アメリカから帰国、とにかく働かないと・・・
日本の外で、実家以外の家庭での生活を初体験し、多くのことを学んだホームステイでした。
たくさんの方に親切にしていただいて、楽しかったけれど、同時に、あれこれ怒ったり、自業自得で傷ついていた私・・・(苦笑)
アメリカで1年近く家事手伝い状態でいたのに、実家に戻っても何もしないのはマズい・・・と思い、すぐに働くつもりでしたが、「この仕事がしたい!」と強く思う職業はありませんでした。
とりあえず、やっぱり接客が得意な気がしたので、接客業の最高峰はホテルかな?と思い(安直)、ホテルの求人を探して履歴書を送って見ましたが、どこも書類だけで落ちました。(当然と言えば当然、苦笑)
そして、とにかく何か繋ぎで・・・
と、たまたま目に止まったコールセンターのアルバイトに応募しました。
ステイタスやらブランドイメージやらを大切にしている外資系クレジットカード会社のコールセンターでした。そのブランドイメージを守るために、最初の研修に時間をかけて、電話応対の基礎や感じの良いセールストークのスキルをしっかりと教えてくれました。
そのアルバイト先では、同期入社が10人ほどいて、その中のひとりに、飛びきりおしゃれな女子がいました。初日から「うわっ!おしゃれなブーツ履いてる~。」と、目が釘付けだった私。
彼女は何やら、自分ひとりで小さな雑誌を作っていると言い、その雑誌の取材や、書き物のために、フルタイムでは働けないとのこと。
取材旅行にも行きたいので、来月の○日~○日まで休みが欲しい、今後もそういう事情があるけど了承して欲しい、と。
相変わらず、上の言うことは絶対!な体育会系スタンスが残っていた私には、アルバイトとはいえ入社早々に自分の希望をはっきり主張する彼女が、とても非常識に見えました。
それに、自分や他の同僚は、「今すぐにでももっと給料の高い会社を見つけなきゃ!このバイトはとりあえずの繋ぎ。少しでも高給で、正社員で働いて、一人前の社会人にならなければ!」
と思っていました。
それを目指すのが当然と思っていたので、
「ひとりで雑誌作ってるって何??それじゃ食べていけないよね?」と。
彼女は、いつもおしゃれで、持ち物にもこだわりがある様子で、話の内容から、実家もとてもハイセンスで裕福な家庭のようだったので、
「お嬢様はのん気でいいよねー。」
と、羨ましいのと、けしからん!というような批判的な気持ちでした。
その彼女は、数年後にそのお洒落で丁寧な暮らしぶりについて本を出版しました。
そして、今ではナチュラル系のおしゃれ雑誌にちょこちょこと登場したり、毎年数冊の本を出版するような人気のエッセイストになりました。
当時の私にはまだ分からなかったけど、
彼女は、ただの「のん気なお嬢様」だったのではなく、目先の収入にこだわらず、しっかりと自分のヴィジョンを持って、自分の強みを見極めて、リスクも含めて真摯に仕事と向き合ってきたのです。
本当にやりたいことを仕事にするという生き方を、無言で教えて貰いました。
そんな同僚と共に、コールセンターでのアルバイトを続け、半年くらいの頃、求人誌をチェックしていると、某人材派遣会社が出しているコールセンターSVの求人を発見。
(SVとは、テレオペレーター達のリーダー的存在のことです)
学歴、資格不問な割に、お給料は良く、今のアルバイトの経験が活かせるし、派遣業界って、これからの業種という感じで面白いかも!?と、応募したところ、あっさりと採用されました。
2000年の春、27歳になっていました。
コールセンターへ出陣!陣取り合戦の始まり
アメリカから帰国後、某外資系クレジットカードのコールセンターで、半年のアルバイト生活を経て、
某派遣会社の契約社員として就職することになりました。
派遣会社に派遣スタッフとして登録したのでは無く、契約社員としての採用でした。どんな要員で採用されたのかと言うと、派遣先で働く派遣スタッフ達の「まとめ役」みたいな形で、派遣先で一緒に働くSVというお仕事です。
まだ自社の派遣スタッフを使っていない企業へのセールスとして、
「わが社の派遣スタッフをたくさん使いませんか?
わが社のスタッフをまとめて使ってくれるなら、社員もお付けしますよ。
新人スタッフの研修、勤務中のフォロー、シフト管理、お悩み相談など、
いわゆる「面倒なこと」はこちらの社員(SVと呼ばれてました)が引き受けますから♪
この部門のお仕事、当社に丸ごと任せませんか?」
という方法での新規開拓が流行っていたようです。
その派遣会社では、SVという人材をせっせと増やしている時代でした。
私は、某外資系クレジットカード会社のオペレーターをやっていた、という経験(たった半年のバイトだけど)があったので、某銀行系クレジットカード会社のコールセンターにSVとして配属されることになりました。
同業種とは言え、そのクライアント企業のことは何も知らない訳ですから、最初から新人の研修などは任せて貰える訳もないんですが、とりあえず「できます!」って言うって感じで(笑)。
まずは現場に普通の派遣スタッフと同じように入り、そのコールセンターの仕事内容を教えて貰って、テレオペレーターとして働くことに。
その仕事ぶりによって、今後SVとして仕事を任せられるのか?とりあえずお試しで、という感じのスタートとなりました。
もし、任せても大丈夫と認められれば、自社の派遣スタッフをどんどん増やすことができます。
新人の研修や、シフト管理や、業務中の細かいフォローなどは、その企業にとっては面倒な仕事なので、それを丸ごと引き受けてくれるなら、他の派遣会社よりお宅の派遣スタッフを頼むよ~となるからです。
今は0人の自社派遣スタッフが、自分の頑張り次第でどんどん増える可能性がある!
というのは、とてもやり甲斐を感じる状況でした。
洋服屋で働いていた時と同じように、「売上を上げる!」というような分かりやすい目標があると頑張るんですよね。そのコールセンター内の、陣取り合戦が始まるような気持ちでした。
当時は知りませんでしたが、私の生年月日を占星術で見ると、どれも「目標がはっきりしてると頑張る」っていうタイプなのです。
当時の私には、直前に他のカード会社でのアルバイトで、どこに出ても恥ずかしくない電話応対スキルを仕込まれた、という自信があったので、新しい現場の仕事にも最初から余裕の気持ちで臨むことが出来ました。あのステイタス重視の外資系カード会社の研修担当者様様です。Kさん、感謝してます!
ここで、テレオペレーターとしてちゃんと認められると、SVの仕事を任せて貰えるようになる。
SVになったら、今の研修とは別に、こんな時間割でこんな研修をやれば、もっと短時間で新人をデビューさせることが出来るって提案しよう!
もっと感じの良い応対のために、こんな部分の改善も提案できる!
新しくパートさんを採用してこんなシフトを組んだら、もっと応答率が上がる!
そうなったら、あっちのグループの仕事も陣取れちゃうかも!?
などと、今後の展開を想像して、したたかに作戦を練っていました。
信頼と情報を得るために、色んな方と積極的にお話しして、ヤル気のある姿をアピールしたりして。
そうして、前職でのスキルと腹黒い作戦のお陰で、SVとして、新しいチームを作らせて貰えることになりました。
新人研修やらシフト管理やら、あれこれ提案しながら新しいことをやらせてもらえるようになると、派遣スタッフの数が増えたり、オペレーターの応対スキルで高い評価点を付けてもらえたり、スタッフの定着率が上がったり、いろんな頑張りが、数字で出て評価されるので、とても分かりやすくてやり甲斐がありました。
1年後には、契約社員から正社員へ登用されて、ますますヤル気満々でした。
仕事の裏の恋愛事情
あのアメリカ行きを決意させた、当時は破局していた彼と、帰国後にまた付き合い始め、また別れたりを繰り返していました。SVに転職した時には、その彼と、うまくいったりいかなかったりの末期でした。
別れて、寂しくて、他の人とデートしたりしてみるものの、その彼と目の前の人とを比べて、ここがダメだの、彼の方が面白かっただの、足りないところを数え上げていました。
そして、また彼とヨリを戻すものの、結局うまくいかない原因はある訳で、彼もけっこう精神的に不安定だったりして、また別れたり、くっついたり・・・グダグダした時期が続いていたのです。
でも、やっぱり駄目だ・・・
この人との将来は無い・・・
こんなに好きだけど、これだけ長年(7年以上)頑張ったけど、
結局うまくいかないんだから、私は、もう誰とも結婚できないのかもしれない。
そんな心境で、本当にお別れすることになりました。
ああ、当時の私と彼に、タロットでセラピーをやってあげたい・・・(遠い目)
そういう訳で、長年付き合った彼のことやら、彼とうまくいかない腹いせ(?)に、ちょっとお付き合いした人やら、アメリカで出会った人やらのことが、あれこれトラウマとなり、自分を責め、
「もう恋愛はいいや・・・。」と、仙人状態に。
それに加え、私は三姉妹の三女で、姉二人は既に結婚していたので、もし一生独身なら、自分でしっかり食べて行かないといけないし、姉二人はもうお嫁に行っちゃったのだから、私が両親の面倒をみる覚悟をしなければ!
と、腹をくくって転職した、という側面もありました。
腹をくくっていたからこそ、SVの仕事に前向きに取り組めた、ということもありました。
もう、ここでやるしかないのだ!ここで認められて正社員にならなければ!という感じで。
今思えば、その仙人状態が良かったのでしょう。
誰かと会っても、異性として自分を良く見せたい!好かれたい!という気持ちはありませんし、
相手のことを恋愛の相手として品定めするような変な視点も無く、真面目に働いていたのです。
そんな状態で、夫と出会うことが出来ました。
夫自身もまた、そういう仙人状態で、しかも私より仙人という意味では大先輩だったみたいで、
まったくギラギラしてませんでした(笑)
すごく自然に、どっちがプッシュしたという感じでもなく、お付き合い~結婚話に繋がっていきました。
「長く付き合った彼と別れた後に出会った人とスピード婚する人が多い」
という話をよく聞きますが、確かに「結婚しよう」と決意するまでは、かなりのスピードだったと思います。というか、出会った時から、「あ、この人と結婚しちゃいそう。」という予感がありました。
外見とか全くタイプではないのに、なぜか「あれ?この人と結婚しちゃいそう。」と、ふと思ったのです。
とは言え、結婚しよう、という気になりつつも、仕事が乗っていたのもあり、具体的な話はたいして進まないまま、せっせと働いていました。
目に見える評価のために
SVの仕事は、忙しいながらもやり甲斐がありました。
企業にとっては、コールセンターのオペレーターはお客様との数少ない接点のひとつ。
オペレーターが、いかに感じ良く、いかにスムーズに、問い合わせしてきたお客様の要望に、いかに的確に応えることが出来るか?
というのが、求められる最重要事項でした。
その、コールセンターとして当たり前の使命を、しっかりこなせるように、日々の研修や、スタッフフォローに気を配って責任感を持って働いていました。
ちょうど転職前に、「ディズニー7つの法則」というビジネス本を読んで、大きく影響を受けていたので、オペレーターを大切にして、オペレーター自身が気持ちよく誇りを持って働ける環境を作ることで、ひとりひとりがお客様を大切に扱うようになって、評価が高まる、というディズニー方式を素直に実践していたのが良かったようです。
応対マナーなどについては厳しく指導しながらも、みんなとのコミュニケーションはとても大切にしていました。
何より、クライアント企業の中で働いているので、勤務時間中は、ずっと見られて、評価され続けている、という状態でした。ヤル気のあるSVを演じ続けていたのです。
感じ良く、テキパキ動いて模範社員になり切っていました。一緒に働くテレオペレーター達のリーダーとして、みんなが働きやすいように頑張っていたわけですが、自分自身のことは後回し、というやり方でした。忙し過ぎてトイレに行きそびれて膀胱炎になったり、日々残業したり・・・。休日はグッタリしてプライベートを楽しむ心のゆとりはありませんでした。
そうやって真面目に頑張っていると、やはりクライアント企業からも喜ばれ、さらにスタッフが増えたりする結果に繋がり、自分の頑張りを、数字で分かりやすく感じられ、とても張り切って働いていました。ボーナスも期待以上の額が貰えて、洋服の販売員の時よりたくさん稼いでいる♪という分かりやすい喜びがありました。
正社員になって、ボーナスもたくさん貰えるようになったので、もっと通勤を楽にするために、実家を出たいな、と思っていると、友人が「一緒に住まない?」と誘ってくれました。そして、他の友人がすぐに知り合いの紹介で部屋を見つけてくれました。
当時の私は、すべて自分の頑張りでうまく行っていると思っていましたが、思い返せば、あらゆる場面で関わる人のご縁や環境に恵まれていました。
他の現場に配属されたSVたちは、もっと過酷な状況に放り込まれ、経験の無いことをいきなり任されてしまったりして、疲れ果てて体調を崩したり、辞めてしまう人も多かったです。
実際に、資格や学歴が不問の割には高いお給料の求人だったので、いくら辞めても次から次へと応募はあるようでした。はっきり言って、SVは使い捨て、サバイバル・・・というような印象でした。
「他のSVたちに比べたら、自分は良い現場に配属されて、ちゃんと生き残れている!良かった!」
と思いつつ、「他の現場に異動になったら、この程度の頑張りでは通用しないのかも・・・。今すでに全力でやってるのに、これ以上はムリだよ・・・。」
と、心の底ではビビりながら働いていました。
でも、
そもそも、
貴重なお客様との接点である業務を、派遣会社に丸投げするって、おかしくない?
という疑問がふつふつと湧いてきました。
個人的には色々任せて貰えて、やり甲斐のある仕事だけど、本来、他社の人にこんなに任せちゃって良いわけ!?と。
自分が「任せてください!」と、張り切っている立場だったにも関わらず、気付けば激しい違和感!
自分の会社のこと、自分のお客様のことを、本当に大切に思っていたら、コールセンターのようなお客様との接点の業務を、他社に丸投げなんて出来ないよね?
しかも他の現場は、もっと滅茶苦茶な丸投げみたいじゃない?
そう思い始めると、派遣業界全体に対しても、「なんかおかしくない?」という疑問が!
本当に良い仕事をしようと思ったら、自分の会社のスタッフは自分で探そうと思うだろうし、
働く方だって、自分の人生を本気で考えていたら、自分の仕事は自分で探そうと思うのでは?
なんか、雇う方も雇われる方も、無責任&他力本願過ぎるんじゃないの!?と。
それぞれ思い通りにはいかない、やむを得ない諸事情があるからこそ、派遣会社に頼むことになってるというのも重々承知ですが、本当は、派遣に頼る必要の無い部分まで、みんな投げ出してしまっているのでは?
今の私のように、本業じゃないことを、表面だけ取り繕って「働いている」という気になっている人ばっかりなのでは?
しかも、みんなその本業じゃないこと、表面の取り繕いのために、病気になるほど頑張って働いていたり、「疲れた~」が口癖になっていて、「今月は残業何時間!」というのが、あいさつ代わりになってる。
なんかおかしい・・・。
うん、なんかおかしいよ・・・。
せっかく「頑張っているエネルギー」の方向が何かズレて、無駄になっていない?
でも、
とりあえず、
お給料ちゃんと貰えてるし、いっか~
という感じに、本音では疑問に思いつつも、あまり深く考える暇もなく働き続けていました。
アメリカで食生活の大切さや、物の少ない生活のスッキリ感などを実感したはずなのに、
その当時の私は、忙しさにかまけて、食生活は乱れ、洋服もどんどん買って、整理しきれない状態になっていました。
そして、あるキッカケに繋がっていきました。
専業主婦への入口
この頃までの私には「自分を労わる」というような視点はほぼ0だったと思います。
小さい頃から大きな怪我や病気はしたことが無く、学生時代にスポーツで鍛えていた自負もあり、
「自分は丈夫!具合が悪くても気合で乗り切る!」という変な根性で頑張っていました。
熱があっても会社に行くのは当たり前で、それを自慢するような気持ちさえあったような・・・。
(実際に、算明学という中国の占星術で見ると、とても丈夫なタイプなのです。が、当時は放置し過ぎでした)
そのおかげで(?)、中途入社した会社でもそれなりに評価され、やり甲斐を感じて働いていました。が、実際には、生理痛、腰痛、偏頭痛など、慢性的に不調があり、「疲れた」が口癖で、膀胱炎になったりしてました。
その頃、主人と付き合い始めたのですが、ちょうど付き合い始めた頃に、ルームメイトが急展開で結婚することになり部屋を出て行きました。
友人とシェアしていた家賃を一人で払うのは負担だったので、そのまま私も部屋を引き払い、主人と一緒に暮らし始めました。
そして、一年くらい経って、いよいよ本当に結婚しよう!ということになり、憧れのブランドで高価なダイヤの指輪を買って貰いました。
主人は「結婚したら仕事を辞めても続けても、私の好きなようにすれば良い。」と言ってくれました。
社内では、結婚しても働き続けている人が多く、家族も友達も「子供ができるまでは働き続けて当然」という雰囲気でした。
お給料も悪くなかったので、経済的な面でも辞めてしまうのは勿体ない、という気持ちでした。
すでに一緒に暮らしている現状は、お互い残業続きで外食ばかり、部屋は散らかり放題・・・。
心の底では、このままでは、いずれどちらかが、大きく体調を崩すのでは・・・
仕事もすでにめいっぱいやっていて、もし異動になったら、一気にうまくいかなくなってしまうかも。私が本当はたいして能力も実績も無いということがバレてしまうかも・・・。
というような漠然とした不安を抱えていました。
が、外食続きなのも、散らかり放題の部屋も、自分がもっと努力して時間のやりくりが上手になれば良いんだ。みんなそうやって頑張っているんだ。
と、自分に言い聞かせながら、また眠い目をこすりつつ会社へ向かっていました。
その日は特に疲れていて、ボーッとしていたんです。
そして、会社に着いてみたら、ダイヤの指輪が無くなっていました。
泣きながら、道端やらかばんの中やら探し回り、交番に紛失届を出したり、質屋さんに電話しまくったり、手を尽くしましたが、出てきませんでした。
それまでの私は、もともと物を失くしたことがほとんど無いのです。(その後も失くしたことはありません。)
その私が、その時の私にとって、一番大切なものと言っても過言では無いエンゲージリングを、
貰って一週間で失くしてしまったのです。
これには落ち込みました。
しばらく落ち込んで、自分を責めまくった後に思いました。(夫は一言も責めませんでした)
こんな風に「疲れた~」が口癖の生活をして、大事なリングを失くして、
私は何をやってるんだろう?
せっかく大好きな人と出会って結婚できるなら、
夫婦で元気に楽しい時間を過ごすことが最優先じゃないのかな?
そうして、結婚式前に会社を辞めて、専業主婦になることを決意しました。
私に仕事を辞める決心をさせる為に、私の潜在意識やスピリットやガイドのような存在が、あのリング紛失事件を起こしてくれたのだろう、と後に気付きました。
きっと、他の小さなお知らせみたいなことも、たくさん送ってくれてたのでしょうが、
当時の私がなかなか気付かなかったので、一番ショックを受けそうな「リング紛失」という手段に至ったのでしょう。
4、に続きます。
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