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15/6/16

モテサク伝説

Image by Olia Gozha

茂木 耕作 (もてき こうさく)

性別 男

年齢 39歳 1976年6月6日

京都生まれ(六地蔵) 新潟育ち(新潟市 新潟小学校 寄居中学校 新潟高校) 

北海道大学 理学部 地球惑星科学専攻 理学修士

名古屋大学 地球水循環研究センター 理学博士

京都大学 水資源研究センター COE研究員

海洋研究開発機構 研究員


モテサク0歳 1976・6・6


モテサク1歳 1977


モテサク2歳 1978

三輪車でマンションの階段を降りようとして転落。

号泣しながらアタマから顔中が血まみれのモテサクを父がおぶって病院へ。

病院までの道のりで息が完全にあがった父を背中から励ます。

病院では血まみれのまま笑顔で治療を受ける。


モテサク3歳 1979

京都から新潟に引っ越し、三輪車を手放して、新車(補助輪付自転車)に乗り替える。

一日中、マンションの前の道路を時速10kmで往復し続ける毎日。

それは長く続かなかった。

スピード超過でハンドルが効かなくなり、コンクリートの塀に激突。

号泣しながらアタマから顔中が血まみれのモテサク、人生初の救急車に乗る。

三針塗った前頭部の傷跡からはしばらく髪の毛が生えなかった。

あさひ幼稚園に入園。


モテサク4歳 1980

あさ8時ごろに起きて(たぶん母が寝起き悪かった)、

朝ごはんを1時間以上かけて食べ(別にキライではなかった)、

10時過ぎに幼稚園にいく毎日。

さすがにモテサクよりも遅く来る子はいなかった。


モテサク5歳 1981

マキコちゃんと結婚の約束をする。


モテサク6歳 1982



モテサク7歳 1983

新潟小1年生。


モテサク8歳 1984

新潟小2年生。

アレルギー性鼻炎で鼻タレ小僧だったので、

同じ班の女の子にイジメられる。

汚い、コッチ来ないで、何やってんの、

鼻がたれてなくてもあらゆることを否定されて、

とても傷付く。

学校に行きたくないと思うようになる。

だけど、家では、なんでか分からないことでいつも怒られるので、

家にいるのも嫌で、どこにいたらいいのか分からないと感じる。

一人で海沿いの松林や近くのグラウンドで、

カマキリやバッタ、トカゲやカエルを探して回るのが、

常となる。

友達がいなかったわけじゃないけど、

仲の良い友達ではなかったんだと思う。

一人でいるのは、相対的に嫌じゃなかった。

イジメられたり、怒られたり、そんな心配をするくらいなら、

一人が楽だった。

でも一人でいるのは、漠然と寂しくて、

一日のうちほとんど何も話さずに過ごすような暗い子供だった。

たまに猛烈に寂しくて、父が早く帰ってきてくれないことを恨んだりした。


モテサク9歳 1985

新潟小3年生。

しつこくて陰湿だった女の子のイジメを先生に告発した。

イジメられなくなった。

さっさと言えばよかった。

でも女の子にイジメられてるなんて

すごく恥ずかしいことだと思って言えなかった。

言えないことを彼女は見透かしてイジメていたと思う。


そのとき少し明るくなったと思う。ほんの少しだけ。


高校野球に憧れて、父とのキャッチボールにハマる。

平日もカベを相手に、エースピッチャーになりきって、

日が暮れるまで投げ込む。

球はどんどん速くなっていくのがわかった。

自分が成長することの喜びを初めて意識した気がする。

父にも褒められた。

近所の兄ちゃんを相手に投げても打たれなかった。

オレはできるんだ、と思った。


でも、実はまだ「おねしょ」していた。

小2の息子がまだ「おねしょ」しちゃうのは、

絶対オレのせい。


モテサク10歳 1986

新潟小4年生


モテサク11歳 1987

新潟小5年生


モテサク12歳 1988

小学6年生


モテサク13歳 1989

寄居中学1年生


モテサク14歳 1990

寄居新中学2年生


モテサク15歳 1991

寄居中学3年生



モテサク16歳 1992

新潟高校1年生


モテサク17歳 1993

新潟高校2年生


モテサク18歳 1994

新潟高校3年生

盲腸を患う。

腸閉塞を患う。

意識が飛ぶほどの痛みで陣痛ってこんなかなと思った。


モテサク19歳 1995

北海道大学1年生 



モテサク20歳 1996

北海道大学2年生


モテサク21歳 1997

北海道大学3年生


モテサク22歳 1998

北海道大学4年生


モテサク23歳 1999

北海道大学院修士1年生



モテサク24歳 2000

北海道大学院修士2年生


モテサク25歳 2001

名古屋大学院博士1年生


モテサク26歳 2002

名古屋大学院博士2年生


モテサク27歳 2003

名古屋大学院博士3年生


同じ研究室の後輩と一軒家でシェアハウスする。

モテサク28歳 2004

京都大学防災研究所水資源研究センターCOE研究員に就職。


いまの妻と付き合い始める。


モテサク29歳 2005

海洋研究開発機構ポスドク研究員(1年目/任期3年)に就職。


いまの妻とオメデタ婚する。


長女が生まれる。


博士論文の内容が山本正野論文賞を受賞。

「水蒸気前線の発見」によって梅雨の教科書を書き換える。

と意気込んだがその後イマイチ広がらずに、

教科書には載っていない。

後に自分で本を書く際にまるまる一章を割いて、

研究におけるビギナーズラックの価値を訴える。


モテサク30歳 2006

海洋研究開発機構ポスドク研究員(2年目/任期3年)。


モテサク31歳 2007

海洋研究開発機構ポスドク研究員(3年目/任期3年)。


長男が生まれる。


モテサク32歳 2008

海洋研究開発機構研究員(1年目/任期5年)。


妻も同じ職場の研究員に採用される。


モテサク33歳 2009

海洋研究開発機構研究員(2年目/任期5年)。


モテサク34歳 2010

海洋研究開発機構研究員(3年目/任期5年)。


初めて書籍執筆の依頼を受ける。

ずっと書きたい、オレが書くべきだ、

と密かに思っていたが、

誰にも言ったことがないのにオファーが来てとても驚いた。

最初は、一冊の本のうちの”第4章”「梅雨前線の正体」

として10ページほどの執筆担当だと思っていた。

しばらくして下書き原稿を送ると、

「あの・・・全6巻シリーズの第4巻、

150ページ分を書いて下さい・・・」

有難かったが、途方に暮れて、

全く書けなくなってしまった。



車を買う。

とりあえず近くのトヨペットに見に行ってみるか・・・

と出かけたその日にポルテを購入。

駄菓子のように車を買ってしまい、

妻とともにしばらくマリッジブルーみたいになった。


モテサク35歳 2011

海洋研究開発機構研究員(4年目/任期5年)。


処女作「梅雨前線の正体」の原稿を

ようやく30ページほど書いてみたりするが、

全くしっくりこない。

誰に向かって書いているのか、

全然つかみなくなって、

30ページほど書いては、

全て捨てる、というようなことを繰り返して、

苦しんだ。


モテサク36歳 2012

海洋研究開発機構研究員(5年目/任期5年)。

6月6日「梅雨前線の正体(東京堂出版)」が発売。


モテサク37歳 2013

海洋研究開発機構研究員(1年目/任期5年)。

4月16日「天気と気象について

わかっていることいないこと(ベレ出版)」が発売。

NHK教育Eテレ・学ぼうBOSAIに出演。


気象学会SOLA論文賞を受賞。

「黄海高気圧の発見」によって梅雨の教科書を書き換える。

と再び意気込んだが、研究者の間では評価が割れた。

そうこうしているうちに、気象予報士の間で評判に。


モテサク38歳 2014

海洋研究開発機構研究員(2年目/任期5年)。

ニコニコ学会β2014@ニコニコ超会議3に登壇。

4万人の前で上がりすぎたテンションで

「JAMSTEC・・・大丈夫か」と心配される。


NHK教育Eテレ・学ぼうBOSAIが好評につき、

翻訳されて海外輸出決定。


次女が生まれる。


急に政治関係のYahooニュース記事やFacebook記事を

Facebookのウォールでシェアするようになる。

主に北朝鮮の拉致犯罪について。

その他、中国・韓国・北朝鮮の悪逆非道ぶりについては、

徹底的に裏をとる勉強を重ね、発信するようになる。


キッカケは、東京学芸大学の教員養成課程で、

教師のタマゴたちとたくさん付き合ってきて、

なぜここまでみんなが自信を失っているのか、

自信を失わせる学校教育の在り方に疑問を抱いたこと。

調べて辿って行くと、現在の日本社会のあらゆる場所で、

制度矛盾・制度疲労を生じている根っこが、

敗戦後の占領政策として仕掛けられたGHQの

ウォーギルトインフォメーションプログラム(戦争贖罪意識の洗脳計画)

にあると思うようになる。


いわゆる自虐史観を埋め込まれた自分たちが

自分たち同士で互いに相手の自信を奪い、

中国・韓国・北朝鮮・ロシア・アメリカの都合が良いように、

あらゆる内政干渉や国内の分断工作がなされてきたことを知る。


もとは教えている学生たちが自信を取り戻すための方法を考えて、

その根っこを辿って行ったら、とんでもないところまで来てしまった。


加えて、拉致被害者の横田めぐみさんが、

新潟の自分の実家の目の前でつれさられたことを知る。


ずっと一人で遊んでいた自分が今頃、

北朝鮮で地獄を見ていたのかもしれない。

そのまま40年もほったらかしにされていたのかもしれない。


その38年の無関心に戦慄し、発信せずにいられなくなった。


これを他人ごとにしたまま、目を背けたまま、

自信を取り戻す教育を、って偽善じゃなくてなんなんだ。


1000人近いと言われる連れ去られた日本人。

2万人が今でも白昼堂々と国内で暮らしている北朝鮮の工作員。

想像を絶する人数がいると思われる日本人の拉致犯罪協力者。

まだなお核兵器を年間10発以上増やす中国に、

日本の税金から資金援助を出し続ける日中友好論者。

子供達が自分は日本人を辞めたい、とまで追い込まれる、

韓国人の反日工作。


これをほったらかしにして、自信を取り戻す?

自分を愛する?


穴の空いたビニールに水を入れるようなもんだ。


政治の話題を発信することは、

ネトウヨのレッテルが怖くて、

とても抵抗があった。


それでも全て根っこは繋がったものだけだ。

右でも左でもない。

公正な事実の上で、価値観の違いを対等に恐怖心なく話せるように、

科学者の端くれとして、客観的評価と観察と記述の力を、

使っていきたいと思った。


それが政治、教育、研究の根っこを一本の線でつなぐモテサクの想いです。


車を買い換える。

ポルテの車検が迫ってますよ、

これを期に乗り換えませんか、

というトヨペットからの営業電話がキッカケで、

マツダのビアンテを買う。

トヨペット、すまん。

ポルテは50万で売れたよ。

中古車買取り査定も楽しかった。


モテサク39歳 2015

海洋研究開発機構研究員(3年目/任期5年)。


MJOの論文を書く。

歴史的な発見だとまた錯覚しつつ書く。



モテサク40歳 2016

海洋研究開発機構研究員(4年目/任期5年)。

未定


モテサク41歳 2017

海洋研究開発機構研究員(5年目/任期5年)。

未定

YMC








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