に自分の記事が
新聞になって届く感動サプライズプロジェクト」
定年退職のプレゼントって、何かモノを思い浮かべますよね。
でも私はモノでないものをあげようと思った。
プライスレスなものがよかった。
これまで、物心がついた頃から、父の日、誕生日、バレンタインデーには
必ず何かモノをあげてきたということもある。
もういろいろあげ尽くしていた。
定年退職という一生に一度のイベントに相応しい
モノのプレゼントというのはもう私には思いつかなかった。
では、プライスレスなものとは。
それは、お父さんにしかない人生の「思い出」「軌跡」だった。
しかも、会社の定年退職という点で、仕事という側面を入れたかった。
単なるこれまでの家族の思い出を振り返る写真や手紙だけでは
還暦祝いや結婚式の手紙にもなり得る。
そこで、頭に浮かんだのは、日経新聞の「私の履歴書」だった。
あの欄に登場する人物は、何か功績を残した人や社会的地位のある人であるが、
私たち家族にとってのそれは父だったから。
父をまるで何か偉大なことを成し遂げた有名人かのように、
新聞記事にして取り上げ、これまでの人生の軌跡を仕事の側面、
家族との思い出から振り返ることができるようにしようと思った。
しかも新聞のちょっとした枠ではなく、
一面を埋め尽くして。
※もちろん本物の新聞には無理なので
新聞そっくりに仕上げ、うちの実家が取っている
神奈川新聞に挟み込んでまるで本当に新聞記事になったかのように
しようと企んだ。
そんな長文を書くには、これまでの父のことを取材しないと無理だった。
この企画を思いついた時から当然そのつもりだった。
幸いにも私は企業の人事。
父に、「今仕事で、働く人を取材していて、20代~60代それぞれの
世代別に仕事インタビューを実施しているんだけど、
60代がどうしても身近にいなくて、お父さん協力してくれないかな」
と嘘の話で依頼した。
父は、娘の仕事を手伝ってあげようと快諾してくれ、
偽のインタビューは実行された。
インタビューは1時間半程度。
内容は下記。
①子ども時代のこと
②進学のこと
③就職のこと
④新人時代のこと
⑤会社での出来事・仕事のこと
⑥結婚のこと
⑦家庭のこと
⑧会社での昇進・チャレンジのこと
⑨定年をもう少しで全うする心境
⑩各時代の社会情勢
働きぶりや会社の事業のこと、職場での出来事、
家族とのこと、とにかく父が
今に至るまでの半生をあぶりだした。
これは、この企画云々とは関係なく、
私にとってとてもよかった。
父をさらに尊敬したし好きになった。
今まで知らなかった話が沢山あった。
そして母には写真集めに協力してもらった。
記事の内容に沿う下記の写真を用意。
・父学生時代の写真
・父入社式の写真
・活躍絶頂の頃の父の写真
・父の会社の商材写真
・父の結婚式の写真
・マイホーム購入時の写真
・子どもたちの写真
・父の妹との写真
記事の見出しは下記。
これらを全段記事にした。
<記事目次>
▼父の経歴紹介
▼○○会社一筋、45年に終止符
▼18歳で長崎から上京、63歳まで任期を全う
▼高度経済成長期の日本を支えた当時の若者
▼家族という財産と家族だからの苦悩
-家庭を築く幸せ
-子どもの成長
-父の両親の諸問題
-自身の病
-子どもたちの独立
▼会社・家族への感謝
▼子供達から父へメッセージ
▼妻から夫へメッセージ
いかにも新聞かのようにアレンジして制作するのは、
大変でしたが、三人兄弟で役割分担をし制作した。
「三人寄れば文殊の知恵」とは正にこのこと。
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企画・記事執筆 長女 私
デザイン・レイアウト 次男
制作・仕上げ 長男
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そして、渡し方も重要だった。
ただ記事を手渡しするのではなく、
実家が購読している神奈川新聞の朝刊に
本物の記事かのように挟んだ。
記事の裏面は、父の長年勤め上げた会社の全面広告にした。

父の最終出社日当日。
近所に住む兄が早起きして頑張った!
朝刊を配達する新聞屋さんを実家のポスト前で
待ち構え、新聞を直接受け取り、
作成した記事1枚を適当なところへ挟み込む。
そして、何事も無かったように、ポストへ。
後は、母がいつものように新聞をポストからだし
父へ渡すだけ。
(これは日常の動き)
何も知らない父は、いつも通り朝食を食べながらを
新聞に目を通す。
すると、自分について(それも半生にも渡る事細かな内容w)の記事が
新聞になっていて驚く!というシナリオです。
見事、想定通りの展開で、結果は大成功でした。
しかも、父がその記事に気づいたのは、
まず裏面の会社の全面広告だったとのこと。
「あれ!?うちの会社こんなでかでかと広告出したのか?!」と
不思議に思い、そして裏面を見たら、自分が!
「○○会社一筋45年に終止符」という見出しとともに
自分の写真がでかでかと出ていてそれは驚いたことだろう。
それを見ていたのは、実家にいる母のみ。
母の話だと、その後、記事をじっくり読みながら、涙していたとのこと。
そして、嬉しそうな顔をして、その新聞を持って最後の出勤に向かったそうだ。
その夜、父の定年退職祝いとこのサプライズの全貌を明らかにするため、
家族全員が実家に集合し食事会をした。
父は、その新聞を会社の皆にも見せて自慢したそうだ。
会社の皆も驚いていたとのこと。
でも父にとって、長年勤めた会社の最後の出勤日という
何ともやりにくい日にこうしたネタがあってよかったかもしれない。
父は、私の偽インタビューも全くもって疑っていなかった。
そんな父は本当に真面目で家族思いで素敵な人です。
これからはゆっくりと私たちを見守っていてください。

<あとがき>
これはもう4年も前の出来事です。(私もまだ20代。若い・・)
今回父の日ということで、このSTORYS.JPに記念に公開しようと思いました。
父はリタイア後、社会福祉協議会や民生委員などのボランティア活動をしながら元気に実家にいます。
今年の父の日は帰れないけど、来月7月の父の67歳の誕生日には帰省予定です。
終身雇用の時代ではもう無くなってきていますが、まだリタイアしていない親御さんを持つ子供の皆さんに、ぜひ参考になればと思って書きました。
ここまでは出来なくても、プライスレスの何かを贈ることってとても大切だと思います。
そして、親が当たり前に居るこの今がいつまでも続く訳ではありません。
悲しいことに時間は有限です。「いつか」ではなく「今」を大切に生きたいものです。 2015/6/21 永石和恵