11日目。最終日…
ピピピッピピピッ
携帯のアラームの音に、一瞬にして眠りから覚めた。
時刻は朝5:30。
昨晩、23:30くらいに睡眠薬を飲んだにも関わらず、頭はスッとしていた。
眠ることなんかよりも大切なことがある。
今日は旅の最終日。
日本海はもう目の前。
僕の旅は終わる。
最後に朝の日本海が見たいんだ!
僕はいつも通り、足にテーピングを巻き、出発の準備を整えた。
足に出来たどデカいマメが、昨日の過酷さを物語っていた。
しかし、身体は思った以上に軽い。
歩き終えてからまだ8時間程しか経っていないのに…。
ほんの8時間前は、もう一歩も歩けないと思っていたのに…。
人間の回復力は凄まじい。
いや、これが温泉の効力なのか…?
何はともあれ、つくづくこのひすいの湯に辿り着けて良かったと思う。
温泉があり、寝るところがある。
ここの存在を知らなかったら、僕は今頃どうなっていたのだろう…?
おばちゃん!本当にありがとう!!
身なりの準備は整った。
しかし、なかなか出発出来なかった。
日本海に着いたら、僕の旅は終わってしまう…。
僕はまた、凄惨な日常生活に戻る。
「お前は変わったか?」
「お前は強くなったか?」
頭の中でもう一人の自分が問いかけてくる。
僕が出せた答えは…
「分からない。」
だった。
旅を終え、日常生活に戻っても耐えられるだろうか?
僕は、これからも生きていけるだろうか?
もしかするとこの旅は、「死に場所」を探しに来たのではなく、
「逃げ場所」を探しに来たのかもしれない。
何も出来ないこの僕に、
まだ少し、生きていられる正当な理由を付けるために、やったことなのかもしれない。
生きている時間稼ぎのために。
もしそうだとしても、もうタイムリミットだ。
このまま旅を続ける訳にはいかない。
家族、友達、応援してくれたすべての人たちに会いに行かなければ。
ちゃんと感謝を伝えなければ。
「帰ろう!」
「家に帰ろう!」
「この旅を終わらせよう。」
そう思った。
いざ、日本海へ!!
時刻は6:30。
僕は出発した。
新しいスタートを切った。
「最後まで、この旅を噛みしめよう。」
「すべてを感じ、すべてに感謝し、すべてを受け入れよう。」
これまで、どんなに過酷な場面でも、僕は無事だった。
多くのモノに助けられた。
人、土地、天気、自然…
それは目には見えないモノにまで。
奇跡としか言えないようなことばかりだった。
そして今、僕は生きている。
僕はこのすべてに、生かされたんだ。
きっとこれが、僕の運命なんだ。
すべてを受け入れよう。
日本海までは、目の前の道を真っ直ぐ進む。
4kmほどの道のり。
最後の道のり。
その道のりは、昨日とはまるで別モノだった。
昨日の僕は、真っ暗闇の中、ヘッドライトの小さな灯りのみ。
足元だけしか見えなかった。
前も後ろも真っ暗闇の中。
何も見えなかった。
しかし今、前には日本海へ続く道。
後ろには、僕が歩いて来た道があった。
後ろを振り返ってみる。
遠くの方に大きな山々が連なっていた。
「あの山を越えてきたんだな。」
自分でも信じられなかった。
でも、確かに越えてきたんだ。
ひたすらに前を向いている時は、
自分が何をしているのか、
何をしてきたのかは分からない。
でも、ふと振り返ってみた時、
自分のしてきた事の大きさに気がつく。
自分が成し遂げてきた事の凄さに気がつく。
本当に、よくここまで来たと思った。
「自分で自分を褒めてあげたい」
今まで、何でも中途半端。
嫌になったら、すぐ辞める。
そんな時は、
「よくやったよ!」
「もう十分だよ!」
「他にもっといい事があるよ!」
こうして自分を慰め、正当化してきた。
そしていつも、少しの罪悪感や、劣等感が残った。
でも、今回は違う。
「お前すげぇよ!」
「よくやったな!」
次のことなんて考えない。
やってきたことだけに掛けられた言葉だった。
そしてそれと同時に、
それ以上に、
「ありがとう!」
この言葉が湧き上がってきた。
この旅で起きたこと、出逢ったモノ、
すべてに感謝の気持ちが溢れてきた。
何かを成し遂げた時のインタビューで、
「支えてくれた人に感謝したい!」
とはよく聞いた。
僕はそれを耳にする度、
「何、綺麗事言ってんだよ。」
と思っていた。
でも、綺麗事なんかじゃなかった。
本当に頑張った時は、
自分の成し遂げたことなんかよりも、
誰かの、何かのおかげで成し遂げられたということに感謝の気持ちが溢れる。
初めて知った。
今まで僕は、全部一人で解決しようとしていた。
どんなにツラくても、自分が我慢すればいいと思ってやってきた。
「人に迷惑を掛けてはいけない。」
仕事でも、彼女にも、友達にも、家族にさえも、そう思ってきた。
そして、僕はうつ病になった。
「人に迷惑を掛けてはいけない。」
このことが、僕をどんどん追いつめ、苦しめた。
もう、自分独りではどうにも出来なくなっていた。
思い返せば、会社でも、
「坂内、独りでやり過ぎ!」
「誰かに頼めばいいんだよ!」
そう言ってくれていた。
彼女も、
「言いたいことあるんじゃないの?」
「ツラいって言っていいんだよ?」
「泣いてもいいんだよ?」
と言ってくれていた。
友達も、
「何かあったら、言ってくれ!」
「ひーくんのためならすっ飛んでくから!」
そう言ってくれていた。
家族も、
「家族なんだから、いつでも頼りなさい!」
「何があっても家族なんだから。」
そう言っていた。
それでも僕は、誰にも頼らなかった。
いや、頼れなかった。
小学生の頃から、一番上の姉は病気になり、
二番目の姉は反抗期が酷く、
毎日朝から、反抗期の姉と母親とのケンカに始まる。
逃げるように学校へ行った。
学校から帰ると、動けなくなった姉は発狂し、泣きわめく。
僕にはどうすることも出来なかった。
こんな生活が、
毎日、毎日、毎日、毎日続いた。
それでも、僕だけはしっかりしないといけないと思った。
少しでも親を喜ばせたいと思っていた。
だから、勉強も頑張った。
部活も頑張った。
中3の時はクラス委員にもなったし、
卒業する頃には、成績はほぼオール5だった。
先生からの信頼も厚かったし、
友達だってたくさんいた。
でも、家のことを相談出来る人は誰もいなかった。
いつも一緒にいる仲の良い友達でさえ、話せなかった。
中学生の子どもに、こんな家のことを話しても、誰も分からない。
困ってしまうだけだ。
そんな経験をしてる人なんて誰もいないんだから…。
先生でさえ、僕の気持ちなんて分からないんだから…。
友達と一緒に居ても、素直に楽しめなかった。
中学生特有のバカなことも楽しめなかった。
人に迷惑を掛けたら、親が悲しむから。
僕は、みんなと違う。
普通のことに笑い、喜び、怒り、悔しがることも出来なかった。
誰にも心を開けなかった。
すべてが他人事だった。
僕には関係のないことだった。
毎日がつまらなかった。
すべてがくだらないと思った。
どんなにバカをしたって、僕の環境は変わらない。
家に帰れば、また親と姉ちゃんのケンカと、
発狂し、泣き崩れる声が聞こえる。
こんな家に帰りたくなければ、
誰も分かってくれない学校にも行きたくなかった。
僕は、どこにも居場所がなかった。
誰かと一緒にいても、いつも独りだった。
今思うとこの頃から、
誰にも頼ってはいけない。
僕が全部我慢すればいい。
と思うようになったんだと思う。
高校では、ボロボロのローファーを履き続けた。
母親に新しいのを買ってあげると言われても、
「気に入ってるから!」
「味があってイカすでしょ!笑」
と拒み続けた。
その内、
「みっともない!」
と言われるようになった。
そして、僕は言ってしまった。
「姉ちゃんの治療費でお金が掛かるから、新しいの買ってなんて言えないんだよ!」
と…。
しまった…。と思った。
母親は今でも、この時僕が言ったことが忘れられないと言う。
本当に申し訳ないことをした。
母親は次の日、新しいローファーを買って来た。
僕には大き過ぎるくらいのを。
それでも、僕はそれを履き続けた。
またボロボロになるまで。
結局卒業まで履き続けた。
中3から、高3まで毎日履いたローファーは2足のみ。
でも、そんなことはどうだって良かった。
少しでも早く一番上の姉ちゃんの病気が治ればいいと思っていたし、
二番目の姉ちゃんの反抗期も一刻も早く終わってほしかった。
この先も全然終わらなかったけどね。笑
幸いなことに、数年後、一番上の姉ちゃんの病気は治った。
障がいは残ったけど。
闘病中知り合った同じ病気だった人は、
全員と言っていいほど亡くなった。
姉ちゃんだけが生き残った。
奇跡だった。
姉ちゃんは、今も元気に暮らしている。
障がいを抱え、大変なことはまだまだたくさんあるけれど、それでも毎日生きている。
この話は、またいつか機会があったらお話ししたいと思う。
話を戻そう。
こんなことがあって、僕は誰にも頼ることが出来なかった。
誰にも頼ってはいけないと思っていた。
いや、違う。
迷惑を掛けるのが嫌で、頼らなかったんだ。
心配させ、困らせるのが嫌で、頼らなかったんだ。
いつだって、「頼っていい」と言われていた。
いつだって居場所は用意されていた。
そこに行かなかったのは、どんな理由でもなく、
僕自身の意思だった。
この旅で、たくさんの人に助けられてきた。
自分から話しかければ、必ず良くしてくれた。
何もしなくても、手を差し伸べてくれた。
その時は、いつも感謝の気持ちでいっぱいだった。
助けてくれて申し訳ない…。
なんて気持ちではなく、
助けてくれて本当にありがとう!
という気持ちでいっぱいだった。
そして、その助けが無ければ、
今僕は、この場所に立っていない。
きっと途中で諦めていただろう。
もしかすると、本当に死んでいたかもしれない。
人は独りでは生きていけない。
そのことを思い知った。
そしてどんな時も、手を差し伸べてくれる人は必ずいる。
僕は身をもって体験した。
人を頼るのは、悪いことじゃない。
人に助けを求めるのは、間違ったことじゃない。
「頼ってもいい。」
そこで生まれる新しい出逢いがあり、
新しい感情がある。
そして、新しい未来がある。
うつ病は「甘え病」「構って病」とよく言われる。
確かにそういった部分もあるかもしれない。
でも、ずっと甘えたかったんだ。
ずっと構ってほしかったんだ。
存在を認めて欲しかったんだ。
僕はきっとそう思っていた。
しかし、これらはすべて、自分自身の問題。
本当はいつだって居場所は用意されている。
必要なのは、
甘えることでも、
構ってもらうことでも、
認めてもらうことでもなく、
自分自身を許してあげること。
自分自身を認めてあげること。
過去に何があろうが、自分はここに居てもいい。
ピンチの時は、手を差し伸べてくれる人がいる。
自分から求めなくても、必ず手を差し伸べてくれる人はいる。
それに、いつだって、助けられているんだ。
家族にだって、友達にだって、
数え切れないほど多くの人に、
多くのモノに支えられている。
ただそれに気が付いていないだけ。
当たり前になってしまっているだけ。
どんな状況、どんな状態であっても、
「生きている」
という時点で、支えられているんだ。
生きているだけで素晴らしいとはよく言ったものだ。
「生きてるだけなんて意味ねぇ!」
そう思っていた。
でもこれは、何もしなくてもいいということではない。
生きているだけで、
ただここに存在しているだけで、
多くのモノに支えられ、
感謝すべきモノに溢れているという意味なんだと思う。
そして、
生きているだけで、
ただここに存在しているだけで、
誰かの支えになり、
誰かの生きる意味になっている。
すべてが繋がっている。
何両にも連なった電車が、1両脱線するだけで、
他のすべての車両は動けなくなってしまう。
それ以上前に進めなくなる。
前に進むためには、切り離すしかない。
それでも、自分よりも後ろに連ねた車両達は、前に進めない。
残されたモノは、それ以上進めなくなってしまう。
だから、走り続けなければならない。
すべてを連れて、前に進み続けなければならない。
自分の荷台は、プレッシャーや責任、
失望や後悔、不安や迷いでどんどん重くなっていくだろう。
独りでは到底引っ張っていけないだろう。
だからこそ、多くのモノと一緒に引っ張り、
引っ張られ、前に進んでいく。
何一つ欠けてはならない。
どんなことも、どんな人も、
自分を動かしている原動力になっているのだから。
そして、辿り着いた次の駅で、
重たくなった荷物を降ろしていけばいい。
前に進むのは、ほんの少しずつでもいいんだ。
ただ、それを繰り返す。
必ず辿り着く場所はあるから。
ゴールは消えない。
いつだってそこにあるんだ。
いつだって自分の中にあるんだ。
僕は探し求めていた答えを見つけた気がした。
前に進むに連れて、視界は開けていく。
大きな標識が現れる。
この先は突き当たり。
国道8号線に変わる。
相模湖から歩き続けたこの道が、すぐそこで終わる。
僕の旅が終わる。
僕は日本海に辿り着き、
目の前に開ける大きな海原を見ながら、
感動的なフィナーレを迎えるのだと思っていた。
泣き崩れ、今まで乗り越えてきたことを思い出し、
達成感に満ち溢れるものだと思っていた。
そして、8号線に突き当たった。
壁に突き当たった。
そう、壁に…。
目の前は開けるどころか、壁だった。
堤防で日本海が全く見えない…。
想像と違い過ぎる…。
更に、海に出れそうな場所も無かった…。
日本海に辿り着いたけど、
日本海が見れない…。
これがゴール…?
これで僕の旅は終わり…?
いやいや、日本海を見れなきゃゴールじゃないでしょ??
でも、日本海に出られないじゃん。
ゴール出来ないじゃん…。
少しパニックになった。
辺りを見渡す。
堤防はずーっと続いていた。
しかもその堤防は、思ったよりも高く、
よじ登ることも出来そうになかった。
仕方なく、Googlemapで近くの港を検索した。
親不知漁港
景色も良いらしい。
でも、ここから10km…。
ゴールだと思って辿り着いたのに、
またプラス10kmは無いぜ…。
テンションガタ落ちだぜ…。
絶対どこかに日本海が見れるところがあるはずだ!
仕方なく、親不知漁港の方に歩き出した。
すると…
点検用らしき、堤防に埋め込まれた黄色く塗られた鉄のハシゴがある!
ここだ!!!
もはや景色なんてどうでもいい!
どっから見ても、日本海は日本海なんだ!
交通量の多い国道8号線を、
車の通らないタイミングでダッシュで突っ切った。
身体イッテー!!!!
やはり昨日のダメージは半端じゃなかった。
そして、起点が少し高いハシゴに手をかけ、
壁を足で蹴りながら渾身の力でよじ登った。
水族館のショーで、トドが水面からステージ上がるように、堤防の上に這い出た。
そこで僕を待ち受けていたものは…
キラキラと輝く激しくも美しい日本海!!
では無かった…。
今日の天気は曇り。
うーん。曇ってるね。
日本海はただの海だった。
日本海だろうが、海は海だった。
正直言って、全然感動しなかった。
日本海に辿り着いたことよりも、
昨日のおばちゃんと出逢ったことの方が、比にならないくらい感動した。
本当に奇跡のおばちゃんだったよ。
僕はしばらく日本海を眺めていた。
でもやっぱり、普通の海だった。
「帰ろう!」
そう思った。
そしてまた、ハシゴに足を掛け、ヒョイっと地面に降り立った。
足に激痛が走った。
とりあえず、美味いものでも食べて帰るか!
昨日から何も食べてない。
腹減った…。
しかし、時刻は8時過ぎ。
お店なんて開いてやしない。
そして僕が選んだのは…
ガスト。
ちょっとリッチにミックスグリルだよ!
ご飯大盛りで。
朝だから、エビフライとソーセージじゃなかったけど…。
うーん!美味い!
ガストの味だ!
日本海まで来ても、ガストはガストだった。
素晴らしいレシピ作りだね…。笑
糸魚川駅から電車で帰る。
まだ時間があった。
動く気にもなれず、しばらくガストで時間を潰した。
日本海に無事に辿り着いたと親に連絡をした。
「これから帰るわ!」
と言った。
時計を見た。
やべーっ!!
余裕ぶっこきすぎて、長居し過ぎた!!
ガストの店員さんに聞けば、
駅までは、徒歩10分くらいと言うではないか!
電車が発車するまで、残りあと7分。
これを逃したら、またあと2時間半待たなければならない。
待ってもいいのだけれど、
そうすると、今日中に家に着けない…。
途中で終電が無くなる…。
どっかの駅で一泊するハメになる…。
僕は、走った。
身体全身の痛みを堪えながら走った。
でも、記念撮影は欠かさない。
バーイ!糸魚川。
バーイ!日本海。
切符を買う。
時間が無い。
駅員さんも焦っている。
電車に乗るためには、ホームの階段を上って下って、
反対側のホームに行かなければならない。
しかも階段はホームの一番端っこ…。
「急いで下さい!!」
駅員さんにそう言われた。
めちゃくちゃ焦った。
身体全身が痛過ぎる…。
人間は不思議だ。
本当にピンチになると、想像以上の力が出る。
僕はアスリート級のスピードで、ホームを走り抜け、
階段を駆け上がり、反対ホームへ行く通路を猛ダッシュし、
そして、駆け下りた。
電車はホームの先頭、また駆け抜ける。
自分でも驚くほどのスピードだった。
やれば出来るもんだ!笑
電車には間一髪間に合った。
JR大糸線
1両編成の小さな電車。
誰も乗っていないだろうと思っていた車内には、
登山の格好をした人たちが結構乗っていた。
僕は、一番前の一番端の席に座った。
僕の通って来た道は、この大糸線が並行して走っている。
自分が通って来た道を、この目で見ておきたかった。
10時43分、電車が動き出す。
糸魚川市街を通り過ぎ、姫川渓谷に入る。
こんなとこよく電車を通したな…
と思うほど、崖の中を走る。
人間はスゴイよ!
そして、死ぬかと思った地獄の洞門群が現れた。
「本当にあんなとこ歩いたのかよ…」
見るだけでゾッとするくらい、ずーっと続いていた。
自分に引いた…。
でも、朝の洞門は美しかった。
窓から見えるすべての景色がとても美しかった。
昨日は何も見えなかった。
こんなに美しい景色が広がっているなんて…
「すげぇことしたんだな。」
そう思った。
さらに電車は進み続ける。
ゴールだったところから、どんどん離れていく。
昨日歩いていた道から、一昨日歩いていた道へ…
驚くほどのスピードで過ぎ去って行く。
白馬駅…
トイレを貸してくれたおばちゃんの店…
美しかった青木湖、木崎湖…
七倉荘のある信濃大町…
あそこで、おっちゃんに声掛けられたんだった…
まだ新しい記憶たちが頭の中で巻き戻った。
「本当に色んなことがあったな…」
窓を流れる景色を見ながら、
これまでの道のりを、
色褪せさせぬよう、噛みしめるように振り返った。
複雑な気分だった。
嬉しいような、哀しいような、
ワクワクするような、それでいて寂しいような…
松本駅に着き、特急電車に乗り換える。
14:49ちょうどのスーパーあずさ22号に乗って、私は松本から旅立ちます!笑
景色は更にスピードを上げて過ぎ去って行く。
歩きながら聴いた、お気に入りのプレイリストを聴きながら、
流れていく景色を眺めていた。
僕の旅は終わる。
僕はまた、自分に問いかけた。
「強くなったか?」
って。
僕にはまだ分からなかった…。
※ここからは、僕がこの電車に乗っている時に実際に書いた
その時のリアルな気持ちを載せます。
_____________________________
日本海に辿り着いた。
今は帰りの電車の中。
通って来た町たちを眺めながら、
色んなことが頭の中に飛び交う。
僕はやっぱり正直にしか生きられないよ。
納得出来ないことは納得出来ないよ。
諦めたらそこで試合終了じゃないか。
帰っても、家には誰も待っていない。
心のどっかで、いつか戻ってきてくれると思っていたのかもしれない。
いや、思ってた。
でも、戻って来ないんだ。
旅をしようと思い立ち、実行し、実現させた。
こんな素敵な機会をもらったんだ。
きっと、良かったんだよね。
そう言いたい…
僕は、弱い人間です。
不器用な人間です。
でも、それが僕です。
それは、変わらないんだ。
限界に挑んだ。
弱い自分に勝つために。
でも、ゴールが日本海だっただけで、
今日だって20km歩けたと思う。
限界は無い。
限界は、本当に自分が決めることなんだと、
やっと納得出来たよ。
僕は変わらない。
でも、前に進むこと。
それだけでいいんだ。
毎日がスタートで、毎日がゴール。
その繰り返しで成長していくんだ。
この旅で色んなことがあった。
色んな人と出逢った。
色んな人に助けてもらった。
色んな人に温かくしてもらった。
誰もが経験出来ることじゃない。
きっと、今の僕だから経験出来たんだ。
前は受け取れなかったメッセージを、
今なら受け取ることが出来るよ。
感情は溢れている。
それに気付くか、気付かないかだけなんだ。
僕は、その感情に気付ける人になりたい。
弱くたっていい。
人を傷付けるより、傷付いた人に寄り添っていたい。
不器用だっていい。
周りに批判されようが、
僕は自分の感情に正直に生きたい。
人生は辛いなって思ってた。
でも、その気になれば道は用意されている。
途中で手を差し伸べてもらえる。
変えようと思わなくても、
いつでも用意されていたんだ。
山があり、川があり、空があり、風が吹き、
植物が揺れ、動物たちが戯れる。
その一部になろう。
ありのままに。
時に身を委ねて。
生きよう。
_________________________
帰りの電車で、こんなことを思った。
八王子に着き、相模線に乗り換え、
僕は彼女の出て行った家へ向かう。
人の多さに驚いた。
会社員、OL、学生、年配の人、子ども…
実に様々な人たちが、一つの空間を共にしている。
旅の格好をした僕以外はみな、
いつもの日常の一部だった。
「戻って来てしまった…。」
そう思った。
でも、どこか違かった。
ここにいる誰一人知らないことだが、
僕は今日、日本海に辿り着いたんだ。
すげぇことして来たんだぜ!
僕しか知らないこの事実があった。
誰にどう思われようと、僕はやり遂げたんだ。
自分で決めたことをやり抜いたんだ。
そんな自分を誇らしく思った。
もう電車も怖くない。
人の視線も気にならない。
僕は僕だから。
何があっても、僕は僕だから。
「このままでいい。」
「変わる必要なんてない。」
そう思えた。
「弱くてもいい。」
「今の僕だから、出来ることがあるから。」
僕は、大嫌いだった弱い自分を受け入れることが出来た。
電車を降りると、外は寒かった。
季節が変わっていた。
確実に時間は流れている。
明日も、明後日も、明々後日も、
常に時間は流れ、過ぎ去っていく。
毎日、スタートとゴールがあり、
感情の変化と共に、僕らは成長している。
僕らは前へ進んでいる。
生きている限り、止まることはなく、
前に進み続けている。
そして、これからも進み続けていくんだ。
最寄りの駅に着いた。
僕は帰って来た。
家に帰るのが少し怖かった。
彼女が戻って来ているかもしれない!
と思ったりもした。
でも、それはない。
既に合鍵も送り返されている。
それでも…
可能性の無い選択肢を受け入れるのが怖かった。
「すべてを受け入れなきゃ。」
家に向かった。
誰も待っていない僕の家に。
10日ぶりに鍵を開ける。
偶然にも、鍵のメーカーが「GOAL」だった。
思わず笑った。
今まで全く気が付かなかった。
誰もゴールテープなんて張って待っててくれないから、
「GOAL」という文字を目にして、嬉しくなった。
出迎えられているようで、少し嬉しくなった。
鍵を開け、部屋に入る。
やはり誰も居なかった。
今まで知らない土地で「一人」だったのに、
今は家で「独り」だ。
ゴールしたらご褒美が待っているとでも思っていたのかな。
誰も居ないこの部屋で、
僕はまた、あの時を思い出した。
「なんでうつ病になっちゃったの…?」
そんなの分からないよ…。
あの時、別れを選んだのだって、
分かんないよ…。
でもね、そのおかげで、僕は旅をすることが出来たんだよ。
知らなかったことを知って、
感じられなかったことを感じて、
気付かなかったことに気が付くことが出来たんだよ。
あの時、君との別れを選んだから、
たくさんの優しさに触れ、
家族の大切さを知り、
友達の大切さを知り、
今の僕に出逢えたんだよ。
「ありがとう!」
こんな素敵な機会をくれて…
僕と出逢って、僕を好きになって、
僕を支えて、僕と一緒に居てくれて…
ありがとう。
僕もそろそろ別の道を歩こうと思う。
君の居ない世界を。
それで…いいよね…?
それが…いいよね…?
その答えは、まだ分からないかもしれない。
ずっと先になってから分かるんだと思う。
この旅だって、正解かどうかは分からない。
今はね。
でもいつか、
「あの時やって良かったな!」
って言いたいんだ。
だから、これからは、
「今」が「あの時」になるまで、
歩き続けるんだ。
生きて、生きて、生き続けるんだ!
ほぼ新品だったストックは、先端がこんなにも削れていた。
新品だった靴も、たった11日間で、完全に使い古された。
全く気に入ってなかったけど、今では僕の大切な相棒になった。
ずっと外を歩いてきたけど、
結局「答え」は見付からなかった。
でも、その理由は分かってるんだ。
「答えは僕の中に在る」
いつだって、どこにいたって、
僕はそれを持っていたんだ。
今やっと気が付いたよ。
美しいものを美しいと感じ、
嬉しいことを嬉しいと感じ、
悲しいことを悲しいと感じ、
色んな人に支えられ、
色んなことに気が付き、
色んなことを思う。
そのすべてがあって、ここに存在している。
当たり前のことは、本当は当たり前じゃない。
すべてが奇跡のような繫がりで、
かけがえのないものなんだ。
そのすべてに意味があり、
理由がある。
何一つムダなことなんて存在しない。
僕はすべてに感謝をする。
ありがとう。
僕を支えていてくれて、ありがとう。
僕の日本海への旅は終わった。
でも、これからもずっとずっと、
僕の旅は続く。
僕は、僕のままで。
前へ進む。
そして、それを繰り返すこと。
毎日がスタートで、毎日がゴールだから。
たとえ「今」が、
どんなに、ツラくても、悲しくても、寂しくても、
前へ進み続ける。
「あの時は正しかったんだ!」
って思えるように。
いつの日か、
「あんなことあったんだぜ!笑」
って笑えるように。
僕は、生き続ける。
大切な人、
大切なモノ、
大切なこと、
すべてに感謝して。
いつもここにある宝物を握りしめて。
おわり。
最終日の成果!!
【歩数】
11665歩
【消費カロリー】
396.6kcal
【歩いた距離】
8.16km
【総歩行距離】
約270km
あとがき…
最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!
毎度毎度、長い、長ーいお話なのにも関わらず、
飽きずに読んでくれたあなたに、
心から感謝します!
本当にありがとうございます!
このストーリーを書いてから、
「勇気をもらいました!」
「元気が出ました!」
「書いてくれてありがとう!」
など、知ってる人も、知らないお方からも、
何ともありがたいお言葉を頂くことが出来ました。
本当に嬉しいです。
その言葉が、また僕の生きる糧になります。
僕の経験は正しかったのだと自信を持つことが出来ます。
本当にありがとうございます。
この旅で多くの人に出逢い、助けてもらいました。
温かくしてもらいました。
でも僕はまだ、お世話になった方々に会いに行けていません。
残念ながら、もう会えない方もいると思います。
だからこそ、こうしてストーリーを残すことにしました。
あの時出逢った人が、いつかこのストーリーを目にしてたら嬉しいな。
僕はこのストーリーを全力で書きました。
写真や地図、Facebookに投稿した記事、
その時残した詩などを見返しました。
自分の記憶力に一番驚きました。
僕の中で、全く色褪せてはいませんでした。
このストーリーを書きながら、
また旅をしているように気持ちになりました。
このストーリーを書いて、
一番救われたのは僕自身なのかもしれません。
現在、旅を終えてから、1年半以上が経ちました。
終えた直後は、うつ病は劇的に良くなりました。
しかし、その後一年もの間、僕は病気と闘い続けました。
症状が悪化し、医者からは双極性障害と言われました。
一生薬を飲み、一生病気と付き合っていかなければならないと言われました。
でも、僕は諦めませんでした。
諦めそうになったことは何度もあったけど…
心理学を勉強したり、職業訓練校に通ったり、
二度、社会復帰にも挑戦しました。
でも、すぐにダメになりました。
それでも、決して諦めなかった。
絶対に治してやる!って。
絶対に勝ってやる!って。
僕は絶対に出来る!
絶対に負けない!って。
出来ることは何でもとことんやりました。
納得するまで。
(その後のことは、
聞きたいという方がいらっしゃれば、
次に書いてみようと思います。)
そして僕は今、超元気です!笑
薬も全く必要としていません。
それどころか、毎日幸せだと思えています。
いつだって諦めないで生きて来れたのは、
この旅の経験が本当に大きかった。
この旅で、僕自身をよく知ることが出来たし、
感じ取ったことは、僕の生き方の核になっています。
自己啓発や、スピリチュアル、心理学や脳科学などを、
一度に一気に体験出来た旅でした。
僕にとって、人生のバイブル的な出来事になっています。笑
今はどんなことをしているのかというと、
一人で起業しました。
どうやっても就職は僕には出来ませんでした…。
うつ病や、悩みを抱えている方に向けて、
僕の経験をお話ししています。
まだまだ実績もあまり無いし、
それだけで食べてはいけていないけど、
それでも毎日がすごく幸せだと思えています。
自分の経験が仕事になる。
誰かのためになる。
最高です!
僕の天職です!笑
うつ病になったのも、旅に出たのも、心理学を勉強したのも、
社会復帰に失敗したのも、良いことも嫌なことも、
すべては、今のためにあったことなのだと思えます。
すべては繋がっています。
本当びっくりするくらい。笑
僕はやっと、自分がやりたいことと、
やるべきことが分かった気がします。
やっと胸を張って、生きていられるようになりました。
だからこそ、このタイミングでこのストーリーを書こうと思いました。
お世話になった人たちに、
「僕はもう大丈夫!」と本当に言えると思ったから。
僕の経験したことが、こうして知らない誰かの目に触れ、
僕があの人たちに教えてもらったことのように、
「いい人っているんだな」とか、
「僕も、私も、全力でやってみようかな!」とか、
「人生捨てたもんじゃないな!」とか、
「お母さんに感謝しよう!」とか、
「困っている人がいたら手を差し伸べてみよう!」とか、
どんな些細なことでもいいので、
新しい気付きや、新しい感情が生まれたら嬉しいです。
そんで、そう思ってくれた人たちが、
またこうやってシェアして、
また知らない人たちが見て、
その人たちがまたシェアしてってなれば、
誰も「自分は独りだ…」なんて思わない世の中が出来ると思うんです!
本当は独りなんかじゃないのに、
「私は独りだ…」「誰も分かってくれない…」
と思ってしまうのが、一番人生をツラいものにさせてしまうと思います。
だからこそ、同じような境遇を経験した人の話を聞くのはとても良いことだと思います。
僕は、特別何かが出来る訳じゃないし、
資格もないし、地位や名誉も肩書きだってありません。
でも、「実際に経験した」ということが、
どんなものよりも説得力があり、誰かの役に立てると思っています。
だから僕は、今でも挑戦し続け、確かめ続けています。
共感出来る部分があったら、
「あなたは独りじゃないよ!」って
綺麗事ではなく、素直に言えるでしょ!
それに少しでも多くの方と共感出来たら、絶対楽しいと思うんだよね!
だから、挑戦し続けて、確かめ続ける。
僕が出来ることは、本当に小さなことかもしれないけど、
それでもやってみないと、何も変わらない。
誰かが、みんなが、周りが…
なんて、どうでもいい。
やるかやらないかは、自分次第だから。
いつだって、人と違うことをするのは批判される。
人と違うことを思ったり、人と違う生き方をしたり。
必ず、批判や、妬みを言う人だっている。
絶対無理だよ!バカだね…って言われるかもしれない。
でも、そう言われることが出来たら、超カッコいいじゃん!
だから、僕はやる!やり続ける!
挑戦して、挑戦し続ける!
出来なかったら、やっぱり無理だったー!って笑えばいい。
最初から誰も出来るなんて思ってない。
気にする必要なんて全くない。
ほらね!なんてまた嫌みを言われるかもしれないけど、
その時はもうすでに変わってるんだ!
もう違う自分になれてるんだ!
始めから出来ないなんて言った奴は、一生出来ない。
でもね、ほんの少しでも出来るかも!ってやってみた人は、
たとえ出来なくても、必ず何かが変わる。
やってみよう!って思った時点で、必ず前に進んでるんだ。
もしも今、何かに悩んでいたり、迷ったりしているのなら、
やってみて欲しい。
挑戦してみて欲しい。
大それたことじゃなくていい。
ほんの些細なことでも。
やってみたら、必ず未来は変わるから。
遅過ぎるなんてない。
毎日がスタートで、毎日がゴールだから。
いつだって始められるよ!
もしかすると、死にたいと思っている人もいるかもしれない。
僕は自殺は否定しない。
僕が今を生きていられるのは、ラッキーなことが多かったからだと思うし。
驚くほどラッキーだった。
あの旅で、もしも人に冷たくされたり、裏切られたりしていたら、
本当に自殺していたかもしれない。
僕には家族もいたし、友達もいた。
体は健康だったし。
状況は人それぞれ。
僕なんか比にならないくらい過酷な状況の人だっている。
どうやったって変えられない現実を抱えている人だっている。
死んだ方が幸せだと思うような人もいると思う。
ただ一度、
真剣に、全力で、自分と闘ってみて欲しいと思う。
限界に挑戦して欲しいと思う。
そして、100%納得する答えを出して欲しい。
99.9%でもダメ。
100%納得する答えを出して欲しい。
たった、0.1%でも疑問が残ったら、必ず後悔する。
後悔した時にはもう遅いんだ。
だから、100%。
全力で自分の納得する答えを出して欲しい。
すべての人にそうすべきとは言わない。
でも、すべての人に通じるものは必ずあると思う。
いつだって道は用意されている。
どの道を行くかは自分次第。
決めたら後戻りは出来ない。
だったら、「ここしかねー!!!」って決めた方が清々しいでしょ!笑
生きるにしても、死ぬにしても、納得していきましょうよ!
「私のこの選択は、絶対に幸せー!」
って確信持って選びましょうよ!
それが僕の願いです。
最後に、
人が心から幸せだと感じるときは、
普段見過ごしていることへの
ありがたみを感じたときだと思います。
どんなものよりも大切な宝物は、
当たり前の中にあります。
家族や友人、恋人はもちろん、
現状や環境、出逢った人、出逢う人…
今こうして生きているということが、
誰かに、何かに支えられているという事実です。
当たり前だと思っていることの中に、
宝物はあります。
宝物はいつでも、誰でも持っています。
だた、そのことに気が付くか気が付かないかだけなんだと思います。
当たり前にあるモノをありがたいと思い、感謝する。
それだけで人は幸せになれるんだと思います。
このことを、日本海への旅で気付くことが出来ました。
そして、実感しました。
このストーリーを通して、
そんなことがほんの少しでも、
伝わってくれたら嬉しいです!
これで、
『死に場所を探して11日間歩き続けたら、
どんなものよりも大切な宝物を見付けた話』
を締めくくりたいと思います。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
コメントや、「読んで良かった!」を残してくれるとさらに感激します!
このストーリーは、一人でも多くの方に読んでもらいたいと思っています。
でも、僕一人の力では限界があります。
なので、あなたのチカラを貸してください!
共感出来ることがあったら、どんどんシェアしてもらいたいです。
このストーリーを書いているときも、
友達が自殺しちゃった…
という事実を耳にしました。
まだ知らない誰かを救うことが出来るかもしれない…
僕一人では、小さな力でも、
誰かと一緒なら、とてつもなく大きなチカラになると思うんだ!
だから、どうか僕にあなたのチカラを貸してください!
心からお願い申し上げます。
Facebookやっています。
お気軽にフォローをお願い致します。
それでは、また会う日まで☆
宇宙のすべてに感謝します!
僕は幸せ!!!
そして、あなたに幸あれ!!!!
では!
2015年6月13日