top of page

13/3/22

宮崎駿がやってきた。昭和59年の八千代の公民館にて。

Image by Olia Gozha

宮崎駿が、髭も生やさず、大先生でもなかった頃。

春にナウシカが公開された後の、とある夏の日のことでした。

私の住んでいた京成八千代台近辺の公民館に、宮崎さんがやってきたのです。

おそらくはアニメ好きの職員さんが、宮崎さんにお願いして、講演会?を実現したのではないかと思いますが、当日、八千代台の駅から20分以上離れた公民館に暑い中、ショルダーバック的なものを肩に下げて、現れた宮崎さんの姿を今でも覚えています。

公民館の回りは畑と宅地がまばらに広がり、八千代台の駅からは、長い坂の上り下りがあって、大変だったのではないかと思っています。

当日の内容は、アニメ作りのことやナウシカについてのお話だったような記憶があります。

小学生、中学生などの子供たちが、2-30人程度が車座になって宮崎さんの話を聞きました。

当時、宮崎さんのファンだった私は、質問コーナーで、なぜナウシカを創ったのか?と聞きました。

子供が多かったせいでしょうか?

「田中角栄のような悪いやつをやっつけるような、そんな存在のナウシカを描きたかったんだ。」と答えたような気がします。

どちらかというと自民支持保守層の当時の私は

「そういえば、宮崎さんは、東映時代組合活動とかして、左派的な人だったよなぁ」と思ったのでした。

実際には、コナン、ナウシカには、圧倒的な悪役は一人もおらず、みんな滑稽で弱さを持つ人間として描かれていたので、単純に悪いことを許さないという宮崎さんの言葉に違和感を覚えた記憶があります。

その後、私は大人になり、そのナウシカの制作にかかわった広告会社に就職しました。

初めて、その広告会社という名前を知ったのは、ナウシカがきっかけだったので、自分の運命に影響を与えた出会いだったのかもしれません。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page