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15/6/6

初めての退職を間近に思う事

Image by Olia Gozha

福岡県の田舎育ち。縫い物とおしゃれが好きで、小学生の頃から、母と一緒にミシンで服を改造して遊んでました。

縫い物を内職にしている母が勤めている店の店長さんに、私の作ったバッグを初めてお店に置いてもらったのは中学3年の時。1000円だったかな?作った物がお金になった時の喜びをすごく覚えています。


高校生活は地元のスーパーでバイトをして、遊びと洋服にお金を使い、その傍ら、母の内職の手伝いと、相変わらず洋服の改造をする日々。

洋裁学科のある短期大学へ入学し、真面目に課題の提出期限やら、無遅刻無欠席をやったかいもあり、成績トップで卒業。ただ、就職はというと、上京する勇気や、専門職に勤める自信がなく、デザイナーズブランドの販売員で終わりました。

トップで卒業してもこんなもんか…と販売という仕事を少し甘くみてましたが、接客や洋服の知識などで勉強する事は山積み。もともと人とのコミュニケーションが苦手だった私にとってはとても良い成長のきっかけになり、それなりにやりがいを見つけ始めていました。

しかし、2年がたった時、気づけば自由な時間を利用して、縫い物のバイトや洋裁教室に通っている。そんな私はこのまま本職は販売、アルバイトで物作り、そんな生活でいいのか?と疑問を持ち始めます。


パリコレの洋服作りに携わってみたい!


私の目標の一つです。


3年たったら会社を辞めて、もう一度作り手として出直そうと決心し、親に相談し始めたのもこの頃です。


そんな私を、一緒に働いてた店長が私の人生を大きく変えてくれました。

学校へ入学する試験の手続きをしていると、

「会社のアトリエで、売れ筋を知ってる若い女の子の部下を探している人がいるらしい。」との情報が、人事部から店長へ、そして私のもとへと流れてきました。


パリコレにも出ている会社のアトリエ


販売しながら自社の洋服をコレクション写真とを眺めてはいいなーいいなーと思っていた私にとってはこのチャンスは逃したくない!


その話がきて1ヶ月もたたないうちに、私は今まで休みの日に一人で作り続けていた服と一緒に東京の本社へ面接に行くことになります。


今までやってきた事が無駄ではない。ずっと自信がなくて諦めていた憧れの場所で働ける。

退職の決意を店長に打ち明けて、2ヶ月ほどで私の夢が叶うことになりました。


それは2012年の1月のことでした。


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